鍵の在り処
シャラン
薄い金属かガラスがすれるような澄んだ音がする。
シャラン
その音源を探そうと辺りを見回す。
霞んでいるかのよう視野ははっきりとしない。
何故ここにいるのかは僕にもわからない。
今はただ、
シャラン
その音源のみに集中する。
「・・・?」
ふと、人の気配を感じ振り向くと
「こんにちは、おにいちゃん」
そこには後ろに手を組んだ男の子が一人、満面の笑みで立っている。
「っ!」
突然のことに身体は仰け反り、心臓が跳ね上がる。
「何か、さがしているの?」
そんな僕を知ってか知らずか、少年は無垢な目で僕の顔を覗き込む。
「え?あ、いや、音が・・・」
少年に聞こえそうなくらいに脈を打つ鼓動をなだめながら、先ほどの音を探すため再びあたりを見回す。
「・・・」
静寂。
そこにはテンポが違う二人分の息遣いしか存在しない。
「・・・あれ?聞こえなくなったなぁ」
そういう僕の顔を不思議そうに覗き込んでいる少年の顔を見ながら苦笑いをする。
すると、
「あ!もしかして、音ってこれかなー?」
無邪気な声で後ろに組んだ手を僕に見せる。
シャラン
「あ!その音!・・・って、鍵・・・かい?」
音の正体は大きな輪に連なっている、古い形をした透明な鍵の束だった。
それが少年の動きに合わせて、それはまるで風鈴のように音を奏でる。
シャラン
「ぼくね、たくさん持っているんだよ」
少年は穏やかでありながら、どこか寂しげな声で手に持つ鍵の束を見つめる。
「でもね、いっぱいありすぎて、よくわからないんだ」
表情に似合わない、今にも泣き出しそうな声。
「ねぇ、おにいちゃんはわかるかな?」
その問いは自分に向けられた。
「え・・・?」
思いがけない問いかけに、言葉が詰まる。
無音が占拠する空間に視線を泳がす。
「そうだ!おにいちゃんなら、みつけらるかも!」
言葉に詰まっている僕に、少年は先ほどの口調で続ける。
「うん、きっと見つかるはずだよ。ぼくにはまだわからないけど、おにいちゃんにならだいじょうぶ!」
励まされているかのような感覚。
でも、何故かその少年の顔を直視することができなかった。
「ね!元気だして!ぼくはずーっとおにいちゃんのミカタだよ」
声がだんだんと薄れていく。
「きみは・・・?」
言葉に詰まっていた僕は胸のつまりを押しやって問う。
向けた視線の先に少年は既にいなかった。
「ふふふ、それはないしょ。でも、いつもおにいちゃんのちかくにいるよ」
脳内に直接語りかけるように少年の声は響いた。
ガタンガタン・・・ガタンガタン・・・
ふと気がついたとき、僕は電車の中にいた。
どうやら、眠ってしまったらしい。
ネクタイを直す暇さえを惜しみ、営業先を走り周る。
事前に用意された型にはめられたかのような1日を過ごし、ぎりぎりで駆け込んだ終電の中で、僕は少年の夢を見た。
「あの子はいったい・・・」
靄にかき消されていく記憶を、引き止めるように思い出そうとする。
『次は○○、次は○○。お出口は~』
そんな思案は、下車する駅名を謳うアナウンスによってかき消され、いつの間にか意識から霧散していった。
今日も営業先を走り周る。
炎天下の中、吹き出る汗を拭いながらスケジュールを確認する。
この日に待っている打ち合わせは、残り4件。
昼食を摂る時間さえも惜しむ。
すべてが分単位の予定だった。
予定時刻ぎりぎりに最後の得意先へ滑り込む。
受付に挨拶をし、会議室に通される。
しばらく、炎天下の暑さに茹で上げられた身体を冷まそうとシャツを扇ぐ。
そこに、
「やぁ、お待たせ。今日も暑いねー」
担当者である中年の男性が、軽快な笑顔で入ってくる。
続いて入ってきた、受付の方がアイスコーヒーの入ったグラスを2つテーブルに置く。
僕は会釈をし、早速打ち合わせを始めた。
カラン
テーブルの上に置かれたグラスの氷が解ける。
