表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/58

酪農家の火事



 町を夕闇が包み込んでいた。




「今日はお客さん、少ないですね」

 ギブリの店内、葵がカウンター越しに呟いた。



「火事があったみてーだがんな」

 その傍らではタマさんが、煙草の紫煙をくぐらせている。


 それにうんうんと頷く葵。


「でもまだ燃えてるのかな? 出火から一時間は経ってるよね」

「だな、かなり燃えてるらしいな」

「うちのお客さんって、消防団員がメインだから、火事があると困っちゃいますよね」


 土曜日の八時過ぎ。


 いつもならある程度の客で溢れる時間だ。

 しかしそこから見える範囲に、客の姿はない。


 葵のいう通り、ギブリの客層は消防団員が多い。

 しかしこの日は、先程起きた火災により、多くの消防団員が出動を余儀なくされていた。



 その葵の台詞に、眉を(ひそ)め視線を向けるタマさん。


「そんなこと言ったらダメだよ葵ちゃん。他にも客はいるんだから」

 意味深に言い放ち、店の奥座敷に視線を向ける。



 奥座敷からはガヤガヤした若い男女の騒ぎ声が響いてくる。


「あっくんエロいよ、ひいちゃうよ」

「あつしがエロいのは、昔からだっぺや」

 そんながやがやした内容だ。


 数十分前に来店した、派手な衣装に身を包む若いグループ。



「おねーちゃん、生、三つおかわりね!」

 注文が飛ぶ。

 注文しているのは二十歳程の若者だ。


「了解しました」

 葵は元気よくそれを請けたまわり、サーバーで生ビールを注いで持っていく。いつも通りの、活発でテキパキした対応だ。



 しかしタマさんは、その葵の姿を浮かない表情で眺めている。


「葵ちゃん、気を付けなよ。あいつらの中に”これも”数人いるから」

 意味深なゼスチャー。指先で頬をなぞるゼスチャーだ。

 憂うような神妙な面持ち。


 この何気ない光景がいつまでも続けばいい、穏やかでたおやかならば、それ以上はなにも望まない。


 葵には、暗にそう言ってるように思えた。


「分かってますよ、相手にしないですよ。……だけどいつまでも、臆病なままじゃいけないでしょ?」

 しかし葵の視線は穏やかなもの。


 タマさんの憂いの原因は、痛いほど理解している。


 それでも、だからこそ進まなきゃいけないこともある。


 どんなに嘆いても過去は変わらないから。どれだけ立ち止まっても、時間は進んでいるのだから。



「確かだな。葵ちゃんの言う通りだわ。引き籠もってても(らち)は開かねーわな」

 笑みを浮かべるタマさん。


 呼応して葵も笑った。


 笑顔だけが、心から笑うことだけが、未来へと続く架け橋だから。






 


 それから一時間程が過ぎた。



「いらっしゃい!」


 タマさんの招きで、翔太はギブリに足を踏み入れた。


「ちいーっす。三人なんだけど、空いてます?」


 後方には太一と淳平の姿もある。

 火災の出動のあとの、ささやかな食事と称して、この場を訪れた。


 苦笑するタマさん。


「ははは。嫌みかそれは。見りゃあ分かんべ、空いてるよ」

 言って空いてる席を指差す。


「いらっしゃい翔太くん」

 葵がカウンター奥から言った。


「おう葵ちゃん、こんばんわ」


 そんなやり取りを交わし、翔太達は手前の座敷へと上がり込む。


 そして生ビール二つと日本酒を注文する。


「火事だったんだって? 大変だったじゃない」

 生ビールを配りながら訊ねる葵。


「大変だったさ。特に水利の確保がな」


「ポンプ五台っすよ。それを何台も中継て、ホースだって何十本って使った」

 それに翔太と太一が答える。


 いまだに酷い残暑が続いていて、もう一ヶ月近くは雨も降っていない。


 そのため、鎮火させるだけの水量が確保出来なかった。

 それ故小型ポンプを数台連結させて、数キロ先から水を引っ張って、ようやく鎮火させていた。



「火事を消すには、水は必要不可欠だものね」

 同調して神妙な面持ちの葵。

 ズバリ火事場において、一番重要なのはそれだ。



「っても、火事自体は、それ程の規模じゃなかったんだよ」

「ですね。鎮火までは時間は掛からなかったです」

 翔太の台詞に今度は淳平がかぶせた。


 確かに水利の確保には時間がかかった。


 だが火事自体は通報が遅かったせいもあり、現場に到着した頃には殆ど焼け落ちていて、すでに鎮火傾向にあった。


 だから大がかりな放水活動はしていない。



「かなり前に、鎮火の放送も流れたしね」

 それについては葵でなくとも、思っていることだろう。


 火災の放送が流れたのは、今から二時間も前のこと。

 そして暫く後、鎮火の放送も流れている。

 

