消防団員淳平、後輩に火事場のあり方教える
場はにわかに活気づく。
フラッシュオーバーによる破壊的爆発で、粗方のトタンが剥がれ落ち、炎を直接狙うことが出来るようになったからだ。
宗則を始めとした、多くの団員が、消火活動を再開する。
既に爆発の恐れもない。ぐっと身を乗り出し、情熱と冷静をもって、相手に挑む。
しかし対する炎も、そう簡単には負けはしない。隠していたその正体を、遂に現したからだ。
爆風でその半分を、吹き飛ばされたというのに、その姿は禍々しいものだ。
空を真っ赤に染めて、黒ずみと化した母屋をしゃぶり尽くそうとしている。
その対極の様は、まるで巨大な炎龍に挑む英雄そのもの。
体感温度は、まさに摂氏一万度。
その様子を千葉淳平は、憧れと共に見入っていた。
淳平は、入団四年目の消防団員だ。
四年も経っているというのに、去年までは一番下っぱだった。
ここ二年程、新入団員が入らなかったからだ。
それ故雑用の全ては彼がこなしていた。新兵と呼ばれること三年、多くの雑用をこなしてきた。
とはいえそれに文句を言ったことはない。人にはそれぞれ、与えられた役目があるからだ。
誰もやりたがらない雑用をこなすからこそ、他の面々が活躍できる。いわば縁の下の力持ち。そんな感覚だ。
もちろんそんな淳平でも、嫌なことはある。
それは真樹夫のわがままな命令だ。自分をいつも運転手として扱う。無理やり風俗に連れ回す。もちろん淳平も男だ。風俗も嫌いじゃないけど。
だからあの手の調子いい先輩だけは苦手だ。
もちろん面と向かっては言わないが。
それに今は、そんなことを気にしてる場合じゃない。
今年は念願の後輩団員が入ったから。
後輩と言っても、片方は四つ歳上だし、片方は歳下のくせに少しばかり生意気だが。
とにかく先輩としての示しはつけないと。
とにかく火事場での在り方を教えないと。
とにかく上からの指令を待って、下に伝えないと。
眼の前では部長の宗則と副部長の涼が、必死に炎に立ち向かっている。
やはりカッコいい。真樹夫と違って凛々しい姿だ。
先程のフラッシュオーバーを予見して、躊躇いなくそれに相対するんだから。
いつだったかのバックドラフトの時もそうだ。侵入しようとした無法者を言葉だけで制した。
いつかはこんな男になりたい。そんな衝動が沸いてくる。
そんな宗則と涼の元に、ひとりの男が歩み寄る。
「宗則、涼、おめーらのお陰で最悪は免れたな」
「高倉さん」
振り返る涼。
歩み寄ったのは、高倉という分団幹部の男。
分団とは大沢五部の上部組織のこと。それが大沢管轄全てを仕切っている。
つまり宗則や涼より立場は上だ。この火事場の総大将といった立ち位置か。
そしてその上に本団という組織があって、桜谷町消防団は成り立っている。
「一応細心の注意して、安全な範囲から放水してましたからね。あの爆風は少しばっか予想以上だったがら、ビビッたげんちょ」
「嘘つけ、おめーらがビビるなんかあり得ねーべ」
こうして二人淡々と会話する。
「フラッシュオーバーした以上、鎮火はムリだろうな」
宗則が言った。その視線が捉えるのは、燃え盛る母屋の姿。
「だろうな。一気に温度が上昇した」
「あれは、炎の息吹き、みてーなもんだから」
呼応して二人も視線を向ける。
「母屋は殆ど吹き飛んだ。消すってより防ぐ方が賢明」
「隣にあんのは吉田さん家。“離れ”を介して隣接してるからな」
どうやら三人共、同じ考えのようだ。
「了解、各部に通達する!」
言って高倉が動き出す。
「淳平!」
涼が言った。
「はーい」
即座に駆け寄る淳平。走る度に、対比の合わないヘルメットがカタカタ揺れる。
「おめー、あそこの離れ、見えるよな」
涼が指差した。
それが指し示すのは、母屋から続く離れの部分。こじんまりした、8畳ぐらいの平屋だ。
「あれをぶっ壊せ」
そして大胆にも言い放つ。
「壊すって、離れをでしょうか?」
淳平が訊いた。
こくりと頷く涼。
「ああ、どの道この家は全焼だ。これ以上被害が及ばねーように作戦変更する」
「つまり、隣には吉田さんの家がある。それに延焼しないように、火の手を食い止めるってことですね」
淳平自身、なんとなくは察する。母屋は完全に崩壊状態。消すというより消える方が早いかもしれない。
