冒頭
朔望団は末期症状を呈していた。末端のメンバーまでもが、秘密であった団の紋章を一種のステータスとして部隊衣装に忍ばせるようになってしまった。
目指す理想に目が眩み、そこへの現実的な手段は計算できない。ゆえに、その証を記すだけで団に身を置くこととその酔狂さに溺れているだけ。
そう言った類いの者が増えるほど、安直に過激なこと言い出し、負けじとそれを実行してしまう者が出て来てしまう。
成功すれば革命、失敗すれば事件、それより大掛かりであれば乱と評される。今の朔望団は、やれたとしても小さな事件を起こす程度の集団に成り下がっていた。
だから紋章程度は多少の規律違反で目をつぶられている、制服を着崩す高校生、その程度の集まりだ。
この状況を諦めにも近い眼差しで見つめる者がいた。和泉である。
なんと例えたら良いものか。彼は諦めの中にあっても、ここからどうすべきかという算段を考える。
彼自身は団の紋章は入れていない、ただ流行りはジャケットの襟内に入れらしい。合成繊維のなんとも言えない感じがする。ここに刺繍として入れるそうだ。刺繍の素材で質感も変わるだろうし、その辺で個性とか言うのだろうか。
朔望、新月と満月を指す。マナを持たない自分たち新月が、奮起し満月へ向けて満ちていく様を理想としてる。
それならば入れるべき刺繍は新月だろうに、満月を入れてしまっては、何かが違う気がする。
流行りの場所をもう一度撫でてみる、あってもなくても違和感しかない。
旅団の03小隊長、ナガイさんが亡くなったそうだ。戦死扱いになっている。違和感はないが納得感はない。マナを持たない者の希望の星だったが、それはもう昔のようだ、彼の後を継ぐ者はいるだろうか、仮にいたとしてもそれはどんな奴なのか。
そもそも枯れてしまっていたあの人の意思を継ごうと言うという奇特なやつはいるんだろうか。そいつと自分は仲良くなれるんだろうか。
そしてなんだかわからないうちに、朔望団の長、筆頭と呼ばれるようになってしまった。純粋に、ただ恭順するだけでなく、自分の存在証明をしていたらいつの間にかそういう言われになっていた。自分より少し上、自分が新兵の時にエースと呼ばれた人は、ある程度階級を経ている。その人たちに一切敵う要素はないが、どうやら新兵あたりから見たら、自分はそのエースと呼ばれるポジションにいるらしい。
自分たちがふざけて、〇〇組とか呼んでいた固有名詞に、自分の名が入るとは思ってなかった。
それで良いのか、自分が新兵の時にみた輝きを今の朔望団が放ってるとは思わない。おかげで、担ぐ後輩たちの代理闘争として、自分であったり同期であったり、直近の先輩、後輩が担ぎ出される始末だった。
ただまぁ、担いでくれる後輩達に対してカッコ悪いことはできないから、理想的な先輩像を演じる部分はある、おんなじように担がれた同期や先輩、後輩はわかってくれるだろう、その対立はフェイクなんだって。君らとの付き合いの方が長いからわかってくれるはずだから。
人を担ぐタイプには二種類いると思う。ほんとにそう思っているか、又は、処世術として今は担ぐべきものを理解している者。後者の人間の方は担ぐ神輿が変わっても担ぐし、担がれてもしれっと神輿になれる。
社会的、生存戦略としてもそれが正しいとされるだろうが、不思議なことに人はそうでもないのが、和泉の苦悩を重たいものとさせていた。
マナがない、虐げられている、強い表現で言えば差別される者のうち、和泉を頼る者、ナガイを頼る者、その本質はあまり変わるものでは無いのだろう。
だから改めて、自分達の立場や、目指すべき方向、そもそもの主旨を声高に言うことが億劫になってくる、わかってくれてるだろう、それくらいは大丈夫という甘えが少しずつ何かを蝕んでいる。
自分の代わりに言ってくれる誰かをぼんやりと求めてるが、具体的には策を講じることができず、担がれた神輿として現状維持に奔走する。
自分の全力を尽くしたか?という問いには胸を張って、そうだとも言えず、末期症状を迎えた団の風紀に対して、強く言う気にはなれなかった。




