あんた、もしかしてヤクザなの?
「大丈夫かい葵さん?」
「ありがとう城島さん」
気遣うように言い放つ龍太郎に、葵が深々と頭を下げる。
その会話から察するに、二人も知り合いらしかった。
「いや、いいさ。俺なんかより、翔太に礼を言った方が良くねーか?」
あれだけの存在感を示した後だというのに、龍太郎の態度は至って普通だ。
煙草の煙を吐き出して、淡々と言い放つ。
その台詞を受け、葵は改まって翔太に向き直る。
「翔太くん、ありがとね。助かったよ」
そして同じく頭を下げる。
「いいよ。それより葵ちゃんは大丈夫なのかよ」
翔太も至って普通だ。
場の雰囲気から、そうした方がいいと感じた。
「大丈夫だって。太一くんや淳平くんにも迷惑掛けたね、私からビールおごるからね」
サーバーに歩み寄る葵。
先程までの鬼気迫る表情は消えていた。いつも通りの穏やかな表情、どうやら落ち着きは取り戻したらしい。
破れた服を隠すように、薄手のカーディガンを羽織っている。
先程、翔太の視線に飛び込んだ“ビジョン”は、多分思い過ごしだろう。
頭が興奮状態にあり、皿が割れたり怒号が響いたり、普段とは違った雰囲気が作り上げた幻想。
そう無理やり判断する。
「んだげんちょ俺、びっくりして、なんもできねーがった」
「私もです」
気まずそうに呟く太一と淳平。
なにも出来なかったことが、歯痒いのだろう。
「ばーか、誰だってそうだべよ」
その二人の反応に、翔太は苦笑いを浮かべる。
普通ならば、わざわざあんなヤバイ集団に噛み付く馬鹿はそうはいない。
己の感情の赴くままに、咄嗟に噛み付いた翔太がおかしいのだ。
もちろんそれはそれで、生まれ持った性格だから仕方ない。
そして改めて龍太郎の風貌を確認する。
長いパーマがかった黒髪、派手なシャツに白い皮パン。ジャラジャラしたアクセサリー、どう見ても堅気ではない。
しかも先程の若者達の反応……
「なんだよ城さん。凄い顔利くじゃん」
そう思って龍太郎を肘でつっ突いた。
「まあな……」
対する龍太郎は、思うところがあるようだ。
気恥ずかしそうに視線を逸らし、長い髪を掻き上げる。
「この前から思ってたけどさ、もしかして城さんって、ヤクザなのかよ」
意を決したように訊ねる翔太。
それはあの再会の時から気になっていた。
「は?」
眉根にシワを寄せる龍太郎。
「……そうか。まあそんなもんだよ」
それでもすぐに和やかな表情を見せる。
「まったく。やっぱ人間は変わらねーよな。若いねーちゃん連れてさ」
「まあいいよ。お前とはゆっくり酒でも酌み交わしたいところだが、今日は込み入っててな」
こうして龍太郎は、翔太達と隣り合う座敷に上がり込む。
「まあ、とにかくありがとな」
「気にすんな」
改めて礼を言う翔太に、龍太郎が右手を上げて応える。
持つべきものは友というが、改めてその大切さを実感した。
いつまでも変わらぬ男気に、心から感謝した。
こうしてひと通りの会話を終えた翔太。
飲み直そうと、ゆっくりと元いた座敷に向き直る。
そして気付いた。すぐ脇に、龍太郎の連れの女が立っていることに。
ゆる巻きした茶色い髪に、短いスカート。白い上着のポケットに両手をねじ込んでいる。
何故か翔太のことを、じっと見つめていた。
「えっと……」
戸惑い後頭部を押さえる翔太。
実際若い女だ。いってるとして二十三歳。……対する龍太郎は三十歳。
翔太に言わせれば、連れまわすだけで犯罪だ。
「あんた、龍太郎の知り合いだよね」
そんな翔太の思いも余所に、女は逆に訊ねる。
「……そうだよ。だからなに?」
「アタシね、龍太郎の嫁だから」
「え? マジで」
愕然とした。
龍太郎が結婚しているとは訊いていたが、まさか目の前の女がそれで、ここまでの歳の差があるとは。
「それとさ、あいつ、ヤクザじゃないよ。福島県警の所轄、生活安全課勤務。あれでも刑事なんだから」
「アンゼンカ……」
こうしてテンパる翔太を余所に、女は龍太郎の対面に上がり込んだ。
「安全課の刑事って、サツかよ!」
ようやく翔太も気づいた。龍太郎の職業が警察官であると。
