そして彼は舞い降りる
*騎士とメイドの物語 09.5*
囚われた魔女は横たわり、眠るように目を瞑っていた。まるで人形のように生気を感じず、ピクリとも動くことが無い様子はレギオンが彼女に何かした訳ではなかった。
極度の魔力消費が原因である。
騎士との一戦。そして、先ほどのレギオンとの戦いにおいて魔法を大量に使用した為、月島は囚われてしばらく経つと急な疲労感に眩暈を覚え、そのまま気を失った。それは精神面、肉体面にも影響を与える「魔力」という、彼女たちの世界では当たり前にある体内エネルギーが無くなりかけた為に体が勝手に行った緊急措置であった。
気を失ってからどれくらい経ったのか月島の背中にひんやりとした冷たさを感じながら意識を覚ました。未だ少しぼんやりとしている頭の中に誰かの、男性の荒げる声が月島の耳に届く。
「ですから申し訳ありませんが、この度会社を潰すことになったので、あなた方の会社の製品との取引もこれからはお断りさせてもらいます。ええ、こちらが勝手に契約を打ち切ったのです。また、後日、お詫びもさせていただきますので」
聞こえる声は自分を捕らえたレギオン残党の部隊リーダーである針沼の声であった。
同時に木々のざわめく音と少しの肌寒さを感じながら、月島はゆっくりと目を開ける。視線の先では電話越しながらも頭を下げる針沼の姿がぼんやりと映っている。
――針沼という人も、彼の部下たちも中々大変そうだ。
気を失っていた為か思考が上手く働かないながらも針沼の言っているの内容を大方理解しながら月島は体を起こすことにする。未だ重たい目蓋を擦りながらも耳からは針沼の必死に頼みこむ声が聞こえ、このままもう一度寝る気も失せていた。
夜の肌寒い風に吹かれ思ったよりも早く目は覚め、月島は囲を見渡す。
辺りに街灯はなく、どんりとした暗闇が続いている。にもかかわらずその場にいる誰もが懐中電灯を持ってはいない。彼女らの頭上には蛍光灯のような輪を描いた光りの集合体が現れており太陽のように白い光を放ち月島達を照らしているからであった。
少しずつ視界も慣れていき、そして月明かりも一段と輝いている為か少し遠くの景色も微かに見渡せるようになってきた。
まるで檻ようにぼんやりと暗い闇の中から木々が浮かび上がる、そよ風が吹く度に葉の擦れ合いや木々の揺れる音がかすかに聞こえ、正面には見覚えのある巨大な泉が月島の視界に映りこんできた。
――嗚呼、ここなのか。何となくそんな予感はしていたのだけどね。
目の前に映るのはは元の世界に戻ると聞かされた時に真っ先に連想された景色であった。
学園裏の泉。
日中は煌めきを放ち、生徒達の休憩スポットの穴場として知られる泉であるが月島にとってはその場所は休むような場所ではなく、異世界を通過するゲートと認識していた。他ならぬ月島本人が通ってきたその泉は昼間のような輝きを放つこと無く、今はぼんやりと月光の薄明かりを水面にただ反射していた。
「おや、気が付きましたか。お目覚めの気分はいかがでしょうか」
通話を終えた所でようやく針沼は目が覚めた月島に気が付き声を掛ける。月島はゆっくりと身を起こした。拘束はされておらず、自由な両手で背中に付いた草や土を払いながら上体を起こす。
「嗚呼、あまり良くないね。こんな地べたで寝たのじゃ体が痛くてかなわないよ」
「それは失礼しました。では、元の世界に戻った際には暖かいベッドをお持ちいたしましょう」
「それは良かった。ところで、少し聞きたい事があるのだけれど・・・」
「何でしょうか」
周囲を見渡し、改めて確認すると月島は訊ねた。
「ワーは一体どこにいるの?」
「彼女は貴方を守る為に動いてもらっていますよ」
針沼の答えは月島の中では予想外の答えであった。
「それはどういうことだい」
――拘束しているのではなかったのか。もしかして、ワーが捕まったというのは嘘か?
