夜空に響くサイレンの音
それから数週間が過ぎたある日の夕暮れ。翔太はギブリの暖簾をくぐった。
「トビちゃん遅いよ。時間厳守だぞ」
店内で待ち受けていたのは春樹だ。
「馬鹿、急な残業で遅くなったの。お前には言ったべよ」
「んだったっけ。まぁギリギリセーフだな」
「相変わらず軽いノリだな。それより相手はいつ来るんだよ?」
座敷に上がり込む翔太。煙草を口にくわえて、春樹の対面に座り込む。
「焦んな、もう少しの我慢だべ」
「しゃーねーな。期待してんだからな、今日の相手」
この日、翔太にとって念願だった、春樹主催の合コンが行なわれようとしていた。故にボルテージは上がる一方だ。
『チャララ……チャララ……』携帯着信音が鳴り響いた。曲はゴットファーザー愛のテーマ。
春樹が慌てて携帯に手を伸ばす。
「おう、京子! なによ遅ぇよ、今どこにいんのよ?」
会話の内容から察するに、今日の合コン相手のようだ。
それを聞き入り、翔太は煙草に火を点ける。
「だべ、そうなんだよ傑作だべ。……ああ、ああ……」
調子よく響く春樹の携帯でのやり取り。
「うーー…………」
そのやり取りを、固唾を飲んで窺う人物がいる。
高良一弘。同じく中学・高校時代からの親友だ。
「……ああ、あと三十分だかんな、待ってるよ」
言って携帯の電源を切る春樹。
「今日のだばい。来んだばい?」
すかさず一弘が切り出した。その様子は、まるで捨てられた子犬のよう。ゴハンはまだですかとパタパタ尻尾を振っているようだ。
一弘は昔からこのような性格の持ち主だ。少し内向的な性格で、やや挙動不審なところがある。
「一弘、心配してんのか?」
その様子を飼い主の如く見つめる春樹。
「大丈夫だ、そんな顔すんなや。今日の相手、京子っていうんだけどさ、友達が残業で遅くなるって言ってるんだ。三十分もすれば来れるってよ」
「ういーー」
こうして一弘は安堵の表情を見せて、ひとまずの落ち着きを取り戻す。
もちろんその件に関しては、翔太も同様な気持ちだ。
ここまで来てドタキャンは勘弁だ。わざわざ野郎同士で飲む為に、必死に頑張って残業して、焦ってここまで駆け付けた訳じゃない。
「それはそうとさ、今日の相手って、どこで見付けて来たんだよ。その京子って娘、看護婦なんだろ?」
翔太が訊いた。トントンと煙草の灰を灰皿に落とす。
「ああ、言ってなかったっけ? この前俺んちのおふくろが、隣町の市立病院に行った時、送り迎えしたんだげんちょな、そのとき話し掛けたナースが京子だったのよ。苦労したんだがんなこの合コンまで持っていくのには」
「流石だね、春ちゃん。それで彼女が出来ないのが不思議なくらいだよ」
春樹は口もうまいし顔形もそこそこ。
しかしそのストレートな性格が災いしてか、ここ数年は彼女が出来たと言う話は聞いたことがない。
「あんなぁトビ、いつも言ってんべよ。俺はよ、狙った女しか興味がねーんだって」
何故か自画自賛する春樹。
「だ、だげんちょ、狙った女、全部ダメ」
すかさず一弘が容赦ないツッコミを入れた。
それを覚めた視線で捉える春樹。
「そんなの俺が悪い訳じゃねぇーんだぞ。本命を狙うと、別の変な女ばっかし捕まっちまーんだよ」
「お、俺は大丈夫」
「なにが?」
「本命でねくても」
「馬鹿、男に生まれたからには本命だべ。男は狩人なんだ、かくあるべきだべ」
「……知らねー。……どうだっていいばいそんなこと」
「どうだっていいって一弘、おめーがつっ込んだんだべ?」
「んー……」
「なんか答えろ」
「……ん?」
「メンドくせーな、おめーと話すの」
こうして春樹と一弘のやり取りは続く。