こうなると問題なのは延焼だ。
炎というのは生き物にも似ていて、消されそうになると意思を持って襲いかかる。
その身を保とうと、必死に軒を伝い、柱をよじ登って逃げ回る。
時には火の粉となって辺りに振りかかる。
だから確実に逃げ道を経ち切るしかない。
この場合の逃げ道は、母屋に並列する離れだ。
最悪、そこから隣の吉田さん家に飛び火する。
淳平の後ろでは、新人である翔太と博史が聞き耳を立てていた。
「燃えないように取っ払うって訳か」
「なるほどない」
どうやらこの二人も、その意味を理解してるようだ。
「トビ、博史、おめーらは淳平の指示に従え」
その二人を認め、涼が言い放つ。
はい、うっす、とそれに従う二人。
それを見てると、淳平自身、身が引き締まる思いがする。
「そういうことだから淳平。トビ……翔太じゃなくて、搭載車に積んでる方の鳶、持って、ぶっ壊してこー」
鳶口、つまり鳶とは消防団で使う道具のこと。
木の棒の先に、金属の引っ掛けが付いた道具だ。
これで板を剥がしたり、穴をあけたりするのだ。
その形が猛禽類の、トビのクチバシに似てることから、そう呼ばれる。
「それでは車まで戻りますか」
「おう!」
「うっす!」
こうして淳平による、決死の破壊活動が開始されたのだ。
離れ部分は、古い建屋をリホームしたようで、周りをトタンで覆っている。
鳶口を振り下ろす度に、ガツガツと先が刺さり、引き剥がすのも困難だ。
ガツガツと鳶口を振るう翔太。
「さっきの宗則さん、熱かったよな」
隣で鳶口を振る淳平に言った。
「宗則さんは、火事場ではいつもあんな感じなんです」
「さっき友達も言ってたな『熱い男』だって」
「『火事とか自然災害の前に、人間は無力。だけど熱い情熱があれば、少しぐらいは立ち向かえる。それが多く集まれば、自然災害だって怖くはない』……それがあの人の持論ですから。ホント熱いんです」
「成る程、それがギブリってことか」
人間はちっぽけな生き物だ。自然の中に放り出されたら、すぐに死んでしまうような弱い生き物。
それでも死なずにすんだのは、困難を切り拓こうとする熱い情熱と、共に行く仲間がいるから。
それこそがここでのギブリという意味で、炎に打ち勝つ唯一の手段という意味だ。
その会話を、覚めたように聞き入る博史。
「それに比べて、俺らは地味っすね」
腕を止めぼそりと呟いた。
「博史、これも重要な仕事なんだよ。ホース持ちだけが、消防団の花形じゃない」
少しだけ語気を荒げる淳平。
博史は少し生意気な性格だと、改めて思った。先輩として注意しなきゃ。個人としても、消防団の先輩としても。そう思った。
「それも言えてるな。江戸時代の火消しとかは、火事を消さないで破壊するのが専らだったって言うし」
一方の翔太は、淳平の言っている意味を理解しているようだ。
流石は歳上だけのことがある。
「今のように、消火設備が充実してなかったですからね」
「“め組”みたいなもんだな」
こうして三人、会話しながら作業を続ける。
「誰か、後ろから水、かけてんだけど」
「違いますよ。屋根から流れ落ちてるんです」
その間も放水は続いている。水は屋根を伝い、軒を伝い、真上から降り注いでくる。
そのせいで上半身はほぼ水浸し。
それでもこの火事場の熱さを癒すには、ちょうどいい。
「頭びしゃびしゃっすよ」
「ヘルメット、ちゃんとかぶらないから。……翔太さんもですよ。首に掛けてるだけじゃ意味ない。それに、しっかり法被を着なきゃ、危ないですよ」
「分かったけど、水で、眼が見えなくて。……煤だらけでさ」
「……このタオル貸しますよ」
「サンキュー。びちゃびちゃだな」
「…………」
いつの間にか他の部の団員達も、その作業に参加していた。分団からの指令が行き渡ったのだろう。
「ちょっと、壊さないで!」
突然背後から、誰かの叫びが聞こえた。
「へっ?」
その台詞に振り返る淳平。
「なんでぶっ壊したりすんの。あたしの部屋だよ! 大切な物いっぱいあるの」
いつの間にか後方に、幼い少女が立っていた。
多分この家の娘だろう。幼稚園児か小学校低学年ほどの幼子だ。
手を止めて幼子を見下ろす淳平。
「そっか。ここまだ使っていたのか」
