表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/58

嘘と涙の方程式



「なんで俺はここにいるんだ?」

「馬鹿だなー、翔太ちゃんが自分で来たんだろ?」

 


 ギブリの店内。翔太と信二、二人共酒に酔ってへろへろ状態。


 既に時刻は、午後十一時を過ぎている。

 日曜の夜のこと、他に客の姿はない。


 カウンターの中では葵が、あゆみと会話している。

 田舎の暮らし、都会での出来事、夢の話。様々だ。




「俺は明日、仕事なんだぞ」

「そんなもの休んちゃえばいいじゃん」

「あのなー、信二」

「そんなことより飲もうよ」

「……だな」

 酒の勢いとは恐ろしいものだ。

 少しだけ付き合うと、ギブリを訪れた翔太だが、帰るタイミングを完全に逃している。

 それどころかそれを、覚えて把握してるのかも疑問。



「懐かしいね、昔はこうして朝まで飲んでたもんね」

「あったな」

「覚えてる、駅前でバンドしてる奴らと揉めた件?」

「覚えてるさ。信二が、いちゃもん付けられて、俺が止めた時だろ」

「そうそう、いつの間にか相手が増えてて、最後には逃げ回ったんだよね」

 それでも本音で語れて、いつになく上機嫌だ。



 若い頃の記憶というのはいつでも色褪せない。


 もちろん葵にもそんな時代はあった。

 今と違って世の中の仕組みもよく知らず。金もなく、時間ばかりが有り余っていたあの頃。


 悲しみばかりが多くて、忘れてしまいたい想いもあるが、それでも彼女からすれば、やっぱり青春と呼ぶに相応しかった。



 この二人にも、そんな時代はあったのだろう。




「翔太ちゃん、なにを寝てるのさ……」

「……馬鹿、明日は仕事だ……」

「そうかお仕事か……頑張ってね……」

「……お前こそ頑張れ……」

「……うん。頑張るさ……」

「……だな……」

 こうして二人、夢の中へと(いざな)われていく。



「寝ちゃったね」

 その様子を見つめ、あゆみが言った。酔いざましに少し(ぬる)めのお茶を飲んでいる。


「懐かしい思い出をつまみに飲む酒は、楽しいものだからね」

 葵の方は洗い物をこなしている。


 静かな時間だけが過ぎいく、先程までのにぎやかさはどこにもない。


 翔太は代行サービスで帰る手筈になっていた。信二はあゆみとタクシーで帰るから問題はなかった。



「葵さんって福島の人じゃないですよね?」

 不意にあゆみが訊いた。


「分かります?」


「言葉遣いが、全然違うから」


「私は東京育ちだから。こっちには最近引っ越して来たばかりで」


「そうなんですか。どうです、こちらの暮らしは?」


「うーん、都会とは違って、見るもの全てが新しいかな」


「自然がいっぱいですもんね。ごみごみした東京とは違う感じですものね」


「都会は、時間に追われて暮らしてるって、感じですからね」



 葵は心の底から田舎暮らしを満足していた。


 見るもの全てが新鮮で、日々起こる出来事をいとおしく思えていた。



 そんな彼女の笑顔を、あゆみはしみじみと眺めていた。


「だけど田舎の人って、無駄に熱いところないですか?」

 そして言った。両手で持つお茶を一口啜る。温かい感触が喉を伝わる。


「翔太がそうだった。なんでも本気で取りくんで、迷わず突っ走る」

 遠い表情だ、過ぎ去った過去に思いを馳せて、苦笑する。


「確かにそうかもね。この店に来るお客さんも、かなり熱い性格の持ち主ばかりだし」

 それには葵も納得するものがあった。


 翔太を始めとして、涼や陽一そして宗則、彼らは個性こそ違えど全員熱い性格の持ち主。


 そう感じて、うんうんと頷く。



 がらんとした店内をゆっくりと見回すあゆみ。


「よく言えば実直。悪く言えばダメな男」

 その視線が捉えるのは、店内に飾られた翔太の画。


「出逢った頃の翔太は、漫画家になる夢を描いていた。会社に通いながら、同じくらいそれも頑張っていた」


「その話なら、訊いたことがあるわ」

 その話は葵も知っている。


 酔った勢いで涼に話していたのを訊いていたからだ。



「漫画ってのは絵が上手いだけじゃダメなんですよ。ストーリーがあって構成があって、それらがあって漫画になる」


「確かにそれが問題なんだよね」


「翔太は絵は上手いけど、それがなってなかった。それでも頑張って、少しづつは良くなっていた……」

 一瞬あゆみの声が途絶える。


「それなのに翔太は、その夢を途中で諦めた」

 そして言った。


 少しばかり考え込む葵。


「不思議だよね、あの翔太くんが、そう簡単に夢を諦めるなんて」

 葵は昔の翔太を知らない。

 学生時代の話や、夢を抱いて東京に出た頃のことは知らない。


 だが今の彼を見てれば、そう簡単に諦める性格ではないと感じた。


「逃げたんですよ翔太は、わたしのことを理由にして」


