ようこそ消防団へ
桜谷町は、国道線から少し離れた場所にある。
四方を山々に囲まれた谷間に広がり、これといった名物や有名な観光地もない。
それ故人々の訪れもなく、ただ素通りしていくだけの町。時代の流れから取り残され、いつしか消えていくのも仕方ないだろう。
それでも新たな出会いで溢れる卯月。近くまで来たならば、訪れるのも一興だろう。
その僅かな期間だけ、桜谷町の表情が一変するから。
想像して欲しい。山並みに沈む、谷間いっぱいに覆い尽くす薄紅色の光景を。
桜谷町の名前の由来は、その名の通り桜並木だ。
桜谷町には無数の桜が植えられている。駅前通りから町役場前、小学校前から中学校前まで延々と。
それらが青空の下、一斉に咲き乱れる様は、まさに桃源郷といっても過言ではないだろう。
鮮やかな青空が広がっていた。
咲き誇る薄紅色の桜とのコントラストが鮮やか。風は皆無、春爛漫の暖かい日だった。
鉄板の上の焼き肉もほどよく焼けて、そろそろ食べ頃だろう。
この陽気だと生ビールの注文が飛ぶようにくるのも納得だ。穏やかな空の下、満開の桜を見ながらのバーベキューは格別だから。
「翔太、こっちもおかわりな」
生ビールの注文が入った。
「うっす」
慌てて立ち上がる翔太。
そそくさとビールサーバーに歩み寄る。そして空のジョッキにビールを注ぎだす。休む暇がないとはまさにこのこと。
着込むのは消防団の法被だ。かなり着古したようで黒地がかなり薄くなっている。
「いゃー暑くなったない。朝はあんだけ寒かったのに」
「その分ビールがウマイべ。バーベキューにはちょうどいい」
「この肉、うめーな」
「こっちにも肉追加だぞ」
傍らでは同じ法被姿の男たちが、桜などそっちのけで酒と肉に食らい付いている。
飲むわ食らうわ、その段取りをする人物のことなど気にもしない。
彼らの後ろに佇む建物は消防団の屯所。活動の基点となる建物だ。
その日翔太は、消防団の会合に参加していた。
春季検閲式という恒例行事があって、その後の打ち上げで花見をしていた。
ちなみに検閲式とは、消防団にとって大切な行事のひとつだ。
とはいえその内容は薄いもの。気合いと共に望んだ翔太だったが、終わってみればとてつもない肩透かし感で包まれていた。
一応の名目は代議士や町長、消防署長や警察署長などの招待者を呼んでの御披露目式。
団員達は消防車両と共に一列に並べばいい。その合間に日頃の鍛錬と称して、行進などを行うだけ。
それだけなら我慢もしよう。この世は中身よりもたてまえ重視。伊達や酔狂に特化する。
それは我慢するとして、問題はその後だ。
よく分からない表彰式が延々と始まる。永年勤続や無火災がどうだという表彰だ。その間団員達は、無言で拍手を繰り返すだけ。拍手し過ぎて掌が痛い。
それが終わったと思えば、招待者の挨拶。『威風堂々なる団員の姿』とか『日頃の予防消防の活動に感謝する』とか、そのどれもが同じ内容。
どうして俺は、こんな場所にいるのだろう? このムダな時間を返してくれ! そう思うこと受け合いだ。
会社組織ならムダと称して、真っ先に指摘されそうなものだ。
そんな漠然とした疑問ばかりが渦巻く翔太。
消防団への勧誘について、あのあと涼には問い質していた。しかし涼の言葉は淡々としたもの『お前だって守りたい存在がいるだろ? それに地元に住んでんだ、しゃーあんめ』
確かに断る理由は無かった。田舎に住んでるんだから地元の付き合いも必要だ。
「なんとか桜も散らずにいたな。消防団に桜はつきものだしな」
上座に座るのは消防団の部長。
鷹城宗則。三十七歳。髪をオールバックに撫で付けた眼光の鋭い男。額の右上に刻まれた深い傷痕が特徴的だ。
「三日前までは寒かったがんない。そのせいで散らずにすんだ」
涼とビール片手に談笑している。
『確か宗則さんって、あの宗則さんだよな。二十年ぶりくらい?』そう思う翔太。
それほど宗則という人物に強烈なイメージがあった。
