予感
こうして三十分程の時が過ぎる。
「おあいそ頼むよ」との声と共に、店の奥から若者達が出てきた。
男女の割合は同じくらいの十人の団体で、その誰もが翔太達より年下に思える。
がやがやとはしゃいで、誰もが相当に酔っているらしい。
しかしそんな客相手でも、葵の対応は堂々としたものだ。
レジカウンターの前で、淡々と精算をしている。
「ヤス、次までの運転、頼むわ」
「任して下さいよ。アクセル全開で飛ばしますから」
そんな葵を余所に、若者達は車のキーを受け渡しをしている。どうやら二次会に行くにあたり運転手を決めているようだ。
しかしそれはあり得ない会話だ。
若者達の誰もが顔を赤らめている、誰がどう見ても飲酒していた。
実際彼らはソフトドリンクなど注文していない、終始一貫してアルコール類しか注文していなかった。
「お客さん、相当酔っている見たいだから、タクシーか代行サービスを使った方がよいですよ」
少なくともそれは、注文を取っていた葵なら理解するところ。
「はぁ? 誰が酔ってるって。心配すんな酔ってねーよ」
金髪の男が答える。
ひとりだけブランド物のグレーのスーツを着込んだ、剣呑な雰囲気の若者だ。
左耳に付けた三連ピアスがギラギラと銀色に揺らめく。
流れから察するにその場のリーダーだろう。言葉こそ穏やかだが、どこか恫喝するような口調。
それでも葵は一向に動じない。
「酔っているじゃないですか。危ないし、捕まったらかなりの罰金取られますよ」
だがその台詞が、若者達の機嫌を損ねた。
「つまんない、この人マジメ過ぎ」「そんな本気にならなくてもねぇ」との女達の台詞に「ただの店員のくせにな」「マジだわ、うっちゃしぃばばぁだ」男達がそんな風に同調する。
「大丈夫だって言ってっぺ。俺はこんぐれーじゃ、酔っ払わねーべした」
線の細い若者が言った。
運転を頼まれた、ヤスと覚しき若者だ。
「それともおねーちゃん、代わりに運転してくれっか? お礼にいいことしてやっからよ」
酔いのせいか、その足元は覚束ない。ふらふらと千鳥足で、舐めるような視線を葵に向ける。
「止めなよぉ。おばちゃんじゃん」
呼応して横の女が笑う。
呼応して辺りから失笑が飛び交う。
「まぁいいや、おねーさん」
突然、別の男が葵の腕を掴んだ。あごひげを蓄えるくぼんだ目付きの若者。
「二万やるから、運転頼むよ。もちろんそのままじゃ、終わらねーけどな」
そして卑猥な笑みを浮かべる。
葵を見下す優越感と、あからさまな下心がそこにはある。
「ちょっと勘弁してください」
さっとその腕を払おうとする葵だが、勢い余って男の頬を叩いた。
一瞬の沈黙。
はっとして視線を泳がす葵と、それを鬼の形相で睨み付ける男。
「いてぇな、てめーなにしてんだ!」
男が怒りを顕にし、葵の右手を掴み取る。
嫌がる葵だが、がっしりと食い込んだそれは簡単には振りほどけない、着込む長袖の上からもその腕力が感じ取れた。
仲間達にしても、それを止める気配はない。
「あーあ、ツトムのやつ怒っちゃったよ」
「しゃーねーべ、あのやろは野獣だから」
そんな風にヘラヘラと嘲るだけ。ツトムとはあごひげの名前だろう。
「そこら辺でやめたらどうだ」
堪らず立ち上がる翔太。
そこまでは酔った客のおふざけ行為だろうと、事態を見守っていた。
だが流石にこれは冗談ではすまないレベル。これ以上放っておいたら、更なる被害も予測される。
はぁ、と息を吐き、ゆらゆら首をまわす金髪。
「にしゃは、関係ねーべ。そっちに引っ込んでろよ」
そして翔太に顔を近付けて、睨みを利かす。
「店の中で騒がれるとこっちにも迷惑なんだよ。それにか弱い女性に手を上げるのを、黙って見てる程馬鹿じゃねーんだよ」
対する翔太も引くことはない。
争いを仕掛ける気はないが、そうなることさえ辞さない覚悟はあった。
重苦しい空気が支配する。
そこに他の客の姿はなく、タマさんもいない、野暮用があると少し前に出掛けていた。
「すげーなあんちゃん。まるで正義の味方気取りだ。この人数相手にして、そんなかっこいいこと言えんだがらな」
その金髪の台詞に呼応して、他の若者も翔太を睨む。
「ホントだよな、かっこよすぎて逆にウケる」
「ただの調子こきだべ、殴ってやっか」
その誰もが、本気とも冗談とも取れる、薄ら笑いを浮かべていた。
「翔太くん……」
その情況を蒼白で見つめる葵。
ハァハァと、浅井呼吸だ。
それでもその瞳に籠る輝きは、何事にも動じぬ力強さが垣間見える。
「いい加減にしてください!」
腕に力を籠めて、ツトムに握られた腕を引き抜く。
