2-2 ~出会いと予感~
ノエルの後に入ってきた人物を見て、ダルクは僅かに警戒を強めていた。
「この人が私の父さんよ。お医者様に見えないよね。昔していた軍医の名残らしいわ」
レティオと呼ばれた男は医者には不必要だと思うほどに鍛え抜かれていた。軍医とはいえ、軍隊のようなものに入っていたのなら、納得がいく程度だが。
「こら! 余計な事は言わなくてもいい! 娘がうるさくてすまないね。私はレティオだ。よろしく」
見た目に反して、レティオは優しそうな口調で話しかけている。雰囲気だけは親子でそっくりだ。
「よろしく頼む……助けてくれてありがとう」
おそらく、ダルクをここまで運んだのはレティオだろう。2日間も眠っていたという割には、まだ体調がいい方なのはレティオが何らかの治療でも施したか……術などというものが使えることから、飲まず食わずでもどうにかなる術でもあるのだろう。
「気にしないで欲しい。これが仕事だ……ノエルから聞かせてもらったが、記憶がないらしいな」
「ああ、この世界のことを含めて自分のことでさえ思い出せない。それと名前のことだが、少し前まで共に旅をしていた者は俺のことをダルクと呼んでいた。そう呼んでくれればいい」
医者として気になるのか、レティオは記憶喪失だというダルクに難しい顔をしてみせた。だが、すぐに優しそうな顔に戻ってしまった。
「ダルク……か。分かった、私たちもそう呼ばせてもらおう」
「ダルク君ね! よろしく。仲良くしようね!!」
名前がなければやり辛いだろうから自分から仮の名前を教えた。陵以外の人から、仮の呼び名とはいえ自分の名前を呼んでもらえるのは思ったよりも嬉しかった。
「それでダルク、記憶を取り戻して自分の本当の居場所が分かるまで、ここに住んでもらっても構わない」
本当の居場所……それはこの世界にあるのだろうか。どこをどう見ても地球ではない世界。
それとも地球にあるのだろうか。
(陵のことも心配だが、地球にいる陵の家族も心配だ。急に陵が居なくなったのだ。捜索願を出しているかもしれない。どれだけ探しても、地球では見つけられないだろう)
ダルクは思い返したように、家のことを考えていた。気持ちの悪い空間だったが、陵の、育ててもらっているから文句は言えない、という言葉にはダルクも同意だった。
神隠し事件のことを知っているかどうかは分からないが、2度目の行方不明になるのだ。かなり心配しているのではないだろうか。
(戻れる可能性が低い以上……この世界でも安心して休める家は確保しておくに越したことはないだろう。ここはこの申し出をありがたく受け取るべきなのだろうか……?)
この家を出たところで右も左も分からないのだ。とりあえず、ここで情報を集めてからにしよう。
だが、タダよりも高いものは無いという言葉も存在する。ダルクは念押しのように問いかけた。
「だが……迷惑ではないだろうか。俺は金も持っていなければ、役に立てそうなこともない」
「遠慮しなくていい。困っているときはお互い様だ。見たところ、ノエルと年も変わらないだろう……そんな子供を放り出したりはしないさ。そんなに気になるなら、ノエルの手伝いでもしてみてくれ。それほど難しくないはずだ」
その言葉に一応の安心はできたのか、この家の世話になることを決めた。
「……感謝する。できればこの世界について教えてくれると助かるのだが……」
「それは私が教えるわ。父さんは仕事で忙しいもの。いいでしょ、父さん?」
綺麗に笑ってこちらを見てからレティオに尋ねた。その笑顔があまりにも綺麗だったからか、それとも何か記憶に引っかかる事でもあったのか……何故かノエルの笑顔が頭から離れなかった。
人との関わりが無かったダルクにとって、初めて話せた人は特別なのかもしれない。
「ああ。まだ熱が下がっていないようだから、しばらくは薬を処方しておこう……くれぐれも無理はしないように」
顔が赤くなっているのだろうか。レティオは見ただけで熱が有ると断言した。
体調は悪い方ではない。それよりも、早くこの世界に慣れなければ。
「大丈夫だ。それよりも早くこの世界のことを教えてくれ」
そう頼み込めば、レティオは溜息を吐きながらも許可をくれた。
ノエルは僅かにダルクを心配する素振りを見せたが、すぐに笑顔に戻る。コロコロと表情が変わる少女だ。
