序文3 思いがけない幸運
3・思いがけない幸運
あの一件以降、俺もなかなか菜緒に顔を合わせずらくなり、だいぶたってやっと挨拶程度の顔向けができるようになった時には、今の様な冷たい態度をとられるようになった。
……こればかりは仕方ない、か。
俺がちょっと物思いにふけっていると、コウダ1号はいつの間にか悪魔の方ににじり寄っていた。
「だから君らもさ、こんなおチビと一緒にいたら危ないよ? 俺達と来なよ」
チビチビ言うが、今170あるからそこまで小さくは無いと思う。それに背が高いつもりでいるようだけど、どうみても悪魔の方が高いし。
しかも鼻の下が伸びているお前の視線は、どう見ても悪魔の胸元に釘づけ。見るにしても、もう少し誤魔化せばいいものを……ある意味では男らしいが。
コウダ1号の忠告に、悪魔がニッコリと穏やかな笑みを浮かべる。
「ご忠告ありがとうございます。ですが私からすればあなたもドングリ――いえ、ドングリに失礼ですか。下賤な生き物のくせして、誰の許可を得て見ているのですかね」
胸の下で組んでいた腕をほどき、しなやかなスナップを効かせたビンタの一撃を目元にお見舞いする。
やっぱり悪魔でも嫌なのか……それかコウダ1号がただ単に、好みじゃなかったのかもしれない。
「私にデコピンくれるような輩ですけど、最初から下心丸出しのあなたよりはこれの方がましですね」
まし、ね。
嫌われるよかはずっといいか。
目を押さえコウダ1号が撃沈し、かわりにコウダ2号がニョキニョキと。
2号の背は俺よりやや低いくらいでたいして変わりないが、若干顔に自身はあるらしい。ワカメ頭のくせして。
ただ女子の間では、確かにほんの少しだけ話題にはなっているみたいだ。
顔はそこそこ、学業もそこそこ、だけど少し高難度だというのにチームとしての討伐成功率はほぼ100%である事が、人気の元らしい――もっとも、菜緒の活躍があってこその成功率だが、そこは自覚していないのだろうな。
それともこいつらも、少しはマシなもんになったのかね。
「でも君ら、気をつけなよ。こいつは女性に優しくとか言ってる、内心女好きな奴だからさ。高嶺の花と呼ばれる山崎さんとは知り合いみたいだけど、ほんと、山崎さんからすればとるに足らないそれこそたいした男じゃないしね」
菜緒の眉がピクリと、ほんの少し吊り上る。
あれ以来さらに口数が少なく、あまり他の女子と仲良くないが、かといってその容姿に寄ってくる男子に媚びる訳でもない印象から、気高くて孤高の花――高嶺の花と俺たち1年の中ではわりかし有名だったりする菜緒。
多分、本人はそんな言われ方が不本意なのだろうし、実際はもう少し打ち解けやすいタイプなのだ。
みんな知らないだけというか、色々あってからはそうなった、というだけなのだが。
菜緒の機嫌を損ねた事にも気づかず、コウダ2号は続ける。
「だからね、俺達と来たほうが利口だよ? なんといっても俺達は活躍してるし、そいつなんかよりもずっと人気あるからね」
利口という点では確かに。菜緒と一緒の方が依頼もよくまわされて、有名にもなリやすいだろう。
ただ菜緒の活躍をあたかも自分の活躍の様にふるまうのは、さすがにな。
それは天使の方も感じ取ったのか、胡乱な眼差しをコウダ2号に向けているが、奴は気づいていなさそうだ。そこはなかなか豪胆といえば、そうかもしれない。
やっと天使の視線に気づいたかとも思ったが、髪をかきあげ、何やら微笑んで見つめ返している――どう見ても勘違いしている。
口を三角にし、両肩を抱いて震え上がる天使。頭のアホ毛がピーンと立っていて、なかなか心理状況を理解するのに便利なものだ。
どういう理屈なのかは知らないけど。
「キモ! 色目使ってんのはあんたでしょーが! その女狙いが見え見えなくせして、なにこっちにまで手を伸ばしてんのさ、下等生物!」
「かっ……!」
おお、頭に血が上って赤くなる人を見るのは初めてだ。