針沼たちに捕まってから一度もワーの姿を見ていない月島は疑問を感じ始める。
だが、針沼はメガネの縁を一度押さえると月島の疑問に答えた。
「アノ騎士がどうやら、我々の動きに感づいたみたいでしてね。彼女には我々の仲間たちを一緒に騎士の足止めをお願いしたのですよ。まぁ、元々、彼女を捕まえる為にこちらの部下の半数が行動不能にさせられたので人手が足りないものでしてね」
そう、と短く答え月島は考える。騎士とは辰野のことであろう。しかし、どうして、彼女がレギオンに協力を、
――いや、そんな事は考えるまでも無かった。私が捕まったからか。私のせいだ。
かすかに胸を締め付けられるような苦しさが月島を襲う。うずくまろうと自然に体が動くのを抑え、平静を装った。
気付かれてはいないのだろう。表情を隠すことは月島がレギオンの象徴とされて得た数少ない事であった。それは長年共に過ごしたワーでさえ時折月島が何を考えているか分からなくなることがある程になっていた。
だから、表情を変えることなく月島は会話を続ける。
「それで、上手くいきそうなのかい?」
「ええ、もちろん。ワタシにとってはこのぐらい簡単なことですよ。只の足止めですのでワーさん達の被害はほぼ無しで片付きそうですよ。・・・これからワーさんと連絡しますが話されますか」
「いや、別に構わないよ」
そっけなく言うが内心はワーの心配と一人でいる自分の孤独感、そして、罪悪感が混ざり合って不安で仕方なかった。
しかし、傍から見れば平然としている彼女に針沼は深く追求せずに杖を振るう。虚空に円を描き図形を刻むと魔法陣の中心から丸い光りの球が現れた。
シャボン玉のように浮かぶソレはゆっくりと針沼の目の前で止まる。
通信魔法と呼ばれるその球体は魔法陣さえ対象に刻む事ができればそこから電波等関係なく電話のように通話することが出来る代物であった。難点があるとすればスピーカのように相手の声が他者からも聞こえるのであまり隠れて連絡等が取りにくいということである。
宙に漂う球体に針沼はマイクのように語りかけた。
「私です。状況は予定通りですか」
短い沈黙の後に球体から声が聞こえた。
「ああ、だいだい順調だよ」
針沼の近くにいる為、耳な入る聞き覚えのあるしわがれた声、その声がワーだと月島はすぐさま気が付いた。
――順調とは上手くアノ騎士を足止めしているということか。
「こちらの損害は?」
「三人軽症を負っているぐらいだ。その怪我人に連絡係がいたから、代役として役割の無かったアタシが連絡係になっているさ」
「なるほど、そうですか。では、特に何も問題はないということでよかったですね」
「ああ、遠距離からのヒットアンドウェイをネチネチやりながら足止めしていくだけだからね。しかし、向こうも仲間を呼んだらしい。もう一人現れたよ」
「……仲間ですか」
二人の会話を聞きながら嫌な予感がした。騎士の仲間。何処か頼りない少年。
――六原さん?
最後に見た彼の悔しそうに月島を見上げたあの瞳を思い出した。もちろん鎖により拘束された六原はこの場に向かえるはずが無いと思った。しかし、もし、鎖が解かれてしまった場合、この場所をすぐに調べ上げて向かってくる事だろうと思った。
――ワタシは覚悟を決めているのに。
その為に、追い掛けられている最中であったが何とか一度彼らを振りきった後六原に会いに行き、別れを言おうとした。だが、結果としては巻き込む形になってしまい、彼自身も怪我をした。
そして、ここに来れば、針沼は今度こそ容赦なく攻撃するだろう。だから、出来れば来て欲しくないと願う月島を余所に針沼は球体に向かって話した。
「まさか」
「アア、お前さんの思っている通り」
――やっぱり、そうだよ。
「あの訳のわからん女か」
「いや、メイドが現れた」
――……だよねぇ。
ワーの言葉に少しだけ、ホッとする。六原が向かってくること等考えすぎだと自分に言い聞かせた。
――六原さんが来た所で何も変わりはしないのだから。
今までの戦いぶりからみても六原の力でワー達の防衛線を突破し、この場所に辿り着き、針沼たちを倒す芸当等出来るわけが無い。
だから、もしかして、なりふり構っていられない六原が辰野の仲間になって取り戻しにくるかもしれないがと月島は思っていたが・・・
針沼は泉のほうを見る、浜辺には4人ほどの黒いローブを着た針沼の仲間達がそれぞれの杖の先端を泉の水面に付け魔法陣を描いていた。水面に描かれた魔法陣は波紋に溶けすぐに形が崩れるが光の粒子が泉に少しずつ広がり泉に光が少しずつ輝きだしていた。
