戦う男と誘われた女
*鬼と祓い屋の物語08.5*
*祓い屋・天野のおはなし*
屋敷の外は暗闇であった。
ざわめく木々。夜鳥や虫の鳴き声も聞こえない不気味な森の奥。そこには人々に忘れ去られた廃れた神社がある。寄生虫の様に蔦とカビに浸食された今にも崩れそうな古びた木製の建物であった。
境内の中には本殿となる一件の小屋があった。正面の入り口には木製の扉が先ほどまであったのだが、今は横一門に斬られ、地面に倒れていた。
門を斬り倒した張本人となる天野正雄は狐火を灯し、本殿にて日本刀を振う。
「ぜぇぇぇや!!」
上段から振り下ろされた刀は空を切る。
――チィ。ひらり、ひらりと。
体勢を立て直す為に足を踏み込む。床板が腐っているのか。ギィと軋み上げた。
背後に気配を感じ、右足を軸に駒のようにぐるりと回転しながら斬りつけるが、視界に垣間見た黒い影は後ろに素早く飛び上がり距離を取る。
「はぁ…ふぅ…」
額から滲み出る汗を学生服の上に着こんだ白い羽織の袖で拭う。
――さっきから避けて防いでばっかりだな。
狐火に照らされ黒い影は姿を六原の前に露わにされる。
足もとまで伸びた髪、溶け込むように黒い女物の着物を着こんだ不気味な女性の姿をしていた。
「クフフフウウ」
手を地面に付き、猛禽類の様に気味の悪い体勢で天野の正面に構えているナニか。
「牛頭。いい加減諦めたらどうだ」
天野は目の前の人外を牛頭と呼び、刀を握りしめ、睨みつける。
だが、恐れることなく牛鬼の配下である牛頭と呼ばれた鬼は再び不気味な笑う声をあげ始めた。
「クフフフフフフ、諦める訳にいかないでしょうに」
牛頭と呼ばれた鬼は顔を上げる。髪で顔を隠しているが、紅い瞳を輝かせ、牙をむき出しにするように口を開く。
「貴様が、主を殺したからだ!!」
――言い訳するつもりはない。何かを殺した罪は背負う覚悟はできている。だが、貴様ら鬼達を討つ事はやめるつもりもない。
責め立てるように叫ぶ声牛頭の声に天野は怯える事も弁明する事もなく、静けさの中で説き伏せるように語る。
「だがな。周囲の鬼達は既に倒したぞ」
静かすぎる境内、先ほどまで外にいた鬼達は夜ヶ峰が始末をし終わった為か、鬼の叫び声も周囲から聞こえる事はなかった。
「まだ、私がいる」
「そんな完全に回復していない状態で何ができる」
――先ほどから、防戦一方なのに……
以前、天野が討ち倒した牛鬼の首を奪い、逃亡した際、幾つか天野達の追っ手により損害を与えたとの報告は聞いていた。実際、つい先日会った時より動きは雑で緩慢としているように天野は感じていた。
諦めるしかないという状況を理解したのか、気が付くとぎりぎりと、少し離れた天野の耳にも聞こえるような牛頭は歯ぎしりをしていた。
「おのれ…口惜しや」
目の前の牛頭は呪うように言葉を吐く。
――諦めてくれるか。いや、そんな訳ないか…
「今宵の私では貴様を殺すこともままならないと見えた」
だが、と叫び牛頭は両手足をばねのようにして不意を突くように飛びかかる。
「……ッ、甘い!」
冷静に襲いかかる鎌の様な牛頭の爪。天野は慌てることなく刀でいなし、牛頭は天野に一撃を加えることなく彼の頭上を越え反対側に着地した。
「口惜しや」
振り返る天野であったが牛頭が着地した場所には既に鬼の姿はいない。
何処だとは疑問に天野は思わなかった。
――あの野郎。逃げる気か。
出入り口となる襖を見れば、襖は開かれ蜘蛛の様に素早く這い、この場を去る牛頭の姿が見えていた。
思わず舌打ちをしながら天野はその背を追いかける。
「待て!」
牛頭が逃げるとすれば行先は予想がついている。天野は刀を握りしめてまま玄関に向かった。
鬼は玄関に素早く辿りつくと玄関口の扉を突き破ろうとはせずに、一枚の札を張り、ゆっくりと開ける。
開いた扉の先は外へと続く道はなく、沼の様にどんよりとぬめり気のある様な闇が広がる異常な光景であった。
牛頭は迷う事なく右手を闇の中に入れる。ドプリと水につかる様な波紋が闇に広がった。
「今に見ておれ、人の子よ」
「逃がすか!」
玄関に続く廊下の一本道。天野の視線の先には闇に沈んでいく牛頭の姿があった。
逃がさず、一撃葬る為に助走をつけ駆け出すと飛び上がり、刀の切っ先を牛頭の頭めがけ突き刺そうとした。
だが、天野の視界は空中に飛び上がった瞬間に真っ黒に覆われる。
――凶鳥の羽か。
カラスの様な羽は牛頭が門に張った札から湯水のように吹き出ると、その場でつむじ風に舞いあがり天野の視界防ぐ。
「最後に勝ったのは私だよ」
「な、めんな!」
一瞬だけ怯んだが衣の袖口から一枚の札を取り出すと左手で振り払う。黒く塗りつぶされた視界が消しゴムを拭われたように綺麗に拭い去った。
「うらぁぁああ」
そして、着地と同時に右腕に握った刀を鬼の居る場所へと刺した。
だが、右腕からは何も感触がなく。
晴れた視界。カラスの羽は消え失せ、狐火に照らされた扉には先ほどまであった暗闇はなく、ただ外の景色が広がっていた。
――なんだ?
