別れた彼女
暫らく後、翔太の運転するスカイラインが、県道を走っていた。
あゆみに会う為、ギブリへと向かっていたのだ。
辺りは既に、漆黒の闇に包まれつつある。
「いったい、どういうことなんだよ」
ぼそっと呟き、ハンドルを握る手に力を籠める。
「……やり直すチャンスかもしんねーべ?」
その助手席側から響く声に、訝しく思い、ちらりと視線をくれた。
「馬鹿、そんな筈ねーべよ」
そこに座り込むのは春樹だ。
この男、翔太達の会話を訊き入り、無理やり付いてきたのだ。
『帰りは送ってやる。俺は酒を飲まないから』とは言うものの、どこまで本当かは定かでない。
「もう終わったことなんだ」
言って煙草に火を点ける翔太。
自分でも、どこか言い訳じみた台詞だと思う。
それを察してか、春樹はなにも返さない。同じく煙草を取り出し火を点けた。
実際翔太としては、終わったことだと思うしかなかった。
もちろん彼女がやり直そうと、この町を訪れたということも考えられる。
だがそうじゃなかったことを考えれば、そう思わないようにするのが正解だ。
それよりも翔太には、あゆみに会って訊きたいことがあった。
それはもしかしたら、彼らが別れることとなった、直接の原因。
別れる数ヶ月前にあった、彼女との電話でのやり取り。
『翔太って、ダメな男だよね。そんなことなら、最初から付き合わなきゃ良かった』
あゆみの発した、覚めた台詞だ。
『ふざけんなよ、誰がダメな男だ』
売り言葉に買い言葉。
翔太達は、一時的に連絡を取り合わなくなる。
それでもどちらとなく連絡をして、交際は続く。
しかしギクシャクした関係は残ったままで、遂にあの日を迎える訳だ。
翔太には意味が判らない。
何故"ダメな男"と言われなければならないのか。
そして本当に、それが別れの原因だったのか。
急いで駆けつけたギブリの店内。残暑厳しい土曜日の夕方ということもあり、店内は多くの客で溢れていた。
タマさんの挨拶で店内に足を踏み入れた翔太だが、その挨拶もそこそこに、辺りを見回す。
「翔太、こっちだよ」
あゆみの姿は、店内奥側の座敷にあった。
ショートヘアーに、ややふっくらした頬。そして少し団子にも似た鼻。それでもぽっちゃりしてる訳ではない。それと相まって、たれ目気味な目付きも愛らしい。それらと細いメガネが、絶妙にマッチしてる。
スタイリッシュな中にも、洗練された知的さを思わせる姿。ごく変わらない彼女の姿だ。
「マジかよ。よくこんなとこまで来たよな」
呆れながらその方向に歩き出す。
「那須の方に、来る要件があってね、それが終わったから来てみたの」
どうやらあゆみは、翔太に会いたくて来た訳ではないらしい。
「那須? まぁ、さほど遠くはないな」
少しだけ寂しさを感じた。
「言っていたよね、ギブリって店、美味い焼き鳥があるって」
「そんなこと言ったっけ」
「なんだよトビ、かわいい子じゃんか」
会話に興じる翔太の背中を、後方から春樹が突っつく。
「馬鹿、外野は黙ってろ。静かにしてるって約束だろ?」
即座に言い返す翔太だが春樹はお構いなしな態度。
「後ろの方はお友達?」
その様子にあゆみが訊いた。
「はーい、お友達でーす」
待ってましたとばかりに、白い歯を煌めかせて、一歩抜きん出る春樹。
「馬鹿、騒ぎすぎなんだよ」
「だけど気にしないで。俺は別で飲んでるから」
それでも一応の道理を感じたか、カウンター席に座った。
形上は別席だが、聞き耳を立てて、情況を窺う腹積もりらしい。
「翔太はビールだよね。お決まりパターンだからね」
あゆみが言った。
「ああ……」
翔太としては、春樹の存在は気にはなった。
それでもとにかく、座らなければ話も始まらない。
あゆみの対面に座り込み、生ビールの注文をした。
「いつもいきなりだから、こっちは疲れるんだよ」
訊きたいことはいくらでもある。
気持ちを落ち着かせる意味と、頭を整理する意味を含め、煙草に火を点ける。
「いらっしゃい翔太くん」
葵がビールを持って歩み寄ってきた。
「ああ、お邪魔してるよ」
低い声で返す翔太。
「お二人は、お知り合いなんですね」
ゆっくりと二人を見つめる葵、翔太に生ビールを手渡しながら言った。
「まぁね。東京の頃の知り合い」
呼び出されてギブリに来た訳だから、この場面を葵に見られることは、覚悟していた。