初めて見た他人の笑顔は思ったよりも強くダルクの胸に響き続けている。
「ふむ……調子が悪くなったりしたらすぐに言ってくれ。それでは私は店の方に戻るとしよう。記憶に関しては焦らない方が良い。時がくれば次第に戻る……そういうものだ」
難しそうな顔をしていたレティオはそう言って部屋を出て行った。やはり記憶について考えていたのだろうか。以前にも記憶喪失の患者が居たのか、やけに自信有りげな呟きを残していった。
部屋に残っているノエルは再び地図を広げた。それの中央……ネイティアを指して先ほどより詳しい説明をしてくれた。
「このネイティアには中央に王族の方々が暮らす城があるの。2000年前からあるらしいけど、とっても綺麗な建物らしいわ。地下もあるらしくて、怪しい儀式を行っているって噂もあるけどね……あまり良いイメージはもたれていないわ」
地球でいうところの錬金術だろうか。実際に魔術のようなものがある世界だから、あったとしてもおかしくない。
「怪しい儀式?」
「王族に関する噂は絶えないから、想像以上にたくさんの説があるわ。この話は後でね」
ネットやテレビが無い世界だから、遠くの情報が噂でしか入ってこないのだろう。実際に怪しい儀式かは分からないが、この世界の王族なら、伝統的な儀式ぐらいあっても驚かない。
「そこから貴族の方々が暮らしているお屋敷、王立騎士軍の方々が暮らしているネイティア本部が順に広がっていて、そこから外は一般の方々……と言っても、ある程度裕福な人たちが暮らしている商店街が並んでいるわ。ネイティアへ行くには船に乗るしか方法が無いのだけれど、最近は一般の船が出ていないから近況が分からないの」
最近の情報が入ってこないのは大変なのだろう。ノエルが不安そうな顔をしていた。
それでもノエルは笑顔で別の大陸について話してくれた。
「この赤色で塗られている右下の大陸がランディオールのある火の大陸・フレアリースよ。伝説によると、四大精霊の火の精霊・サラマンダーが眠っているらしいの。だから火の大陸で、その上にある水色の大陸が水の大陸・アクアリース、左上の緑色の大陸が風の大陸・ウィンドリース、その下の茶色の大陸が地の大陸・グランドリース。伝説では、それぞれ水の精霊・ウンディーネ、風の精霊・シルフ、地の精霊・ノームが眠っているとされているの」
火なら赤、水は青、風と地はそれぞれ緑と黄に塗りつぶされている。
「だからこの色分けか……それで、この大陸は誰が治めているんだ? まさか、全てをネイティアに任せているわけではないんだろう?」
この大陸全てがネイティアの領土だったとしても全てを治めることは不可能だろう。
それに、なんとなくだけど分かる気がする。どこかで見た気がする。陵が以前にこのようなゲームでもしていただろうか?
「その通りよ。それぞれの大陸ごとに領主様が居て、近況をネイティアに伝えたり、色々と役目があるの」
そこがこの世界での大都市だろう。地図上に大きな四角で囲まれた場所が4つある。ネイティアからの情報をいち早く手に入れられるように、全てが海沿いに置かれている。
「その人たちはネイティアの状態は知っているのだろうか。出ていないのは一般の船だけなのだろう?」
領主でさえも状況を知らないのであれば、治めようがないのではないか。ネイティアで何か大きな事件でもあったのだろうか。
「詳しくは分からないけど……たぶん知らないと思うわ。領主様には監視が付いていて、ほとんど自由がないらしいから。その監視役の人たちが情報を握ってるって噂よ。その監視役はネイティアから派遣されてるの」
「どうしてそんな仕組みになっているんだ? 最初から忠実な奴を領主にしておけばいいのではないか」
それでは二度手間だ。その監視役が領主になった方が確実に便利だろう。
「そうもいかないのよ。それぞれの大陸に住んでる人は王都の人々を快く思っていないし……貴族ならまだしも、王族を領主にでもしたら、暴動が起こるかも知れないわ」
「随分と物騒だな。そんなに酷いことをしているのか? その王族とやらは」
「2000年以上前のある王様が暗殺されたのよ。それが女王様の仕業だって噂。それからは権力を集中させて、全領土を征服……今も憎まれてるわ」
2000年といえば、城が建てられたという時期に一致している。もしかしたら、良いイメージが無いというのも、そのことに関係しているのかもしれない。
