粉雪舞う会津
その日、翔太は、だだっ広い駐車場で立ち尽くしていた。
二月の空はどんよりと澱み、いつ雪が降り出しても不思議ではない。
既に十年近く都会で暮らしてきた翔太の身体。福島の肌を切る寒さは堪らない、重ね着して上からダウンを羽織っても凍えるようだ。
その隣では同い年程の男が、白い歯を覗かせて辺りを見回している。キラキラと宝物でも探すような視線だ。
対する翔太は、ぶるぶると寒気に襲われている。
「聞いてねーぞ、こんなの」
堪らす隣の男の耳元に囁いた。
「わりーって言ってんべよ。合コンもいいが、今のご時勢やっぱこっちだべ」
陽気なこの男が、沖島春樹。髪はツンツン逆立てた、茶髪のベリーショート。
翔太とは中学・高校時代からの親友で、今の会社でも一緒に働く腐れ縁の仲。
「彼女との連絡、まだつかねーんだべ?」
嬉しそうに言い放つ春樹。
「……まぁな」
確かに翔太はあれ以来、彼女との連絡は一切つかない状態だ。
「キャキャキャ。んだわな。じゃなきゃ合コンの誘いなんか、乗らねーだろうしな」
翔太を親友と称する割には、あっけらかんと笑う春樹。
とはいえ翔太とすれば、ガキの頃からの付き合いだから、それには慣れている。
数日前だった、春樹から合コンの誘いがあったのは。
彼女との連絡はつかない。住んでいたアパートは引き払っていた。
それ故断る理由などなかった。仕方なくその誘いにのっていた。
据え膳食わぬは男の恥、とも言う訳だし。
だから、ちゃんと早起きして、寝癖も整え、いつも通りの、いわゆるウルフの髪型にして、少しばかり逆立てて、気合いと共に待ち合わせ場所まで来た。
もちろん床屋にも行って、髭も剃った。これなら誰も剛毛だとは気付かないだろう。
だが待ち合わせ場所という所に来てみて絶句した。
まだ寒い冬空の下、だだっ広い駐車場で、十数人の男女が立ち構えている。
ご丁寧にバスが待機し、受付らしき人物が挨拶を交わしてる。
合コンというのはまったくのでたらめ。結婚活動、俗にいう“婚活”だった。
翔太もおかしいとは感じていた。こんな日曜日の朝早くに合コンだと? と訝しくは思っていた。
春樹 曰く、『俺は今まで数多くのナンパ・合コンを繰り広げてきた。だげんちょ最終的な到達点が、婚活だったんだべ』
春樹は顔もいいし性格も明るい。しかも翔太と同じ、独身貴族。
高校の頃からナンパや合コンに明け暮れ、今度は婚活に手を染めたようだ。
つまり翔太は、その春樹の思惑に乗せられた訳だ。なんとなくだが、騙されたと思った。
とはいえこのまま帰る訳にもいかない。せっかく朝早く起きて、ここまで来たんだ。
据え膳食わぬは男の恥、とも言う訳だし……
こうして翔太は、まだ名前も知らぬ男女と共に、ネームプレートを胸に付け、バスに揺られて一路西に進路をとる。
バスの座席は、それぞれ男女の相席になっていて、春樹は少し年上の女と談笑している。
相席といっても、男女の比率は男が少し多い。
翔太は、ヤンキーらしき年下の男とハゲかかった年上の男に挟まれた、最後方の“特等席”だ。
年上はやけに気合が入ってるのか、キツイ香水の臭いが鼻につく。
年下はヤンキーっぽい面構えにも関わらず礼儀正しく、『アメ食べますか』と勧めてくる。
視線の先、手前に座る春樹は、隣の女に対してやけに騒がしい。
遂には、その場のノリなのか、童謡『岡を越えて行こうよ』まで歌う始末。
『勘弁してくれこれは遠足か?』翔太はまるで遠足に行くような気分を隠せなかった。
こうして辿り着いた先は、会津若松市。
かつては会津藩として栄えた、赤べこ・絵ろうそく・起き上がり小法師などの伝統工芸品でも有名な、福島県の都市。
そして眼前に佇むのは鶴ヶ城。会津若松市が誇る有名な城だ。
この婚活は、町が主催する婚活だった。それも今さっきバスの中で把握した。
そんな訳で、翔太達は町役場職員の引率で、ぞろぞろと城内の観光をすることと相なる。
「おい、春樹」
春樹を隊列から引き離す翔太。
「なんなんだよいったい? マジおかしいだろ、こんなの」
困惑気味に吐き捨てた。
はぁ、と視線をくれる春樹。
「いいじゃん。減るもんじゃねーし」
こうして二人。隊列から少し離れて後を追う。
「俺は消沈気味なんだぞ。合コンならともかく、婚活なんて」
「いつまでも引きずんなって」
「引きずんな、って言われてもよ」
「とにかく流行りだべよ婚活は。時代の最先端な俺が、こんなウマい話を見逃す訳あんめ?」
確かに婚活ってのは流行ってる。それは翔太とて知っている。
東京にいた頃、会社の同僚が活動してる話を訊いたこともあった。
まさかこっちでもやってるとは思いもしなかったが……
