朝、起きると私は幽霊になっていた【女幽霊の資格】
朝、起きると、私はどうやら幽霊になってしまったらしい。
というのも、私は宙にフワフワ浮かび、背中が天井につかえた状態で真下の自分自身を見下ろしているのだ。よくある幽体離脱っぽいが――。
眼下には、ベッドに仰向けに横たわった抜け殻らしき私の肉体。窓から白い朝日が差し込んでいる。
顔色は青白く、眼と口を半開きにしたままピクリともしない。ベリーショートの髪型で黒いスーツ姿だった。
夜遅く、仕事から帰ってくるなり化粧を落とす間もなく、そのまま横になってからの記憶がない。
そういや、1カ月前からひどくしんどかった。時折心臓を握り締められているような発作があったっけ。
まさか、横になってすぐ心筋梗塞か何かで絶命したのだろうか?
確かめる術すらない。まだ26歳だったというのに……。
ウエディングプランナーの仕事も軌道に乗りはじめ、やり残した仕事は山ほどあった。目まぐるしいほど忙しすぎて、3年ほど付き合った優柔不断の彼氏をフッたほど。どうせ男ならいくらでも替えはいる。
天井を漂っていた私は、片手に眼をやった。
手のひらが透けて向こうが見える。
霊体になるって、つまりこんなふうになるってことか。
やれやれ、これからどうしたものか。
途方に暮れていると、やがて玄関のドアを素通りして、半透明の人型がスーッと入ってきた。
生前の私なら驚くなり、悲鳴を上げるなりしただろうが、死んだ今となっては感情もフラットで、とくに取り乱さなかった。
入ってきたのは髪の長い女性で、古いデザインのスーツをつけていた。肩パットの入った上着はバブル時代を彷彿とさせた。
ただし私とは異なり、タイトスカートを履いている。
私はもっぱらパンツスーツばかり好んだ。だってこれの方が動きやすいし、大股おっ広げても下着の心配をしなくてもよい。
「お迎えに上がりました」
バブリーな女幽霊は、天井に漂う私に向かって言った。
「そういうもんなんだ」
私は言い、泳ぐように彼女の目線まで下りた。
「ですが、行く先はあの世ではありません」と、女は伏し目がちに言った。「あなたはこの世に未練を残されていますね。したがって成仏できません。とりあえず同志のもとに参りましょう。そこで今後の身の振り方の助言をいただくなり、ご自分で熟考されてもよろしいかと」
「未練たらたらだもんね。上がれないのか」と、私は素直に現状を受け容れた。「同志のもと? そんなのがあるの? なら、行くしかない」
「ではさっそくついてきてください」
◆◆◆◆◆
私たちはマンションの壁をすり抜けた。
車の往来など意に介さず物体をくぐり抜け、宙を飛び、旅を続けた。
やがて関東の山中にある、とある廃ホテルにたどり着いた。
かつては観光地で賑わったのだろうが、今は見る影もないほど寂れている。
ラウンジに入った。
広い憩いの場はソファーやテーブルがそのままにされ、荒れ放題だ。壁には不法侵入者による無数の落書き。いかにも出そうな雰囲気のホテルだった。
すでに7人の先客がくつろいでいた。いずれも女幽霊だった。
幽霊かどうかについては、その半透明な色ですぐにそれとわかる。みんな顔が青白い。容姿、服装ともにバラバラだった。いずれも虚ろな表情で床を見ている。
不意に奥の廊下から、陰風が流れ込んできた。
同時に、異様な女がお出ましになったので、さすがの私もドン引きした。
ワカメみたいな長い髪。前髪は顔にかぶさり、目元が隠れている。白いワンピースを着た女が、滑るようにこちらへやってくるではないか。
その姿――まさにリアル貞子だと思った。
