3‐3 ~出発~
世界は二つあるんだ。俺の住んでいる世界と君が住んでいる世界。交わることのない、苦しみに満ちた世界。
君と会うことは無くなるだろうけど、俺は、俺にとっての世界は君だけなんだ。君が居ないから、俺は生きるのを諦めたんだ。
いっそのこと、何も考えることが出来なくなってしまえば、俺は救われる……そんな気がしていたんだ。だから、俺は、死のうとしたんだ。
それでも、君は来てくれた。君が居たから、俺は生きることが出来た。君が戻ってきたから、それ以外は何もいらない。その事実さえあれば、俺たちは、幸せになれた。俺は幸せだった。
『それなのに、君は幸せでは無かったの?』
君にとっての世界は何だろう。それは俺でなくてはいけないはずだろう。俺以外のものとの繋がりなど、必要ないだろう。
それなのに、君は、思い出そうとする。思い出さなければ俺たちはずっと一緒に居られるのに。どうして、君は、離れていくの。
また、俺を置いていくの。また、俺を一人にするの。だから、俺は生きられない。そして、死にかけのころに、また現れるんだ。
俺の夢の中の君が、何度も、何度も……俺を狂わせるんだ。どうして、ひと思いに、消えさせてくれないの。生きている意味なんて無いだろう。
それは君も同じはずなのに。君と俺とでは何が違うの。
『住んでいる世界? それとも、生まれ持った性質? それとも、同じであるということ自体がいけなかったの?』
俺は君を求めているのに、君は俺から離れていく。夢の中の君は、苦しんでいる俺を見つめて、ただ、笑っていた。不思議だね。俺も笑ってたんだ。
苦しいのに。悲しいのに。それでも、確かに笑っていたんだ。むしろ涙は流れない。どうしてだろう。俺の中の何かは、君を殺そうとするんだ。
君さえ居なくなれば、俺は安心して死ぬことができるんだ。君が止めに来ることなんて無い。君に惑わされることなんて無い。君を探し続ける必要もない。
何もなくなる。欠片も残らず消えてしまう。それが、どれほど素晴らしいことなのか……君は知っているか?
俺にとっては、それが至高の目標。君の死が、俺を救う唯一の存在。
俺は、君が殺しに来るのを待っていた。そして、君を殺すのを楽しみにしていた。
知っているか。俺たちは、存在してはいけなかったらしい。だからさ、俺たちが悲しいのは、存在してしまっているからなんだよな。
二人で一緒に居なくなろう。そうしたら、こんなくだらない世界とさよならできるんだよ。
『あるべき場所に戻ろう? そのために必要なことは、きっと、終わっているよ。俺たちは知っていただろう。この時が来るのを。待ち望んでいただろう? どうして、返事してくれないの? ああ、そうか、今の俺と君は、抜け殻なんだね。もうすぐで、俺は俺になる。でも君は戻らない。だから、俺は眠るよ。君が帰ってくるまで。だから、早く……』
伸ばされた手を振り払うのは、君のためだから。
「……ここは、確か…………」
ダルクの目が覚めれば、そこはレティオと話していた場所だった。自身が意識を失っていたことに気付いた後は、その最中に見た夢の断片を手繰り寄せようとする。夢の中で重要なことを聴いたような気がして、焦りながらも答えを探していた。
だが、ダルクに思い出せる範囲の夢の記憶は、既に歪んでしまっていた。誰かが喋っていたような気がしたが、その顔が分からない。声が分からない。
自身が伸ばした手が、その誰かに届いたのかすら、分からない。
「目は覚めたか?」
よく意識が飛ぶのは、記憶に近付きつつあるが故の反応なのか、それとも、表側に長く居ることで起こっているのか……それは分かるはずもないことだが、ダルクは少しだけ顔を歪めた。
「どうかしたか? 変な顔してるぜ? まぁ、体調は大丈夫そうだな」
ダルクの体に憑りついているような状態のフィレントは、ダルクの状態が本人よりも詳しく分かる。人が知らないことでも、精霊は知っている。