それでも少しばかりむずがゆいものがある。バリバリと後頭部を掻きあげる。
「いい店ですね。翔太が言ってた通り、焼き鳥が美味しい」
そんな翔太の思いも知らず、あゆみが言った。
「ありがとう御座います。マスターの自慢なんです」
「このお刺身も美味しいし」
そして二人、暫し和やかな会話に興じる。
だが実際、そんな社交辞令染みた会話は、翔太には興味ない。
葵がこの場に居たら、訊きたい話も切り出せないのも事実。
「それではゆっくりしていってください」
そして葵は、挨拶と共に戻っていく。
「さてと、ここに現れた理由は訊いた。だけど俺に会おうとした理由は?」
これでようやく話が切り出せる。
改まるように灰皿に煙草を揉みつけた。
「ちょっと待ってて、もうそろそろ、彼もくるだろうから」
だがあゆみは、その気はないようだ。
なにかを気にするように、通路の奥を覗き込んでいる。お手洗いに続く、店の奥の通路だ。
「……もしかしてお前、ひとりじゃねーのか?」
そして翔太も気づいた。
座敷のテーブルには、いくつかのおつまみが並べられている。
それと一緒に、ビールの注がれたジョッキがあるがひとつではない。飲みかけのものがふたつ。
翔太の分は、いま注文したばかり。つまり翔太とあゆみ以外にも、誰かがいる証拠。
「久しぶりだね翔太ちゃん。元気だった?」
店の奥側、通路から声が響く。
茶髪に、赤いフレームの伊達メガネ。優柔不断そうな表情の男の姿。
「信二、何故お前がここに?」
堪らず言い放つ。
その男にも見覚えがあった。
翔太は東京にいる頃、ボランティアの活動をしていた。
その時にあゆみと出合った訳だが、その他にも多くの仲間と知り合っていた。
その中のひとりが、信二だ。同世代ということもありプライベートでも交流があった。
「へへへ、何故って言われてもね。あゆみちゃんに訊いてよ」
ヘラヘラと笑う信二。
「いったいこれって、どういう情況なんだよ?」
あゆみに視線を向ける翔太。喉の乾きを覚えて、ビールを喉に流し込む。
少しだけ間があった。
情況の判らぬ翔太と、少しばかり言い辛そうなあゆみ。
そしてその様子を信二と春樹が、黙って訊き入っている。
「わたし達、結婚するのよ。その件も含めて、翔太に報告に来たわけ」
あゆみの言った一言はそれだった。
「結婚って……」
愕然となる翔太。ビールのジョッキをテーブルに置いた。
一方的に別れた彼女との再会。
もちろん復縁などと、ドラマチックなシチュエーションなど望んでもいない。
だが結婚まで進んでいたとは、受け入れがたい事実だ。
どう情況を整理すればいいのか、悩んで思考が停止する。
「そんなことの為に、わざわざ俺を呼び出したのか?」
咄嗟に声が上ずった。
「翔太?」
それを上目遣いで見つめるあゆみ。
その視線の先、翔太は立ち上がる。
「用件はそれだけなんだな? だったら帰るわ。どうせお前ら、ついでで来た訳だし」
言って座敷から降り始める。
「それだけじゃないよ。ちゃんと話さなきゃって思ってて、それで来たんだから」
それを追いかけるように、あゆみも立ち上がった。
「どうだか。……人をふっておいて、結婚の挨拶に来たはねーだろ、普通」
「それはそうなのかもしれないけど……」
「だいたいにして、俺をダメな男って呼んでおいて、その男と結婚するってのはあり得ねーだろ」
「ダメな男って、あの時の……」
そして流れる束の間の沈黙。
「…………」
はっとする翔太。
自分では、冷静に伝えたつもりだった。言葉を選び、頭で考えた台詞を言ったつもりだ。
だが怒りと戸惑いで混乱して、少しばかり大声だったらしい。
葵や春樹、その他の客も呆然と視線を向けている。
「落ち着けってトビ。少しばかり感情出すぎだぜ」
春樹が言った。
「ムカつくとか悲しいとがはあるべけどよ、別に犯罪おかしたとが、死に別れた訳じゃね-んだがらよ」
この男、普段はお調子者だが、意外と男気を見せることがある。
「情況はわかんねーげど、少しぐらい訊いてやってもいいべした」
確かにその通りだ。あゆみ達が堂々と告白するなら、こっちも堂々と訊けばいいだけだ。
「……まぁ、せっかくだからな」
こうして翔太は、あゆみ達の話を訊こうと、座敷に座った。