そして舌を出して煽る女の子というのも、初めて見る――ただし、どう見ても険悪な雰囲気で一触即発だ。
剣呑と悪魔を睨んでいる1号、それを腕を組みながら見下している悪魔。
顔を赤くして天使を睨み付けている2号に、腰を落し手を顔の前に掲げてどう見ても戦闘ポーズな天使。
……まさかこいつら、おっぱじめる気か。
俺の不安は的中し、あろう事かコウダ2号が先に天使に向けて拳を振り上げた。
「それはさすがにな」
振り下ろされる前にその腕をつかむと、天使の右ストレートが2号のえげつない所にめりこむ――本当にえげつない……。
動き出す1号の気配を察し、最初の第一歩に足を引っ掛けるとバランスを崩したまま前のめりに悪魔へと。
踏み出した悪魔がその首筋に肘を打ち付け、床に這いつくばるように倒れる1号。
2人とも、動きにぎこちなさがない。
――なんだ、近接はさっぱりとか言ってたワリに、そうでもなさそうだな。助けなくても余裕か。
しばらく2人の好きにさせておこう――菜緒も似た結論のようだしな。
小さくため息をついて窓際に身を寄せる菜緒を目で追っていると、一瞬視線が合って俺の視線に気づいた菜緒が、目をそむける。
そらされる事を気にはしないが、唇を噛みしめ、少し辛そうな表情を浮かべているのが気になる。
体調がよくないのか?
「人間界の男性って、こんな程度なのかなー?」
掴みかかろうとしてきた2号の腕を上に払い、横腹を手刀で挟み込むように撃ちこむ天使。
「少々残念ですね」
コウダ1号の蹴り足をすくいあげ、転倒させる悪魔。
本当にこいつら、近接戦闘はさっぱりなのか?
「近接戦闘はさっぱりじゃなかったのか?」
「あたし的には苦手な分類ー」
脇腹を押さえて呻いていたところに、こめかみめがけて肘鉄――的確すぎるぞ。
「もっとも、それでも貴方達よりは身体能力的にも上だと言う事ですよ」
倒れた1号の鳩尾を、突き刺すように踵で踏みつける悪魔はうっすらと温和な笑みを浮かべていた――うん、らしくないかと思ったが、まんま悪魔っぽい。
考えてみればそれもそうか。俺達人類はもともと小競り合いはあっても、そこまで戦闘に特化しているわけじゃない。
ましてや今の俺達は、能力に目覚め訓練もしているが、しょせんは十数年生きただけの学生だ。
遥か昔から互いに争い合っているこいつらとでは、必要性と意識、どちらをとっても違いすぎる。
「くそぅ……」
ダブルコウダが小さな円筒状のものを取り出すと、円筒が刃渡り1メートルほどの剣へと変化する――って、こいつら……。
俺が呆れていると、天使も悪魔もほんの少しだけ目を細め、顔の前で手を組んで印を組み始める――って、こいつらもか……!
「それはやりすぎだ」
前に立ちはだかり、天使の額と悪魔の鼻に、先ほどもお見舞いしたデコピンの一撃。
「テッ!」
「ッつぅ……!」
効果てきめんだな。
「ごっ!」
「づぉ!」
背後からも奇妙なうめき声。振り返ると、後頭部を押さえているダブルコウダの姿と、槍を手にしている菜緒の姿。
丁度槍の柄尻が、立っていたコウダ2号の頭あたりに。何があったかは一目瞭然だな。
「……ごめん、透」
「いや、こっちこそ悪かったな。菜緒」
お互い正面で向き合い、やっとまともに視線をかわす――自然と笑みがこぼれた。
だけど菜緒は視線から逃れる様に目を伏せ、槍を小さな円筒状の物へと変化させると袖口の中へと収め、颯爽と歩き出して俺の横を通り過ぎる。
その顔は瞬きひとつせず、とにかく真っ直ぐを見据えていた。
そういえば何か討伐依頼を受けていたんだったか。
「気を付けてな、菜緒。がんばれ」
俺の言葉にほんの一瞬だけ足が止まり、髪をかきあげる。
「そんな言葉、別にいらない」
そして菜緒は再び、額をさすっている天使と鼻っ面の赤い悪魔の間を通り抜け行ってしまった。
菜緒の顔を見た天使と悪魔が不思議そうな顔をし、横目で互いに視線をかわし頷くと2人そろって俺を見る。
天使のアホ毛はクエスチョンマークっぽい状態だ。
何がそれほどまでに疑問だったのだろうか。
