3-2 ~手がかり~
「まずはどうして私が異世界という存在を知っているのか教えようか」
目の前に山のように積まれた本から一冊だけ取り出してページを捲っていく。
パラパラと変わっていく挿絵を見つめながら説明を待つ。
「この部分に記述されている地球という世界が君のいた世界……で間違いないはずなのだが……」
レティオが指差した場所を見れば、そこには確かに地球という文字が書かれていた。
「確かにそうだ……レティオは読めるのか?」
そのページに書かれているのは日本語だった。この世界の言語とは違う。
「読める。軍医をしていた時に、一度だけ異世界から来た者と話したことがある。その時に教えてもらった……」
『嘘だな。一度しか話してねぇのに、そこまで話せるとかありえないだろ。自分から嘘ですって言ってるようなもんだぜ?』
どうやら、フィレントはレティオに対して、不信感を抱いているようだ。
「嘘ではないさ。それよりも、大事なことは別にあるはずでは?」
はぐらかすような答えに、フィレントは満足してはいなかったが、たいして興味も無かったのか、問い質すことはしなかった。
「そうだ……俺は帰らなければいけない。俺は地球に帰れさえすればいいのだ。レティオが嘘を付いていたとしても、それが目的に支障を来さなければ構わないだろう」
あくまでもダルクは自分が地球に帰れるかどうかを問題にしていた。何の手がかりもない状態では、何にでも縋りたくなるのも事実。
それを聞いたフィレントはつまらなさそうに顔をしかめた。
『ふーん。つまんねぇの……帰る前には解放してってくれよ』
「ああ。お前まで地球に連れて帰る訳にはいかないからな」
地球で術なんてものを使ってしまえば、とんでもない騒ぎになるのは目に見えている。ダルクは少しだけ想像してみて、溜息を吐いて首を振った。
だが、置いていくわけにもいかないようだ。
「いや、それは困るね。それだと、また封印をしなければいけなくなるかもしれない」
2000年前の封印方法を知っているということだろうか。それとも、封印方法と言えば一つしか無いのかもしれない。2000年前は神によって封印されたらしい。となると、人間が封印することは不可能ではないか。
だが、それもダルクなら可能だろう。
『封印されるのはごめんだぜ! そんな訳で連れてってくれよ! な、ダルク、良いだろ?』
地球に連れて行ったとしても、表に出す訳にはいかないのだから、同じようなものだと思うが……それでも、フィレントは封印されるわけにはいかなかった。
薄暗く気味の悪い空間を漂うのが心地よいはずもなく、記憶を封印され、自分自身のことも分からなくなる……そのせいで、大切な何かを思い出せなくなっている。
その点では、フィレントとダルクは少しだけ似ていると言っても過言ではないだろう。
「仕方ない……お前は異世界のことも多少は知っているのだろう? 絶対に地球で目立つ真似はするな」
嬉しそうなフィレントは静かに笑い、そして真剣な顔になった。
『それで、あんたは何のためにダルクをここに運んだ……随分と2000年前のことを調べてるみたいだけど、俺のことも知ってんのか?』
「記録にある程度なら、今すぐにでも確信をもって教えることもできるが……」
「いや、フィレントに関しては後でいい。書物に書いてあることよりも、本人が思い出した方が正しいだろうから……俺をここに運んだ理由は話してもらいたいのだが」
フィレントの記憶は石に封印されていただけであり、それがダルクの中にある限り、いつかはフィレントも思い出すと推測される。
レティオは先ほどの本をダルクに手渡した。
「それに関しては、この本の説明からさせてもらおうかな。これは1500年前に書かれた本で、異世界から来たものの証言が、こちら側の神聖文字と向こうの様々な文字で纏められている。これを書いたのは……日本人で10歳の少年らしい。この本はほぼこの少年の記述で埋められているようだ。これなら君も読めるだろうから貸しておこう。参考にして欲しい」
10歳の少年……日本人……確かに神隠し事件に巻き込まれていそうだ。10歳とは思えないくらいの、きちんとした文章、筆跡……そして状況判断。
異世界に飛ばされた後、少年はどうなったのだろう。1500年前の話だ。今では死んでしまっているだろう。
「ありがとう……それにしても、俺はこの世界に来てから日本語を話しているつもりなのだが、全く別の言語なのだろうか? 本に書いてある文字が違う」
「以前に日本語を聞いたときは、全く理解できなかった。どうして君がこちらの言語を話せるのかは分からないが、もしかしたら、君はこちらの世界の人間だったのかもしれないね」
それは、ただの案でしか無かった。だが、そうだとすると、幾つかの部分が繋がりそうな気がして、ダルクはゆっくりと頷いた。
こちらの世界と関係のありそうな言葉。異世界の言語を話せる自分。記憶喪失。そして、2000年前。
「……元々がこちらの人間かもしれない、ということは、神隠しに遭うのが2回目ということなのだろうか」
何かが繋がりそうで繋がらない。ダルクは悔しげに眉をひそめた。
(俺がこっちの世界の人間だとすると、陵は……あの親は……分からない。四つの力が関係しているのは2000年前、記憶喪失…………俺は、何者なんだ?)
