炎から守護する番犬
八幡神社は、大沢を眼下に臨む小高い丘の上にある。
樹齢何百年と云われる一本杉のそびえる場所だ。
小さな祠があるだけなのだが、勝負事や試験などにご利益があるとされていて、受験シーズンともなると多くの参拝者が訪れる。
そのいわれは諸説ある。龍神様の住み処となっていて、天高く飛翔して人々を救ったという逸話から、有名な武将が必勝祈願に訪れて国獲りに成功したという逸話まで様々。
もちろんその真偽の程は定かではない。元々八幡様、つまり八幡大菩薩というのは武家の崇拝の対象とされている。それゆえ必勝祈願するには最適なのだろう。
そして夏といえば、甲子園の季節。
かつて高校球児だった涼が、いつも口にしていた台詞がある『あの深紅の大優勝旗、白河の関を越えて、持ち帰るのはウチの高校だ』
その願掛けとして涼は、試合の度にこの地を訪れていたそうだ。
八幡様の象徴たる生き物は、ハトとされているが、ここ大沢の一本杉に巣くうのは、つがいのトンビ。
ピロロローーと大空を優雅に飛翔するトンビの下、彼は勝利を誓う。
結果、南雲涼率いる母校は、甲子園への出場を決めた。
ちなみに本日午後に、母校の地方大会準決勝進出を決める、大事な一戦が行われていた。
五対一で楽勝、順当勝ちするかと思いきや、九回裏逆転負け。
次回戦に備えて、絶対エースを降板させたのが全ての失敗だった。
いまだに東北の地に、深紅の大優勝旗は渡っていない。
数年前に、白河の関の遥か上空を跨ぎ、津軽海峡を越えて北の大地の渡って行った。
「カンパーイ!」
翔太達大沢五部の面々の、弾けた声があがった。
その日の夜、大沢第五部はギブリへと集合していた。
「さあ飲め、今日は宗さんと俺の奢りだがんな。宗さん今日はこれねーげんちょ、『良くやった』って誉めてだぞ。今夜は、時間と金が許す限りとことん行くべーや!」
普段になく上機嫌な涼。
ちなみに宗則は諸事情により欠席していた。
「良いのがい? 高校野球も終わっちまったし、ヤケ酒のんちまうよ!」
興奮気味に言い放つ真樹夫。
「ヤケ酒って、おめーには関係ねーべ」
涼が首を傾げ、持っていたグラスをテーブルに置いた。
「そんな言い方、悲しくなんなー。俺らの頃だって、涼さんさえいたら、甲子園でも連勝できたのによ」
真樹夫も涼と同じ高校球児。
甲子園出場当時は、涼とひとつ違いの、先輩後輩になる。
「すんだことは諦めろ。俺は肩壊して、ボロボロだったんだ」
「それさえなかったらない」
やがてガックリと肩を落とした。
「ってもおめー、ホントは今更どうだっていいんだべ。理由付けて飲みてーだけだべ」
すかさずつっこむ涼。
真樹夫の表情が徐々に揺るんていく。
「げへへ、違えねー!」
そしてゲラゲラと笑いだす。
「ホント、いっちゃん野球好きだがら」
「ただの理由付け、だげんちょない」
「馬鹿、真紅の大優勝旗持って、白河越えすんのは俺らなんだ」
そして場が爆笑の渦で包まれた。
確かに涼は、甲子園でも何勝かできる程の実力があった。
だが肩を壊したとの理由で、野球部自体を辞めていた。だから甲子園ではベンチ入りしてない。スタンドで応援しただけだ。
だが肩を壊したことが理由で、部そのものを辞めるだろうか。
実際のところは違う。肩を壊したのは本当だが、辞めた理由は別にある。おおっぴらにはしたくないだけだ。
その場に葵が現れる。
「今日は一段と楽しそうですね」
手にしたオボンには、なみなみと注がれたビールのジョッキが数点乗せられている。
「そりゃーそうさ。今日のビールの味は格別さ」
言って手にするビールのジョッキを煽る涼。
「ポンプ操法、頑張りましたからね」
同じく翔太達も、残ったビールを煽った。
その様子を和やかに見つめる葵。
その傍らにタマさんが現れる。普段より更に満面の笑み。その両手にはジョッキを持っている。
「これは俺からのおごりだ。存分に飲んでくんちゃい」
そして二人揃ってジョッキをテーブル上に置いた。
この日、翔太達がここを訪れていたのには訳があった。
母校が高校野球で敗れたからではない。ポンプ操法もめでたく終わり、その慰労会だ。
しかも郡大会で、準優勝という栄誉まで掴み取って。
「流石タマさん。遠慮はしねーぞい!」
「いただきっす、タマさん!」
「さあ、飲むか。ガンガンいくべ」
場に響き渡る二度目のカンパイの音頭。
ボルテージは挙がる一方。おごってくれたタマさんへの感謝、とばかりに一気にビールをあおる。場に響き渡るごくごくというこ気味よい音。
その様子を見つめ、空いたグラスを下げる葵。
テーブルに置かれた、一枚の紙切れを拾い上げた。
「へぇー、本当に上手いもんだ」
そして翔太に視線を向ける。
「まぁな。これでもプロを目指したぐらいだから」
半分飲み干したジョッキをテーブルに置く翔太。
葵が手にするのは、ビールが運ばれてくる間に翔太が描いた絵だ。
涼から、今のうちに描いてみろ、と言って描かされた代物。
それは、消防用ホースを握る犬の擬似画だ。ポンプ操法を目の当たりにして、そんな風に見えたからだ。
「なんだべ、翔太。それは俺らに対する嫌味か?」
眼鏡のフレームを押さえ、ニヤリと笑みを浮かべる真樹夫。
「違うっすよ。嫌味じゃねーっすよ」
すかさず反論する翔太。
「だけどある意味大当たりだな。地元の平和を守る、火事場の番犬、って意味じゃ」
今度は涼が言った。
「流石涼さん。俺の画の意味を理解出来るのは、涼さんぐらいっす」
確かにその画には、そんな意味も含まれている。まるでアメコミの中のヒーローのような存在だ。
「どうせだ。店内に張ってもらうべ。タマさんも気に入るべから」
「んだない。翔太の傑作だがら」
しかしその陽一と真樹夫の一言が翔太の戸惑いを押し上げる。
「ちょっと、待って下さいって。そこまですることねーでしょ?」
「いいからそうしてもらうべ。ギブリのイメージキャラクターだ」
「んだんだ。ポンプ操法、準優勝の記念にな」
困惑する翔太だが、葵とタマさんはその画をうんうんと眺めている。
「こりゃーいい。額縁に入れて飾っておくべ」
「私、用意します」
「ちょっと待ってって」
嫌がる翔太を余所に、その画を持って戻っていった。
「まったく、みんな冗談がすぎっから」
ぶつくさと言い放つ翔太だが、当の真樹夫は既にその話には興味を見せない。
「しかし準優勝の酒は格別だない。あんだけ練習きつかったから尚更だ」
眼鏡をキラリと光らせ、とびきりの笑顔を見せるだけ。
「もうちっとで優勝だったのにない。練習もうちっと頑張ればいがったない」
太一がビールを飲み干し、悔しそうに答えた。
「馬鹿、おめーは選手じゃなかったから言えるんだべ。だったら太一、今度はおめーが選手になっか? 分団にはそう言っておくがら」
陽一がツッ込んだ。
「勘弁してくんちゃい」
慌てて答える太一。
再び爆笑の渦に包まれた。




