序文1 アホ毛天使と触覚悪魔との出会い
俺が跳躍すると同時に、足元の流氷を張り出して防壁を展開する。
それでもかまわずに刀を振るう。
ガキンッ!
氷をいくらか砕くが、刃は通りきらない――だがこれでいい。
「ティーネ! ゲネス!」
彼女達の名前を呼ぶと、海の中から流氷を透過し、悪魔の羽と天使の羽をはばたかせ
た2人が姿を現した。
「いっけー!」
「そこですね」
キュンッ!
左右から一点めがけ、光の矢を放つ。
破砕音を立て砕け散る流氷――あまり大きくはない穴だが、十分すぎる。
(菜緒――)
彼女がこの瞬間を逃すはずがない。
「このチャンス、逃さない!」
俺の後方で闇を腕に纏い、構えていた槍を突き出すと黒い閃光が一直線にその穴へと吸い込まれ――流氷の防壁は水風船のように、内側から破裂した。
至近距離でその爆砕に巻き込まれる。
腕を交差し、身を固めていた俺は遥か後方へと吹き飛ばされた。
氷でごつごつとした流氷の大地に叩きつけられ、それでも勢いは止まらず滑っていく。
背中がゴリゴリと痛い――だけど。
(うまくやってけるかもしれないな……)
1・アホ毛天使と触角悪魔との出会い
世界にはサーバントとか呼ばれるのやらなんやらと、人類最大の兵器である銃でさえもあまり効かない、並の人間にとっては脅威でしかない化物がうろつくこの時代。
それを退治出来うるだけの特殊な力を持った人間は若い年代に多く、彼らは撃退士と呼ばれ常人とはかけ離れた力と身体能力を有した存在。
そんな奴らが集う学校、久遠ヶ原学園。
そこに居る奴らはみんな、学生として過ごしながらも各地の依頼を受け、化物達と日々、切ったはったを繰り返している猛者達である――。
「はずなんだけどな……」
俺の溜め息は空気中で白くなって、掻き消えていく。
横に目を向けると、寒さにも負けずグラウンドで声を張り上げ、練習着に身を包んだ野球部が普通に野球をしている。
向こうの方ではサッカー部が、ごく普通にサッカーしている。
……風景とか、どう見てもごく普通の学校だよな。
だけどこの学園に居るからには、彼らだって撃退士のはずだ。しかも2年や3年、果ては大学生まで混ざっているだろうから、もうずいぶん経験を積んだ、正真正銘の猛者達のはず。
それこそ身体能力は落ちこぼれというレベルさえも、オリンピック選手のそれよりはすでに上だろう。
だけど、やれ「サード、ゴロの処理が甘い!」だの「戻りが遅いぞ! ボールと全体をよく見ろ」だの、やってる事もただの学生だ。
土曜で休み、しかも部活に入ってもいないくせして上着こそ脱いでるけど制服姿で校庭を走っている俺が、バカみたいというか、恥ずかしいな……。
思わずため息を漏らしていると、校内放送のお知らせチャイムが鳴り響く。
「あー……1年。柴野 透。職員室。」
ブツッ。
それだけで途切れる。終わりの為のチャイムもなし。
あんなやる気のない放送をする教師は、知る限り1人しかいない。
担任の小野 幹男教諭。その人だけだ。
俺が今日学校で訓練してるのを知っているのは、教師陣の中ではあの人しかいないはずだな。確か挨拶したのは小野先生くらいだったし。
だから休みなのに俺を名指しで呼び出すのは、不思議でもなんでもないが――なんというかな。
――胸騒ぎがする……。
「つめて……」
頬に当たる冷たい感触。空を見上げると、ちらほらと雪が。それも水っ気の強いミゾレ雪だ。
……俺の今の心境、まんまだな。
「こうしてても仕方ないし、行くか――」
「失礼します」
職員室に踏み込み、まず俺の目を惹いたのは振り向いた2人の少女だった……まあ歳は俺と同じくらいだから、少女って言い方もアレだが。
1人はやや背が低く、細くしなやかな金糸の様な髪に碧眼、日本人ではまず見ない綺麗な白い肌と美少女要素を感じるが、アホ毛があって頭部に玉ねぎ状のお団子縛りと、微妙に残念だったりする。
似合ってないわけじゃないが――うん、玉ねぎとしか言いようがない見事なお団子。
首の後ろで結ぶ紐式の白い腰までキャミソールに、フリルの白いショートパンツと、正直ちょっと寒い恰好だと思う。
