古い写真の中に
「まあ、俺はそんなおとぎ話には興味ねーがな」
不意に陽一が、水割りのグラス片手に言った。
彼は二十歳になってこの大沢に引っ越してきた。だからその噂は訊いたことがないのだろう。
「どの道、そんな根も葉もない話しても、一銭の特にもなんねーべ」
口の中に氷を含み、諭すように言い放つ。
「んだない。本当だとしても昔の話だしない」
ぽりぽりとこめかみを掻く真樹夫。
彼は陽一とよく行動を共にする。それゆえ頭の上がらない存在のようだ。
「昔のことはかまわねーげんちょ、俺は今の話してんですよ。大体あの人、火事場に対しての感情が異常なんすよ。その感情、俺らに押しつけで貰いっちぐねーもん」
それでも太一の怒りは治まらない。
彼はポンプ繰法の時、人一倍宗則に怒鳴られていた人物だ。
その鬱憤は並大抵でないらしい。
「太一、熱いな。そう言やおめ飲み過ぎだべ。普通の倍は飲んでっぞ」
「そうがい? あんま分がんねー」
「太一は宗さんに散々しごがっちゃがらな」
「俺だって人権あんだよ。軍隊じゃねーんだがら、適当でいいべな」
「だな、適当にやっか」
「テキトーだばい!!」
「だげんちょ今日は祝いの酒だべ。ほらもっと飲め。俺は悲しみの酒だげんちょな」
「飲むばい! 」
「食いモンもあまさねーで食えよ。レタス残ってんぞ」
「あまさねーばい。もったいねーもん」
こうして二人の会話は盛り上がる一方。
太一はその場のノリで、表情がコロコロ変わる。酒の力でグダグダの情況。
対照的に真樹夫は、一貫的に烏龍茶しか飲んでいない。太一に合わせるように、その言葉を巧く使いこなしている。
盛り上げて消して、いわゆるマッチポンプ状態。
翔太とて、太一の気持ちも理解はする。毎日朝早く起きて、全力疾走させられて、さらに怒鳴られては、文句も言いたくなる。
だけどここまでぐちぐち言うのは、翔太の性格に合わない。
しかも真樹夫の相槌がわざとらしくて、割ってはいる余地もない。
「んだげんちょ、あんまその話してっど、宗さんがら電話かかってくんぞ『おめら、なにカスかだってんだ』って」
益々調子付く真樹夫。
それと同じくして、誰かの携帯着信音が流れた。
「宗さん?」はっと視線を泳がす真樹夫。かすかに青ざめている。
「嫁だ」電話に出たのは涼。
「おう、俺だ。ああ、ああ……」
淡々と響く涼の携帯でのやり取り。
それを聞き入り、ほっと胸を撫で下ろす真樹夫。何故かはにかむ。
「火傷した? 志織が一緒だったべ」
穏やかだった涼の表情が、わずかに曇る。
「今から病院連れてぐのか?」
その後も二言、三言、短い会話が続く。
「悪いな、俺は急用で帰るわ」
やがて携帯の電源を落として伝えた。
「なんかあったか?」
陽一が訊いた。
「息子がヤケドしたらしくてな。たいしたことないらしいが、病院に連れてくべって。……嫁が迎えに来てんだわ」
どうやら緊急を知らせる連絡だったらしい。
「悪りいが、先にな」
テーブルの上の煙草を懐にしまい、陽一となにやら会話する。おそらくここの費用のことだろう。
そしてそそくさとその場を後にした。
「……俺も便所行ってくるか」
しばらく間を置いて、翔太も立ち上がる。
その様子を陽一が、覚めたように見ているが、今は相手にしない。
座敷から降りて、スリッパを履くと、その場を後にした。
厨房に隣接する本広間には、まだ涼の姿があった。嫁と思われる相手に、電話している。
店の奥の方では、葵が翔太の画を飾ろうとしている真っ最中だ。それも店内の一番目立つ欄間部分に。ご丁寧に額縁に入れて。
他に客は数人。仲間とそれぞれの会話を楽しんでいる。
タマさんは厨房で、調理をしていた。
「志織の奴にもあきれたぞ」
通話を終えて涼が言った。
「なんのことっすか?」
平静を装い答える翔太。
別に志織という名称を訊いたから、涼を追ってきたんじゃない。
トイレに行く途中で、たまたまでくわしただけ。
「いいってことよ」
その肩をとんと叩く涼。
「志織には、息子の守り、ちゃんと頼んだ筈なんだがな。最近あいつ、ぼーっとしてっから」
多分翔太がここまできた理由は、お見通しなのだろう。
「とにかく心配すんな。あいつは怪我してねーし、息子も軽傷。過保護過ぎんだな」
和やかな笑みを見せると、外に消えていった。
正直、気にならないといえば嘘になるし、そこまで気に留める必要はないと思う。
見透かされたようで、少しばかりむず痒くなる翔太。ポリポリと後頭部を掻く。
涼達のことも気になるが、自分にはなにも出来ないことだ。
それより今は、他に気になることもある。
それは先ほど書いた絵。葵が欄間に飾ろうとしてる。
「マジで飾るのかよ?」
「いいじゃない、こんなに上手くかけたんだがら」
葵は気にする素振りも見せない。てきぱきと作業をこなしている。
「こうして見ると、かなり見栄えがいいでしょ」
やがて作業を終えると、翔太と並んでその出来映えを確認する。
少しばかり気恥ずかしさもあるが、確かに見栄えはいい。
手前みそではあるが、即興で書いた割に構図もいい。
そしてその欄間の部分には、翔太の画と共に、数枚の表彰状や写真が飾られている。
「ずいぶん古い写真だな」
その内の一枚に、翔太の視線が奪われる。
「タマさんが、消防団部長の頃の写真らしいよ」
葵が言った。
写真の中央にはタマさんらしき人物の姿がある。
今より全然若い、三十代後半と思われる。そこから察するに十年は昔だ。
そうこうしているうちに葵は、客に注文を頼まれて奥に消えていく。
ひとり残された翔太。暫くぼーっとその写真を見つめる。
「おっと、ショウベン」
はっと気がついたように、その場から歩き出した。
写真の片隅に写る、とある人物の姿に、気付くことはなかったのだ。




