ある消防団員の、なにげないひと時
カンカーン、カンカーン。
田園風景に警鐘の音が響く。
大沢五部消防団の緊急車両の鳴らす音だ。
消防団は、月に何度か定期的な点検活動がある。
小型ポンプの動作の確認、消火栓等の水利の整備、地域の住民の安全確認などが主な目的。
ああして車両を走らせて、鐘の音を鳴らすのも、火災の予防の為だ。
消防団が活動しているのを示すことで、暗に住人の気を引き締めて、結果として予防消防につながる。
つまり広報活動の一環だ。
この日は土曜日。防火水槽周りの草刈りなどの点検の為、普段より少し早い午後三時に集まって活動をしていた。
「案外早いな」
スカイラインのハンドルを握る、翔太が呟いた。
走行しているのは田んぼ沿いの一本道。
対向車線を大沢五分の緊急車両が向かってくる。スカイラインと並列すると停車した。
「よお、これからアサばっぱのとこか?」
運転席窓から顔をのぞかせて、真樹夫が言った。
「うっす」
翔太もスカイラインを停めて答えた。
「いいな翔太は、暢気にデートだもんな。アサばっぱとぼた餅食っての楽しいデート。俺らが汗水流して、広報してんのによ」
メガネのフレームを押さえる真樹夫。
この男がメガネのフレームを押さえるのは、往々(おうおう)にして得意のボケを仕込むときだ。
つまりはボケたから、つっこんでくれとの合図。
「うっす」
それを理解しているから、翔太はそれ以上答えない。下手につっこんだら自らが墓穴を掘る。それ以前に時間のムダだ。
「イッチだって、遅れてきたばっかだろう」
一方助手席には凉が乗り込んでいる。
左腕で頬杖をつき、辺りに広がる田園風景を眺めている。
多くの田んぼは、地肌がむき出しになり、所々ひびが入っている。そこに生える稲もどこか疲れはてた様子だ。
「まあ、それはそうだげんちょ」
凉に向き直り、へらへらと笑みを見せる真樹夫。
防火水槽の点検も思ったより早く終わり、少しばかり退屈をもて余している様子だ。
一瞬の沈黙。
呆然とした表情の真樹夫だが、涼の「行くぞ」との台詞に渋々アクセルを踏んだ。
「さてと」
同じくアクセルを踏み込む翔太。スカイラインがゆっくりと動きだした。
真樹夫は散々なことを言ったが、翔太も消防団としての活動の真っ最中だ。
それを如実に表すように、涼達と同じ法被を着込んでいる。
彼の目的は地域に住む、ひとり暮らし老人への声掛け。
そして翔太の担当は、言わずと知れた猿渡のアサ。
それ故消防団内では、ある種のからかいが流行りつつあった。
『翔太の彼女はアサばっぱ』
『アサのところに行くと、ぼた餅デートする』
全てが出任せとは言わないが、全てお調子者の真樹夫が仕込んだ、都市伝説だ。
「なんだっぺ翔太ちゃん。今日はえらぐ早いない」
猿渡に到着して、車から降り立つとアサが言った。
家の前にある畑で、ナスをもいでいた。
もうそろそろナスの季節も終わりに近い。数個の実がぶら下がっているのみだ。
端の方にはセミの亡骸が転がっている。そこから小さな蟻の形づくる黒い帯が、延々と続いていた。
「今日は少し早く活動してたんだよ」
言って高い位置にあるナスをもぎ取る翔太。
腰の曲がった老婆のことだ。残ったナスのほとんどが、高い位置にある。
その様子を満足そうに見つめるアサ。
「雨、降りそうだがんな。早めにやって正解だわ」
言ってその場に座り込んだ。
怪訝そうに空を見つめる翔太。
空は真っ青に晴れている。天気予報でも雨が降るとはいってなかった。
「もうそのぐれーでよかんべ」
しかしアサは気にも留めない。
翔太がもぎ取った数個のナスを見つめて、ゆっくりと立ち上がる。
「いいのかい、このくらいで」
「いいんだ。どうせぬか漬け作るだげだがら」
そして傍らに置いてある手押し車に掴まり、ヨタヨタと歩きだした。
その速度はじれったいほど遅いものだ。傍で翔太も併走するが、気を抜けばすぐに追い抜いてしまう。
「ちょっくら早いがら、ぼた餅作るの間にあわねーだない」
「いいよ別に。いっつも貰ってんだから」
アサは翔太が訪れる日を、特別な日と勘違いしているようだ。
月に数回はぼた餅を作って、楽しみにしてる。
「とにかくアサばあちゃん、火の元にはくれぐれも気をつけてよ。ぼた餅は今度来る時でいいからさ」
それを翔太はやんわりと断る。
作ってくれるのは有難いが、彼としてはそこまでは期待していない。逆に労力ばかり掛けさせて悪い気がする。
「ぼた餅、もうこさえてんだ」
しかしアサはあっさりと言い放つ。
「作った? さっきは、まだだって言ったじゃん」
「今、もち米ふかして、小豆煮詰めでっとこ」
「マジかよ」
ちらっと台所を覗き込む翔太。
台所には、昔ながらのかまどがある。土で塗り固めた大きなかまどだ。
薪がくべられ、ぐつぐつと釜から湯気が立ち上っていた。
こうなれば既に、それを断る情況ではない。
「分かったよ。後で貰いに来るさ」
実際出来上がりを待つほど暇ではない。
アサの持つ携帯電話には、翔太の番号も登録してあった。
この携帯は、神奈川に住む息子夫婦が、渡しておいたものらしい。
「んじゃっか、楽しみにしてらっし」
言ってアサは、縁側から家の中に上がりこんで行った。