あと胸元が大胆な感じもするけども、胸がちょっと……そうまさしく『ちょっと』だな……。
もう1人は見た感じからして俺よりも背が高く、ビョンと伸びた触角ぽい毛が目立つややくせ毛の強いショートヘアーの黒髪に褐色肌なのだが、その瞳が血の様に赤く、人外の気配を感じさせる。
ファスナー付の黒いタートルネックを(嬉しい事に)胸元まで開けていて、その立派な胸と下着を見せつけている――まあ見せブラとかそんな類なのだろうけど。
そして黒いぴっちりとしたジーンズと、全身黒ずくめでカッコいい感じのする美女という感じだ。寒そうという印象は、一緒だが。
「おう、来たな――」
少女達の前でキャスター付きの椅子に座っている先生。
いつもの地味でくたびれた感じのするスーツ姿にネクタイなしと、当たり前だがいつも通りの服装。
髪もぼさっとしていて、見事なおっさんだ――といっても、俺もあんま髪に手を入れてるわけでもないけどな。
いつも眠そうな半開きの眼で俺を見据え、親指で小さい方の少女を指すと続けた。
「こっちの白いのがティーネ・サムエスト。天使だ」
天使――。
ああやっぱりか……ここ最近になって多いな。天界を見限って人間界へやってくる、いわゆる堕天というやつが。
そうなるともう1人は――。
長身の少女に目を向けていると先生は俺の考えを見透かしたのか、手首を返してさらに続けた。
「黒いのが、ゲネス・ベセルスス。お前さんも気づいているっぽいが、悪魔だ」
やはりなぁ。魔界から出てきて人間界に住んでいるはぐれの悪魔も、最近多い。
かつてはいるのかいないのかさえも分からない存在だったのに、ずいぶん身近になったものだ。そういう時代なのだろう。
学園の中にもちらほらとそれっぽい人達を見かけるし、こう、わりかしもう普通に思えてきた。
ただ天使の方は眉根を寄せて威嚇するかのようにアホ毛をピンと立たせ、どことなくエラそうな感じがするお子ちゃまだ。
逆に悪魔の方は優しげで穏やかな笑みを浮かべ、小さく頭まで下げてくる大人な女性と、じゃっかんイメージとずれがある。
天使らしくない、悪魔らしくない。
それが一番の印象だが、だからこそ天界や魔界からでてきたのだろうなと、納得もできた。
「なにかな、この平凡で面白味のなさそうな人。ティーネちゃんの小間使い?」
「私の従者になる方ですか? 私より背が低くて、使えなさそうな方は必要ないのですが」
……初対面で随分な言いようだな、おい。
とはいえだ、うん。お子ちゃまっぽいのと、大人な女性っぽいイメージはどうやら合ってるっぽいな。
「まあそう言いなさんな。これからのチームメイトに」
「はぁ!?」
「エーッ!?」
俺と天使の声がかぶる。
悪魔の方は露骨に残念そうな顔で額に手を当てると、頭を振っていた。それもまた失礼な態度だけどな。
小野教諭はマジマジ、大マジと、全然マジじゃなさそうな言い草で答えるが、実際にマジなのだろう。そういう人だ。
「ティーネちゃんはね、未来の大スターなんだから! もっと釣りあう人がティーネちゃんはいいなぁ」
「盾くらいには使えるとしても、そうなると使い捨てになってしまいますよねぇ。それほど頑強そうな方でもなさそうですし」
なんか勘違い天使もアレだが、悪魔の方も丁寧でしっとり落ち着いた声でなかなかえげつない事を言ってくる。さすがは悪魔か……。
互いに俺の酷評を述べると、今度はお互い睨みあう。
「そもそも下賤な悪魔と一緒だなんて、天使で高貴な大スター・ティーネちゃんの汚点でしかないし!」
「あら、高貴な方なんてどこにいらっしゃるのですか。色々小さすぎて見えませんわ」
「色々ってのは背!? それとも胸!? どうせ小さいよ、チクソー!」
「ついでに器とオツムもですよねぇ」
くけーっと両手を掲げ、アホ毛をギザギザにして威嚇する天使だが、悪魔は触角を揺らし微笑んだまま、小馬鹿にするように見下ろしている。
「……先生、こいつらどう考えても水と油でしょう」