「2000年前……それは本当のことなのか? 少し信じられないのだが」
そんな昔の記述が乗っている本が存在するのか……改竄されたりはしていないのか……今も憎まれているのはどうしてなのか……そんな疑問がダルクの頭を巡る。
「噂……というか、伝説みたいになってるわ。女王は魔女で、今も支配を続けてるとかが通説ね」
「魔女? そんなに長生きできるものなのか?」
ついには魔女という存在まで出てきた。この世界では、術を使える存在は珍しくないはずなので、その中でも優れている者のことだろうか。
「人ならざる者の通称よ。他にも悪魔とか化物とか呼ばれてるわ。中には神様って崇めてる人も居るけどね……これは王立騎士軍の人に多いわ。宗教みたいになってる」
「化物、か……その言い方もどうかと思うが」
「王子様も殺したのよ。2人居たんだけど、今はどっちも行方不明ってことにされてるの。王子様との仲は悪くなかったらしいのに……それからのことよ……国中から行方不明になる人が増えて、生贄にされてるのかもしれないって噂が流れ始めたのは……」
こちらの世界の王も多妻制なのだろうか。だとしたら、自分の子を殺したのか、別の女王の子を殺したのかで少しは変わって来る。後者であれば、それなりに残酷だが、ありえない話ではない。
だが、あくまでも噂である。ノエルは事実だと思っているようだが、2000年前の記述なんて当てにならない。
「あくまで噂だろう? 本当かどうかは分からないはずだ。とにかく、その女王の名前は何と言うんだ? 知らないと不便そうだ」
そんなに有名なら、ここで生活している内にも話題にのぼりそうだ。知っておいて損は無いだろう。
「たくさんあるわ……当時はナディア、王様が死んだ後はサラサって名乗ってるの…………この話はもう止めようかしら。聞いていて楽しいことじゃないし、普段の生活に影響は無いのよ。特に、こんな田舎なら尚更ね」
影を帯びたノエルの顔が気にかかる。普段の生活に影響が無いのなら、その女王が酷いことをしているようには思えない。問題になるのは行方不明者の方だが、もしかしたら自分のように神隠しに巻き込まれているのかもしれない……ダルクは仮説を立て、女王に興味を持った。
ノエルの話を正しいとすると、その女王が地球の手がかりを握っている可能性があるのだから。
ノエルの表情から、それ以上の質問は出来そうない。この世界で重要になりそうなこと、と言えば術だろう。
「それならば……さきほど術と言っていたな。使い方を教えてはくれないか?」
「もちろん! 火の術よね……魔法陣は確か、こんな感じの……」
机から白紙とペンを取り出して、何も見ずにサラサラと描いていく。よく見れば、周囲にある魔法陣が描かれた紙も、どことなく線が曲がっている。
「その魔法陣は自分で書けるものなのか? かなり複雑そうなのだが……少しずれていないか?」
「少しぐらい大丈夫よ。それに、慣れると簡単よ……たぶん大丈夫だと思うわ。私も久しぶりだから少し自信が……」
自信が無いものを使わせるつもりなのか……ダルクも少し不安になったが、好意からやってくれていることなので、断ることもできなかった。
「その魔法陣は絶対に必要なのだろうか? 1枚あれば十分か?」
「普通は要らないわ。媒体になっている道具があれば十分だし、あれば疲れにくいってだけよ」
「そうか……その媒体というのは何だ?」
「お店に頼めば、何にでも付けてくれるわ。武器でも防具でも装飾品でもね」
ノエルが近くにあった包帯の束を取り寄せる。これを媒体にしているのだろう。
描き終った魔法陣を受け取り、手をかざしてみたが何も起こらない。
「この上で手を動かせば良いのだろうか?」
「大事なのはイメージよ。手の動きなんて適当でいいの……さ、やってみて!」
適当に動かせと言われると困ってしまうが、ダルクは小さな炎をイメージしてみた。手を動かしてはいないが、ダルクの目の前に本当に小さな炎が生じた。
「これで良いのか? なんだか頭が痛くなってきたのだが……使えてるのか?」
「慣れてないこともあると思うけど、病み上がりだから余計、ね。術の練習に関しては今度にしましょう。今は元気になるのが最優先ね」
ノエルが魔法陣を取り上げた。
「そうだな……すまない」