「逃げた?」

 あゆみの話は、葵からすれば意外なことだ。


「ある日、翔太と二人でドライブに行ったんです。漫画で徹夜してた翔太を、わたしが半ば強引に付き合わせる形で」


「翔太くんって、誰かに誘われると嫌と言わないからね」


「それは言えてる。なんだかんだで、後になって愚痴は言うけど」


 それにも葵は納得する。


 散々文句を言いながら、春樹に誘われて婚活にいくし、涼や陽一の言われるままに消防団に入った翔太。


 現に今も、あゆみ達に強引に誘われてこの場にいる。


 そう思うと、少しばかり苦笑する。それを察したかあゆみも笑顔だ。



 一瞬の沈黙。なにか言いたげなあゆみと、それを無言で見つめる葵。


「この傷跡、分かります?」

 しばらくのち、あゆみが言った。

 右手を額に添えて前髪を掻き上げる。


「傷跡? 傷跡って言えばそう見えるわね」


 彼女の額には、うっすらと傷のような痕が残っていた。

 とはいえ、言われなければ分からない程度だ。


「この傷って、その時のドライブでついたものなんです。……左折しようとした時、直進してきた車に突っ込まれて。それからなんです、翔太が漫画をかくことがなくなったのは」


「だけど事故に遭ったのは、翔太くんのせいじゃないんでしょ」

 すかさず訊ねる葵。


 運転していたのは翔太だろう。だが相手に突っ込まれたのであれば、それは被害者だ。



「翔太は一方的なんです。『事故に遭ったのは、そんな傷痕が残ったのは、自分が徹夜して、ぼーっとしてたから』だって」

 それは辛い過去の出来事だ。


「重いですよね。こんな見えもしない傷痕を悔やんだり、他人がおこした事故を、自分のせいだって思ったり。……そんな風に、他人の不幸を背負い込む性格って」

 それでもそう切り出すあゆみの表情は笑顔。


「……傷痕か……確かにそうだね。キツイよね、そこまでされたら」

 葵も答えた。


 そのあゆみの思いは、葵の中にも染み込んでくる。


 確かに傷跡というのは一生のものだ。

 不意の事故でのものなら、後悔も残るだろう。


 もちろん、自ら望んだ傷跡だって……


 少しばかり青ざめ、左手で反対の肩を押さえる。



「福島に戻るって決めた時もそう。わたしが弁護士の夢を目指してるからって、勝手にひとりだけ、福島に戻った。そのくせわたしが愚痴ると本気で訊いてくれる、半分はどうでもいい話なのに。ホント、田舎の人って冗談が通じない。都会で育った信二の方がマシって感じ、話半分で受け止めてくれるから」

 次々と言い放つあゆみ。


 まるで溜まったもやもやを一気に吐き出すような口調だ。


「そう思いません、葵さん?」

 それでも自分だけ話してると理解したのか、葵に向かって同調を促した。



 だが返ってくる返事はない。何故か葵は、じっとあゆみの表情を見つめるだけだ。


「葵さん?」

 堪らず言った。


「本当は好きなんだよね? 好きだから、重荷になりたくないから、彼をふった」

 静かに言い放つ葵。


「そんな筈ないですよ。……彼はホントにダメな男なんだから……」

 慌てて返すあゆみだが、そこに先程までの調子はない。



「本当に嫌いで、ダメな男と思うなら、涙なんか流さない筈だよ」

 そしてその葵の台詞ではっとした。


 自分でも気づかなかったのだろう、あゆみの目からは大粒の涙が溢れていた。



「全て逆な意味、自分を正当化する為の嘘。言ってることは全部自分への言い訳なんでしょ? ……だから涙が溢れる」



 悲しい嘘をつくと、心から涙が溢れる。それが嘘と涙の方程式。



「彼があなたを思うように、あなたも彼のことを思ってたんだよね。だからわざと素っ気無い態度をとって、彼から離れた」


 もどかしくて堪らなくて、内に秘めるには重すぎる感情。



「この町のことが詳しいのは、彼を思えばのこと。ついでに来たっていうのも嘘、最初からここに来るのが目的だった。苦しい嘘をつくから涙が溢れる。だって今でも、翔太くんのことが好きなんだから」


 だから人は嘘をつく。




 嘘で塗り固めるのは簡単なこと。

 だけど嘘で塗り固めた言葉は、その心を破壊する。


 だから涙が、(せき)を切って溢れてきた。



 その葵の的確な台詞が、(かたく)なだったあゆみの心を解きほぐす。



「嫌いだったら来ないですよ、わざわざ休暇を取ってまで」

 福島に来て、初めての本音を言った。




 言葉などその場しのぎの手段に過ぎない。


 相手を思いやる嘘とか、陥れる為の欺瞞(ぎまん)とか、そんなもので満ち溢れている。


 だからそんなもので誤魔化されてはいけない。



 本当に大切なのは、その奥底に宿る真実だけだから。







摂氏一万度の英雄たち


  第五章~終わり


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