ブチブチと音を発てて、長袖が引きちぎれた。
勢い余って、背中をカウンターにぶつける葵。
立て掛けてあった皿が数枚、床に落下した。
ごくりと喉を鳴らす翔太。その様子は、まるでスローモーションにも思えた。
床に落下した皿は、甲高い衝撃音と共に砕け散る。
キラキラした欠片が辺りに飛散する。
葵は目を大きく開いて、なにもない宙を捉えていた。
カウンターに背を預けて、腰からずるずると崩れ落ちる。
乱れた髪、表情は血の気が引いて蒼白。それがいっそう、唇の紅を強調させる。
ちぎれた長袖、左手でその顕になった右腕を押さえている。
……翔太にはその光景が、現実離れして映り込んでいた。
夢でも見てるんだろうか。そんな幻想的な感覚……
翔太と葵、その視線がほんの一瞬だけ重なった。
「なにしやがるんだ、この女!」
だがそのツトムの叫びで、翔太は我に返る。
ツトムは再び葵を拘束しようと、腕を伸ばしている。
「それ以上、なにをする気だ!」
咄嗟に座敷から飛び降りる翔太。
葵との間に立ち塞がり、ツトムの肩を掌で押し払った。
「ぐっ?」
不意をつかれ、バランスを崩すツトム。
後方に後ずさり、しりもちをついた。
「なにしてんだ、にしゃあ!」
金髪の額に青筋が浮き出る、怒りを全面に押し出し吠えた。
場に漂う醜悪な空気。それは突き刺さるような、痛みをも兼ね揃えている。
呼応して他の仲間達も、翔太を取り囲む。素人とは思えない、狂気の籠った視線だ。
「なんだよ、ただ、押しただけだろ」
ごくりと唾を飲み込む翔太。
流石にこれは危険な状態だ。
手を出そうとして出したのではない。頭では理解していたが体が動いた結果だ。
「もう止めて、代金は結構だから!」
一方の葵は戸惑う表情だ。
左手で右の肩を押さえて、若者達に懇願する。
太一と純平は、怖気づき固まったまま。
辺りに漂うのは恐怖と憤怒の感情。このまま膠着状態が続けば、修羅場と化すのは、火を見るより明らかだ。
「客なんだけどよ。……取り込み中かぁ?」
不意に入り口から、第三者の声が響いた。
それに呼応して、その場の視線がその方向に注がれる。
「城さん?」
翔太が言った。
そこに立ち構えていたのは、確かに城島龍太郎だった。
派手なシャツに真っ白いズボン、額にはサングラスを掛けて、銀のネックレスが映える。
後方には煌びやかな衣裳に身を包んだ、二十歳程の女が同伴していた。
何故かその龍太郎の姿を認め、金髪は眉にしわを寄せている。
かすかに「……城島」と、口走った。
「なんだよ、おまえ、山崎のとこのチンピラじゃねーか。……確かコージとかいったな」
それを龍太郎が、なめるように睨み付ける。
コージとは金髪の名前だろう。
コージは微動だにしない。直立不動で、わずかにうつむき、ぶつぶつとなにかを呟いている。
「なぁに、このおじさん?」
その様子を見つめ、コージの連れの女が言った。
物怖じせず、きょとんとした表情で、右手人差し指を唇にあてている。
「やれやれ、若い奴から見りゃ、俺もおじさんか。ホント最近の小娘は、躾がなってねーな」
対する龍太郎も物怖じしない。
ヘラヘラと長い髪を右手でかきあげ、煙草を取り出して口にくわえる。
しかしその眼光だけは鋭いものだ。真っすぐにコージを睨んでいる。
それがコージの心を激しく貫いた。その身体がわずかに震えてるのが分かった。
「にしゃは黙ってろ! 相手を考えて喋れや!」
女に視線を向けて恫喝する。
それで女の表情が蒼白になる。怯えるように、無言で後方に後ずさった。
その一連の流れで、誰もが察した。
若者のリーダー格、コージと龍太郎は面識があると。
しかも立場では、龍太郎が上だと。
「城島さん……お疲れさまっす」
ゆっくりと腰を折り、龍太郎に最敬礼するコージ。
その額に小刻みに血管が浮き出るのに、その場の誰もが気付く。
それを聞き入り、龍太郎が煙草に火を点ける。
「相変わらず、威勢だけはいいようだな。あんまヤンチャするようだと、俺も手加減はしねーぞ」
そしてコージの顔目掛けて煙を吐き出した。
「いえ、ちょっとこいつが酔っ払って。すぐ帰りますから」
それを避けることなく顔面に浴びるコージ。
「そうするのが賢明だろうな」
今まで散々威張り散らし、興奮して喚いていたとは思えぬ態度。
少なくともコージは、龍太郎に対し礼儀をわきまえ、自分の非を認めていた。
こうして騒ぎは、一応の収束を迎える。
若者達はその場の人々に謝罪して、会計を済ますと、タクシーを呼んで帰っていった。
にしゃ、お前って意味です