「そこまでは分からない。神隠しに遭ったわけじゃなくても、神に愛されているという可能性だってある。神に愛された者には特別な力が与えられるらしいのでな」
神に愛されることは幸せなことだった。特別な力が与えられ、そして、死後の世界では精霊、妖精の類として神の傍に暮らす。それは全ての人の憧れだった。
神に愛されることは不幸なことだった。特別な力は我が身を滅ぼし、そして、死後の世界でも、制約の中で拘束される。それは、長い年月と共に、自身を腐らせていく。そして、いつかは、神に見放される。
フィレントは知らず知らずのうちに溜息を洩らした。
「神、か……この世界には本当に神が存在するのか? とても信じられない……いや、精霊が居るのだから神ぐらい居てもおかしくは無い」
感覚が麻痺してきたのか、それとも、こちらの世界に関係がありそうだからなのか……今の段階では判断できない。
フィレントは複雑な心境でダルクを見ていた。それは、フィレントの脳裏に、ある可能性が浮かんだから。
それは、とても残酷なことで……全てを誤魔化して、神から逃がしてやりたい衝動に駆られた。それは、不可能なことだけども、確かに、出来るのならそうしてやりたい。
フィレントは気付き始めていた。
『そっちの世界にも神様は居るぜ? お前らのとこの今の神様は放任主義だからなー……でも、大事なのはそこじゃないぜ。お前はその神に愛された存在って考えた方が近いだろうな……だが、』
気を付けろ、と続けようとした声は遮られた。レティオが話の流れを修正しようとしたのだ。
フィレントは忌々しげな表情をしたが、あいにくとダルクには見えていなかった。
「君がどちら側の人間であるにしろ、君は元の世界に戻りたいのだろう?」
人間にとって、神からの寵愛は何にも勝るもの。それさえあれば、地位、金、愛、それ以外にも望む全てが手に入る。
だからこそ、逆説でつながる言葉など、想像もしていないのだ。フィレントは、レティオがダルクの手助けをしていなければ、すぐにでも燃やしてしまいたく感じた。それは無知な人間への苛立ちから来るものなのか……フィレントはそう思っていた。
知らないままで過ごせるなら、それに越したことはない。まだ決まった訳では無いのだ。
「そうだ。俺はここに居ても良いのだが、陵が悲しむだろう」
そんなフィレントの心情など知りもしないダルクは、どこまでも陵のことを心配していた。陵にとっての世界は地球だ。だから、ダルクにとっての世界も、地球になった。
双子のような存在だった。
「陵というのは地球での知り合いかな?」
そういえば、詳しくは言っていなかったな……ダルクは最初から話しておけば良かったと思いながらも、苦笑しながら曖昧に告げた。
「俺の、もう1つの人格とでも言うべきか……記憶喪失だけではないんだ。色々と複雑なんだ…………」
自身でも分かっていないことを聞かれて、言葉を引き出そうと努めるが、思うようにはいかない。曖昧な言葉を重ねることしかできない。
「二重人格、か。実際に患者を見るのは初めてだ。その子が帰りたいと言ったのかな」
「こちらの世界に来てから、陵は眠っている。元の世界に戻れば起きると思うのだが、確信は無い」
こちらの世界に飛ばされて、精神が不安定になってしまったのかもしれない。地球に戻れば……それだけがダルクの考えられる方法だった。
『なぁ、お前らって本当に二重人格なのか?』
別のことを考えていたダルクだったが、二重人格について疑っている節があるらしく、二人の会話に割り込んだ。
「ああ……他にどう考えればいいのかが分からない……何か気付いたことでもあるのか?」
『え? あ、いや……元の世界に戻れば起きるかもってのがなぁ…………』
「こちらの世界では行動出来ない……そこが問題か」
行動できなければ何なのか。ダルクはぼんやりと答えを思い浮かべた。引っかかるものは何も無かったが、それが普通では無いことも自覚していた。
だから複雑で説明不可能なのだ。