――この部隊とはついていなかったな。
改めてここにいるレギオンを見渡す彼等の手には杖が握られている。彼等は皆、魔法使いであった。
――レギオンの中でも異端とされた魔法使いによる部隊「レムレス」。彼らが来たとはね。
名前こそ知られているが切り捨ての部隊である。しかし、レギオン内で迫害を受けている魔法使い達をより集めた部隊である為実力もあり、さらにかなり錬度と統率された部隊であった。
――てっきり、この部隊ならいきなりこちらの世界に送られて、生活できずに朽ち果てるか。この世界でレギオンとは縁を切り、生きていくと思ったのだけど。
等と月島は予想していたのだが、結果は予想以上にやる気があったらしく、月島の居場所を発見すると全力で捕まえに襲いに来る始末であった。
泉の近くでは未だ異世界に行く為の準備を淡々と行っている部下の様子を見ながら、針沼はワーにこれからの行動を指示した。
「転送まで、まだ少しかかりますので後二十分ほど時間は稼いでください。」
「あいよ。後な、これから連絡は取りにくいと思うが、何かあるかね」
「特には無いですね。まぁ、危なくなれば皆さん撤退して下さい。あなた方は別地点の転移先からこちらの世界に行ってもらいますので」
「分かった。じゃあ、ほどほどに頑張るとするよ。あとお嬢に手を出したら承知しないよ」
「ええ、分かっていますよ」
その言葉を最後に針沼が杖を一度軽く振るうと球体が萎むように小さくなり消えた。
連絡を終えた針沼は小さく口元を微笑ませ月島に語る。
「どうやら、無事に元の世界に戻れそうですね」
「そう」
部下たちに指示を出す針沼の声を耳にしながら、短い返事をした月島は空を見上げる。
空には光り輝く少し欠けた月が浮かんでいた。
――この月も見納めだね。
あちらの世界では青く輝く月である為、この夜空も二度と見ることはないと思うと少し名残惜しい気がした。
何故か昨夜の、魔女の隠れ家で六原と見えあげた光景がふいに景色と重なった。
――六原さんをこの件に巻き込んでしまったのは後悔しているけど、それでも昨夜は楽しかったな。
少しだけ、感傷におぼれそうになった月島の視線にふと見慣れないものが見えた。
「ん?」
コウモリか。空に黒い小さな点が飛んでいた。しかし、ソレはコウモリの羽ばたく機動とは違い一直線に空をかけている。
見慣れた軌道だと月島は思った。
――嗚呼、あれか。
それが何なのか月島が思い出した時。空を飛ぶ影から一筋の光が流れる。
少しの間をおいて流星の様な光は膨れ上がり、花火のように大きな塊となり飛び散った。
「なんだ!?」
突然の発光に驚きの声を上げるレギオンに少し間をおいて破裂音が響いてくる。
「……皆さん」
周囲のざわめきに反し、動揺することなく針沼はメガネの縁を押さえつつ指示を出した。
「落ち着いて下さい。全員、作業中断。迎撃体制を・・・」
整えなさい。というセリフは部下には届かなかった。それよりも大きな衝撃と音が彼らと泉を挟んだ対岸に起きた。
先ほどまで高速で空を飛んでいた黒い何か一直線に地面に落下した。それだけしか針沼には分からなかっただろう。
「社長、アレ、なんです」
隣にいた部下が尋ねてくる。
もちろん、落ちたものが何か針沼には分からなかったが、このタイミングで来る者といえば敵しかいない。一体誰がという疑問は置き、土ぼこりが立ち込める中に針沼は杖を振い魔法陣を瞬く間に描き、光球を作り出すと見えない何かに向けて撃ち放つ。
「何だろうが、迎撃しなさい」
針沼の言葉を聞き、この場にいる六人の部下たちが一斉に杖を取り出し、魔法陣を早々と作り出す。
素早く描かれた簡単な魔法陣から光の弾丸が打ち出される様子をしり目に、針沼も次の魔法陣を描く。
光弾は一直線に対岸の土煙に向けて飛んでいく。
だが、それよりも速く、ゆらりと黒い何かが対岸の土煙の中で蠢いた。
針沼の視界の先でソレはうっすらと光を放つ。
「来るぞ」
側にいる針沼の部下が呟くのと陽炎の様な光が大きく輝いたのは同時であった。
針沼達が放った光球と入れ違うように、土煙りの中から弾丸のように大きな黒い塊がこちらに飛び出す。
駈ける黒い塊は月光に照らされ湖の上でソレは姿をはっきり現わした。
黒い尖がり帽子に黒のマントで身を包んだ姿。そして、一本の棒に跨り空を駈ける姿に針沼は言葉を呟いた。
「……魔女」
箒に跨る少年は、六原 恭介は月島の元に向かい一直線に空を駈けた。