プロローグ~小さな歪み~
暗く淀んだ空と儚く舞い散る雪が幻想的な雰囲気を出させている。街の賑やかさとは程遠い寂しげな人気の無い広場を小さな影が横切っている。
重い体を引きずって歩く小さな子ども……6、7歳だと思われる。
子どもは無邪気さとはかけ離れた真剣な面持ちで空を見上げる。たまに後ろを確認しては何かから逃れるように速度を上げる。
後ろには異様なくらい濃い闇が広がっている。
近くには誰も居ないはずなのに……闇に飲み込まれるのを恐れるように小さな一歩を必死に進めていく。
「何で……? 僕は何で……?」
子どもの頬を一筋の涙が伝い落ちる。その雫が地面に落ちる前に、闇が子どもの体を包み始める。
「このまま……消えたい…………」
子どもの姿が消えた……だが、原因は闇ではなかった。子どもの体が薄い光の膜に包まれた。
光は子どもを守ろうとしているかのように暖かかった。
どれだけの時間が経っただろうか……複数の足音が近づいてきた。そのときに子どもの意識は無く、やってきた大人たちは心配そうに子どもを見守っていた。
やがて、意を決した一人の女性が子どもを抱きかかえた。人の温もりに触れたせいかは分からないが子どもの目がうっすらと開かれる。
「……誰?」
力なく呟かれた声に女性が優しく答えた。慈愛に満ちた表情が子どもの瞳に写りこんでいた。
「私は貴方の母親よ……見つかって良かった…………陵」
「……お母さん? 陵……僕の名前?」
母親と名乗った女性は少しだけ顔を悲しみに歪ませたが、すぐに微笑んで子どもを強く抱きしめた。
近くに居た……おそらく父親と思われる男が着ていたロングコートで子どもを包んだ。
「……誰? もしかしてお父さん?」
「そうだよ。ここは寒いからね……帰ろう」
懐中電灯で照らされた景色の中には他にも人が居た。よく分からなかったが探すのを手伝ってくれたのだろう。すぐに子どもを病院まで運んだ。
次に俺が目覚めたのは病院のベッドの上だった。隣には見覚えのない二人の大人が居て驚いたのを憶えている。
良く見ると昨日の二人だと分かり安心して眠りについた。でも、何も思い出せない。
訪れた闇の中で絶望を感じた。何か大切な物を失ったような強い喪失感に苛まれた。
もう何も考えることが出来なくなり、深い闇を沈むように漂っていた。もう目覚めたくないような虚無感に包まれかけたとき……あの声が聞こえた。
『大丈夫か?』
俺はその声に引き寄せられるように光の中へ浮上した。途端に絶望が消えて希望が生まれた。
その声の正体は声自身にも分からないらしい……俺と同じで自分のことが分からない声は俺の唯一の光だった。
そして……この出会いが全ての始まりだった。