夏の思い出 そうだ競馬場に行こう
真っ青な空が広がっている。
ニョキニョキとそそり立つ入道雲。さんさんと照り付ける眩しい太陽。
むせ返る人波、ざわめく喧騒。緑鮮やかな芝が目に映える。
「うおーっ! 差せ差せ、差しきれー!!」
春樹の叫びが耳をつんざいた。
その日、翔太達は福島市に出向いていた。
ここ福島市は、桃やりんごなどのフルーツ栽培が盛んで、果実王国の異名も持っている。
また市内にある花見山は、春には桜や梅・桃・モクレンや椿などの花が一気に咲き乱れる、言葉にも表せない程の美しい自然に溢れる場所だ。
しかし今は夏。
夏の福島市は、また違った一面を見せる。
全国でも有名な、福島競馬場の開催だ。
福島競馬場は、七夕賞やラジオNIKKEI賞が行われる場所。
特に夏の福島開催は熱い。武豊などの有名ジョッキーが騎乗にきたり、G1級サラブレッドが出走したりで、遠く関東圏などからも人が集まる。
この日、翔太達がこの場所に来ていたのには訳があった。いつかの婚活の第二段だ。
『なんで競馬場で婚活なんだよ?』
訝しがる翔太。しかも再び春樹に騙されて、付いて来たのだが……
今回の婚活は、主催である町も気合を籠めているようだ。
なんと都会から、若い女を三人連れてきていた。
それが実現できた訳は、翔太達が住む桜谷町と、彼女達の住む区が、姉妹都市関係にあるからだ。
「ぐおーっ! 2着、3着」
目の前では春樹が、クシャクシャに握り締めた新聞紙片手に、天を見つめている。
彼がつぎ込んだのは“キジ1羽"(現在は鳳凰か。……ギャンブル用語です。
ものの数分で、遠くに飛んでいったことになる。
「あれ程ガイドの人に、熱くなるなって言われてたのに、悲しいなお前は」
翔太がその肩をポンと叩いた。
婚活により、この福島競馬場まで訪れた訳だが、なにも全レース終了までいる訳ではない。
ここでの滞在時間は一時間程。別の場所で再び散策して、フリータイムと相成る訳だ。
だから町役場のガイドの人も、さんざん注意していた。
『お馬さんは可愛いですが、競馬につぎ込むお金は程々にして下さいね。競馬はギャンブルです、計画に沿ってやらないと、お金も恋もあっという間に飛んでいきますから』
……なのに、この男は……
「競馬にあそこまでハマるなんて」
「ダメだっぱいね。あんなにお金賭けだらない」
婚活で一緒に来ている女達の、覚めた視線があまりにも痛い。
「んだな。このやろは、ギャンブルにどっぷりハマるタイプだわ」
傍らで陽一がボソッと毒を吐いた。
春樹と陽一は、この町主催婚活の常連となりつつあった。そして翔太も……
よく見れば他にも、前回と同じ人物の姿が目に付く。若いヤンキーや四十代のハゲかかった男などだ。
あの時の奈美の姿はなかった。誰か良い人と巡り会えたんだろう、そう思う翔太だった。
「競馬ってのは、人間のエゴで成り立つスポーツなんだよな。サラブレッドって呼び名の意味はな、ブレッド、つまり血のことさ。サラブレッドは、人間が創り出した究極の生命のことなんだよ。そのせいであいつらは、この鮮やかな芝を、ロマンを乗せて、一生懸命駆け抜ける。あんな細い脚に、500キロ近い体重を乗せてだぜ。だから俺達人間は、ちゃんと奴らを見てやって、惜しみない賛美を与えるのが本来なのさ」
そして始まる陽一のウンチク。
「だよねーサラブレッドって、どこか品があってキレイだよね」
「ホントだよねー。細くて綺麗な足首だもん、あれで走るんだから凄いよねー」
女達の視線がうっとりと緩んだ。
「バーカ、競馬っちゅうのは、ギャンブルだべよ。当ててナンボ、ロマンどかそんなごど語んのは、当たんねーやろの言い訳だべ」
捲くし立てる春樹。だけど外したショックで目が血走ってる。
だがそんな春樹の思惑とは別に、陽一は一枚の紙を目の前にかざす。