それを教えないのは、人に過度の干渉をしないように言われているから。
「よし、それなら今すぐにでも他の精霊のもとへ行ってもらおう。ここから一番近いのは水の祠だ」
『アイツか……協力してくれるか一番怪しいんだけど……いざとなったらダルクが無理やり契約するんだぞ!』
フィレントの言葉も聞かずにレティオは奥の扉を開けた。その先は通路になっていたが、松明のようなものは全く無く、とにかく暗闇が広がっていた。フィレントが、視界の届く範囲までを炎で灯した。
アクアリースの近くの港町まで安全に行けるとのことだった。
『やけに準備がいいじゃないか。かなり古いな……本当に安全なのかよ』
「これは1500年前の地下道を改良したものだ。残念ながら他の大陸は良く分からないがね」
1つの松明に火を灯すと奥のほうまで赤く染まった。ここを一人で進むらしい。
さすがに別の大陸までは移動できないようだ。入り組んだ道が描かれた小さな地図を一枚手渡される。
「どこにどの祠があるのか詳しいことは分かっていないが、フィレントなら気配を辿れるはずだ。大陸を一周することになるが、気をつけて行ってこい」
「ハッキリとは分からないが、確かにアイツの力を感じる。もっと近づけば場所もハッキリするはずだぜ!」
どこかはしゃいでいる様子のフィレントに苦笑する。やはりかつての仲間との再開は嬉しいものなのだろう。
レティオの別れの言葉に後を押されて、先へ進んだ。
背中で響いた重い音が静かな空間に悲しげに響いた。最後に見たレティオの顔には、僅かな笑みが浮かんでいた。
それは、念願が叶うことへの喜びだった。ついに、悲願が成し遂げられようとしている。
その希望を引き継いで、ダルクは地下道を進んでいく。ダルクが記憶について考え込んでいたからだろうか、会話も無いまま時間は進む。
しばらく歩いた後に、フィレントの表情が微かに曇った。
『……ダルク、誰かが後を付けてきてる…………』
意識してみれば、ダルクの耳にもハッキリと聞こえた。
『どうする、燃やすか?』
やたらに好戦的なフィレントは楽しそうだ。戦闘担当だったというのは紛れもなく本当だったのだと感じられる。
「まだ敵と決まったわけではないが……レティオが居る部屋を通らなければいけないんだ。それ以前の道にも仕掛けが幾つかあったからな……」
右手に炎のボールのようなものを構えたフィレントが笑った。ボールの数を増やしながら、遠くの音に耳を澄ましている。
『じゃあ、様子だけでも見てこようか? 俺なら壁もすり抜けられるぜ』
伝え忘れがあったレティオが追いかけてきたのかもしれない。敵だとしたら、レティオにしか頼めないだろう。ダルクには、まだ、戦う術がない。
「では様子見だけで……危険だと思ったら、殺さなくてもいいから、動けない状態まで……頼んだ」
ダルクの命令に従い、すぐに足音の方へ飛んでいく。遠くで謎の爆発音。いや、おそらくフィレントの攻撃。
すぐに足音が聞こえてきた。フィレントは浮いてるから誰かと一緒なのだろう。連れてきているなら、敵では無かったということだろう。なら、どうして爆発させたのか。
ダルクは深く考えずに、軽い足音に安心していた。おそらく子供か小柄な大人……ダルクにはあまりこういう経験がなかったが、それだけで簡単に安堵してしまう。
不意に何かが頭を巡った。壁際によって、手元の松明の炎を消す。油断をするわけにはいかない。
そんな中で誰かの松明が暗闇に浮き上がった。
フィレントの背後に揺れるオレンジ。柔らかそうな髪が女性を想起させ、黄緑色のローブが子供を連想させる。
暗い地下道とは不釣り合いな談笑が聞こえてきた。フィレントの呑気な笑い声を聞いたとたん、ダルクは警戒心を炎に投げ捨てた。
灯る炎が再び辺りを明るく照らす。見えてきたのは本当に不釣り合いな笑顔の少女。先ほど落石の向こう側に取り残されたはずのノエルだった。
たいした怪我も無さそうだが、どうしてノエルはここに来れたのだろうか?
