40.真央の小さな嘘
「結。これ、新しい本。しっかり読みなさいよ」
「うん、お母さん……」
結は母親から渡された数冊の書籍を手に小さくため息をついた。母親が言う。
「あなたが本が好きだって言うから毎月買って来ているんだからね。あんなラノベなんて言う何の役にも立たない本じゃなくて、こういうちゃんとした本を読まなきゃだめよ」
「うん……」
毎月渡される本。母親も本好きだと聞いたことがあるが、歴史本から純文学までとにかく今の結にとって興味の持てない本ばかりであった。
(『図書祭り』のことなんて口が裂けても言えないよな……)
まだ読みたいラノベはたくさんある。真央や図書室から借りた本は、バレないように一冊ずつ持って来て夜こっそり読んでいる。だがそうすると、どうしても母親の本を読む時間が無くなる。
「結。話を聞いているの?」
「え? ああ、うん。聞いているよ」
どうしても自分の本を読ませたい母親。
どうしてもラノベを読みたい娘。
ふたりの間の溝は容易に埋まることはなかった。
『図書祭り』が終わって数日。真央の頭の中にはたったひとつのことだけで占められていた。
(どうやって花火大会行きを阻止するか……)
結が友達と一緒に出掛けて事故に遭った花火大会。天に与えられたこのチャンスを活かしどうしても彼女を救いたい。だが運命は避けられぬのか、既に結は友達と一緒に行く約束をしている。図書祭りでふたりの距離は随分縮まった。とは言え友達との約束を反故にするほど強力ではない。
「なあ、結」
放課後、図書室で作業をする結に真央が声を掛ける。
「なに?」
亜麻色のボブカット。薄い夏服に大きく張り出した胸。図書祭りの影響もあるだろうが、結や美香目当てにここに来る男子生徒は一定数いる。真央が言う。
「学校終わったらさ、一緒にラノベ見に行こうよ」
「ラノベ? どうしたの急に?」
結が『ラノベ』と言うワードに一瞬身構える。母親の顔が脳裏にちらつく結に、真央が言う。
「え、なんで? 約束したじゃん。図書祭りが終わったら一緒にラノベ見に行くって」
「え? そんな約束したっけ??」
「したよー。酷いな」
結は少し首を傾げながらも頷いて答える。
「ごめんね。忙しくてあまり覚えていなかった。今日の帰り? いいよ」
「ありがと!」
真央はそう言うと本の清掃作業に戻る。
(ごめん、結。本当はそんな約束なんてしていない。でも、このままじゃお前を……)
――救えないかも知れない
真央が本をじっと見つめる。それは結についた『小さな嘘』であった。
「うわー、やっぱり人が多いね!!」
夕方の駅前ショッピングセンター。ランチを楽しんでいた主婦に代わり、今は学校帰りの学生で溢れている。冷房の効いた建物内、入った瞬間体の汗が引いて行く。結が尋ねる。
「ねえ、今日はどんなラノベ、紹介してくれるの?」
「そうだな、最新刊でもまず見ようか」
真央は思い出していた。先の世界で結に誘われてこうしてラノベを見に来ていたことを。今思えばあの頃自分は鈴夏に振られ酷く落ち込んでいた。もしかしたらそれに気付いた結が誘ってくれたのかもしれない。
(結……)
エスカレーターの前に立つ結。小さな体。綺麗な髪。ぎゅっと抱きしめたくなる衝動を我慢する。
(お前が俺を助けてくれたように、必ず俺もお前を助けるから!!)
未来は俺が変えてやる。運命に抗ってやる。真央は改めて心に強く誓った。
「おおー!! 凄い新刊置いてあるよ、真央君!!」
広い売り場にずらりと並べられたラノベの新刊。母親の顔がちらつくも、やはり好きなものを前に興奮が止まらない。真央が真剣な顔で言う。
「なあ、結。夏休みの花火大会、やっぱり俺と一緒に買い物にでも行かないか?」
「え?」
結が振り向いて真央を見つめる。そう言えば前にも花火大会について聞かれた。だが友達との約束がある。
「えー、ダメだよ。先に約束しちゃったし」
「どうしてもダメ?」
「うーん……」
結はどうしてその日にわざわざ買い物に行かなきゃならないのか不思議であった。真央が尋ねる。
「じゃあさ。俺もその花火大会に一緒に行っちゃダメ?」
「え? 真央君も??」
結が考える。花火大会に行く女友達は、真央と出会った当初彼から自分を守ってくれた友達。正直言ってあまり彼を好いていない。少し考えた結が答える。
「うーん、分からないけど友達に聞いてみるね。でもどうして?」
素直な気持ち。どうしてそこまでこだわるのか。真央がやや照れながら答える。
「結の浴衣姿が見たいに決まってるだろ……」
(え?)
結は一瞬嬉しさを感じる反面、驚きもした。
(どうして私が浴衣を着て行くって知ってるの……??)
友達にも話していない浴衣の件。なぜこの段階で真央が浴衣を着ることを知っているのか。花火大会だから浴衣なのか。
ひとまずそう安直に思うことにした結。ラノベコーナーに行き、本を手に取って言う。
「ねえ、それよりこれってどうなの? 面白そう」
「ああ、それね。俺もまだ読んでいないけど、結構人気あるよね!」
真央もそれに合わせる。花火大会同行は可能か。今彼の頭はそのことで一杯であった。
「ほんと最近すっごくラノベについて聞かれて、私ももっと勉強しなきゃ」
「そうだね」
好評だった『図書祭り』以降、本に興味を持つ生徒が増えた。当然図書委員が質問される機会も増え結達も楽しみながらも苦戦している。王道はもちろん、常に最新の情報を仕入れて置かなければならない。結がラノベを持って嬉しそうに言う。
「これ読みたい! 面白そう!!」
「ああ、これも読んでみたい!!」
盛り上がるふたり。好きなことだから当然なのだが、真央はこんな時間がずっと続けばいいと思った。だがそれを打ち破る人物が現れる。
「結……?」
(え?)
その声を聞いた結が驚き、ゆっくりと振り返る。
「お母さん……」
結の母親。ラノベを本と認めない教育熱心な母親。最悪の場所、最悪のタイミングでの母親の遭遇となった。