めんどくさくなりそうだからなるべく声を潜め、のほほんとしている先生へ暗に無理と伝えてはみる――が、やはりそんなの聞いちゃくれなさそうだ。耳ほじってるし。
「とりあえず柴野、こいつら入学したてで勝手わからんだろうし、お前さんがリーダーってことでな」
だよなぁ……こいつらのどっちかがリーダーやれば絶対、残った方を弾き出すか、俺含めて弾いて再編成すると言いだすだろうから、そうなるなとは思ってたが――勘弁してくれ。
「無理です。俺、リーダーとかは向いてませんから」
向く向かないよりはむしろ、この2人をどうにかできる自信がない。
今こうしている間にも2人の言い争いは熾烈……いや、一方ばかりが熱くなって片方は冷ややかというか、楽しんでいる気がする。
「悪魔のくせに!」
「悪魔である事を恥じた事はありませんわね。むしろ天使でないことに、誇りを持つくらいですわ」
うん、今のはよくわからん。やはり天使には、悪魔よりも上の存在だとかそんなのがあるのだろうか。
きっと天使である事が、彼女にとっても誇りなんだろうな。そこは悪魔も同じ理屈のようだが。
「自慢げに胸なんか開いて、寒そうだっての!」
「寒そうでいえば、あなたの方がずっと寒そうですがね」
それは悪魔に同意。悪魔も寒そうだけど、それ以上に天使の方がもっと寒そうだ。
「へへーん。天使はね、悪魔や人間と違って寒さなんか関係ないんだよーだ」
「それは私も同じですが?」
ああそうなのか。確かに人間とは身体を構成している物質からして違うとか、そんな話を聞いた気がする。
暑さ寒さも感じない、そういう身体なのだな。そこが人間とは別の存在だとかの証明なのかね。
でも天使は知らなかったのか、悪魔も寒さを感じない事を。
噂とか眉唾な情報ばかりで、思ったほど正確に伝わってないのかもしれないな。それもお互いに。
もはや特に思いつかないのか、頬を膨らませて半泣き状態の天使。対して悪魔はかなり余裕。
どう見ても精神年齢の差だな。
「この巨乳!」
「それはありがとうございます。貴女は憐れですわねぇ……」
「はうぅぅぅぅ!」
けなしてもいないし――褒め言葉とも違う気がするが、少なくとも悪魔にダメージはない。
むしろ何処が憐れなのか悪魔の視線が物語っていて、見事なカウンターで天使の方がダメージ受けてる。
というか、胸にこだわるな……やはりかなり気にしてるのか。
こんな状態でこいつらのリーダーになれってのは、やはり酷な気がする。
「どう考えても無理だろ、まとめるの……」
「そこはそれ、あれだ――お前さん好みの女に調教すればいいじゃないか」
……頭イテェ。
「教師がそういうこと言うのは、どうかと思うんですけど」
「おおワリィ。言い方が変だったな――お前さんが天使と悪魔を手なづけりゃいいってことだ」
たいしてかわんねぇよ、おっさん。
言葉にしたわけではないが俺の思った事は伝わったようで、先生は腕を組んで考えるそぶりを見せてから、ゆっくり口を開いた。
「こいつらを見ても分かる通り、自分の世界に反発して人間界へやってきても、お互いの存在を疎んでやがる。しかも人間まで軽視する傾向にある」
確かに。
「そこで身近な所からお前さんみたいなのがまず、天使と悪魔と人間はここにおいて平等であるのをわからせてやれや」
なるほど……でもそれって――。
「本来は教師や大人達の仕事では」
俺を見ながら口を開け、首をかしげる先生――何か変な事言っただろうか。
「お前ら、全校集会とかで俺らが『天使と悪魔と人間はここにおいて皆仲間、仲良くしましょう』なんて言ったところで、効果あると思ってるのか?
俺ら大人ができるのはそういうところくらいで、風潮を作るくらいだ。個人個人を変化させれるのは、もっとも身近な奴らの言葉や生き方だろう?」
先生の言葉に思わず凝視してしまった。
意外だな、この先生がそこまでまじめに考えてるなんて。
「ま、のんびり気楽に構えろや。女好きなんだから、うはうはだろう?」
「……その言い方は心外ですが」
どう聞いても悪い意味にしか聞こえない言葉だし。
違うのかとしれっと言い放つと、ゆっくり立ち上がる――おお?