逃げられた。と理解し悔しい気持はあったがそれよりも天野の頭には疑問が頭にも思い浮かんでいた。
牛頭の残した最後の言葉。
――何故。「勝つ」ではなく「勝った」と言った。まるで、もう勝ちが決まったみたいだ。
「天野」
少女の声がすると共に玄関口から小柄の女性、夜ヶ峰が姿を現した。
「牛頭、逃がしたの」
「……すまん」
「大丈夫、次がある。けど、鬼達逃げるのが早い」
言われてみると確かにと天野が考えた所で、牛頭が何故そんな事を言ったのか、本陣にしては鬼達が素早く身を引く行動の意味を理解した。
同時にカグラの儚い笑顔が消えていくような光景が思い浮かび冷や汗が流れた。
「スイレン!!」
「ん、何?」
「スグに屋敷に戻るぞ」
*籠の巫女・カグラのおはなし*
<おいでませ>
頭の中で聞いた事のある様な少女の声が聞こえた。
――誰?
何故かその声が不快に聞こえる事もなく。不思議な謎の声にカグラは耳を傾ける。
<さぁ、さぁ、『そと』においでませ>
「外…」
屋敷の一室畳みに囲まれた広場で白い薄い着物姿のカグラはひとり呟く。
両脇に座っている従者が不思議そうに顔を向ける。
「カグラ様、どうされましたか」
「外……」
呟くカグラのセリフに何を勘違いしたのか従者たちは自信満々に声を上げた。
「外でしたら安心してください。他の家の者たちが結界を張っております」
「我らの結界は完璧です。故に絶対に鬼の侵入は許さないでしょう」
「お前が言うと駄目な気がする」
「あぁ! 俺が何か変な事を言ったのか」
両脇の男はお互いを睨み上げる。
「だから、お前は馬鹿なんだよ」
「うるせえぞ、堅物」
「…何だと」
「…何だよ」
険悪の様子の二人を余所にカグラはそっと席を立つ。二人の様子に遠慮したのかと思ったが、カグラの耳には聞こえていない。
――誰なの。
<一緒に蹴鞠をいたしましょう。一緒にお手玉をいたしましょう。>
カグラの声に反応する事無く。不思議な声はただ誘う。
<中にいては花がしおれてしまいます。花はお外で舞いましょう。>
――外。外に出ても私はいいのですか。
甘美な声で彼女を誘惑した。
<窓を開ければ、簡単に『外』に続くものですよ。>
――窓。
周囲を見渡すと窓が、障子窓があった。
<さぁさぁ、おいでませ。おいでませ。>
カグラはおぼつかない足取りで障子窓に向かい。
「やかましい。チンピラ風情が。…ん、お嬢、何を!」
「開けてはダメだ!」
気が付き制止しようとする二人の護衛。だが、一足遅く少女が窓に指を掛ける。
――外へ。行けるのですね。
カグラは窓を開け放った。
<行きは良い、良い>
歌う様な声とともに、開けた窓の先に広がる光景は、
<帰りは恐い>
深い沼の様な闇であった。
沼の中からは紅い眼が光り、カグラを見つめている。
少女の前に紅い眼が近づいてくる。そして、赤い眼はゆっくりと闇の中から人の形をして現れる。
カグラは目の前の光景に目を奪われる。だから気付かなかったのだろう、彼女が障子窓を開けた瞬間に他の窓も一斉に開き、同じように闇が広がる窓の中から複数の鬼が現れたと言う事に……
「お嬢から手を離せ」
「クソ。邪魔をするな、鬼が!」
背後から声と刃物のぶつかり合う音が聞こえている気がした。
だが、それよりも少女の目の前にいる赤い眼の人物にカグラは言葉を失った。
――私、なの。
目の前の赤い瞳の怪物は、カグラと同じ服装と顔をしていたのであった。
<さぁ、参ろうぞ。『外』の国へ>
カグラと瓜二つの何かに頬笑みを浮かべ彼女は誘われる。体が自分の意思とは関係なく動き出す。
「お嬢。行ってはダメです」
「目を覚ませ!」
背後で何か声が聞こえた気がしているが、自分と同じ顔をした鬼の差し出した手をカグラは受け取った。相手は離せないようにカグラの手をしっかりと握ると笑みを浮かべた。
<捕まえた>
手を握られ引き寄せられたカグラの瞳に、自分と同じ顔をした紅い瞳と目が合う。
途端に、カグラの体は動かなくなった。
――私は、連れ去られるのでしょうか
カグラは不思議と恐怖が湧かなかった。ただ、心の中で謝った。
――黒羽さんごめんなさい。天野様、さようなら。
何故か抵抗する気はなく。カグラは腕に引き寄せられるまま、闇へと沈んでいった。




