スローライフの薦め
十数分後、翔太達は一軒の家を訪ねていた。
猿渡という場所に住む、“アサ”というおばあさんの家だ。
歳は既に九十七歳、翔太が幼い頃、よく面倒を見てくれた人物だ。
アサは戦時中、原子爆弾開発に関わっていたことがある。
関わっていたといっても、開発に関わっていた訳ではない。
原料であるウラン鉱石の採掘に、関わっていたという意味だ。
アサの伝える話を、あゆみは熱心に訊き入っていた。
戦時中、アメリカ率いる連合国は、マンハッタン計画と共に原子爆弾を開発する。
しかし原子爆弾の開発は、アメリカだけが行っていた訳ではない、同盟軍であるドイツや日本でも行っていた。
それで原子爆弾を開発するに当たり、その原料であるウランなどが必要となる。
当時そのウランの採掘される場所が、桜谷町だったのだ。
時は大戦末期の動乱の頃。多くの若者は、学徒動員で戦場を駆け抜けていた。
故に採掘には、町の学生百名程が動員された。
その当時アサは、事務員をしていた為、それに加わったそうだ。
だが採掘場に埋蔵されたウランは、思うほどの量ではなかった。
なにより大国アメリカに対して、技術力や資金力が違った。
そうこうしている内に、広島と長崎に原爆が投下される。
こうして終戦を迎え、計画は頓挫した。
「日本は所詮、資源の乏しい国だから。そんなモンだろうね」
縁側に座り、ぼそっと呟く信二。
「その点、わたし達は幸せだよね。躍起になって、原爆なんか作らなくて済むんだから」
テーブルの片隅、あゆみが言った。
「ホントそう思うぜ。動員された学生って、俺らのガッコーの先輩だぜ。そんなことにならなくて正解」
信二と共に縁側に座る翔太が、うんうんと頷く。
「ホント、その頃に生まれなくてよかったわ」
同じく春樹もホッとした表情。
誰だって思うだろう。普段の暮らしに満足している訳ではないが、その暮らしを奪われたくはない。相手を脅かす為の、武装などしたくはないと……
「だけど今じゃ、どこの国だって核を持ってるぜ?」
「政治的な道具よ。相手より強く見せたい。それが常套手段になりつつあるから」
だがその過ちを繰り返すのも人間だ。
今ある核兵器で、地球がいくつ破壊されるか。……考えただけで恐ろしい。
そのとき、縁側にかけられた風鈴が、チリリンと鳴った。
山々の緑を介して、気持ちよい風が吹き込んでくる。
アサの家は、山に囲まれた辺鄙な場所にある。
近くに家もなく、殆どの雑音から隔たれた空間。大自然に抱かれたスローな空間。
文明の愚かさも、戦争の虚しさも、一切感じられない。
誰もを優しい気持ちにさせていた。
「つまんねー話きいで、疲っちゃばいね」
そこにアサが現れた。
普段は押し車に掴まって、散歩してる老婆だ。その背中は直角というほど曲がっている。
その手に持つのは、トマトや漬物の乗せられたお盆。
「翔太ちゃんが来るって分がってだら、ぼた餅こさえでだんども」
言ってそれをテーブルに置いた。
「ぼた餅?」
きょとんとした視線を向けるあゆみ。
「ぼた餅はいいって、アサばぁちゃん」
微かに紅潮する翔太。
翔太は消防団活動の一環として、このアサの家を訪問することがあった。
その際いつもご馳走してくれるのが、アサ特製のぼた餅だ。
翔太はそれ程、甘党ではない。ぼた餅など、好んで食べたりもしない。
アサがそう言い放つ根拠は、幼い頃にある。
志織と共に、何度かこさえて貰った経験があったから。
それを美味しいと言って食べていた翔太。そのビジョンが、アサの中にはあるのだろう。
「それよっか、さっきがら気になってだんだけど、この方は翔太ちゃんの彼女がい? メンケーねーちゃんだない」
言って座り込むアサ。
「違うって、知り合い……」
再び紅潮する翔太。
実際面倒だ、元カノだと紹介出来るわけもない。
「翔太くん、カッコいいですもんね」
あゆみが言った。多分に本音ではないと翔太は思う。
「んだっぱい。自慢のあんちゃんなんだ」
ニコニコと笑みを見せるアサ。
「なにもねーげんちょ、食わっし」
そしてテーブルに乗せられた、トマトと漬物を勧めた。
トマトは沢から流れる水でしめた、みずみずしいもの。漬物はキュウリとナスのものだ。
挨拶と共にそれを食す四人。
「うめぇ!」
「ホントだ」
同時に信二とあゆみの表情が煌めいた。
「大袈裟だな。俺んちなんか夏の間はこればっかだぜ」
それとは対照的に、春樹は覚めたような表情だ。
それには翔太も、ある程度同意はする。
実際それらは、この辺では普通に作られている。
毎日食卓にあがるので、少しばかりうんざりなのも本音だ。
「馬鹿だなー、スーパーで売ってる奴よか美味いよ」
「それだけ恵まれているってことよ」
「まぁ、買ってまで食う気にはならないが」
「そうかな」
うんざりだが、その美味さは知っている。
畑から採ってきて、キンキンに冷やして、そのまま食べるのが絶品。
スーパーで買う奴よりダンチで美味い。田舎の味の定番といっても、過言ではないだろう。
「このナスって、ぬか漬けですよね。いいヌカ床なんでしょうね」
「そんなごどねーだ。あんたさえ良がったら、ヌカ持っていぐがい?」
「ホントーですか? 嬉しいな」
「一緒にナスとキュウリもやっがら」
あゆみは特に気に入ったのか、アサと漬物談義に華を咲かせている。
この老婆は長生きしてるだけあって、様々な事柄をその頭に記憶している。
昔あった出来事から、作物の採れる頃合い、土地の境界線から、住人の親族関係まで多岐に渡る事柄だ。
その全ては、自らの行動と経験で培ってきた。
まさに生き字引きと呼ぶに相応しい。
そんな風に感じながら、翔太は庭先に視線を向ける。
アサの家の前には、小さな沢がある。
沢といっても山水が流れ落ちるだけの、こじんまりしたものだ。
夏になると、そこにバケツを置いて、流水でトマトなどを冷やしている。
そうすることで、冷蔵庫で冷やすより美味しく感じる。
現に今もスイカが冷やされていて、流れる流水の中で鮮やかに躍っている。
「なんだべ翔太ちゃん、スイカ食いっちーのがい?」
その様子にアサが言った。
「いや、そういう訳じゃ」
慌てて答える翔太。
「翔太ちゃん食いしん坊だな」「ぼた餅だげじゃなく、スイカもがよ」そんな風に囃し立てる信二と春樹。
「そろそろ冷えた頃だべがら、持ってきてくれっがない」
言い返したい翔太だが、そのアサの一言に渋々立ち上がった。