「じゃっかそろそろ、新入団員に挨拶してもらうがな。最初はトビ……翔太で」
不意に涼が言った。彼は消防団副部長。この場の議事進行を務めている。
「マジっすか。この前も紹介したでしょ?」
愕然と言い放つ翔太。
消防団に入って、既に三回程、顔見せはしていた。新人研修の為の行事と、年度毎の取り決めをする新期総会だ。
そこで自己紹介は済ませていた、改めて自己紹介なんて面倒だと思った。
「いいがら、消防団の花見の恒例行事だ」
「やれやれっすね」
その涼の台詞にしぶしぶ立ち上がる翔太。
消防団とは典型的な縦社会組織だ。学生時代で言えば『先輩命令は絶対命令』それを如実に物語る組織。
しかも勤続年数がものをいう。例え年上でも遅く入れば下っぱだ。
現に今も下っぱである翔太が、ビールの注ぎや雑用をこなしている、いわゆる段取り係。
そんな立場だから、恒例とか決まりごとだと言われれば、反論さえ出来ない。
「里見翔太です。数ヶ月前にこっちに戻って来ました。慣れないですが宜しくお願いします」
挨拶を繰り出し、ぐっと頭を下げた。
「知ってっぺ。昔いっしょにカン蹴りしたもん」
天然パーマの男がビール片手に言った。石川真樹夫。通称“いっちゃん”もしくはイッチ、翔太のひとつ年上でメガネを掛けたお調子者。
「カン蹴りって、いつのごど言ってんだい」
小柄な男が肉を噛み砕きつっ込んだ。西田太一。翔太のふたつ年下。温厚な性格で笑顔が似合う。
同時に場がガヤガヤした会話で溢れる。
「うっちゃしぞ。まだ自己紹介の最中なんだって。とにかく翔太のことは知ってんだな?」
堪らず言い放つ涼。
その場の多くの団員は翔太と同じ地元の連中だ。ガキの頃から知ってる馴染みの連中。だから久々とはいえ、会えば自然と会話が溢れる。
不思議なことに、そんな知り合いばかりだから、雑用といってもさほど苦にはならない。
「それじゃー次は博史。自己紹介頼むぞ」
「うっす」
涼の紹介で若い男が立ち上がる。ニキビのあとの残る茶髪の男だ。今年の新入団員は二名。翔太とこの男だ。
「えっと、平良博史っす。俺も遂にここ入れさせられちって」
ヘラヘラと笑い軽く会釈した。
「もう終いか?」
涼が訊いた。
「うっす」
言って座り込む博史。
「早すぎるって!」
「もっと喋れ!」
「それじゃー自己紹介になんねーべよ」
多くの団員の野次が飛び交う。
この博史という男、翔太の仲間内では有名な男だった。
翔太は高校生の頃、仲間と単車のツーリングチームを作っていた。
その当時、博史はよく翔太の家に来て。『写真撮らせて下さい』と言っては翔太の単車の写真を熱心に撮っていた。有名な写真小僧だ。
「まぁいいじゃねーか。それだけつっ込むってことは、ある程度は知ってんだべ」
「そりゃー知ってっけどない」
「カン蹴りで“ミソっカス”だったもんな」
博史のことも地元ということで多くの団員は理解しているようだ。
「とにかくこれで新体制が確立できた訳だ」
宗則が言った。それと同時に場が静まり返る。
「改めてよろしくな」
「宜しく!」
「頑張っぺな」
「カン蹴りやっぺな」
「やんないっすよ」
そして宗則の一声で団員達がジョッキをかざした。
大沢消防団、正式には“桜谷町大沢分団第五部”は、翔太達新人を含め団員十六名。この場にはいないが、他に団員が三人いるらしい。
部長である宗則が一番上で、その下に副部長と三人の班長。他の団員達はその三つの班に割り振られていた。
消防団を家族で例えるなら、涼が母親、宗則が父親、そんな雰囲気だ。
その気さくな人柄から多くの人員に慕われる涼に対して、宗則は全てを仕切る威厳と行動力に満ちている。
翔太は様々な思いを内に秘め、宴会に加わっていた。
確かに消防団などという面倒くさい活動は嫌だった。
だけどそこには、懐かしい顔ぶれがあった。十年ちかく県外で暮らしてきた翔太にとっては、和むひと時でもあった。
かすかだんな、つまり生意気いうな、カスみたいなこと言ってんなって意味。
作者の独自の見解です。