打ち合わせが終わり、汗をかいたグラスに手を伸ばす。
そんな僕を見ながら、
「いやー、ここのところ暑いから外回りも大変でしょう」
そんな話から営業先の担当者と他愛のない世間話になった。
今日はここが最後だしと、僕もゆっくり話に花を咲かせた。
どこでも同じような悩みを抱えているのか、担当者の愚痴から始まった世間話は思いのほか面白かった。
そんな話しが一段落したとき、不意に担当者がビルの外を眺める。
つられて、僕も担当者の視線の先に目を向ける。
日がどっぷりと落ち、目下にはLEDやネオンの鮮やかな光が街を盛り上げている。
比較的高層に位置するこの会議室は、そんな都会の夜姿を見渡せる。
しばしの静寂後、
「きみはこの仕事、楽しいかい?」
予期していなかった質問に少し戸惑った。
「あ、いやいや、きみの仕事は速くて丁寧で、どこの企業よりもいい。とても頼もしいお得意様だよ!」
僕の困った顔に気付いたのか、誤解を解くかのような仕草で続ける。
「でもね、開かない扉の前で立ちすくんでいる虚無感をきみには感じるんだ」
話の意図がつかめずに困惑した表情しかできない。
「なにか、目指しているものがあるんじゃないかい?」
その言葉に、俯き考える。
そして、あのときの少年の姿が脳裏をよぎったとき、
シャラン
「あっ!」
忘れていたものが一気に脳内に広がった。
そしてその記憶に同調するように、
「おもいだした?」
それはあの時の少年の声だった。
反射的に顔を上げる。
さっきまで担当者が座っていたはずの席に、あのときの少年がいる。
夢か、幻覚か・・・
でも、今はそんなことどうでもいい!
だってその少年は・・・
「・・・子どものころの僕!」
その言葉に少年は満面の笑みで答える。
「そうだよ!」
そう言いながら、
シャラン
あの風鈴を思い出せるような音と共に、少年は鍵の束を差し出す。
その内の一つだけが仄かに光っている。
「おにいちゃん!見つかったよ!」
少年はとても嬉しそうに言う。
・・・そうだった。
少年の持つ鍵は、僕自身の扉の鍵だった。
進めなかった扉は過去の自分が、自分自身が閉ざしてしまった未来だった。
「ありがとう」
素直にその言葉が出た。
心にかかっていた靄が晴れていく。
「がんばってね!みらいのぼく」
その言葉と同時に視界がはっきりとする。
「それじゃ、今度は再来週の火曜日に・・・」
気がついたときには、何も変わらない得意先の会議室だった。
少年がいた席には担当者がいる。
不審に思われないように話をあわせながら、資料をまとめて担当者に挨拶をし、得意先の会社を出る。
ふと、
「こんなところでも見られるんだな、星空って」
そう呟きながら見上げた空には高いビルに阻まれながらも、懸命に輝き続ける星たちがいる。
欠けていたものが埋まる感覚。
僕は、必死に前進し続けてきた。
猛進する必要があるゆえに、足元ばかり見続けてきた。
その結果、過去を忘れてしまっていた。
いや、忘れようとしていたのかもしれない。
これが正しいのだと思い込むことで正当化していた。
その少年・・・もとい過去の自分は、今の自分に振り返るチャンスをくれた。
前進だけが路ではなかった。
「扉は開いたよ。ありがとう」
それは誰にも聞こえない声。
自分の耳にも届かないほどの声。
それでも、僕の身体の中で何度も反芻する。
今まで見えなかった世界が開放され、見えるようになった。
開けた視界には進めなかった路が無数に存在する。
足りなかったのは今の自分を正当化するがゆえに、見えなかった・・・いや、見ようとしなかった自分自身の中にあった。
ただ単に、仕舞い込んでいたに過ぎなかった。
「ありがとう」
もう一度、少年に心から礼を言う。
「がんばってね、おにいちゃん」
その声はとても楽しそうだった。
まるで今の僕みたいに。