急文1 遠い道のりと、近くなった距離
急文1・遠い道のりと、近くなった距離
「菜緒……!」
早く助けに行かなければ。
そう思っていても、ザッシャザッシャと足音ばかりがうるさくて、なかなか距離が縮まらない。
呼吸が苦しく、肺がきりきりと痛み、心臓がやたら騒がしく鳴り響いている。おまけに足もだんだん、上がりにくくなってきた。
だがそれがどうした。
当たり前だが誰かに強要されたわけでもないし、俺に責任があるわけではない。
現場の判断で全滅の危機を感じたから、撤退した。俺が口出せる事ではない。
俺は無論の事、ダブルコウダすらも責められる事ではない。
それでも俺は足を止められない。止めるわけにはいかない。
許してくれるとは思っていないが、菜緒の受けた傷を癒しきっていないんだ。
「こんなところで殺させるものかよ」
「必死ですわね」
今の今までずっと気づかなかったが、すぐ隣を、ゲネスが並走していた。
「そんなに大事なんだねー」
ティーネまで……付いて来てたのか、こいつら。
てっきり帰ったと思ってたんだがな。
「帰れ、お前ら」
「あら、貴方はどうするのでしょうかね」
柔和な笑みを浮かべていることが多い感じのするゲネスが、キッと睨み付けてくる。
答えはわかっている、そんな意味合いなのだろう。
ならば答えるまでもない。
今は一歩でも早く、進まなければいけないのだから。
「菜緒さんを助けに行く、ということですわよね」
「ああ、そうだよ」
喋るとやはり辛い。
左右で並んで走っている2人ともふっと短くため息を吐くと、その背中に今まで存在していなかった大きな翼が現れ、大きく左右に広げる。
ゲネスは悪魔らしい黒いコウモリ的な翼で、ティーネは天使らしい白い翼だ。
「ティーネさん、この場だけは協力いたしましょうか」
「了解だよー」
それだけの言葉で2人は理解しあったのか、両脇から俺の腕をつかむと飛び跳ねる。
「うぉぉぉぉぉ!?」
常に上昇しつづけ、落下が始まらないというこれまでにない奇妙な感覚に、おもわず声を上げてしまった。
「静かにしてほしーなー。人を運んで飛ぶのは結構疲れるんだよー」
「お、おう、すまん」
それも、そうか。おんぶやなんだとはまた、だいぶわけが違うんだろう。
なるべく静かにして、こいつらに身を委ねた方が賢明なんだろうな。
度肝を抜かれてしまったが、そのおかげで少しだけ気持ちにゆとりが出てきた気がする。
少し熱くなりすぎていたか、反省。
それにしても。
「これが飛ぶって感覚か」
「貴方方にはわからない感覚でしょうね」
「そりゃそうだ」
地に足つかないと落ち着かないのが、人間だからなぁ。それがまさか状況的なものだけでなく、物理的にもそうだとは初めて知ったが。
「どういう風の吹き回しなんだ?」
「別に」
「気まぐれ、かなー」
2人してそっぽを向いてしまい、どんな表情しているのかもわからない。
まあ気まぐれというのも確かなんだろうけど……意識すまいと思っていても、肘に当たる柔らかい感覚がちょっとだけありがた迷惑。
いや、ありがたいんだけどさ。
大きいのもいいけど小さいながらもちゃんとあるってのも、案外悪くないというか。
何考えてんだろ、俺。
「それよりもなぜ、急いでらっしゃるのに力を使わないのです?」
ん?
