右手の余白
スクリーンショットを撮ったのは、たぶん癖みたいなものだった。
誰に見せるわけでもないのに、指が勝手に動いて、あの画面を切り取った。
「幸せになるんだよ」
最後のメッセージは、それだけだった。
既読の表示がついたまま、会話は止まっている。返信欄は空白のまま。何か打とうとして、消して、また打って、結局なにも送れなかった。送るべき言葉が、最後まで見つからなかった。
ワンルームのマンションは、やけに静かだった。
生活音が減ったせいか、それとも気持ちのせいか、壁の向こうの足音までやけに遠く感じる。
ベッドに腰を下ろす。100cm×195cmのシングル。
二人で寝るには少し狭いねって笑っていたはずなのに、今はやけに広い。
こんなに余白があったんだ、と思う。
右手を伸ばす。
そこには、何もない。
あの人の体温も、寝返りの気配も、寝ぼけて掴んできた指も。
右手が、寂しい。
思い返せば、ちゃんと喧嘩もしていなかった。
言いたいことは飲み込んで、相手もたぶん同じで、波風を立てないように、優しくしあって、それでうまくいっているつもりだった。
でも本当は、少しくらいぶつかってもよかったのかもしれない。
嫌だって言って、違うって言って、困らせて、困らされて、それでも一緒にいる理由を確かめるみたいに。
喧嘩もしたかった。
スマホの画面をもう一度開く。
スクリーンショットのフォルダに、さっきの一枚が増えている。
「幸せになるんだよ」
その言葉は優しすぎて、少しだけ残酷だった。
まるで、自分はもうその中に含まれていないみたいで。
画面を閉じて、ベッドに横になる。
広すぎる空間に、身体が沈んでいく。
それでも、たぶん。
いつかこの広さにも慣れてしまうんだろう。
右手を伸ばさなくなる日も来るんだろう。
それが、少し怖くて、少しだけ救いだった。