ラウンジで待機していた女幽霊たちは、まるで面接官を前にしたように、背筋をしゃんとし、立ち上がった。
バブル女も起立したので、私もそれにならった。
貞子系が手のひらをかざす。
すると7人は、これまた滑るように縦一列に並んだ。残像がつく。みんな脚がぼやけている。
バブル女は私に目線を送ってきた。
最後尾につけ、という意味らしい。
従うしかなかった。
彼女はそばのソファーに腰かけ、優雅に脚を組んだ。
これから何が起きるのか、興味津々だった。
貞子系が口を開く。生前はさぞかしきれいな人だったであろう美声の持ち主だった。
「まず、あなた――。自己紹介なさい。それと亡くなった経緯も説明するのです」
それに対し、先頭の中年女性は軍人じゃあるまいし、直立不動の姿勢で、
「1です。享年41歳。趣味の登山での途中、滑落死しました。残してきた夫や娘たちのことを思うと、後ろ髪引かれる思いにかられます。あの子たち、仏壇の前でずっとメソメソしています。このまま眠るなんてとても……」
と、言うや、顔を覆ってオイオイ泣き崩れる始末。
貞子系はあごをしゃくった。
1が脇にどくと、次の女が前に出た。
まだ死ぬには若すぎる。ぽっちゃりした子だった。
「2ぃー。17歳。何やっても退屈でした。学校も行かず、親のスネ齧って、ゲーム三昧。それも嫌気がさして、部屋で吊った。天国へ行けないんで、ここに連れられて来たんです」
矢継ぎ早、貞子系は自己紹介させる。
「3番。32歳。浮気相手をワラ人形で呪い殺し、『人を呪わば穴二つ』の報いを受けました。やっぱり因果応報ね」
「4です。生まれてきてごめんなさい。21でした。自己肯定感が低すぎて嫌になりました。オーバードーズであぼーん。けど内心、未練があったみたい……」
「5ぉ。27。よくある話。彼氏とドライブ中、別れ話を切り出された。腹いせにドア開けて、高速道路で飛び降りてやった」
「6番。63歳。義母の介護をしていたんですが、ことあるごとに私に辛くあたるんです。足かけ18年、私の人生って何だったのか。気付いたら義母の首を絞めてしまい、夫が止めに入らなかったら殺していたでしょう。私は離婚され、失意のうちに病死しました」
「7。33歳。ホストに貢いで借金で首が回らなくなった。挙句、カズキったら、あたしを風俗嬢で働かせて。頭来ちゃって、あいつのマンションから飛び降りた」
貞子系は返事もせず、あごをしゃくった。
7が肩をすくめながら横にどいたので、私は前に踏み出すしかなかった。
「8番。26歳。昨晩、仕事から帰宅してそのまま横になると、心臓発作を起こしたみたいです。私は生前、働き方改革やジェンダー差別に対してモノ申してきました。旧態依然とした職場の悪しき慣習や、ローカルルールには断固として改善を求めてきたのです。上司には煙たがられましたけど。むしろ同僚以下、とくに若い世代からは絶大な支持を得たと自負しています。――やっぱり、仕事の面で未練があるから成仏できないのでしょうか?」
その疑問に貞子系は答えなかった。
そのとき、背後でパンパンと手を叩く音がした。
ふり返る。
お迎えのバブル女がソファーに座ったまま両手を重ねていた。
「はい、みなさん。紹介ご苦労さま。今度は我らがリーダーに向かって、横一列に並んでください」
どうやら彼女はお迎え兼、貞子系の秘書役らしい。
否応もない。私たちはリーダーに対し横に整列した。
なぜか2と私が真ん中になった。
貞子系は端から端までそれぞれの女幽霊に一瞥をくれる。身じろぎさえ許さぬ空気が漲った。
私は思わず生唾を飲み込む。
さて、これから何の判断が下されるのか?