「まだ聞きたいことはあるかしら? 無かったら、今日はもう休んで!」
ベッドの方を指差されるが、眠くは無かった。ズキズキと痛む頭を押さえながら、これからのことを話す。確か、気になるならノエルの手伝いをしろと言っていたはずだ。
「泊めてもらうからには、何か手伝いがしたい。何が出来るだろうか。力仕事ぐらいしか出来そうに無いが」
「病み上がりだから無理しなくて良いのよ? それに手伝えることなんてほとんど無いのよ。さすがに父さんの仕事を手伝わせるわけにはいかないし……」
確かに、こんなに頭痛がひどければ途中で動けなくなってしまうだろう。
「医者と言っていたな。どんなことをしているんだ?」
レティオに頼めば頭痛をどうにかしてくれるかもしれない。ダルクが自身の症状を話すと、ノエルが額に手を当てた。淡い緑色の光が発生して、ダルクの体を包み込んだ。
「普段は怪我の治療のために治癒術を使うの。こんな風にね。薬を使うのは病気の時ね」
「治癒術で病気を治すことはできないのか?」
あまり効果が無いのか、ダルクは顔をしかめる。
「風邪とかなら簡単に治せるわ。怪我でも病気でも、結局は術者の素質次第だけどね。火とか水、風、土は日常に役立たせたりするのよ。他にも特殊なのがあるの。闇とか光とか……特に使い道が無いのよね。力が小さかったら尚更ね」
それどころか、頭痛は激しさを増していく。ノエルの言葉も正確に聞き取れていない。今にも倒れそうな状態だが、ノエルはそれに気付かない。
「闇……光…………闇、か……」
うわごとのように繰り返せば、痛みは僅かに引いたようにも感じた。
「女王様くらいの闇術なら、強すぎて乱発できないって短所があるし。なぜか王族の人には闇術を使える人が多いの。あんまり血筋とかは関係ないのに、不思議よね」
「女王も、闇術を使える、のか? なら、王は? 王も、闇術、なのか?」
頭が痛い。もはやそれだけしか分からない。途切れ途切れになる言葉に、ノエルもダルクの容体の変化に気付いたようだ。
「大丈夫? 頭が痛いの? 少し待ってね……」
再び額に手が触れる。先ほどよりも冷たい感覚に、足元がぐらりと歪んだ。ダルクの手が机の上に置かれる。
淡い緑の光は見えない。熱を測っているだけのようだ。
「まだ少し熱があるみたいね……薬が効けばいいんだけど……」
手が離れていった。何故か急に寂しくなって手を伸ばす。しかし何か別の感情が勝り、手はノエルに触れることなくベッドの上に落ちた。
「……今日の分の薬はここに置いておくから、昼食後に飲んでね。お昼まで時間があるしゆっくり休んで……できたら呼ぶわ」
ノエルは部屋を出ていった。
ベッドに行く気にもなれず、その辺にあった椅子に座り込む。
『………………、…………』
ぼんやりとする意識の中で、誰かの声が聞こえた気がした。机に付していた頭を持ち上げれば、入口にノエルの姿が見えた。
「どうかしたのか? 忘れ物でも?」
「言い忘れてたわ、質問に答えておくね。女王様に殺された王様なら闇よ。今の王様までは知らないわ」
ノエルは手に持っていた錠剤をダルクに差し出した。頭痛を鎮める薬でも貰ってきたのだろうか。
それを受け取って呑み込むが効果はまだ出ない。
「ありがとう、すまないが、本当にやばそうだ……」
視界が歪んでいく。少しずつ世界がモザイクのように入り乱れていき、完全な闇に覆われる。
心配そうに叫んでいるのだろうノエルの声も、こうなってしまえば雑音にしか聞こえない。
(確か……ネイティアだったな。四大精霊が眠る世界……か)
鈍い音がして、自分が床に倒れこんだことを知る。
『四つの力を探せ』
そんな中で、再び言葉が流れた。同じ言葉だった。
(この言葉と関係があるのなら、その封印されている場所にでも行ってみるべきか。どちらにせよ、こんなに頭が痛いのでは動けそうにもない)
頭痛がより激しくなっている。どこか場違いなことを考えながら、紡がれる言葉の続きを待つ。
その言葉は、ノイズに紛れて聞こえなくなる。
『早く……四つの力を探せ! そして……』
(このまま寝たら次に起きたとき元の世界に居ないだろうか? 俺が裏のままでいいから、陵が目覚めていないだろうか?)
そんなことを願いながら、意識も少しずつ消えていく。
『………………………』
(誰かの声が聞こえる。誰かが呼んでいる。行かなければ……行けば、会える)