「ま、待ってよ山崎さん」
「置いてかないで……」
おっと、ダブルコウダがまだいたか。
武器を収納し天使と悪魔、それとおまけに俺も睨み付け、菜緒の後を追って行く。俺は関係ないだろう……。
「2度と声かけてくんなー!」
「本当にそう願いたいですね」
べーっと舌を出している天使に肩をすくめて同意している悪魔だが、お互いに隣に存在を思い出すと再び向き合ってアホ毛と触角が威嚇しあってる。
「でもいいのか? あっちのほうがお前らの目的成就の近道っぽい気がするんだが」
こいつらの目的は知らないけれど、住み慣れた天界や魔界を捨ててまで人間界に来たからにはそれなりの覚悟とかがあるはず――さっき天使はなんか大スターとかわけのわからん事言ってたが。
「あんなのとは関わりたくないの!」
「不愉快な人物と、肩を並べる趣味はございませんので」
威嚇したままのアホ毛と触手がこっちに向けられる――うん、すみません。
「……わかった、それはすまん」
わかればよろしい風に2人とも満足げに胸をそらし、ムフーと天使は息を荒くする。
「別に君でもティーネちゃんの魅力と実力さえあれば、大スターになれるし!」
「それ、さっきも言ってたけど、どういう意味だ?」
こいつらに慣れてきたのか、ムクムクと好奇心が。
俺が改めて尋ねると天使は腰に手を当て、くるっと回転してはずびしっと上のどっかを指さす。
「ティーネちゃんはね、人間界でトップに君臨するの! それでティーネちゃんが全員の面倒を見るのだ!」
……はい?
「すまん、もう少しわかりやすく」
「だからね、人間ってティーネちゃん達天使が庇護する生き物でしょ? それなのに他のみんなは護ってやるのだから搾取するのは当然だみたいな高慢ちきで、すんごく気にいらないんだよー」
わりかしこいつも高慢な方な気配を感じるが、あえて黙っておこう。話が止まる。
「だから天界を出て―、ティーネちゃんが搾取されないよう庇護したいなーって思ったの」
ふむ、案外まともな思考か。
「それにはまず人類の統一! 人間界ではスターが絶対の権限を持つんでしょ? だからティーネちゃんは大スターになるのだ!」
……ああはい、なるほどね。間違った知識を植えられてるのか――あえて正そうとはすまい。
その方がなんか……平和だ。
本人にしか見えない大スターの星を指さしている天使の背中に、くすくすとはっきりした笑いが向けられる。
横の悪魔が口元に手を当て、本当に面白いと言わんばかりの笑みがこぼれていた。
「お馬鹿な天使は、お馬鹿な事を堂々と言えるものですね。人間界の言葉で、知らぬが仏と言いますか……」
悪魔が仏を口走るのもなんか変な感じだが、どうやら天使の勘違いはわかっているようだな。
こっちはどうなんだろ。
「そういう悪魔――ベセルススさんはどうなんだ?」
途端笑みが凍りつき、先ほどまでとはまるで違う感情をこめて俺を睨み付けてきた。
背筋がぞくりとする――これはそう、あの時に犬型から向けられた殺意そのものだ。
「私の事はゲネスで呼んで下さい」
言われなきゃわかんないんだから、あらかじめ教えて欲しかったな……そうは思っても口にしない方が無難だな。
「あ、ティーネちゃんもティーネちゃんでよろしく!」
2人そろってか――ふむ、家を捨てたとかそんな感じなんだろうかな。
まあ少なくとも賛同はされない行為なのだろうし、天使や悪魔にもいるのかわからないが、親とは喧嘩別れみたいな状態なんだろう。
どうにも親とうまくいってないのばかりだ。俺含めて、俺の周りは。
「了解――で、ゲネスさんは?」
「私はただ単に、他の方の傲慢さが気に入らなかった。それだけですわ」
それも傲慢だと思う。
「何せ私は悪魔ですからね。基本的には傲慢なのですよ」
ほほーう、自覚もちゃんとあるのか。精神的に大人びてるだけあるな。
ちらっとだけ精神的にも肉体的にも子供な天使へと目を向ける――精神面が肉体に影響を及ぼすのか、肉体が精神面に影響を及ぼすのか――そんな事を考えてしまう。
