地の輪くぐり
*鬼と祓い屋の物語 15*
*脇役・六原のおはなし*
まるで異界であるかのような社会から確立された木々に囲まれ、辺りでは甲高い鳥のような音が鳴り響く空間。
それではただの「森の中」という日常的な空間なのだが、六原の目の前では巨大なしめ縄のようなものが宙に浮かんでおり、日常にはない異様さを醸し出していた。
手品でも何でもない。浮かぶという表現より壁に打ち付けられたかのようである巨大な縄の円。その輪の内側から見える景色はなく、まるでぬめりのある墨で塗りつぶしたかのように黒く暑く澱んでいた。
それはまるで現実味もない縄に囲まれポッカリと開けられた穴であり、今自分が見ている景色がまるで絵であったように感じてしまう。
しかし、その光景があたりまえのようでこうあることが正しいのだと六原は思えた。視線は動かせずにジッとしめ縄で出来た穴を見てしまう。頭の中でこの異様な光景が日常的で、この空間の中で一生を終えたいと思えるのは自然なことだと訴えかけられる。
そして、ジッっと視線を動かすことなく穴を見つめる六原にピシャリとした声が浴びせられる。
「六原さん。飲み込まれてはいけません」
不意に声をかけられ、何度か瞬きをしたあと六原はゆっくりと声をかけられた方向に首を向ける。側には先日鬼との防衛の際に最初に抱きとめたいかつい顔の門番が立っていた。
「えっ、あっ、すいません」
周囲の空気が軽くなり視界が晴れたように感じたのは気のせいではないだろう。
これが飲み込まれるということか。と今更ながら恐ろしい場所に行くのだなと思いかえした。
「気をつけてください。いくら清めたからといって飲まれるときは、飲まれるのですか……目覚めにもう一発いっときますか」
「ええ、お願いしますわぁ」
言った瞬間、ばしゃりと水が頭からかぶせられた。蒸し暑い日中の中ひんやりとした水は確かに心地いいがバケツ一杯ほど浴び、六原の体はどちらかというと少し寒く感じさせられる。
「はい、もう一丁」
「ひゃ。うわぁ! 冷た!」
しかし、おかげで周囲の景色がはっきりしていき、いつからか鳴いていた蝉の鳴き声や、木々の葉が風で擦れる音に混じり、甲高い音が聞こえる。
自然の中に溶け込みきれない、まるで鼓膜を揺さぶるような甲高い音。それはこの儀式で武内家の者たちが扱う石笛の音であった
そうだ。今は神楽を助けに行く真っ最中。冷水で頭が冷え、六原はようやくこんな森の奥に来た目的を思い出した。
「ありがとござっ、うぷ!」
そして、お礼を言おうとしたがもう一発頭から冷水をかぶせられる。
「目が覚めましたか」
「……はい」
いつもの赤いパーカーや制服ではなく白い装束に着込み正座している六原は服の中に溜まっている水を振り落とす。神聖なこのミソギの水を被ることで少しは向こうにいっても大丈夫なのだという話である。
「では、御子様をどうか救出してください」
「……自分の家族に様をつけるのはどうかとおもうよ」
「ここは武内家です故」
淡々と言う門番ではあるが、彼女を心配している事を六原は十分に理解している。でなければ一回り以上年下の男に土下座のように頭を垂れたりなどしないはずなのだからだ。
「……それは失礼。じゃあ、さっさと行くとしようじゃないか」
ござの上で正座した六原は痺れる足を我慢しながらゆっくりと立ち上がるとしめ縄に囲まれた空間に手を差し込む。
不安と期待で胸をふくらませながら伸ばした手は浸した水につかるようにとぷりと闇の中に沈んでいき、六原の指先に少し湿っぽい感触を感じさせる。
正直、六原の内心はちょっとビビってはいるが、既に月島や天野たちもがこの中に入っていたのでおそらく大丈夫だ。と自分自身に言い聞かせてはいるがなかなか決心できず、まず、落ち着こうとちょっと一度大きく深呼吸を、
「いいから、早く行きな」
することも叶わず首元を野太い腕に掴まれ、六原の体は宙に浮かぶ。
突然のできごとに、振り返ることもできないままに六原は首根っこを捕まえていた人物の名を叫んだ。