「一点で的中してんだよ。百円が二百円か? ぼちぼちだわな」
それは“勝ち馬投票券”。つまり当たり馬券だ。
「…………」
既に春樹は、返す言葉も見つからない。
ガックリと肩を落とし、うな垂れた。
「なぁ、サクラコさん、あんただってそう思うべ?」
陽一が誰かに投げ掛けた。
その視線の先、スタンドと芝を仕切る柵の手前に立つのは、白いワンピースを着込む長い黒髪の女性。爽やかな麦わらが印象的だ。
彼女こそ、今回の婚活一番人気サクラコ。
東京からゲスト出演した、二十五歳の女性だ。見た目だけでなく、清楚な話し方で、ここまで来るバスの中でも大人気。
春樹と陽一が、真っ先に目を付けたターゲットだった。
しかしサクラコは、その陽一の言葉には反応しない。
「なぁ、サクラコさん」
今度は陽一、少しトーンを大きくして投げ掛けた。
「チッ、ウゼー野郎だな……」
不意に思いもしない声が飛び交う。
「はっ?」
「へっ?」
「ほっ?」
愕然となる面々。
今の声、明らかにサクラコな筈。
「たった百円くらいしかつぎ込めない、セコイ男に、デカい面されたくねーんだよ」
辺りに漂うは、醜悪な空気。妬み、嫉み、恨みの籠もった、呪いの文句。
振り返った彼女が握り締めていたのは、数万円つぎ込まれた、外れなのに“勝ち馬投票券”。
この彼女、相当のギャンブラーだ。
「んだっぺした。せごいやろに、グチグチいわせねーよねサクラコちゃん」
即座に食いつく春樹。
「競馬はギャンブルですよね。お馬さんが首にお金をぶら下げて、走ってくるんですから」
サクラコも興奮気味に言い放つ。
かくして最強最悪のギャンブラーコンビが結成されたのだ。
こうして意気投合した春樹とサクラコだが、今回は賭け事を楽しむ為だけに、競馬場を訪れた訳ではない。
「この地下場道を通って、コース真ん中まで行くと、鮮やかな芝生が楽しめる場所となっているんです。家族連れや、若いカップルにも楽しめるんですね。皆さんもカップル成立して、お子さんが出来たら、ここを訪れてみるのはどうでしょう?」
コース中庭にあたる場所は、様々な軽食店舗が軒を連ね、芝生で麗らかなひと時を過ごせる空間だった。
白熱した競馬レースを余所に、家族連れやカップルが、和やかなひと時を過ごしていた。
そんな長閑な人々を余所に、春樹とサクラコは競馬談義に華を咲かせている。
「だべ? “ディープインパクト”、カッコいがったよな」
「そう。皐月賞なんか出遅れして、快勝ですもん。“シックスセンス”さえ二着に来なければ、私も当たってたんですよ」
「んだんだ、つんのめりそうだったのにぶっちぎって。冗談で『この二頭の名前、映画のタイトルだがらくっかもしんにーべ』なんて言ってだら来んだもんな」
「へーっ、私もディープインパクトって知ってる」
「競馬って案外、面白いんだね」
「私、密かに“ウオッカ”のファンなんだよ。女の子が、男の子を負かしちゃうんだからカッコいいよ」
「ウオッカの最大のライバルは“ダイワスカーレット”だな。ホント、女は強しってね」
その春樹とサクラコの会話に誘導されて、他の面々も、好きな馬の話題で盛り上がりつつあった。
考えてみれば、今回の婚活は、競馬場で行うのを知り得て参加しているのだから、競馬の話題で盛り上がらない訳がない。
「福島に住めば、ギャンブル三昧だぜ。いわき平の競輪場、玉川のポートピア。須賀川なんか、パチンコ屋の数日本一だし」
「ふうーん。そんな環境では血が騒ぐよね」
調子に乗って豪語する春樹と、和やかに微笑むサクラコ。
「競馬って言えば“オグラキャップ”。武豊が乗ってさ……」
毒舌とウンチクが武器の陽一の方は、かなり雲行きが怪しくなってきていた。
どうやら先程の台詞、一夜漬けの浅い知識だったらしい。
……小倉主任って誰だ? オグリキャップだろう……