その会話を、翔太は煙草の煙を吐き出しながら聞き入る。
言葉足らずな一弘のつっ込みは意味不明だが、その言いたい意味は理解できる。
変な女というのは、春樹の一方的な思い込みだ。あの婚活の時だって、奈美との会話が成り立っていれば、カップルは成立していただろう。
要は高望みだ。捕らえた獲物じゃ満足出来ない。
隣にいる獲物に興味を惹かれて、捕らえた獲物まで逃がしてしまう。
しかも思ったら一直線。わき目もくれずまっしぐらに突っ走る。普通に考えればダイヤの原石が転がってるのに、紛い物の煌めきに騙されて、ガラス玉に狙いを定めることも多々ある。
「こんばんは翔太くん、楽しそうね」
厨房近辺から声が響いた。
そこに立っているのは葵だった。今さっき入店したようで、エプロンを纏おうとしていた。
「こんばんは葵ちゃん。今日も手伝いなの?」
翔太も挨拶を返す。
「タマさんの頼みで、これからはバイトの時間を長くすることにしたの」
「それって信頼されてるってことじゃん。だったら頑張らなきゃだね」
「そうだね」
厨房の中ではタマさんが熱心に焼き鳥を焼いている。かすかに立ち込める煙。タレの香ばしい匂いがこちらまで届いてくる。
最近知ったことだが、タマさんは大沢第五部のОB。その証拠に店の片隅には、消防団部長当時の集合写真が飾られている。今から十数年前の古い写真だ。
それ故、涼や宗則とも仲がいい。ギブリという店の名前も、消防団が関係してるとか……
「あれ? どこかでお会いしましたよね?」
不意に春樹の声が響いた。
ゴシゴシと瞼を擦って、葵の顔を見つめている。
ハンター気取りでユキを追いかけていた彼は、どうやら他の女には眼もくれなかったらしい。
「この前の婚活でね。覚えてないかなぁ。私は覚えてるよ、沖島春樹くん」
葵が笑い返した。
「や、やはり」
ばつが悪そうに視線を泳がす春樹。
助けを求めるように翔太に目配せする。
苦笑する翔太。それでも前かがみになり、彼女の名前を耳打ちした。
「ボクだって覚えてますよ。……おの、あい、さん」
しどろもどろで答える春樹。
グダグダすぎて名字が違う。それでも和やな笑みだけは健在だ。
一方でそんな情況など、お構いなしな男も存在する。
「んんー! か、一弘!」
それは一弘。
春樹の戸惑いを余所に、自分を指差しアピールした。
その様子を屈託なく見つめる葵。
「へぇー、一弘くんね。翔太くんに春樹くんに一弘くん。仲がいい友達なんだね。私は大野葵、よろしくね」
和やかに笑い言った。
「おおの、あおい。……発音が違ったか」
「んーー、げへへ」
春樹は間違いに気付いて益々紅潮する。
一弘は飛びきりの笑顔を見せていた。
こうしてチグハグだが、互いの名前を確認しあった四人。
「今日はどうしたの? 六名様で予約入れてるみたいだけど」
葵が訊いた。
「まぁあれだ、世間一般的にいうあれ」
戸惑い言い放つ翔太。
前回の涼との一件、酔っていたとはいえ、赤裸々な話をしてしまった。
別れた彼女に未練があるとか、夢を画いて上京したとか、普段の翔太なら口にはしないことばかりだ。
もしかしたらあの会話を、葵も訊いていたかもしれない。それ故に合コンだとは切り出せなかった。
しかし葵の様子は少しも変わらない。
「さては合コンだな」
見透かすように上目遣いで投げ掛けた。
「……まあ、世間一般的にいうそれ。そんなところさ」
仕方無しに告白する。ポリポリと後頭部を掻く。
「へぇー、やっぱりね。頑張りなよ」
「あ、ああ」
こうして短い会話を繰り出すと、葵は厨房の奥に消えて行く。
多分あの会話、彼女は訊いていなかったのかもしれない。だからあっさりした会話になったのだろう。
