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時を遡れば、マルク=オレル大賢帝がクーデターによって玉座から引きずり降ろされ、オーレリアン・レオネッティ体制が始まってから、エルヴァ人への弾圧は悪化の一途を辿っていた。
元々帝国国内で禁術(しかし実情は、単に適性を持つ者が少ないだけ)とされてきた精霊術を巧みに操るエルヴァ人への嫉妬混じりの当てつけでもあった。だが最近の帝国の暴虐は、それまでの比ではない。
ヴァルニア歴七六五年初頭、帝国は何の予告もなくリヒテンヴァルト大公国に牙を剥いた。大公一家を皆殺しにし、首都リヒテンフェルデでは精霊信仰施設を次々と灰にした。もはや統治ではなく、破壊だった。
それに抗すべく立ち上がったのが、当時大陸経済の中心を担い、最強の傭兵部隊を率いた傭兵将軍の息子にして「剣聖」の異名を持つヴィルヘルム・フォン・ファルケンハインである。彼を旗頭に、アードラズベルクに集結したエルヴァ人たちは帝国軍を叩きのめし、血で贖った自治を勝ち取った。
あれから二十年。
南方属州総督の座に返り咲いたドルネック侯爵が再び弾圧の火蓋を切った。それに対抗すべく結成されたのが解放盟約である。リヒテンフェルデでのドルネック侯爵暗殺、続く第一次リヒテンフェルデ郊外の戦い。多くの老兵たちが散り、今や解放盟約の運命は、経験も浅い若い世代の双肩にかかっている。
そしてここ、モルゲンロート城でも、帝国と解放盟約軍との間で戦いの火蓋が切って落とされようとしている。この城というか要塞は、帝国軍がリヒテンフェルデを攻略するにあたって橋頭堡として使用した要塞で、南方統治の要とも言える重要拠点だった。ちょうどアードラズベルクから帝国方向へ行く街道沿いの入り組んだ山岳地帯に位置しており、解放盟約軍としては帝国の喉元に刃を突きつけるためにも攻略が不可欠と考えられていた。要するに、ここを落とさなければ話にならない。
エドゥアール・ド・モンフォール中尉は、城塞駐屯司令官のユリウス・ド・レオネッティ将軍の前に立っていた。片手を失った中尉にとって、この報告は文字通り命がけである。
「報告せよ」
ユリウスは冷たい声で言った。二十八歳の若き将軍は、レオネッティ派の中核人物として知られていた。その家名からも分かる通り、彼の父はレオネッティ派のトップで帝国宰相のアウグスト・ド・レオネッティ公爵である。ユリウスは父譲りの冷酷さと権力欲を持ち、部下に対して高圧的で、選民意識が服を着て歩いているような体現者として恐れられていた。つまり、典型的な「嫌な上司」である。
「はっ。グリューネフェルト村への懲罰作戦を実行いたしました」
モンフォールは姿勢を正した。背筋をピンと伸ばすのは、震える足を隠すためでもあった。
「しかし、反乱軍の精鋭騎士団が突如襲撃してまいりました。我が軍は善戦いたしましたが、敵は数で圧倒しており、やむなく撤退を命じました」
嘘だった。
見事な嘘だった。もし演劇の才能があれば、宮廷劇団に入れたかもしれない。
だが、ユリウスは満足げに頷いた。上司というものは、聞きたい報告しか聞かないものである。
「反乱軍の精鋭騎士、か。やはり下賤の者どもが我ら栄光の帝国騎士と同じ名を名乗り、挙げ句の果てに精鋭だと。卿はその紛い物に破れてきたと」
ユリウスの口調は、まるで子供が玩具を壊されて不機嫌になっているようだった。
「面目ございません。この手を無くすまで戦いましたが、村人どもが死なば諸共の覚悟で火薬玉に火をつけたので、陛下の兵士を巻き込むわけにはいかず……」
モンフォールの言い訳は流暢だった。準備してきた甲斐がある。
「もうよい。今日は気分がいい。次はないぞ。その命に代えてでも帝国武人としての責務を果たすのだな」
「今日は気分がいい」という言葉と「次はない」という脅しが同居している。矛盾しているが、それが権力者というものだ。
モンフォールの包帯を巻いた手に一滴の汗が滴った。一命を取り留めたという安堵感と、次は死んでこいということを告げられ、実質的な処刑宣告をされたことに気づき、寒気に近いものを感じていた。昇進どころか、生存が危うい。人生というのは皮肉なものである。
そんな若い中尉を見て、同じ一門の人間に情けをかけたかのようにユリウスは問う。
「それで、なんと言ったかな、鷹の紋章の旗を掲げた司令官か?」
突然の質問に、モンフォールは一瞬戸惑った。だが、すぐに答える。
「はい。年は二十代だと思われますが、反乱軍の士官とは思えないほどの出立ちでした」
「反乱軍のくせに格好いい」という、若干妬みの混じった報告である。
「鷹の紋章、あの商会と同じ旗か」
ユリウスは立ち上がった。
「よくやった、モンフォール。反乱軍の脅威を示す証拠だ。これで増援の要請も正当化できる。増援が来れば我々の戦利品も多くなる」
ユリウスの目は、すでに戦利品の分配を考えている目だった。戦争よりも利益、それが彼の本質である。
ユリウスは檻の中の動物を見るような目でモンフォールを見ていた。いや、正確には「使い捨ての駒」を見る目である。
「ありがとうございます、将軍」
モンフォールは内心で笑った。自らの功績をある程度評価していることは確実だった。少なくとも、今日は処刑されない。それだけで十分だ。
「しかし」
ユリウスは窓の外を見た。劇的な間である。
