その男、取り扱い注意
声を発したのはエリカ。
おどおどと、怯えるように立ち尽くしている。
周りを囲むのは三人の男達。
その内のひとりが、エリカの腕を握り締めている。
「なんなんだよこの女、調子こいてると、サラっちまうぞ!」
二十歳前半ほどのジャージを着込む短髪の男だ。
「あーあ、ナオトの奴、ムカついちまったよ」
「しゃーねーだろ。好きだとか結婚するとか、散々騙ってたから」
その様子を、他の二人が薄ら笑いと共に見つめている。
どうやらナオトとは、短髪の名らしい。
「お客さんすみません、勘弁してやってください」
「謝ってすむ問題かコラ! 俺はビンタされたんだぞ!」
店のママが必死に謝るが、ナオトの怒りは治まらない。
「だって、エリカの胸揉んだんだもん」
困惑し言い放つエリカ。
さっきまでの陽気な表情は一切見えない、恐怖で酔いも一気に覚めたようだ。
「あいつらって、この辺の奴らじゃないよな」
その様子を窺っていた涼が言った。
「こっち系の奴だよ」
意味深なジェスチャーを送るカナコ。
頬を擦るようなジェスチャー、堅気ではないという意味合いだ。
「あの三人、元々東京の人らしいよ。東京でやんちゃして、誰か偉い人に怒らっちぇ。そのほとぼりが冷めるまで、知り合いを頼って、こっちさ来てんだって」
「つまり反省しに帰ってきてるのか」
「うーん。んだない、そんな感じじゃない?」
「反省して騒いでちゃ、意味ねーげんちょな」
ひそひそと会話する。
「面倒な客ですね」
翔太も呆れた表情だ。
実際直接ではないが、迷惑な連中だと思った。
二十歳そこそこの頃なら、迷うことなく注意もしただろう。だが今はその時ではないとも思っていた。
太一は声さえ発さない。いきなりなその修羅場に戸惑うだけ。
それでも宗則だけは堂々たる表情。ぐっと睨みを利かせ、そのやり取りを見入っている。
「お客さん、いい加減にしてくださいよ」
ママが堪り兼ねたように、ナオトの肩を掴む。
「ウルセー! 雑魚は引っ込んでろ!!」
「きゃっ!」
だが裏肘を打ち込まれて、反動で壁際に倒れ込んだ。
「ママ!」
カナコが立ち上がり、その傍に駆け寄る。
「あんたなにやってんの! あんまし騒ぐようだと、警察呼ぶかんね!」
そして男達に向かって気を吐く。
一瞬場が硬直した。かすかに流れるBGM。それ以外は何の音もしない。
「チッ、帰って飲み直すとするか」
「馬鹿らしいな。冗談も通じねーんだもの」
抑揚なく言い放つ男二人。少しばかりは悪いと思ったらしい。
「てめぇ、訛りがひでーんだよ」
それでもナオトは覚めた様子。
「警察呼ぶなら、呼んでみろよ。だけど店はメチャクチャだぞ、てめぇの安全だって保証しねぇ。言っとくが、俺を怒らせたらヤバいぜ。あっちでもムカつく奴がいたから、半殺しにした。自分で言うのもなんだが、危険極まりない男なんだ。お陰で組から、休暇貰っちまったがな」
その台詞に、場が凍り付く。誰もが打つ手なく無言になる。
フッという、ナオトの勝ち誇ったように鼻で笑う音が響く。
「だったらよ、このエリカって女、お持ち帰りしようぜ。せめてもの迷惑代だ」
悪びれる素振りもみせず、エリカの肩に腕を伸ばす。
エリカは微動だにしない。顔面蒼白でされるがままだ。
「それぐらいにしといたらどうだ? チンピラふぜいが」
突然誰かが言った。
それに呼応して、ナオトがピタリと身動きを止めた。
「はぁ、誰がチンピラだって?」
コキコキと首を回して、視線を向ける。
「お前らの地元はどうだか知らんが、この辺じゃ迷惑なんだよそんな飲み方は」
それは宗則だった。
ソファーにグッと腰を落とし、堂々たる視線を投げ掛けていた。
「はぁ?」
ナオトのこめかみに、ぴくりと青筋が浮き立つ。
「なんだって、もういっぺん言ってみな? 俺の聞き間違いだよな?」
エリカの腕を払い捨て、宗則に向かい歩き出した。
「何度でも言うさ。おとなしく帰れって言ったんだ」
呼応して宗則が立ち上がる。
「いちいち自分の強さを豪語するようじゃ、上の連中も苦労するだろう」
そして睨みを利かした。
「なんだと」
それは図星だ。
本当の男なら自分のことを自慢したりしない。弱い犬ほどよく吠える。
場に漂う一触即発の空気。
その状態は、流石の翔太も気が気ではない。
「宗則さん、そんな奴ら構わなくても……」
スッと腰を浮かす。
「やめとけトビ」
だが涼に腕を掴まれ、強制的に座らされた。
「涼さん? だけどこのままじゃ」