やおら貞子系は右手の人差し指を突き付けた。――2と4と、なぜか私。
「今、指した3人」と、彼女は突き放すような口調で言った。唇は、まるでイカスミパスタでも食べた直後のように黒い。「あなたたちに女幽霊になる資格はありません」
「どして!」
声を荒らげたのは2の子。
「好きで幽霊になったわけじゃないし……」
4の自己肯定感の低い肥った子は下を向いた。
「お言葉ですが」と、私は理不尽なものを感じ、反射的に食ってかかった。私のことはどうだっていい。2と4の若い子たちが不憫に思えてならない。「いったい、どこに落ち度があったと言うのです? 資格がないってことは、存在そのものを否定することに繋がります」
「よろしい。訳を説明しましょう」貞子系は私を真っ向から見据えたまま言った。ホホジロザメみたいに尖った前歯がズラリと並んでいた。「まず2。そのぽっちゃり体型はなんです。それに4のあなたも太っちょすぎます。二人とも髪はそこそこ長いのでよしとしますが。……それに比べ8。あなたこそ何です、その髪型と恰好は? 短髪パンツスーツ姿。まるっきり男ではありませんか」
「そんな理由?」
「8。ちなみにあなた、恋人、または夫はいましたか?」
「それとこれとが、何の関係があるんです」
「質問に答えなさい!」
「……いませんでした。忙しすぎてフッたくらい。だって彼、女々しすぎて相手してると疲れちゃって」
「なんと!」と、貞子系は身体をのけ反らせて言った。「恰好だけでなく、男に騙されたどころか、自らフったとおっしゃる!」
心配する2と4を尻目に、私は相手を睨んだ。
「それのどこがいけないんですか」
「日本における女幽霊とは一般的に、私のように髪が長く、白い服が主流でした。身体のラインも細身が好ましい。そして大抵は男に捨てられるケースばかりだった」と、貞子系は落ち着き払った口ぶりで言い、自身の黒髪をサラッとひと撫でした。「まず女の髪の毛。これは情の表れとされています。長ければ長いほど、女性の情念が深くこめられていると言っても過言ではありません。髪を短く切る行為とは、女の情念を絶ち切る――すなわち男性化するという意味です。その究極が尼僧と言えるでしょう。したがって女幽霊が長髪の事例ばかりということとは、生前の情念の深さを象徴しているわけです」
「お言葉ですが――」
「黙らっしゃい。続けます」と、貞子系は窓の方を向いて言った。「古くから伝わる日本の3大怪談『四谷怪談』『番町皿屋敷』『牡丹燈籠』。これらに共通するのは、夫や恋人に裏切られ、非業の死を遂げた女幽霊の物語。女たちは死に装束を着ていました。これらの古典怪談が『恨みを持つ女幽霊』の原型として定着し、後世の心霊体験に多大な影響を与えたとされています。『長髪・白装束』で、なおかつ『男に裏切られた女性』という、女幽霊のテンプレートが形成されていったのです。ですから時代が進んでも、白い衣装に姿を変えてきた変遷の歴史があるわけです」
聞いてて、私はムカムカしてきた。
「お言葉ですが、その3大怪談とやらは、いずれも江戸時代に作られた話でしょ?」と、私は歯を剥いて食ってかかった。奇しくも3大怪談について、以前本を読んで知識を得ていた。「江戸時代といえば男性中心の社会であり、封建制度の真っ只中でした。男と比べ、女の地位は社会的にも家庭的にも低く見られたものです。こんな悪しき風土が、女幽霊のテンプレートを生み出すことに繋がりました。逆に男は不倫はするわ、己の地位にしがみつくため女が邪魔になると惨殺するわ、『四谷怪談』に至っては、お岩殺しの濡れ衣を奉公人に着させるなど、策を弄したと聞いたことがあります」
「よくご存じで。女は腕力では男にはかないませんが、死後、幽霊になることで男を上回るわけです」
「まさしく時代遅れの遺物にすぎない。恨みや未練があろうとなかろうと、どんな姿形の女幽霊があってもいい。常に時代に合わせてアップデートしていくべきです。古い慣習に縛られ、ステレオタイプに成り下がった幽霊の概念を今こそ改善すべきです。そもそも『女』幽霊と表現するのもいかがなものか。男優も女優もひっくるめて『俳優』に統一する時代です。あなたは思考停止しています」
「……私だって、生前男に弄ばれ、結局捨てられた! しかも遺体は井戸に放り込まれ……。これが伝統なの!」
貞子系はグウの音も出ないらしく、歯を食いしばったまま海亀の産卵みたいに泣いている。
パチパチパチパチ……。
7人の女たちから拍手された。
ふり返ると、ソファーに腰かけていたバブル女は、吉本新喜劇みたいにずっこけている。
私はさらに畳みかけることにした。
「だからこそ、新しい風を取り込むべきです。ジェンダー問題に切り込みましょう。男の自分勝手な言い分が通る時代は終わった。男側にも非がありましたが、被害者である女側にも落ち度があります。どうせ自分は非力な女だからと甘えが鼻につきます。今こそ私たち自身の変革を遂げないとなりません。幽霊だからといってテンプレートに従う必要はない!」
こうして私は、貞子の座を陥落させたのだった。
了