煙が充満する室内だが、よく見れば様々な生活用品が揃えてある。
「ここまでなる前に、ちゃんと持って逃げないからだろ」
ぼそっと呟く博史。
「そんなこと言っても意味ないだろ」
翔太が言った。
「そうだよ博史。この家の人は買い物に出かけてて、その余裕がなかったんだよ」
淳平も釘を刺した。
そして中腰になり、幼子と目線を併せる。
「ゴメンねお嬢ちゃん。だけどこうでもしなきゃ火事はおさまらないんだ」
そして優しく話しかける。
火事を消すのも大切だが、人命も大切。ちゃんと注意しないと、こういった火事場では、予想外の行動をとらないとも限らない。
「こら、なに邪魔してんだ!」
奥の方から男が駆け寄ってくる。隣に住む吉田という住人だろう。
「おめーの父ちゃんと母ちゃん、警察と事情話してんだ。おめーも邪魔しねーで、俺んちにいろ!」
そして幼子を掴んで抱き上げた。
だがそれでも幼子は納得しない。
「嫌だー! 中にはあたしの大事なもんいっぱいあんの!」
吉田の腕の中で手足を振りイヤイヤする。
その目から零れ落ちるのは大粒の涙。
「聞き分けのねーやろだな。おめーも今年っから小学生だべ、我がまま言うんじゃねーって」
吉田が言った。
どうやら幼子は、今年入学したばかりの小学生らしい。確かに室内にある物は、どれもこれも買ったばかりの新品のようだ。
「大切な物か。流石に分かるな」
腕を組んで言い放つ翔太。
確かにその思いは、淳平も理解する。
人にとって部屋というのは、誰にも邪魔させない神聖なるスペースだ。
大切な思い出が詰まっていて、未来への希望が籠められた場所。その人の居場所、言わば原点。
それを壊されたら、堪ったものではないだろう。
かくいう淳平にも大切なものがある。プレステ3と、地上デジタル放送テレビだ。大枚はたいて購入した。それでヒーローモノのゲームをするのが彼の趣味。
特撮の神様、円谷英二の故郷、須賀川が近くということでそれに至った。
だから気持ちは分かるが、だけどそれだけだ。形あるものはいつかは壊れる。
こうなった以上、仕方ないだろう。博史の言葉を擁護する訳じゃないが、火事を起こした住人も悪い。燃えた物なら後から買えばいい。
幼子は吉田の腕の中だ。予想外の動きはしないだろう。
こうなれば、今は延焼を防がないと。
「翔太さん、私達の任務を続けましょう。早くやらなきゃ宗則さん達に怒られますよ」
心を鬼にして言い放つ淳平。
再び離れに向かい、必死に鳶口を振るう。
鳶口を引っ掻けて、バリバリと壁板を剥がす。必死の作業の甲斐あって、かなり破壊活動は進んでいる。
延焼するのも、もはや時間の問題だ。いつの間にか炎が、軒を伝ってそこまで辿り着いているから。
「淳平」
ぼそっと呟く翔太。
「どうしたんです翔太さん?」
その淳平の視線の先、翔太は幼子に視線を向けている。
幼子はまだ泣きじゃくっている。吉田の腕の中でイヤイヤしてる。
その叫びがやけに耳に付く。
この離れが炎に飲み込まれれば、隣の民家まで被害が及ぶ可能性がある。
それ故、幼子の頼みを訊いて、作業を中断する訳にはいかないだろう。
心を鬼にして鳶口をふるう。
すぐ側では博史達も、黙々と壁板を剥がしている。
一方の翔太は、まだ幼子に向いたままだ。
なにかを考えるようにボーッとしてる。
……ここは注意すべきか。
「お嬢ちゃん、悪いけど壊すのは止められないんだよ」
翔太が言った。大きく深呼吸をする。
「だけど『小学生だからって、我がまま言うな』ってのは、なしだよな!」
次の瞬間、そのまま勢いよく、離れの中にジャンプした。
「えっ?」
愕然となる淳平。我が眼を疑う。驚きのあまり、掴んだ鳶口を壁板に引っ掻けた。
既にそこに翔太の姿はない。
「なにするんですか翔太さん! その中は煙で充満してるんですよ!」
「そんだけじゃねーって! 火が、火がそこまで来てるって!」
そして博史と同時に叫んだ。
江戸時代の火消し、いわゆる、いろは組、その連中は火事などほとんど消しはしませんでした。
よく映画に出てくる纏い(め、とか書いてある、白いやつ)、あれはこの方向の建物を壊せって意味。血気盛んな連中なんですね。そのうえ女好きで遊び人の集団。
消防団のイメージが悪いのはこの連中のせいかも……