結果的に、宗則の正当防衛だとは理解していた。
だがこのままいけば流血沙汰は免れない。それだけは勘弁してほしかった。
「宗さんに任しとけ。悪いようにはならない」
だが対する涼は冷静。
翔太の知っている涼は、臆病者でも傍観者でもない。男気ある健全なる男。しかも喧嘩の腕は、翔太も認めるところ。
つまりなにらかの思惑と信念があるのだろう。
「……まぁ、確かに」
そしてその意味は、翔太もなんとなく理解はしていた。
「チイーッス」
「やってるよな」
その時、室内に二人の男が入店してきた。
町内の消防団員のようで、共に法被を着ている。
「あん? なにしてんだナオト」
手前の男が呟いた。
その台詞にはっとするカナコ。
「鈴木くんの知り合いなの?」
手前の鈴木らしき男に向かって問い掛ける。
「ちぃっすカナコさん。そいつら、俺が東京いた頃のツレでね。こっち来てるから酒でも飲もうって、誘われたんだけど……」
怪訝そうにナオトを見つめる鈴木。
「しかしそうとうな酒乱だったんだな。おめーらも止めりやぁいいのによ。俺の地元だぞ」
そしてテーブル席の二人に振った。
「鈴木くんゴメンな」
「だよな。世話になってるのにこれじゃな」
その台詞を受け、バツが悪そうに頭を掻く二人。
それでもナオトは少しも気負わない。
「地元とかそんなのカンケーねーんだよ! この馬鹿、殴り倒さなきゃよ!」
既に臨戦態勢。
宗則を打ち倒そうと息巻いている。
「悪いけど早く連れ帰って。へべれけになるまで酔っ払ってるみたいだから」
カナコが言った。
「っすね、誰かを怪我させたらヤバイしな」
怪訝そうに後頭部を押さえる鈴木。
「ド田舎のクソが、俺をなめてんじゃねーぞ!!」
ナオトが拳を振りかぶった。
呼応するように拳に力を籠める宗則。
「違うって鈴木くん! 相手は宗則さんなんだよ!」
息を飲むカナコ。
「えっ、宗則さん?」
鈴木の表情が青ざめた。
「おらぁーっ!」
ぐっと拳を繰り出すナオト。
その拳を宗則が左掌で握り締めた。
「クソッたれ!」
堪らずその腕を引き抜こうとするナオト。
だがそれはぴくりとも動かない。ミシミシと耳障りな音が響き渡る。まるで万力にでも締め付けられているような状態だ。
「脆い拳だな。東京じゃこれぐらいの腕っぷしでやってけるのか」
ぼそりと呟く宗則。身をひねり右の拳を振りかぶる。
「嘘だろ、誰かとめてくれよ……」
見えざる恐怖に怯えるように頭を振るナオト。
辺りに漂うのは凄まじい覇気。一気に酔いも覚め、鬼にでも睨まれたような表情を見せている。
ナオトの眼前、勢いよく拳が飛んでくる。
はっと我に帰る鈴木。
「宗さん、勘弁してくんちゃい! そいつには言って訊かすがらよ!!」
大声で叫んだ。
そして支配する沈黙。誰もが固唾を飲み、その情況を見つめている。
「悪いな、俺は素人なもんでな。これぐらいで勘弁するさ」
宗則の放った拳は、ナオトの顔面すれすれで止められていた。
「はい……」
声にならない声を挙げるナオト。拘束を解かれ、床にヘたれこんだ。
「流石は宗さんだない。まさに熱い男」
「この町じゃ最強の類じゃねーのか」
その様子を見つめ、覚めたように会話するカナコと涼。
「助かりました宗さん。こいつには言って訊かすから」
「ほれ、けーんぞ」
その間に鈴木達は、ナオトを率いて店内から撤収していく。
「鷹城宗則。やっぱ、変わんねーな……」
翔太も宗則の背中を、愕然と見つめていた。
その脳裏に浮かぶのは過去のビジョン。
彼が小学生の頃、地元はおろか、県内でも有名な人物がいた。高校生だったその人物は、悪のカリスマとさえ呼ばれ、近辺の高校をも仕切っていた。
その人物こそが鷹城宗則、多くの不良を率いた伝説の荒くれ。
そしてトビこと、里見翔太とも、少しばかり因縁を持つ。
その脳裏にフラッシュバックするのは、壁のようにそそり立つ巨大な背中『でかいなりして、謝りもしねーのが』そう言って凄んだ記憶。
その直後『くそトンビが……』そう呟いて振り返った眼光の恐さ。
あれから二十数年、男は新たなるステージを駆け抜けていた。
正義を重んじ、間違ったことを嫌い、炎を忌み嫌う、消防団の部長として。
誰も知らない、この二人の痛烈な過去など、ほんの僅かな溝があり、いずれ大きな軋轢が生じることなど。
熱い意思が激突した時、それぞれの運命が動き出すことなど。
そしてそれが火種となって、逃れられぬ悲劇が生じることなど。
物語まだ、始まったばかりだから……
摂氏一万度の英雄たち
第二章~終わり