フィレントを射抜く瞳は真剣だったが、それに対して素直に答えを教えるわけにはいかなかった。これは、神の怒りに触れることだ。
『あ、ああ……』
声は震えていた。フィレントは気付いた。ダルクは、悪い意味で、神に愛されている……そして、望まれている。
その陵という人格も…………もしかしたら既に……。
「ダルクにも確信は無いと言っている。勘違いしているだけで、そのうち表側に出てくるかもしれない」
『そうだな……特に問題は無い、よな…………』
フィレントは自身の考えを否定する。まだ大丈夫だと言い聞かせる。また、失う訳にはいかない。
「フィレント? どうかしたのか?」
『いや、ねんでもねぇ。二重人格の奴に憑りつくのは初めてだから、精神世界で会ったりするのか、とか考えてただけだからさ』
ダルクは信じたのかどうか……精神世界での邂逅を想像して、僅かに微笑んだ。
「そうか。気になることがあったら、すぐに言って欲しい」
その言葉に、フィレントが安堵の溜息を洩らしたことは言うまでもない。ここでダルクの心を折ってしまう訳にはいかなかった。
『ああ。分かってる。任せとけよ!』
「早く元の世界に帰れるといいのだがね……」
「これを読めば帰る方法が分かるのだろうか?」
他のページをみてみると、半分から後ろのページは日本語で埋まっているようだった。細かくみると英語や中国語も混ざっているそれは確かに役に立ちそうだ。
元の世界に戻る方法が分かるかもしれない。
期待を寄せてレティオを見ると、申し訳なさそうに首を振られた。
「残念ながら元の世界に帰る方法はあるが、それは不可能に近い。ここに書かれている者たちの殆どが失敗に終わり、帰ることを諦めた」
ダルクは残念そうな顔をした。不可能に近いと言われれば、もう諦めるしかないのかもしれない。
だが、聞いてみなくては分からない。
「……どんな方法なんだ?」
「時空の裂け目を作って飛び込むのだ。この世界とダルクの世界は時空の女神によって繋がれている。その女神が居る場所は時空の狭間と呼ばれ、そこを通らなければ普通の人間が異世界へ飛ぶことはできない」
時空の狭間に住む女神。ダルクは、再び出てきた神の存在に、自分が本当に神に愛されているのか不安になってきた。愛されているのなら、願い通りに、地球へ運んでもらいたいものだ。
もしかしたら、この女神からは嫌われているのかもしれない。だから異世界へ飛ばされてしまったのかもしれない。
見当違いの方向へ進みかけた思考を戻しながら、キーワードとなる単語を思い返す。
「時空の……裂け目? それは作れるものなのか?」
「帰れなかった者たちは作ることすら出来なかったのだ。それほどに時空の女神に管理された時空の狭間は安定していた。ほんの乱れも許さないというように……当時から考えると今は時空の裂け目を作りやすい……力のバランスが崩れてしまったからな…………」
説明しているレティオの顔が少し曇ったような気がした。遠くで揺れる蝋燭の影が寂しげに揺れる。
内容は俺にとって嬉しいことのはずなのに喜べなくなってしまう。不意に訪れた沈黙が告げるのはこの世界の人たちの不運なのだろう。
「そのせいで、無関係のものが多く運ばれ、連れ去られていく。この世界にも数百人ほど異世界の者が訪れ、帰ることが出来なかった。この世界から運ばれた者たちがどうなったのかは分からない。帰れなかった者たちの中には拒絶され、差別され、無残な最期をとげた者もいた。残念だが時空の裂け目は本当に帰りたいものの所には現れなかったのだ。私は……この時空の歪みを消そうと努めてきたのだが……その方法を見つけたのだ。そして、これはおそらく君の助けにもなると思う」
『なるほどな』
フィレントは原因に心当たりがあった……それはもう大いに。
「どういうことだ? 時空の歪みを消すと時空の裂け目も出来にくくなるんだろう?」
逆効果じゃないのか、という言葉は激しく燃え出した蝋燭に吸い込まれて消えてしまった。
「時空の裂け目を作り出す原因があるのだが、それを上手く制御できれば時空の裂け目を消し去り、同時に時空の裂け目を作ることも理論上は可能となる。そして、それはおそらく君にしかできないだろう」