少しだけ安堵のため息をもらす翔太だった。
「おいトビ、トビ」
不意に春樹が言った。
何故か俯いたまま、右手で翔太を呼び寄せる。
「なんだよ?」
渋々顔を近付ける翔太。
いつもお調子者の春樹にしては不思議な光景だ。
さっきの会話だって普段の春樹なら真っ先に『俺達合コンなんです』と言いそうなもの。
「マジびっくりしたぞ。まさかあん時の女が、ギブリにいるなんてな」
耳打ちする春樹。
「ああ、俺も最近知った」
「あり得ねーべよ。んだってここら辺の俺ぐらいの女は殆ど結婚して、よそにいってるんだぞ。町に残ってんのはオカメとヒョットコしかいねー」
「オカメとヒョットコって……」
「残されたのは高校生ぐれー、だげんちょ流石にそれは犯罪だしな」
「お前なら、それもありだべ」
「そうか」
「…………」
「そんなことより、あの女どっから来てんだ? この辺の女じゃねーよな」
「彼女は東京からさ。東京から福島に引っ越してきたみたいで、たまにここで手伝いしてるんだってさ」
「東京か。んだがらここらの女とは感じが違うんだな」
煙草を口にくわえ、意味深に言い放つ春樹。
「おめぇ、ツバ付けてねぇーべな?」
一呼吸入れて、大胆にも言い放った。
「はぁ?」
絶句する翔太。
「……付けてねぇーよ」
呆れながらも言った。
確かにあの婚活の時、葵に興味を惹かれたのは事実だ。
だが察するに、彼女の方にはそんな気はない。あっさり自分を受け流す様子と、その表情を見てれば分かる。
少なくとも彼女の方に、翔太に対する恋愛感情はないと。
それに物事には順番がある、何事も一直線な春樹とは違う。
「そうか、じゃっか俺が押してみっかな」
そんな翔太の思いも余所に、大胆にも言い放つ春樹。
「馬鹿だろお前。これから合コンするんだぞ。お前が狙った京子って娘と」
すかさず言い放つ翔太。
春樹の真っ直ぐさは、ある種の恐怖を覚えることもある。
実際この男、思い込んだらなにをするか分からない。オカメでもヒョットコでも、ヘタすれば女子高生までもターゲットにしかねない。
そんな翔太の思いも他所に、漠然となにもない宙を見つめる春樹。煙草の紫煙が棚引く。
「んだべした。俺のエモノは京子だけだ。あやうく雑食になるとこだったよ」
今までの会話が嘘だったように、覚めたように体勢を戻した。
「流石は美食家ハンター。陰ながら応援するさ」
翔太も呆れつつ体勢を戻す。
その時だった。
『ウウウウ…………!』
店の外から、サイレンの音が響きだした。
「うっ、火事?」
「とにかく外だ!」
それは火災を報せる町内放送。
翔太と一弘、慌てて店を飛び出した。
そして夜の通りに、並んで立ち尽くす。
店の外は真っ暗な光景だ。家々から漏れる灯りだけで、なんとも頼りない。
建ち並ぶ店舗、民家からも数人の人々が飛び出してきて、澄んだ夜空に聞き耳をたてていた。
サイレンに呼応して、近所の飼い犬が夜空に吠える。
鼓動の高まりとともに、堪らないときが過ぎる。
『ただ今、桜谷町、大沢地区内において、住宅火災が発生しました。消防団は速やかに出動願います』
広報無線が伝えた。
「ヒィー、カンケーねー」
ホッと胸を撫で下ろす一弘。
それとは対照的に、翔太は呆然と立ち尽くすだけ。
「トビ、なじょしたの?」
その様子に気付き、訊ねる一弘。
「俺の管轄」
翔太が返した。
消防団には出動範囲、つまり管轄がある。
広報無線は“大沢地区内”と伝えた。つまり翔太の所属する大沢五部の管轄内だ。
「行ぐの?」
「行かなきゃなんないのかな?」
消防団に入って初のサイレンの音が、翔太の思考を鈍らせていた。