「ノエル!? どうしてここに?」
「えっと、私も付いていこうと思って……ほら、ダルク君はこの世界のこと知らないから、父さんに許可を貰ってきたの」
「それは助かるのだが、本当に良いのか? レティオが1人になってしまうのでは……それに危険な旅になりそうなんだ」
何しろ、世界を一周するような旅だ。どれくらいかかるかも分からない。
「知ってるわよ、それくらい! それに父さんにも頼まれたんだから!! ダルク君は世界を救えるかもしれない、って言ってたよ!!」
どこか楽しそうに伝えてくるノエルに、誤魔化されそうになる。これは世界を救うという壮大な目的がある。それを知って来るということは、覚悟が出来ているということなのだろう。
ダルクは深く考えることを止めた。この世界には、この世界の常識がある。
「そ、そうなのか? なら別に構わないのだが……さっきの落石で道が塞がれてしまったのではなかったか? どうやって来た? 怪我とかは無かったのか?」
ノエルの服には破れた跡どころか、汚れ1つ付いていない。怪我の心配は無さそうだ。なら、先ほどの爆発は本当に何だったのだろうか。フィレントのことだから、威嚇のつもりだったのかもしれない。
どこかキョトンとした表情の彼女は、思い出したように少しずつ話しはじめた。
「あれはね、わざとだったの。ダルク君が狙われてるから通路を塞いだの。他の通路も同じようにしてきたから大丈夫だよ」
何が大丈夫なのだろうか。敵の足止めには最適かもしれないが、こちら側にはまだレティオがいるのだ。家に戻るときに少し困りそうなものだ。
「それからね……はい、これ! 書物庫で倒れていたダルク君が持っていた本よ。何か気になることがあったから持っていたのよね?」
ノエルが取り出したものは日記だった。誰が書いたのかは分からない。読める部分も少ない。だが、何か引っかかることがある。
それを読むことが出来れば、何か分かるかもしれない……ダルクは本を手に取り、同時にノエルから渡された鞄にしまった。
「ありがとう……ノエルはこの本の内容を知っているのか?」
「ごめんなさい……知らないの。知らない文字で、読めなかったの……」
本に書かれているのは、この世界の人間でさえも読めない文字。それが一部だけとはいえ、ダルクには読めたのだ。
読めない背表紙を覗き見たフィレントは溜息を吐いて、ダルクの意識を本から逸らした。今、急ぐべきことは祠の精霊と契約することだ。
『とりあえず先に進もうぜ。このままだと真夜中になっちまう』
「そうね、歩きながら話しましょう」
向こうで会ったときに意気投合したのか、二人が楽しげに笑い合っていた。
それを聞きながら歩いていたら誰かの声が聞こえた。囁くように小さな声は、かなり遠くから聞こえてくる。
立ち止まって声の方向を探っていると、体にまとわりつく炎が優しく頬をなでた。
先程までとは違う表情で二人がダルクを見ていた。ノエルの冷たい手がダルクの体に冷気を注ぐ。
「大丈夫? まだ熱があるのかしら」
どうやらノエルはダルクを心配してくれただけのようだ。
具合が悪かったわけではないのだが……それに、熱はもう無い。レティオが処方してくれたという薬が効いたのだろうか。
「大丈夫、考え事をしていただけだ。そんなことより早く進もう」
ダルクが歩き出すと二人がついてくる。後ろで何かを話しているようだがダルクにとっては理解できない内容だった。
ネイティアの情勢などを聞いておかなければ、会話に入っていくことができそうにない。
『ダルク、次の道だけど右に曲がった方が良いかもしれねぇ』
地図を見ていないはずのフィレントから指摘があった。どうしてそんなことが分かるのだろうか。
「どうしてそんなことが分かるの?」
ダルクが心に思ったままのことをノエルが聞いた。どんな術を使っているのだろうか。
『えっとな……薄い炎を飛ばしてだな、それ以上進めなければ行き止まりみたいな感じでさ。それで、この先の二つの道は繋がってるっぽいんだけど、近道の方が行き止まりになってんだ……落石があったみたいだな』
「分かった、次の道は右に行こう。術にも様々な種類があるんだな。攻撃だけじゃないのか」
『炎で防御することもできるからな。術師の力とかが強かったら、水術を炎術で防ぐこともできるんだぜ』