「だけど俺は、結婚なんてまだする気もないんだぜ」
「馬鹿、そんなんじゃダメだって。気付いた時は手遅れだべ?」
対する春樹は軽いノリだ。
おそらく自分のことで手一杯で、翔太の思いなんて気にもしてない。
「見てみろよ鶴ヶ城、雄大でカッコいいべ」
それを裏付けるように、話題を変える。
チッと舌打ちする翔太。
「鶴ヶ城なんて、小学、中学、高校と腐るほどに見てんだよ」
言ってふて腐れるように鶴ヶ城に視線を向ける。
そしてハッとした。
奥深い雪国に立ち構えるその雄姿。
歴史と共に時には栄華を誇り、時には衰退に涙しただろう城郭。
確かに幾度となく目にした城だった。
だけど何度見ても、その美しさには感動するものがあった。
「鶴ヶ城は正式には会津若松城と呼び、伊達政宗、上杉景勝などといった歴史上の人物が城主となり、松平容保の時代に、会津戦争の戦火で一度壊されているのです」
主催者である町役場の女がガイドする。
四十代後半程の小柄な女だ。見るからに他人同士をくっつけて、結婚させるのが趣味みたいなおばさん。
「へえー、伊達政宗は有名だよね。仙台の片目の武将だもん」
「なんとか竜だよね」
傍らで女数人が話し込んでいた。どちらも二十代前半程のごく普通の女だ。
その会話を、春樹は真後ろで聞き入っている。
「セキメって書いて、ドクメ竜じゃない」
すかさず駆け寄ると助言した。
それを聞き入り『なに言ってんだこいつ?』そう思う翔太。
「違うって、ほろすけ。伊達政宗は隻眼の武将、独眼竜って言えば有名だべ」
その翔太の思いを代返するように、更に誰かが助言した。
「うっ?」
真っ赤に紅潮する春樹。
ゆっくりと後方に視線をくれる。
助言したのは少し長めの黒髪を真ん中で分けた、メガネを掛けた男。
歳は翔太達より、いくらか上に思えた。
「あ、会津っていえば“あかべこ”だよねー。キミ達、うしとべこの違いって知ってる? 耳の位置がだね……」
春樹は必死にうんちくを披露する。
しかし女達は、そんな春樹には興味はない。
「凄いですね。博識なんだ」
「歴史に詳しいってカッコいいよね。もっと教えて下さい鶴ヶ城のこと」
興味深そうにメガネにくい寄る。
こうなれば春樹が入り込む余地はない。悔しげなムカついた表情を見せるだけ。
翔太から言わせれば、それは仕方ないことだ。
春樹は学生の頃から歴史が嫌い。『人にとって大切なのは未来。過去にとらわれるようじゃ男とはいえねって』が口癖。
つまり歴史はからきしだから。
「会津の人間は力強いんだぜ。なんせあの地獄の戦争を耐え凌いだんだがんな。歴史上じゃ、天下の罪人なんて呼ばっちぇっけど、実際は違う。あの時代はな、誰もが国を愛し、国を憂い、国の未来を考えてたんだよ。歴史なんてモンはよ、勝者の立場にそったモンだからな。会津は会津で立派な英雄だったんだわ」
メガネが伝えた。自信に満ちたようなニヤケた口元だ。
その台詞に女達の目付きが変わる。トローンとした羨望の眼差しだ。
確かにキザな男だ、春樹が最も嫌うタイプ。
福島の人間なら誰でも知ってる事実を、言葉巧みに淡々と伝えるんだから、普通の女ならいちころだろう。
そう考える翔太を、春樹が後方に引き寄せる。
「なんだよ?」
意味が分からず訊ねた。
「ちきしょう“オジョー”がいればな。あんなやろ」
しかし春樹は歯を食いしばり、意味不明な言葉を呟くのみ。
「オジョーって誰だ?」
その台詞に、ハッとしたように視線を泳がせる。
「それは良いわ。……そんより、あんやろーだけは気ぃつけろよ」
そして耳打ちする。
「なんで、知り合いか?」
「そうさ。俺らの最大のライバル。長年のムカつくやろだ」
春樹の視線は、真っ直ぐにメガネの背中を捕らえている。ねたみの籠もる恐ろしい視線。
「ライバルってなによ?」
「ナンパだナンパ。横から現れて、アッサリと女を横取りする、ハゲタカやろだ」
「ナンパ?」
「クソッたれ、いい歳だがらナンパは卒業したってのに、こんなとこでまた会うとはな。三崎公園の一件、忘っちねーぞ」
とにかく翔太にとってはそんな話に興味はない。
そっとその場を離れ、集団に加わろうと足を進めた。
「きれいだな」
不意に誰かの声が耳に響いた。
何気にその方向に視線をやった。
灰色の空からは、うっすらと粉雪が降り出していた。
舞い散る粉雪のただ中、眼下に広がる街並みをバックに、ひとりの女が立ち尽くしている。
パーマがかった黒髪のショートヘアの女。
背中越しなので顔は見えない。形のいい耳が見えるぐらい。しかしとても絵になる。気持ちが高鳴るのを感じる。
「……ホントだ」
思わず翔太も口走った。
ほろすけ、でれすけ、とは相手を卑下する言い方です。