「どういうことだ? なぜ俺にしかできない?」
もったいぶる必要がどこにあるのか。最初から全てを話せばいいのに。
「それは今から説明しよう。君はあの森で祠を見つけたね? そこに封印されていたもの……つまり、フィレント君が時空の裂け目の原因だろう」
「フィレントが原因とはどういうことだ?」
「あの祠は2000年前に作られたもので四つあり、それぞれに精霊が一体ずつ眠っている。その精霊は2000年前に突然降ってきた光から生じたもので従来の精霊とは違っている。当然のことだが、人々から恐れられるくらいに強力な力を持っていた」
「また2000年前、か。その頃から碌なことが起こっていないようだが、何か理由があるのか?」
ダルクの疑問はもっともなことだったが、2000年前の真相など、ただの人間が知っているはずがない。推測ならば、何百通りもの説が出回っているが、その中で正しいものは1つも無いはずだ。
どこかで尾ひれがついて、どこかで改竄されている。
「その力が、二つの世界のバランスを狂わせた。均衡が取れなければ、どこかで帳尻を合わせようとする。大きな力のせいで、こちら側から運ばれる人間が出た。精霊を封印すれば、こちらから飛ばされた者の分を、君たちの世界から連れてくることになる。そして、祠の効果が切れれば、また繰り返す……」
「そういうことか……だが、それでは、俺が死んでしまうと、また同じようなことが起こるのではないか?」
ダルクが元の世界に帰れたとして、そこで死ねば、フィレントたちもまた契約からは解放される。
だが、レティオには考えがあった。そしてフィレントも知っていた。
「精霊は、自身の存在を消すことが出来る…………この認識で良いのかな?」
『ああ。その代わりに、自身の願いを1つだけ叶えてもらうことが出来る。俺は別に構わないぜ。その願いを有効活用してくれればな』
フィレントは笑っていた。
レティオはさして気にした様子もなく、ダルクを見つめた。そう、レティオにとっては、フィレントという精霊の消滅など、大したことでは無いのだ。
ダルクは考えるように目を閉じた。被害の拡大を防ぐために、四体の精霊を消す……それは合理的なように見えて、何かが違うような気がした。
全てが繋がってしまえば、自分にとっての四大精霊の立ち位置が分かれば、もっと別の方法が見つかるかもしれない。
暗闇の中を巡るのは、流れ込むフィレントの記憶。その思考を読み取るほどに、分からなくなる。
そのまま意識を押し流されてしまえば、そこはいつも通りの暗闇だった。
どうして、追われているのだろう。それは、神に愛されているから?
どうして、守れなかったのだろう。それは、相手が神だったから?
力を持っていても、より強い力を持っている奴はいくらでもいる。俺たちにとっての不幸は、何だったのか。
相手が悪かったから……言い訳染みた言葉を繰り返したところで、取り戻すことは出来ない。手の届くところに、その姿は無い。
俺たちは散り散りになり、眠りについた。暗い場所に押し込められて、閉じ込められて……何もかもを忘れて眠り続ける。
今になって外に出てみれば、その当時から2000年。昔と変わっていない景色が、より虚しさを増幅させた。
それでも、誰かに呼ばれているような気がして。気付けば周囲は紅く染まっていた。最後に見た夕陽のように。
誰かが待っているような気がして。誰かが近付いてくる。その度に、世界は色付いていく。
誰かが必要としてくれている気がして。自分の存在意義をくれる。あの頃は見ることの無かった青空が広がる。
手を伸ばせば、新しい守るべきものが目の前に居た。
今度こそ、守り抜かなければいけない気がした。
たとえ、どんな手を使ってでも、同じことは繰り返さない。
だから、俺は、いつか、消えるのだろう…………それも、そう遠くない未来。
幸せそうに笑っている少年の顔が思い浮かんだ途端に、迷いは消えていく。
守れるのなら……それも、悪い選択ではないな……。