両手を広げ、こちらにずんずん歩いてくるのはいいが、俺がいても止まらないし、他の2人もまとめて押してくるし、地味に膝が当たって痛いし。
「まあ決定なんでな、4の5の言わずにがんばれや柴野。こいつらは魔法系で近接はさっぱりだから釣りあうだろ――あとの事は廊下でやれや」
そう言った小野教諭は戸を開け俺ら3人を順番に、蹴りではないのだが足で廊下に押し出す。
サンダルを脱いだあたり少しだけ良心的だけど、教師として如何なものよ……。
「暴力教師!」
「足蹴とはひどいですねぇ」
ああ、やっぱり同じように思ってたか。
矛先が先生に向いたようだが、すぐにお互い、横の相手を睨み付ける。
「貴女のせいで、追いだされてしまいましたわね」
「ティーネちゃんのせいじゃないよ! そっちのせいだよ!」
「……どう考えても貴女のその声、大きすぎるかと存じますが」
うーんそれはあるが、焚き付けないでもらいたいなぁ。
職員室を追い出され廊下の中央でも構わず、ぎゃんぎゃん騒ぎ立てる2人。いや、主にうるさいのは天使だけど。
しばらく放置しようかとも思ったが、そろそろ迷惑というか目障りになってきたか。
どうしてやるか……とりあえずそっと忍び寄ってと。
腕を組んだまま小馬鹿にするように腰を曲げ、天使に顔を近づけている悪魔の後頭部を、ほんの少し――そう『ほんの少し』だが、勢いよく押し込んだ。
ゴンッ。
「あたっ!」
「つっ……」
悪魔は眉根を寄せて赤くなった額を押さえ、天使は少し涙が滲んでいた。
ちょっと強すぎたかも。
キッと天使が俺を睨む。
「背が伸びなくなったらどうすんだ!」
「知るか!」
詰め寄る天使に渾身のデコピン。地味に痛い一撃をお見舞いすると、おおうと呻き額を押さえてしゃがみ込む。
「お馬鹿な天使、憐れですね」
「油を注ぐな」
明らかに嘲笑している悪魔の鼻っ面にも一撃。先ほどのヘッドバットは耐えたが、今回は耐えれなかったのか、こちらも鼻を押さえてしゃがみ込んだ。
どちらも目に涙をためて、俺を睨み付けてくる――まあお互い言い争うよりはましか。
「人間の男は、女性に優しいとか聞いてるんだけどー……」
「下心から、最低でも優しいフリはすると、私も伺ってますね」
人間についてどうにも偏っている気がするなぁ……でもわりかし正しいか。
「それはあながち間違いでもないが、俺からすれば優しいのと甘やかすのは違う」
女性に優しくは確かに俺の信念だが、なんでもほいほい言う事を聞いていたらその人の為にならない。
しかもこいつら、どう考えても人の言葉を素直に聞き入れるタイプじゃないし。
こうなってくるとデコピンくらい、許されてもいいと思う。
そもそも優しくされるつもりでいる女性を放置しておけば、将来的には何もできない女性か、見事に使い分ける悪女にでもなってしまう。
それを阻止するのも優しさだろう、きっと。うん。
だから恨まれようとも、間違いをわかりやすく正すべきなんだ。
対価こそ求めないが、巡り巡って俺にもプラスになると思ってるからな。だから必要であれば助ける、助ける必要がなければむしろ助けない、それが俺の優しさだ。
――もっとも、あいつだけは例外だけどな。
「廊下では騒がないで。邪魔よ」
背後からもっともな言葉が。
振り返ると、よく見知った女生徒と視線が合う――が、彼女はふいと目を伏せ顔をわずかにそむける。
「悪いな、菜緒」
謝罪するが、菜緒からの言葉は無し。
最近ずっとこんなもんだから、気にはしないけどさ。
口を開かない菜緒の代わりに菜緒の背後から、2人の男子生徒が口元を歪め、キノコみたいににょっきり生えてくる。
ヒョロいノッポ(まあそんなにすごく背が高いわけではないが)とワカメ頭の2名。
2人の視線は確実に俺を見据え、どう見ても侮蔑の眼差しとかいう感じだ。
まずヒョロくて俺よりもほんの少し背が高い方――どちらもコウダのはずだが、どちらも字が思い出せん。まあヒョロノッポはコウダ1号としておこう――が口を開いた。
「山崎さんはお前みたいなチビと、話す事は無いってさ。
足を引っ張って、山崎さんに怪我させたのはお前だもんな。口も聞きたくないだろうねぇ」
――返す言葉もない。もう半年以上前の話か……。