「ワーさん!!いくらなんでも、ちょっと心の準備ってものをねぇ」
「いいから、男は度胸だよ」
そのまま体を担ぎ上げられ、口を開けて驚いている門番が見つめる中、六原の体はダーツのように、しめ縄の穴にという的に向かって一直線に投げ込まれる。
「ちょ、ま、うぷ!!」
そして悪態を言い終わる前に六原の体はしめ縄で囲まれた空間の暗闇に消えていったのであった。
ワーに暗闇に向かって投げ込まれ、反射的に目をつぶったが息苦しさも感じず、視界が暗闇に覆われたのは一瞬で、すぐに晴れた時には、六原はそのまま体は床に叩きつけられる。
しかし、叩きつけられた割にさほど痛くもなかったので目を開け立ち上がる。
周囲の形式はいつの間にか変わっており、ソコは森ではなく。どこか古びた民家のような木製の広々とした廊下。近くの木枠に囲まれた窓からは蒸し暑いはずなのに季節外れの雪がこぼれ落ちているようだ。
周囲には先程までいなかったはずの武器を構えた高峰たちや不破の武器等が周囲を警戒している。不破の武器たちを除き、男は白装束、女は巫女服のような服装という傍から見ればなんとも奇妙な出で立ちの集団であった
「これで全員だね」
「って、うぉ!」
背後から声が聞こえると虚空に浮かぶしめ縄の黒い穴からワーの体が這い出しており、思わず六原は奇妙な叫び声をあげてしまった。
――いまだ、その姿は間近で見ると怖いんだよねぇ。
ワーは既に人の姿をしていない、獣の牙と爪を持ち白銀の体毛に覆われた巨体の姿それは六原とっては久しぶりにみる人狼というワー本来の姿である。
「それにしてもなんとも不気味な匂いじゃないかね。主、問題はないか」
「嗚呼、問題ないよ」
ワーより先にこの場所に来ていた月島は杖とは反対の左手に開かれた本を開く。開かれたページは小さく輝きを放つと周囲を照らす光の玉が浮かび上がり、月島の周囲を漂い始る。周囲では高峰達も同様に狐火を灯し周囲に明るく照らした。
「じゃあ、予定通りに始めるぞ」
一人だけ明かりを灯すことなく刀を脇に指したまま天野は静かに言うと高峰が答える。
「ええ、囮はお任せを……」
高峰の言葉に皆が目を合わせ黙って頷く。
六原はワー達と早朝に集合した時に高峰から伝えられた作戦を思い出した。
目的は神楽の奪還。内容はシンプルであった。
チノワと呼ばれる先ほどの入口から侵入後、天野と不和の霊武、水月以外は囮として派手に暴れ、その隙にカグラを奪還する。前回の襲撃に使われた手をそのまんまやり返したような作戦。
そして、奪還に対しては月島も行きたそうにしていたが慣れない場所に行くということとカグラの位置は彼女の目に貼られた札から位置が分かるらしい天野が適任だということで六原の援護も虚しく却下されている。
「安心してくれ、絶対に助ける、結城、七瀬の札は?」
「はい、これね」
周囲を安心させるように自信満々に答える天野に結城は傍によると一枚の奇妙な文様の書かれた札を渡した。
あれが七瀬と呼ばれる札であった。効果は己の心に張り付いた汚れの浄化。
カグラが連れ去られた日数を計算すると、彼らの目的である蘇りの儀式はまだのはずであるがその前にカグラが鬼に憑かれている心配があり、万が一起きた際にそれを振り払う必要があるのだ。
――まぁ、聞いたところあの札だけじゃ憑き物は落ないたしいのだけどね。
「じゃあ、行こうか水月さん」
「ええ、頑張りましょう。ではでは水月いってきます」
お茶目に敬礼する水月を連れて、二人は足音を立てることなく暗闇の廊下を駆けていく。
側ではあっという間に姿が見えなくなった二人の背を高峰たちは心配そうに見送っていた。しかし、六原としては彼ならばどうせいつものようにどれだけ傷だらけになろうが絶対にうまくやるので特に心配をしていない。
「では、ワタシたちも存分に囮をやりましょう。結城。」
「はいはい、任せてくださいっと」
結城は両腕を振るう。どこに隠していたのか、その手には束となった札の塊が扇のように広がっている。