だからこそ、さっきの若者達のリーダー、コージも、おとなしく従ったのだと。
あれ以上騒ぎを大きくして、逮捕されるわけにはいかないから。
その視線の先、龍太郎は苦虫を潰したように笑うだけだった。
こうしてギブリでの飲食を堪能した翔太達だが、タマさんの好意により会計は大幅に安くすませてもらっていた。
トラブルに巻き込んだことと、葵を助けたことがその理由だ。
会計を済ませ、外に出たのは、日付も変わろうとしていた頃だった。
店の入り口付近には、翔太のスカイラインと運転代行サービスの車両が待機している。
それに乗り込もうと、足を向ける翔太達。
「翔太」
そのとき誰かが呼び止める声が響いた。
それはギブリの入り口付近から。
おもむろに視線をくれる。そこに立っていたのは龍太郎だった。
「お前に、ひとつ訊きたいことがあるんだ」
その鋭い眼光が、翔太を捉える。
それを察してか、翔太の後方で太一達が、戸惑うような素振りを見せている。
「……悪いな、連れの連中は車に乗ってな」
言い放つ龍太郎、太一達に対しては穏やかな表情だ。
「すぐすむから、車に乗っててくれ」
呼応して言い放つ翔太。それでも視線は龍太郎から離さない。
直感で分かった、龍太郎の台詞には言葉で言い表せない、なにかを感じる。
「城さん、話って?」
太一達がスカイラインに乗り込むのを確認して、翔太が訊ねた。
カチッカチッとウインカーの点滅する音が響く。オレンジの光が、時おり二人の顔を照らし出す。
ある種の緊張感がそこにはあった。
そんな翔太の思いも余所に、歩み寄る龍太郎。
そして翔太の耳元に顔を近付けた。
「お前、大野葵と付き合ってるのか?」
「え? ……なんのことだ」
突然の質問にたじろぐ翔太。
かすかに紅潮して、半歩ほど後ずさる。
「分かんだよ。お前の表情みてりゃあな」
龍太郎は真顔だ、冗談半分やからかいの台詞ではない。
「ち、違うって」
バーッと大型トラックが、横を通過する。
日付が変わった県道沿いは、行き交う車の量も少ない。
二人はその通り沿い、無言で視線を交わしたままだ。
「いいから黙って訊け。あの女にだけは手を出すな」
「なんでさ? もしかしてあんたこそ、好きになってるとか」
その可能性もあった。
どういう経緯か知らないが、龍太郎と葵は知り合いのようだ。
もしかしてだが、互いに恋人関係、という意味での知り合いかも知れない。
「馬鹿、俺は結婚してんだぞ、下手な横恋慕はしたくねー」
それを龍太郎は全否定する。
その言葉に嘘偽りはないと思えた。
確かに龍太郎は妻帯者、あんな若い嫁がいる。
葵と恋人関係にあるならば、そこに嫁など連れて来ないだろう。
それにこの男、昔から女好きではあるが、それも正攻法で攻めるタイプ。そう思うと少しはほっとする。
「訳は言えねぇ。だけど繰り返す。あの女にだけは手を出すな」
「理由を教えろよ!」
翔太が叫ぶ。
いきなりそんなことを言われて、ああそうですかと納得する訳にもいかない。
再び沈黙が支配する。ひどく静かな光景だった。
全てが無に溶け込むような、沈黙の時……
「やっぱ惚れてんだ。……だからこそ言ってんだ、諦めろ」
その台詞を残して、龍太郎は再び店内に消えて行った。
「なんなんだよいったい……」
翔太の胸中、様々な感情が浮かび、そして消えていく。
幾多の感情が支配して、混沌と化して、真っ黒に染め抜かれていた。
龍太郎の言った台詞に、反論など出来なかった。
自分でも気付かなかったが、心の奥底では大野葵のことが気になり始めていたから。
いやそれは初めて会ったあの日からそうだったかも知れない。
しかし葵の方はそうは感じていない。
翔太は商売上の客であり、ただの友達だと感じている。
彼女の反応を見ていればそう思える、少なくとも恋する気持ちなどないだろうと。
だからこそ、あっさりとは認めたくなかった、葵を好きだという気持ちを。
だからこそ受け入れ難かった、葵を諦めろという龍太郎の台詞は……
しかし翔太は、いずれ気付くのだ。
このとき龍太郎が言った台詞に隠された、本当の意味に。
そして記憶の彼方に封印した、葵の過去に……




