翔太、愚痴る
「……中さ入っぺ」
「ああ」
そして二人、様々な思いを胸に店内に引き返す。
「なしたのよ、お前ら?」
待ち構えていた春樹の第一声はそれだ。
「火事」
一弘が言った。
「火事?」
眉根を寄せる春樹。少しばかり考え込む。
それでもようやく理解したか、こくりと頷く。ボソリと「消防か」と呟く。
「もしかしてトビ、おめーも消防団に入ってたのが?」
「ああ、今年入っちまった。悪いな春樹、俺行かなきゃ」
答える翔太。
管轄ということは消防団員として出動しなくてはならない。出動ということはこの場を立ち去らなくてはならない。そういうことだ。
「このまえ涼さんに誘われていたからね。消防団への勧誘」
厨房から葵が言った。
「えっ、あの内容で理解してたの?」
戸惑い訊ねる翔太。
「なんとなくね。ほら、この店って消防団の方々の馴染み客が多いから」
確かにギブリには、涼などを始め消防団の客が多い。幾度か消防団の法被を着込んで、来店する者を見た覚えがある。
それも店長のタマさんの付き合いあってのことだろう。
「ふぅーん、涼さんに誘われたのか。んだったら断れねーな。同じ地区でなくて良かったわ」
ため息をもらす春樹。
春樹も涼とは面識がある。同じ小学校で同じ職場だから。
とはいえ住んでるのは隣の地区、だからこその安堵のため息だろう。
「んだげんちょ、一弘も行かねーんだよな」
春樹が一弘にふった。
「……うん」
コクリと頷く一弘。
「一弘は管轄外だから行かないんだべ」
すかさず翔太が言った。
「そうなのか一弘? 管轄だとしても行かねーよな普通」
「……うん」
一弘の反応はあやふやだ。一方の春樹は、軽い口調。
「春樹、お前は消防とか入ってないから、そんなこと言えんだよ」
そのやり取りは、当事者たる翔太からすれば戸惑いの対象だ。
一弘のあやふやな態度はいつものこと。それをいちいち気にしていたら、話は進まない。
問題なのは春樹の態度。
この男、消防団に入ってないから、言葉が軽い。消防団に入ってないからサイレンなんて気にもしない。どこで火事があったのかも知ろうともしない。
もちろん大っぴらにそれを攻めたりはしない。少し前までは、翔太も同じ状態だったから……
「そんなもん、我が好きだべ」
だが、その春樹のあっけらかんとした台詞が、翔太を愕然とさせた。
「消防なんかに入ったのは、自分だべ。自分で決めたんだべ」
フーッと煙草の煙を吐き出し、なにもない宙を見つめる春樹。
「俺だって消防がらの勧誘はあったぞ。最初は二十二~三の頃だな。しつこく勧誘来たけど全部断った。なんでそんなもん、入んやきゃなんねーんだってな」
そして翔太に視線を向けた。
確かに勧誘を断るという選択肢もある。実際その手の人物は多いらしい。『仕事が忙しくて』とか、『年令が年令だから』とか、『次男だから家を継ぐかわからない』とか、様々な諸事情があるからだ。
つまり断るにも、それなりの大義名分が必要ということ。無下に断れば角が立つ。地元に居づらくなる。
ここまで堂々と言い切る人物はいない。
「俺らの近所の消防、知ってんべ。じいさましかいねーぞ、五十代おっつきのオヤジ集団。大河のやろーも入ったげんちょ、人数少ねーがらあと少しで部長だって。それでも辞められねーって言ってたぞ。しかもボランティアだがら金もでねーらしいし」
春樹の住む地域も大沢地区。
大河とは春樹の近所に住む青年で、彼らの二つ年下。若いのに、翔太より消防団キャリアを誇る。