「それじゃあ、まずは我らの場所を開けますよ」
結城は両手で札をばらまく。束となっていた札がバラけ一枚一枚に特殊な文字が書かれており、蛍のように淡い光を放った。
瞬間、まるで磁石に引き寄せられるかのように札は周囲の壁に張り付いた。廊下の壁を見えない奥にまで飛んでいきバシバシと札が壁を叩く乾いた音が拍手のように周囲を賑やかにさせる。
だが、その音に合わせて、獣の雄叫びのような声が廊下の奥から、いや、屋敷の全体から響く。どうやら気がつかれたようである。
「では、私たちも行きましょうか」
「……うん」
目の前の不思議な光景に驚くことなく高峰は槍を構えると夜ヶ峰を引き連れ駆け出していく。
「不破さん。一応この札が貼っていない空間には行かないようにしておいてね。じゃないと日ノ本ノ加護が与えられなくて皆、弱体するからね」
「うむ、なるほど。そうか」
「あれ、主は理解していないですよね」
「それーいえてるー」
「知ったかぶり、わ・ら・え・る」
「う、うるさいなー。そんなことないからな!」
また、口調がおかしなことになりながら六原と同じように白装束の不和も周囲の己の霊武(彼女たちはいつもの服装である)を見渡し、一度咳払いをした。
「この女性の言ったとおりだ、周囲の札がある場所に行きそこで鬼を撃退。倒す必要はない。手傷を負わせ、作戦完了まで耐えればいいのだからな」
「「「「はい、主」」」」
「では、タイメクトとクラリスは六原とともにここの防衛をし、恋桜は我とともに来い。他は散開」
「「「「はい、主」」」」
言い終わると同時に十数名ほどいた少女の姿をした霊武は姿を消し、残ったのは緋色の刀を手に提げた不破とそれぞれが白いドレスと黒いマントを羽織った二人の霊武の少女であった。
不破は月島に近づくと声をかける。
「月島よ。お主の話は聞いている。頑張るが良い」
「それはどうも」
こいつなりに応援しているのだろうな、と六原は不破に対してそんな考えを巡らせながら近づくと小さく頭を下げる。
「すまんな。不破」
「……そういうでない。持ちつ持たれつが我々の関係なのだろう」
「そう言ってもらえると助かる。後、あのことも頼むよ」
でわな、と言いながら颯爽と不和も廊下の奥に走っていった。
周囲は暗闇だが、耳を澄まさずとも徐々に物音が大きくなり、今となってはその音が爆発音や何かを砕く破壊音だとよく分かる。どうやら無事に囮役となった皆さんが盛大に暴れているようだ。
――さて、では頑張ってオレたちの仕事を始めようかぁ。
六原、月島、月島の式神、そして二人の霊武であると説明されているワーはの役割はこの元の世界に戻る為のこのチノワを破壊させないように守っておくことである。とはいうもののここまで来るまでの間にほかの囮役が鬼たちを排除するのでかなり安全である役割である。
つまり、能力的に一番非力なものと、一番危険な力を持っている者である部外者たちにはあまり、出しゃばるなということであった。
「ふざけんなよぉ」
六原は小さく呟く。
「脇役の力を見せてやる」
決まったと内心で思い、自然とにやりと笑う六原は腰のホルスターから銃を引き抜き、スライドを引いた。ガシャコンを軽快な音が廊下に響く。
ズキリと右腕の筋が痛む。前回撃ち過ぎた所為での炎症が治っていないからであった。
――まったく、なんでこんな銃にしたのかな。まぁ、選んだのは、自分なんだけど。
六原が手にしているのはHMD二式自動拳銃という自動拳銃。不破の知り合いの武器屋で見つけたものだ。生産数も少なく、自国で生産された珍しく古い銃に六原は興味を惹かれ購入し、不破に頼み九十九神を宿し、特殊な弾丸を込めることで霊的なもの、鬼などにも効果を発揮できるようにした。だが、装弾数も少なく、反動も大きい、おまけに壊れやすいといったじゃじゃ馬でもあったのだ。
しかし、残りの武器といえば前回と同様の攻撃力のないナイフ一本のみであるため、六原はこれで我慢しないとなぁと言いながら両手で拳銃を構えくるべき鬼に備えるのであった。