この場合ではダルクが術師にあたる……ダルクの力が果たしてどれほどの物なのか、戦ってみないことには分からない。あとで術の使い方を教わる必要性がありそうだ。
「私の治癒術は怪我ならすぐに治せるから……怪我したら教えてね」
術にはどれぐらいの種類があるのだろうか。精霊が使う術と、人間が使う術は同じものなのだろうか。なんにしろ、この世界で生き残るためには、何らかの術を覚えなければいけないらしい。術じゃなくても、武器を扱えるようになれればいいのだが。
「聞きたいことがあるのだが、フィレントは2000年前の精霊だったな?」
「2000年前っていうと、その当時の女王様とかも知ってたりするの?」
この世界の人々の関心はそこに向かうだろう。今も恐れられている女王様。
『女王様? ああ、あの人か!! 今でも知られてんの? なんで?』
フィレントの脳裏に揺れる懐かしい情景。その中で、誰かが笑っていた。長い、黒髪の……ぼやけて消える輪郭は、暗闇に溶けていくように……フィレントは微かに眉をひそめた。
「それは覚えてるのね……会ったことあるのかしら?」
「確か、全土を征服した魔女とかいう噂だったな……本当なのか?」
『え~? そんなこと言われてんの? ありえないって!! めちゃくちゃ良い人だったはずだぜ。何かの間違いだって! あ!!』
物事には何かしらの原因がある。フィレントは、結果を知ることは無かったが、原因なら知っていたはずだった。それこそが、自身の封印の理由でもあったはずなのだから。
「何か心当たりでもあるのか?」
『そうか……それが、いや、でも……うーん、あの後か…………』
脳裏をよぎる彼女の横顔が憂いを帯びていく。それは悲劇の始まり。
「あの後? どういうこと? 何があったのか聞いてもいいかしら?」
出来るならば、伝えたくはない。それが最善なのだ。フィレントにとっても、彼女にとっても、そして、それ以外の全ての人にとっても……知らない方が幸せなこともある。
『あ? これ伝わってねぇの? じゃあ、言わない方が良さそうなんだけど……そんなに気になるか?』
「俺はあまり気にならないが……どうして言わない方が良いんだ?」
『深い理由があってだな、その女王様に逆らえないの! 俺よりも力が強いとか、まだ人間やってることに驚きだよ』
フィレントはダルクの頭に軽く手をのせた。
「やっぱり化物なの? 精霊が逆らえないなら、天使? 神様?」
ノエルの発言に苦笑を洩らしたフィレントは、ノエルの頭を優しく撫でた。
『それも内緒。ごめんな、力になれなくてよ』
精霊や妖精の類も、人間より力が強いだけで万能ではない。ほぼ万能と言えるのが、神の使いである天使で、万能なのが神様だ。だけど、この世界の神様にも階級というものが存在し、それによって使える力が制限されている。
ダルクは世界のことを教えてもらう代わりに、自身の居た世界のことも伝えた。異世界という単語に興味を惹かれたノエルに、質問攻めにされたのだ。
どれくらい歩き続けたのだろうか。オレンジ色の炎が少しずつ青くなっていく。勢いも増してきた。
「出口が近いようだ。急ごう」
久々に日差しの下に出れる。ダルクが安心して笑うと、二人も笑った。だが、ダルクはなぜか後ろを振り向けなかった。進行方向に何かが居るような気がしたのだ。
それは、どこか、フィレントに似ているような気がした。ダルクの体が震える。気付いたときには遅く、ダルクの意識は何かに流された。青い、蒼い、力の奔流。
『お前は誰だ!! なぜアイツと一緒に居る?』
この声は精霊だろうか。水に揺蕩うような感覚の中で誰かの手を掴む。
水色の光がダルクの周りだけ薄い紫色になっている。
『あれから2000年も経っている……ありえない…………』
二人の言葉はダルクの耳には少ししか聞こえない。それでも、自身を引き上げているフィレントの顔が歪んだことで、ある程度の予測はついていた。2000年前の悲劇の一部。
二人はそれ以上何も話さなかった。
「水の精霊……なのか」
ダルクが問いかければ、無表情だった男の顔が僅かに歪んだ。その表情は、どこか悲しげにも見えた。
『そうだ。俺は水の精霊、ウィター。俺はお前と共に旅をする気はない。諦めるんだな』
冷たく笑ったウィターの気配が消える。ダルクの意識はまだ水面へとたどり着いていなかった。
だが、きっとフィレントが救い上げてくれるだろう。彼は意識を過去の夢へと誘った。