「それにしては、解散するまで長かったよね」

 だからこそ疑問も残るようだ。



「酪農やってるとこがら出火して、ワラとかあっから、全然消えながったんです」

 今度は太一が言った。


「消えたと思っても、奥の方で燃えてるから、なかなか消えなくてな」


「たまにあるんですよ。布団が燃えて、水を掛けて消したはずだったのに、夜中になったら再び炎が上がったとか。藁なんてその典型的なパターンですから」


「そういうこと、流石ガリレオだだね」


 同じ燃えるにしても、その対象によっては厄介なものもある。例えば布団やワラ。表面の火を消しても、中の方で燃えている危険性がある。そのまま放っておくと、再び出火して二次災害を起こす恐れもある。


「鎮火して帰ったら帰ったで、掃除や点検なんかもあったしな。ホントめんどくせーったらありゃしない」

 翔太として一番面倒だったのはそれだ。ようやく火事場から解放されたのに、機械の点検、使った道具の清掃、日誌などの記入で三十分程の時間を費やしてる。


「日頃の備えは大事ですから」

 すかさず言い放つ淳平。少し前と違って、先輩団員としての気構えが大きくなっている。


「はいはい」 

 仕方なくそれに同意する翔太。


 一方で太一は、なにやらムカついた表情だ。

常備(じょうび)なんて後がら来たくせに、鎮火の放送流っちゃら帰っちまうんだもん、ひきよーだよな」

 言って口を尖らす。常備とは常備消防隊、つまり消防署隊員のこと。


 太一の言いたいことは、翔太にも粗方予測できた。


 火事場にて実際に火災を消すのは消防団と消防所の両方だ。


 だがその後の後片付け、及び残り火の始末をするのは消防団の仕事だ。

 特に地元だった場合は、下手すれば一昼夜、その業務に付きっ切りになるのも珍しくない。



「だけど消防所も頑張ってるでしょ? ……それに地元の為だもん、仕方ないよ太一君」

 不意に言い放つ葵。


 確かに常備消防とて、全て消防団にまるなげしている訳ではない。

 彼らは活動範囲が広域故に忙しいし、状況見聞など活動も多岐に渡る。


 しかも特殊火災や、救出活動は彼らの専売特許。


 いつだったかの火事場でも、翔太はもう少しでそのお世話になる所だった。



「……だな」

 呼応して言い放つ翔太。


 太一の意見に賛成したことを、少しだけ恥ずかしく思った。



 しかしそんな空気など、太一はお構いなしだ。


「……んだがい? んじゃっかなんかつまみも頼むばい、腹も減ったし」

 先程の台詞も関係ないように言い放つ。


「ま、そうするか」

 


 火災で出動したのは夕飯時。


 それから二時間、確かに翔太も空腹だ。



 こうして彼らはつまみの注文をする。冷奴や揚げ物、サラダなど数点の品物だ。それを葵が訊いて注文表にメモ書きする。


 淳平は相変わらず遠慮深い様子だ。自らは注文せず翔太達が決めたもので満足している。



 対する太一は大胆な様子。

「俺はブタのしょうが焼き」


 それを訊いて、翔太の脳裏に先程の火災のビジョンが浮かぶ。


「あれ見て、よくそんなもの食えるな」


 現場は酪農農家、火元は牛舎。

 そして焼け跡には、三頭ほどの牛の焼死体。それを思い出すと、肉類は遠慮したいと感じていた。


 それでも太一は堂々たる態度。

「そうがい? あれ見てたら無性に肉食いたくなってない」そんな風にさらりと言い放つ。


 確かにそんなことで食欲をなくしていたら、消防団など務まらない。

 かくしておつまみの注文は終わる。



「それじゃ乾杯」

「うっす」

「お疲れ様です」


 こうして翔太達は、それぞれのグラスをかざし、火事場出動後の、ささやかな宴会と相成(あいな)った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