急文4 透を知ったからこそ(山崎 菜緒の章)
急文4・透を知ったからこそ(山崎 菜緒の章)
2年になったばかりの春先、はしゃいでいる1年が増えた頃。
お昼休みに廊下を歩いていたら、私の後ろから1年の女子2人組が走って追い抜いていった。
それはよくあること。だが、気をつけねばならない。
「気をつけて、その先――」
言いきる前に体育館への廊下を曲がったところで、女の子の悲鳴が。
ああ、やっぱり。
増築したせいなのか、床の素材がいきなり変わって滑りやすいと伝えそこなってしまった。
たぶんどっちか、転んでしまったのだろう。
溜め息をつきながらも、様子を見に行こうとした。
すると。
「大丈夫か?」
廊下の向こうで透の声が聞こえ――その直後、女の子の大きな笑い声が聞こえた。
自分が転んでしまった事が、おかしかったのだろう。その感覚はどことなくわかる。
そして透が角を曲がって、姿を見せた。
「あれ、声かけただけ?」
てっきり保健室に連れて行くとか、そんな事をすると思っていた。女性に優しくするんだという誓いとその経緯を知っているから、より一層。
「ああ、問題なく自分で動けそうだし、たいした事の無いレベルなら手を貸さない方がためになるだろうからさ」
「ふーん」
その時は思ったほど優しくないのかも、そんな事を考えていた。
それから数週間後。
放課後、透を待たせてはいけないと私が廊下を走っていた。
普段なら走る事はないのだが、透の方から今日ちょっと一緒に帰ろうなんて言ってきてくれて、浮足立っていたのもある。
実際は方向も同じだし、部活はやらないを頑なに通したおかげでいつも一緒に帰っていたりするけれども、明確に透から一緒に帰ろうと言って来てくれた事が非常に嬉しかった。
ただ役員会なんてものに出ていたせいで、すでに1時間は待たせている。
普通ならもう1人で帰っていてもいいのだが、相手は透だ。きっと待っている。
だかららしくもなく、走ってしまったのだけどそれがいけなかった。
角を曲がればそこに透がいるはずと、その勢いのまま角を曲がろうとしたら目の前にぬっと透が現れた。
危ない!
と思った時には時すでに遅し。
透を思いっきり突き飛ばすというか、押し倒すような形で倒れ込んでしまった。
土間にひかれたすのこ上に、派手な音を立て2人して転んでしまう。むしろ一方的に透が痛い目にあった感じの体勢だ。
「ごめん、透。大丈夫?」
慌てて起き上がると、透は眉根を寄せながらも「いや大丈夫」なんて言って身を起こす。
「まあ正直、すっげー痛かったけどな」
「ごめんってば」
立ち上がろうとして、足首に鋭い痛みが走る。
「つっ!」
「捻ったか。歩ける?」
歩けなくもないかもしれないが、歩くにはちょっと厳しい。
首を横に振ると透は私の上靴を脱がし、外靴を履かせると当たり前のように背中を向けしゃがむ。
「ちょいと恥ずかしいかもしんないけど、歩けないならな」
おんぶして帰るってこと?
「ホントに恥ずかしいんだけど、それ」
「でも歩けないんだろ? ならこうするしかないじゃんか。どうせこの時間、あのあたり人なんてほとんど歩いてないんだから、まだましだろ」
うう、人目もそうだけど、そう言う事じゃないんだけど――だめね。こうなったら透は頑固か。
観念って言葉が頭をよぎり、結局おんぶしてもらう事に。
なるべく上半身を離して、おんぶされながらも家路についた。安定はしないかもしれないけど、ちょっと、ね。
胸を押しつけるなんて度胸もないし、自信があるようなサイズでもございませんと。
「こうやって女子をおんぶするのに、抵抗はあまりないんだね」
「まあ、なんだかんだで、はるか年上だけど、女性に慣れてるせいかなぁ」
きっかり父親の血を受け継いでいる、そんな気がしなくもないのだけど、そこは黙っておこう。
風が吹き、少し身を震わせる。春先とは言え、北海道にとってはまだ温かいとはちょっと言い難い。
それでも透の首筋とかに汗が浮き出ていて、やっぱり大変なんだろうと思ったけど、もうここまで来たら最後まで頑張ってもらいたいかな。
男の子らしいところ、ちょっと見てみたい気もする。
「こうするのに抵抗がないなら、前の時もおんぶすればよかったのに」
しばらく答えが返ってこない。
「透?」
「ああ、下級生の、ね。あの時は、別に大した、怪我もしていない様子だったし、甘やかしても、いざ1人の時に同じ事になって、誰も助けてくれない時、困るだろうからさ」
着替えを自分でしなさいとか、歯を自分で磨きなさいとか、それと同じ感覚ってことかな。
それならまあ、納得かな。
こうやってちょっと無理そうな時には、ちゃんと助けてくれるしね。
うちの玄関の前まで来て「部屋まで送るか?」と聞かれたが、さすがにそれはお断り。
部屋が汚いとかそんな事はないけど、さすがに部屋へ上げるのは抵抗が。ましてや相手が透ならなおさらよ。
玄関の前で降ろしてもらい、幾分かマシになった足で立つ。
「ありがと、透」
「どういたしまして、だ」
透が自分の鞄に括り付けていた私の鞄を分離させると、ポケットから綺麗にラッピングされた小さな袋を乗せて、手渡してくれた。
鞄を受け取り、小さな袋を手に取って眺める。
「これは?」
「えっと……誕生日、だったりするよな。今日」
覚えてくれてたんだ。
中学にもなって誕生日をいちいちアピールするのもどうかなって黙っていた分、よけいに嬉しい。
「さすがに、みんなの前で渡すとか、恥ずかしいしな」
「だから一緒に帰ろうってことだったんだね」
「ああ」
結構頑張ったのか、透の呼吸がまだ微妙に荒い。これ以上付きあわせるとなんか気の毒な感じ。
早々に帰って休んでもらおうかな。また明日も会えるし。
「とにかく、ありがとう。透」
「ん」
「帰ってゆっくり休んでね、また明日」
「ああ、またな」
手を振り、家の中に入ると玄関の姿見に当然の事ながら自分が映った。
すっごいニヤケてる……うあ、恥ずかしー!
痛む足もなんのその、急いで自分の部屋に入ると鍵をかけ、鞄を机の上に放り投げると制服のままベッドに横たわり、袋を掲げ、まじまじと眺める。
小さな小さな贈り物。だけど喜びに大きさなんて関係ない。
いつまでも眺めてるわけにはいかないと、開封。
中にはリボン付のバレッタが。中央には薔薇の形をあしらっている陶器製の物がくっついている。
いくつか持っているが、ちゃんと被ってないあたり、見てくれてるんだと思うとニヤケが止まらない。
「明日、つけていこ」
翌朝、バレッタをいじりつつ、透が来ないなと思っていると先生がHRで告げた。
「柴野君は骨にヒビはいったらしく、しばらく入院だそうだ」
……え?
骨にヒビ。
原因はどう考えても、私よね。そんな状態で、おんぶして送ってくれたって事?
一晩立ったらほとんど痛くなくなった私の足なんかよりも、きっとはるかに痛かったのに、なんて無茶してるのよね。
申し訳ないって気持ちもあるけど、呆れる部分もあるわ。
でも、それが透の優しさの信念か。馬鹿みたいだけど、すごいよ、透。
だから私にも、護らせてね。
目を閉じると、透の声が聞こえる気がする。
私を呼んでいる、そんな声が――