確かにその地区の、消防団年齢層は高い。上は彼らの父親ぐらいの団員が在籍している。
消防団にとって、団員の確保は死活問題。
団員が確保出来ないとなれば、自らは辞められない。辞められないということは、年齢層が上がる。下手すれば五十代、六十代まで務めるしかなくなり、結果としてオヤジ集団と呼ばれてしまう。
しかも基本ボランティアだから、報酬も少ない。一日出動しても数百円程度の報酬。その金額じゃ弁当代にもならない。
そうなると若者が入団しづらくなり、益々高齢化が進む。
まさにいたちごっこ。
「そのうえ消防団って呼び名がカッコ悪いべ? ネーミングセンスがねー、女受けしねー。……ってか嫌われてる。つまりダサいんだな」
それにも翔太は反論出来ない。
確かに世間一般的に言って消防団に良いイメージはない。
酒ばかり飲んで、女遊びして、ガラが悪いイメージばかりが先行する。
ってか、消防団というネーミングがカッコ悪い、との春樹の台詞は陽一そっくりだ。
いつもいがみ合ってるが、案外中身は一緒かもしれない。
それを聞き入り、翔太は煙草を取り出して口にくわえて火を点ける。
「流石に何年も断ってっと、あいつらもなんも言わなくなっぞ。ちっと前までは、申し訳なさそうにお願いに参上してたのにな」
悪びれる素振りもなく言い放つ春樹。
尊敬する気はないが、ここまでくれば清々しくも感じる。
「まぁ完全に拒絶した奴は気楽だろう」
フーッと煙草の煙を吐き出す翔太。
延々と訊かされる春樹の講釈だが、それはそれで正論だ。
故に文句も言わず、黙って聞き入る自分がいる。
「だけど俺は現役だぜ」
翔太の憂いはそこにある。
消防団に在籍してなければ、サイレンなど気にもしなかっただろう。こうして無駄口に興じて、へらへら笑っていただろう。
堂々と悪口をいう、春樹が羨ましくも感じてしまう。
「……サイレン、聞いてねー」
「えっ?」
だがその一弘の一言が、翔太の戸惑いを消した。
「……寝てたって言う」
この男、天然キャラに見えて実は大胆。
流石に長く消防団をやっていると要領を得るようだ。
「そんな言い訳、通じるか?」
「優柔不断だなトビ。ハッキリ言って、火事と合コンどっちが大事なんだ?」
その翔太の戸惑いをつき、役者気取りで問い質す春樹。
「合コン?」
翔太が上目遣いで答えた。
ぎょろりと視線を動かす春樹。
ゆっくりと右手親指を突き出す。
「正解!」
ニッと白い歯を見せて言った。
まさに馬鹿げた小芝居だ。だがその馬鹿さ加減が、翔太の戸惑いを小さくしていく。
「だよなそれが正解だ。せっかく春樹先生が手配した合コンなんだからな。逃す手はないよな」
自分を納得させる意味合いも含めて言った。
「ウイー、消防団なんか、モォー適当」
畳み掛ける様に吐き捨てる一弘。
「そうか? なんだか一弘にしてはカッコいい台詞だな」
こうなると一弘のくねくねした態度と言葉足らずな台詞も力強い。
「まあ俺もさ、消防なんて入って失敗したなって思ってんだよ。行けば雑用ばっかやらされてよ。みんな俺のこと、新兵、なんて呼んでさ。確かに新人だから仕方無いけどよ、だけど言い方ってあるじゃんかよ。しかもやってることは『右向けー右!』とか『前へー進め!』とか、俺は兵隊かっての」
それにつられてか、今まで詰め込んでいた思いを一気に吐き出す。
「無くていい。……んー年寄りの戦争ごっこ」
その一弘の台詞も正解だ。
若い連中はいざ知らず、ベテラン、つまり町直属の消防団員のやり方は、戦争ゴッコだ。
戦時中ならともかく、規則正しく行進ってなんだよ?
