風の吹く場所
こうして翔太は、苗床を葵のたんぼに運び、手作業での田植えを手伝った。
一時間程作業を続けると、青々とした苗が一面に植えられていた。
「はあー終わったよ」
額から滴る汗を、腕で拭ぎ払う翔太。
田舎の気温はいまだ寒さを残しつつあるが、サンサンと降り注ぐ太陽のもと作業を続けると、身体は汗だくだ。
Tシャツ一枚でも苦にはならない。
「終わったね。翔太くんが手伝ってくれたから、助かったわ」
葵の方も滴る汗をタオルで拭う。
「葵ちゃん、額に泥が付いてるぜ」
葵のジャージや顔は泥でまみれている。
「そういう翔太くんだって、泥だらけじゃない」
そして笑顔を見せる。
「ははは、だよな。田植えだもん汚れて当然だよな」
翔太もつられて笑い出した。
屈託ない葵の笑顔が、妙に気持ちがいい。
「おめーら頑張ってんな」
後方から声が響く。
それは涼だ、田植えも一段落したようであぜ道に立っていた。
「うっす。そっちも終わったんすか?」
挨拶と共に訊ねる翔太。
同じく葵もこくりと挨拶した。
「まだ終わりじゃねーよ。これが済んだら、次は俺んちの分もあるし」
言い放つ涼。煙草をくわえて火を点ける。
「大変っすね」
「大変でもしゃーねーべや。女の葵ちゃんも頑張ってんだから」
言って葵に視線を向ける。
「頑張ってなんかないですよ。私の場合、まだ遊びみたいなものだし」
葵が返す。
その様子を受けて、ふと思う翔太。
「もしかして涼さんも、ここが葵ちゃんの田んぼだって、知ってたんですか? 俺ん家の田んぼを、葵ちゃんが借りてるって」
この当然のような、あっさりした二人の会話。最初から知ってなければ成立しないだろう。
「ああ、そうか。ここはおめーん家の田んぼだったな」
視線を向ける涼。
「そりゃー何回か出くわしたことあるからな」
そういえばそんなこと、ギブリで言ってたのを思い出す。
「田んぼ出てくりゃ、分かりそうなもんだけどな」
しかしその涼の何気ない一言で、翔太は危機感を覚える。
「去年は出張で。涼さんだって知ってるでしょ?」
予防線を張って、すかさず被せる。
「そりゃそうだが。草刈りぐらいしてもいいと思うぜ。おめーが帰って来て半年、おめーが田んぼし出てるとこは一回も見たことない。今年は俺と一緒に草刈りするか? 草刈り機ぐらい使えんだべな? ちゃんと…………」
それでも涼の言葉による攻撃は止まらない。
「……まあ」
翔太は返す言葉もなく、黙って聞き入るだけ。
そもそも農業の件で、翔太が他に敵う筈もないから。
「その点で言っても、葵ちゃんは立派だ。ウチの妹にも見習わせたいぐらいだ」
ようやく攻撃を止める涼。再び葵に視線を向ける。
「妹って、志織のことっすか?」
「ああ、どういう訳かウチに帰ってきててな」
「へー、あいつ、帰って来てるんだ」
こうして何気ない会話に没頭する。
その場に陽一が現れた。
「うーん、遠くから見っとちっとばっかし曲がってんな」
どうやら自分が植えた田んぼの様子を確認しているらしい。
その様子を見つめ、翔太は少しばかり気まずさを感じる。
「なんだ翔太、葵ちゃんのお手伝いか?」
そんな思いも余所に陽一が言った。
「まぁ、そんなとこです」
「流石だな。女に対しては優しくしなきゃな」
「そういう訳じゃないっすけど」
戸惑う翔太だが、既に陽一は、その会話に興味はない。
「午後からは涼んちだろ? 少し早いが昼飯にすっか」
「んだな。きりがいいから」
涼相手に次の手筈を打ち合わせしている。
「これ残ったから飲んどけよ」
「お茶でいいならな」
言ってレジ袋に入ったお茶のペットボトルを、あぜ道に置いた。
そして礼を言う翔太達を余所に、家路に続く道を歩き出した。
「やっぱ気まずいな」
ボソッと呟く翔太。
「なにが?」
葵が訊ねた。
「この前の火事場での件」
翔太は休憩を取ると共に、この前の火事場での件を話しだした。
あの時の自分の行為は、間違いではなかったと思っている。
あの少女にとって、ランドセルは大切なものだし、完全に無謀な行為をしたとは今でも思わない。
それでもそのせいで怪我した陽一にはすまないと思っていた。
対する陽一は、その件に関してはなにも咎めない。実際それ程の怪我ではないし、そうする必要もないと思ったからだろう。
「確かにその場に私がいたら、その子の気持ちも理解したかもね」
あぜ道に座り込む葵が言った。
「だろ? 流石にあれは飛び込むしかなかったよ」
その横で煙草を吹かす翔太。
「だけど無謀だね。宗則さんの気持ちも分かる気もする」
「うーん、やっぱそうかな」
「とにかく何事もなかったのは幸いじゃない? 陽一さんも、ああ見えて男気はあるみたいだし」
「そうなんだよな。あの人といい涼さんといい、男としては気持ちいい」
ある程度の付き合いをしてると、人の見方も違ってくる。
最初の出会いで翔太は陽一を、キザでニヤケた軟弱野郎と思っていた。
確かにキザなところはある。己の信念に正直で、他人を見透かす感はある。
しかしだからといって、いつまでもそこを攻めたりはしない。
人間は誰しも間違いを起こすもの。それを容認する男気は持ち得ている。
鋭い眼光と、口角の上がった口元は、ある種の自信の証拠だろう。
あの表情でニコリと笑うと、意外と男前でもある。
婚活で異性を惹き付けるのも納得だ。
「陽一さんの場合、ウンチクを語るのだけは煩わしいけどね」
「おっと、やっぱ葵ちゃんもそう感じた?」
「うん。会津での台詞、どこかマニュアル通りの言葉だったもん」
「言えてる。カッコ良すぎだから胡散臭い」
そして二人和やかに笑った。
すーっと一陣の風が舞い込む。爽やかな新緑の匂いを含んだ風だ。
それが谷間となった田園風景を、一直線に駆け抜けていく。
清々しそうにその空気を吸い込む葵。さっきまでの暑さも、幾分和らいだ様子だ。
さらさらとその髪が揺れた。