「まあ人間は私の物ですから、他の方が人間を餌にするのが我慢ならないとでも申しますかね――いつの日か私が人間全てを飼うためにも、人間界での下僕探しが重要なのですよねぇ」
――結局は似たようなもんか。天使も悪魔も行きつく思考は。
「いまでこそ、ここで監視されなければいけない身分ですけども、自由気ままに暮らせる日までせいぜい下僕集めに精を出しますかね」
あ、監視とかはされてるのか。まあ強力すぎる存在だし、しかたないのか。
「やらせないよ! 人間はね、ティーネちゃんが庇護するべき生き物なんだから!」
「あら、おもしろいですわね。人間は私の所有物ですわよ」
ふりだしに戻る、か。もう気の済むまで勝手にやってろ……。
「それにしても、3人か。まだ1人足りないし、どうしたもんかな」
壁に背を預け溜め息をついていると、すぐ横、先ほど追い出されたばかりの戸が開いて小野先生が顔を出す。
静かになったタイミングを見計らった気がするのは、勘ぐりすぎだろうか。
キョロ、キョロとゆったりとした動作で左右を見わたし、俺に視線を合わせると首をかしげた。
「今、山崎居なかったか?」
「菜緒達なら、もう行きましたよ」
なんだ、声を聞いてたとかじゃないんだな。
「顔出したらめんどくさそうだから待ってたのに、もっとめんどくせぇ事になっちまったなぁ」
「うぉい、おっさん!」
やっぱり見計らってたのか……。
ポリポリと頭を掻いて顎に手を当てると、なにをかんがえているのやら、目を閉じてんーと唸っている。
「あいつらの向かうトコに追加でちびっと強い小物退治がきたから、ついでにやってもらいたかったんだが――」
視線を落し、すごい重くて長い息を吐き出す。
「呼び出すのもめんどくせぇなぁ……」
そんなに面倒ではないと思うんだが、この先生にとっては違うらしい。この人はこういう人だってわかってはいるけど、大人としてどうなんだか。
再び視線を俺に合わせると、ずいぶん長い沈黙――やっと口を開く。
「……お前ら、行ってみる?」
「え?」
今なんて?
ボリボリ頭を掻いて、再び口を開く。
「だからよぉ、その小物退治。お前らでやってみるかって」
いつの間にか廊下には野球部の声くらいしか聞こえない。
天使と悪魔の視線が、小野先生に向いている。かくいう俺も、少しばかし信じられなくて凝視しているのだが。
「訓練もまだままなってないのが集まっちゃいるけど、大丈夫だろ。少なくともそこの2人のどっちか片方でも十分こなせるはずだし」
……思わぬ幸運だ。
3人でというのは菜緒のチームくらいしかまだ許されていないものだし、あと1人どうしたもんかと悩んでいたところに、これだ。
俺達が黙っていると小野先生は「行かないのか?」と首を捻った。
「――行きます。行かせてください」
おっと、一応確認はとらないと。
「いいだろ、2人とも」
アホ毛がピンと立ち、触角がゆらゆら揺れる。
「当然当然だよ、ティーネちゃん大賛成! 行かない理由がないモン!」
口に手を当てニヒヒと笑う。
あの玉ねぎの乗っかった頭の中では、自分の伝説が今始まろうとしているとか、そんな事考えてるんだろうな。きっと。
「ええ、私も反対する理由などありませんわ。むしろ望むところです」
そのポーズが標準なのか、胸の下で腕を組んだまま微笑み、たたずんでいる。
その表情からは読みづらいけど、出先で活きのいい下僕候補でも見つけましょうかとか、そんな事を考えてるんだろうな。きっと。
――まあいいか。どうであれ、これでやっと今の自分の力も試せるし、経験も積める。
もっと力をつけて、菜緒の時みたいに俺の力不足で怪我させる事が無いようにしなきゃな。
そう誓ったんだから。
どんよりとした雪のちらつく空を見上げ、雲の切れ間から差し込む光に目を向けた。
「命懸けでも俺は、女性を護るんだ――」
ぎゅっと刀を握りしめ、俺は確認する意味も込めて、再び誓う。
手の届く範囲だけでもいい。
女性を、菜緒を護るんだ――と。