「だべ? マジ思うよ、みんな良くやってるなって。こうなりゃ竹槍持って、あの場に参加するか? 欲しがりません、勝つまでは、って」
こうして翔太は毒づく。全ては消防団に入ったことへの、後悔の念が成せる業だ。
「大変なんだね、消防団って」
だがその葵の問い掛けで、はっと我に返る。
「あ、まあ。それ以外は、良いこともあるんだけどね」
調子に乗って、あることないこと喋ってしまった。
言い訳がましい自分に対して、少しだけ恥ずかしさを感じた。
厨房では、タマさんがその会話を黙って訊いている。
壁際で煙草を吹かしている様子から、途中の小休止状態らしい。
タマさんも元消防団員だ。どんな思いでその会話を訊き入っているのか……
「……すみません」
申し訳なく、後頭部を撫でる翔太。
右手で宙を払うタマさん。
「かまわねーよ。俺はなんも訊いちゃいねーから」
和やかな笑みを返した。
こうして数分の時が過ぎる。
「いらっしゃい!」
「おじゃまします」
タマさんの挨拶と共に客が入店してきた。
「来たか」
呼応して春樹が視線を向ける。餓えた獣の如きギラギラした視線だ。
現れたのは三人の女。
肩まで伸びる黒髪の女と、ショートカットの女、それとゆる巻きだんごの女。
それらを品定めする様に見回す春樹。
「ナイス、京子ちゃん。いいセンスしてんぞ」
その表情が緩む。
それは本日の合コンの相手。三人とも中々のルックスを誇るメンツだ。
「ごめんね春ちゃん」
その中でも一際輝くのが黒髪の女。察するにそれが京子らしい。
「いいって。待つことには慣れてる、ハンターだかんな」
「ハンターは別としてマジいい子ばかりだ。待ってた甲斐はある」
「んー、んーめんけー!」
春樹に呼応して、翔太達も絶賛の声をあげる。
「うわーお世辞が上手いわね。でもお世辞でもうれしいわ」
「違うって、お世辞な訳ないじゃん、心から思ったんだって」
「一弘、興奮すんなよ」
「あはは、おかしいー」
こうして繰り出される和やかな会話。
誰もがこれから始まる一大イベントに、心を躍らせていた。
「しかしよくこの場所分かったな。須賀川からじゃ分かり辛かっただろ?」
その春樹の問い掛けに、頭を左右にふる京子。
「優花が桜谷町に住んでいて、ここに何度か来たことがあるらしいから」
そして右後方の女を指差した。
「美味しいんですよね。ここの焼き鳥」
ショートカットの女、それが優花らしい。
「へーこの町にもオカメ以外がいたんだ」
「例外もあるだろ。レア種だ」
「うー」
「でも変な名前だよね、ギブリって」
「“砂漠に吹く熱風”って意味ですよね?」
「博識だね、優花って」
こうして女達も会話と共に席に着く。
その時テーブルに置かれた翔太の携帯電話のバイブが震えた。
「ねえ鳴ってるよケータイ。もしかして彼女じゃない?」
それに気付き、はやしたてる京子。
「勘弁してくれ。俺、マジ彼女なんていないんだから……」
翔太は携帯を手に取り、着信相手を確認する。
「あっ!」
そして声を荒げた。
「ウー、ほ、本当に彼女?」
その様子に一弘が不安げに、翔太の顔を覗く。
「違うって消防の人だよ」
携帯に記された名は南雲涼。
「馬鹿、そんな電話、出るんじゃねー」
春樹が言い放つが、それより早く翔太は通話ボタンを押した。
「はい……」
通話しつつ春樹に視線を向ける。
春樹は口パクとジェスチャーで、なにかを伝えようとしている。『やり過ごせ』そう言ってるらしい。
『訊いたか、火事のサイレン?』
携帯越しに涼の逼迫した声が響いた。
「火事って、サイレンがあったのは知ってますが……」
咄嗟に言い放つ翔太。
『内容を聞きとれなかったのか』
「まぁ」
『現場は○○。管轄内だ。出てこれっか?』
一瞬考え込む。
「大丈夫です」
仕方なく言った。
『だったら早く来い』
そして通話は途切れる。
その場の誰もが、そのやり取りに聞き耳をたてていた。
「馬鹿だなトビ、出なきゃいいのに。まさか行かねーよな?」
春樹が言った。
「そうも行かないだろ。悪いけど、俺やっぱ行くわ」
テーブルに置いた煙草を拾い上げる翔太。
嘘を付いて、やり過ごす手段もあった。だがそれでは涼に申し訳ない気がしていた。
幸いアルコールはまだ摂取していない。現場までは車で十分程の距離、急げば間に合う。
「もしかして消防団なんですか?」
優花が訊いた。
「えっ?」
視線を向ける翔太。
「○○で火事ですよね。かなり燃えてるらしいから」
どうやらこの彼女、先程のサイレンを訊いていたようだ。
「そうなんだよね消防団。ゴメンねそういう訳だから」
名残惜しそうに伝える翔太。
そして春樹に向き直る。
「分かってんだろうけど春樹、この合コン、落としたら承知しねーからな!」
後ろ髪を引かれつつ、店を飛び出していった。
上記、会話の中で消防団の報酬がありますが、本来は違います。
あるカラクリが存在してるから。
……今は改善されてると思うけど……