「反乱軍が本格的に動き出したとなれば、本国、いや南方方面軍司令官あたりが本腰を入れてくるだろう。あの青二才の好き勝手にさせるわけにはいかない。そう、この報告は父上に必要だ」
「父上に泣きつく」という表現は避けたが、内容は同じである。
「はっ」
モンフォールが退出しようとした時、扉が開いた。
伝令が飛び込んできた。タイミングが悪い。
「報告! 南方方面軍総司令官、ジャン=リシュアン・ド・ドゥラクロワ閣下が到着されました!」
ユリウスの表情が、一瞬だけ歪んだ。まるで嫌いな親戚が突然訪ねてきたような顔である。
「早いんだよ。だから可愛げがないんだ」
ユリウスの声には、明らかな不満が滲んでいた。二十三歳の天才戦術家に対する、二十八歳の凡将の嫉妬。年齢差はわずか五歳だが、実力差は絶望的である。
モンフォールは、この場から早く逃げ出したいと思った。
ジャン=リシュアン・ド・ドゥラクロワ。帝国の未来の栄光と呼ばれる彼は、父にジャン=バスティアン元帥を持つ生粋の武門の名家に生まれ、今日まで功績を築いてきた。帝国軍幼年学校を首席卒業後、十七歳でラウル総帥の麾下に配属され、華々しい初陣を飾った本物の天才であった。
彼の最大の功績は、最年少で帝国元帥に任命され、それを実戦功績と知略のみで勝ち取ってきた点である。もちろん家柄がいいことは事実ではあるが、彼の才能を早期から見抜いたラウル元帝国軍総帥の先見の明もあるだろう。現在は南方方面軍司令官に任命され、反乱運動鎮圧に乗り出している。
ユリウスは窓の外に広がっていた光景を見て腰を抜かしそうになった。そこにはジャン=リシュアンが率いている軍が展開されており、その規律と規模に圧倒されていた。二万人は超えるであろう帝国軍南方方面軍の戦力は、誰が見ても栄光の帝国を体現したその軍である。
しばらくすると、ジャン=リシュアンはモルゲンロート城の謁見の間に静かに入ってきた。彼の声は、冷静で落ち着いていた。どこか、この要塞の隠しきれないふしだらな雰囲気を感じ取っているようであったが、それは彼の身の中にグッと堪え込んでいた。
「お久しぶりです、ユリウス中将。守備はいかがですかな?」
ジャンの顔には表面上、青年にふさわしい笑顔があったが、内心は少し怒りを噛み締めていた。
「閣下、反乱軍は組織化されております。彼らは神出鬼没で、大きな被害は出ていませんが、小賢しいやり口です。ここは本国に上奏し、大軍を持って一気に反乱軍の拠点を落としましょう」
本国に上奏する。つまりは宰相が軍部に介入しやすくすることを物語っている。ユリウスは表面上敬意を示したが、その目には不満が滲んでいた。
「その心配はない。すでに南方方面軍に総帥閣下より作戦命令が発令されている」
ユリウスは心底、虫の居所が悪かった。
「南方方面軍四個軍団を率いて到着されたと」
「はい。皇帝陛下よりの勅命書もあります。解放盟約軍の鎮圧を最優先事項として」
二人の議論(どちらかといえばマウントの取り合い)は非常に生産性のないものであったが、今の帝国の縮図をすごくわかりやすく表していた。
bジャン=リシュアンは、この終わりの見えない会話を他の話題にすり替えようとして視線をモンフォールに向けた。
「モンフォール中尉、でしたね。グリューネフェルト村の作戦について、詳しく聞かせていただけますか」
モンフォールは一瞬、躊躇した。だが、すぐに報告を繰り返した。
「解放盟約軍の主力部隊が突如襲撃し……」
「待ってください」
ジャン=リシュアンは手を上げた。
「解放盟約軍の主力部隊、とおっしゃいましたね。その規模は?」
「え、ええと……騎兵が……」
「何騎ですか?」
モンフォールは言葉に詰まった。
「……二十騎ほど、かと」
「二十騎」
ジャン=リシュアンは繰り返した。
「貴官の部隊は騎兵三十騎、歩兵五十名。合計八十名。それが、解放盟約軍の騎兵二十騎に敗北した、と」
「敵は……敵は精鋭でした」
「なるほど、私の手元に入ってきている情報とは違うな」
ジャン=リシュアンは、モンフォールの目をじっと見た。モンフォールは先ほど死を覚悟した時以上に冷や汗をかき始め、明らかに冷静さを保てずにいた。
「まあいい、貴官の部隊の損害は?」
「……五名、戦死しました」
「五名」
ジャン=リシュアンは溜息をついた。
「モンフォール中尉。貴官の報告は矛盾だらけです。実際に投入された敵は騎兵五十騎、精鋭だということは事実のようです。しかし貴官が行ったのは村人への無差別攻撃で、解放盟約軍に追い払われた。それが真実でしょう」
モンフォールはその場に跪いた。そして死なば諸共の覚悟でユリウスの指示だと言おうとした矢先、彼の首はすでに体から離れていた。
「おやおや、そのような大罪人を処刑するために貴方様が来るまでに尋問しておりましてね。私の方で今この場で始末いたしました。お見苦しいところを失礼しました」
ユリウスは口封じをした。それはその場にいた誰しもがわかっていることではあるが、帝国軍の軍規上は正当な行為なのだ。
ジャン自身、ここに来るまでにモルゲンロート城の司令官であるユリウスが私的な略奪行為のために村々を襲っていることを掴んでおり、その調査を行っていた。しかし相手が帝国最大の貴族の息子なだけあって本人を取り締まることは難しいため、実行犯を特定し情報を吐かせようとしていたのだ。
しかしその目論見も、目の前で砕け散ってしまった。
謁見の間に、沈黙が落ちた。