ああ、さっきまでの話ね。うん。
ヘンな事考えてる時に声かけられると、意味もなくドキッとしてしまうよな。
「まだあんま長時間使えないんだよ、俺。まあ、まだ力に目覚めて1年もたってないど新人だからしかたないんだろうな」
これからきっと戦闘が待ち受けてるってのに、戦闘中いきなり切れましたとかは本当に勘弁。
「へー。わりかし使い勝手悪いんだねー」
ごもっともだな。
「発動中はそれこそ人外って枠に入るから、それくらいのペナルティーはあってもおかしくないだろうさ。
銃弾位ならかすり傷で済んじゃうし」
「あら、防御面でもずいぶん違うものなのですね。人間にしてはやたら軽装で、大丈夫かしらこの方なんて思っていましたが、そういうことですか」
……やっぱり結構きつい事思ってたんだな。
「並の人間よりは遥かに丈夫だな。
そうでなければあんな犬コロだって、人間の腕くらい簡単に食いちぎるだけの力あるのに、噛ませたりするかよ」
「透はなんか、噛ませそうだよー。かばう時は」
うん、俺も今思った。
「まあなんだ、実際にはもっとがっちがちに防具で固める奴もいるんだけど、訓練次第ではもっと固くなれるっていうし、動きにくいから、なるべく軽装でいるんだよ」
だけど今回は失敗かもしれない。
犬コロ相手には身1つでいいけど、これから向かう相手がどんなのかは知らないが準備もなしに行くべきではない相手なんだろうな。
ましてや1年の間ではトップレベルにあたる菜緒のチームですら、全滅の危険を感じるほどだというなら。
しまったな、やはりこいつらは帰らせるべきだったかもしれない。
「お前ら、運んでもらって悪いけど、向こうについたらすぐに逃げてくれ」
「あら、ご一緒に戦わせていただきますわよ」
「そうだよー、何のためにここまで来たのかわかんなくなっちゃうしねー」
そうだろうと思った。
思いっきり巻き込んじまったな。菜緒の事で頭がいっぱいだったから、こいつらの事まで頭が回ってなかった。
反省しなきゃ、な。
「俺のワガママなんだし、お前らまで危険に巻き込まれる必要はないんだぞ?」
ゲネスがキッと睨み付けてきて、顔を近づけてくる。それこそ耳に吐息がかかるほどまで。
「私の勝手ですわよ、これも」
頬を膨らませたティーネまでも、吐息がかかるほど顔を寄せてくる。
「ティーネちゃんの好きにするの」
そしてぷいっと顔をそむける。
なんなんだよ、いったい。
「それに、リーダーさんを置いて帰ったら、きっと何か言われるに決まってますわ」
「そうそう、今度は冗談抜きで蹴られそうだよ」
あー……あの先生なら言うだろうし、蹴りそうだな。
ダブルコウダみたいにリーダーの指示とかならまだともかく、俺が勝手に抜けたから帰ってきましたなんて言ったら、団体行動だ、連帯責任だとかそんな感じの事で説教されるだろう。
こうして考えてみると、案外真面目な先生だな。
「そうだ、俺からも質問。
俺らが天使や悪魔、それの僕とかに苦戦してるのは基本的に物理的な攻撃がなかなか効かないからなんだけど、それのわりにお前さんらはデコピンとか普通に効くよな」
銃とかほとんど効かないのは何も俺達だけじゃない。天使や悪魔にだってそのほとんどが効果ないって習っている。
まあそうでなければ、俺らみたいな力はあれど戦闘の素人である学生に頼りきりになるはずがない。
「なんでだ?」
力を発現させて、その力を伝道させる特殊な武器があるから俺らも戦えるのであって、少なくともデコピンも効く、暴力教師の蹴りに怯えるような相手ではないはず。
あまりにも不思議というか、不自然だ。
「それは、向こうと縁を切ったせいなのでしょうね。
物質透過能力も、実はあまり使えませんのよ、今は。使いすぎれば動けなくなってしまうでしょうね」
制約の影にはそんな意味もあったのか。
「言ってしまえば、人間にちょっと近くなっちゃったってことなんだと思うなー。ご飯も食べなきゃいけなくなったし」
なるほど。
天使や悪魔は食事の代わりに人間から生命力的な何かをもらい、絶大な力を有してるとかって聞いたけど、それをしなくなった代償とかがあっても不思議ではないのか。
「ふーん……こうしてみると勉強してようが、意味を理解してないこともけっこうたくさんあるっていうか、知らないことが多いもんだな。
もう少しお前らを知りたくなってきた」
「はにゃ!?」
「はぁ?」
アホ毛と触角が電波3本来ましたレベルで激しくまっすぐに伸びる。
ずいぶん驚くなぁ。
「なんか変な事言ったか?」
問いかけても2人は無言のまま、顔をそむけていて、まともにこっちを見ようともしない。
なんなんだよ、マジで。
む、そろそろ無駄話する時間もない。
菜緒、無事でいてくれ――