笑顔の意味
「だけどトビ、その呼ばれ方、嫌いだったんだよな? 二個うえにそう呼ばれて、殴って、ぶっ飛ばしたことあんもんな。あれには俺もおったまげた、それ以来、他の奴らトビのこと、おっかながって……」
基本春樹はノリが全てだ。
場の雰囲気を、盛り上げることに精力を注ぎ、大勢のギャラリーの注目を浴びることで、幸せを感じる。
後先のことなど、少しも気にしない。美食家ハンターの性だ。
「……んだがらトビってなったのさ。確かどっちも涼さんが付けたんだよな」
こうして長々とした解説も終わり、総括とばかりに翔太にふる。
「……まぁ、そんなところじゃねぇ」
呆れて答える翔太。渾名の意味は、大まかそんなところだ。
トンビという呼ばれ方は、ある日を境に嫌いになった。
年上の少年を殴ったのも事実。
それを覚えている者の中には、渾名で呼ぶのを恐れている者もいる。
だがその解説には、わずかながら誤りがある。
嫌いな渾名で呼ばれたから、その少年を殴った訳じゃない。本当は殴った後で、そう呼ばれるのが嫌いになった。
それにガキの頃の話だ。今では違和感は感じても、ムカつきは覚えない。
人が思うより過去は複雑で、絡み合った糸のようなもの。
それとトビというのは、涼が名付けたのだが、トンビというのは、別の人物が名付けた。
その命名に関しては、幼さ故のこそばゆい思いがある。思い出すだけで顔が火照る。後頭部が痒くなる。
だから翔太は多くは語らない。
春樹がどんなに過去に思いを馳せても、どんなに記憶を呼び覚まそうとも、その真実には辿り着けない。
その全ては、小学生一年当時、七時三十分のバスに封印されている。
こうして場を盛り上げようと、翔太の過去を暴露した春樹だが、その思惑とは裏腹に、盛り上がる様子はない。
「しかし美味しいね」「そうだねあゆみちゃん」淡々と、しいたけを口にするあゆみと信二。
「これお下げしますね」葵の方も、何事もなかったように空の皿をおぼんに乗せて去っていく。
ガキの頃の渾名というのは、その個性を示す様々な種類がある。
かわいらしく洒落たものから、今の時代なら禁止用語じゃねーか、というものまで様々。
そこにどんな意味が籠められていて、誰々が名付けたなど、その談義でクラス会でも花が咲く。
古いアルバムを開くのと同じ感覚なのだろう。
だがそれは、その当時を覚えているからこそ成り立つ感覚だ。
又聞きする第三者からすれば、それほどの思い入れはない。
つまり春樹の作戦は完全に失敗で、翔太はその巻き添えを食らって犬死にした、そんな構図がそこには成り立つ。
ちなみに春樹にも小学生当時の渾名がある。ハルチ○ポ。
転校していった少女が名付けた渾名。今になって思えば、完全に禁止用語だ。
「しかし信二も、マジで調子いいな。お前しいたけとか嫌いだっただろ?」
話題を変えようと投げ掛ける翔太。
信二はしいたけが大嫌いな筈だった。ぶよぶよして大嫌いと、いつも言っていた。
だが信二は少しも動じない。
「確かに数ヶ月前までは嫌いだったさ。一般に売られてるスーパーのしいたけはね。だけど今は好きなのさ。原木しいたけを作ってる人に食べさせられてね。それから好きになったのさ」
その台詞に嘘偽りはないようだ。
確かに原木と菌床、見た目は変わらないが、味や歯ごたえは完全に違う。天然か養殖か、それくらいの違いはある。
それは、春樹に何度かもらって食べた経験があるから、翔太も理解している。
「最初は無理やり食べさせられた形だけどね」
それを裏付けるように、あゆみも捕捉した。
「弁護依頼受けた相手だもの。食べなきゃいけない情況でしょ?」
意味深な言い回しだ。
流石の翔太もあることに気づく。
「弁護依頼って。もしかしてあゆみ、弁護士の資格、合格した?」
生活が成り立つには、それなりの稼ぎが必要。
それなりの稼ぎさえあれば、二人だろうと養うことが出来る。
つまり社会人として、大きな地位を確保すればいいだけだ。
キラキラとした笑みを見せるあゆみ。
「まぁね。この春、合格したんだ」
夢は夢だ。どんなに強く願おうとも、どれだけ必死に頑張ろうとも、誰もが叶えられるものではない。
そしてその夢の先に、どんな未来が待っているのかなど、誰にも分からない。
未来などまだ霧のなかで、ただの分岐点に過ぎないから。
だけど誰にでも分かることがひとつだけある。それは笑顔の存在だ。
夢を手にした者だけが見せる、とびきり輝かしい笑顔の存在。
それを見てると、周りの人まで何故か笑顔で溢れる。
「そうか、おめでとう。今まで頑張ったもんな」
翔太も心からの祝福を送った。




