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39.思わぬ事態

「高橋先輩、ちょっとお話があります……」


 テニス部の練習の後、渡瀬鈴夏(りんか)は神妙な顔つきで恋人である高橋に言った。短髪で日に焼けたイケメン。同級生の女の先輩と仲良く話す高橋を、鈴夏がじっと見つめる。高橋が言う。


「なに?」


 とても歓迎されている表情ではない。一緒に居た女の先輩が高橋に言う。


「なに~? なんか訳あり??」


 茶髪のポニーテール。軽そうな女でちょっと声を掛ければどこにでもついてくるようなタイプ。高橋が言う。


「そんなんじゃねえよ。……で、なに?」


 鈴夏は下を向き、少し間を置いてから言う。



「私と先輩、付き合ってるんですよね?」



(!!)


 高橋と女の先輩が吃驚した表情となる。女が言う。



「えー、なになに!? 高橋って渡瀬と付き合ってんの??」


(くそっ……)


 鈴夏の思いつめた表情と、対照的な高橋の怒気を含んだ顔。この話は公にはしないと約束しておいたはず。高橋が顔を引きつらせながら答える。



「……ちげーよ」



「え?」


 鈴夏の目の前で何かが音を立てて崩れていく。

 知らない土地に来て不安だった自分を慰めてくれた先輩。勉強に、テニスに色んなことを教えてくれた先輩。だから真央を捨ててまで彼を選んだ。鈴夏には彼しかいなかった。震えた声で尋ねる。



「先輩、嘘でしょ……?」


 高橋が目を逸らし、舌打ちしてから言う。


「もう、うんざりなんだよ、お前は!!」


(!!)


 初めて見せる高橋の怒り。まるで人が変わったかのよう。そして突然隣にいた女の先輩の腕を掴み上げ、強引にキスをした。



「えっ!? なに……」


 全く状況が理解できない鈴夏。力づくでキスされた女の先輩が、唇を舌でペロリと舐めてから高橋に言う。



「な~に、こんなところで?? 発情??」


 慣れている。決して初めてじゃないと鈴夏は思った。高橋が女の体をぐっと自分の方に引き寄せて言う。



「お前はキスどころか、手も握らせねーよな??」


「……」


 鈴夏が黙り込む。付き合い始めてすぐにやたら体を触ろうとする高橋を拒否した。手にも触れられた。だがなぜか悪寒が走りすぐに振りほどいた。高橋が馬鹿にしたような笑みを浮かべて言う。



「うんざりなんだよ。約束も守れねえ、男に尽くせねえつまらねえ女なんてよ」


「うっ、ううっ……」


 自然と涙が溢れた。距離は感じていた。気持ちの変化も感じていた。だがここまで酷いことになっているとは思ってもみなかった。女が言う。


「や〜だ、泣かせちゃって、可哀そうじゃん……」


「黙ってろ」


 高橋はそう言うと再び無理やり唇を重ねる。



「……もう無理」


「はあ?」


 小さな鈴夏の声。唇を何度も重ね合うふたりを見て鈴夏が言う。



「もう無理です!! さようなら」


 これ以上はその言葉通り無理であった。すべてを否定されたような感覚。新しい場所で頑張ろうとしてきた自分のすべてが崩れていく感覚。

 鈴夏は顔を抑えながら夕焼けでオレンジに染まった空の下をひとり走った。






「お疲れ様~」


「あら、藤原さん。お疲れ様ですわ」


 放課後、図書室にやって来た結が先に来ていた美香に挨拶する。まだ昨日の『図書祭り』の余韻が冷めやまぬ図書室。今日もいつもよりずっと多くの生徒がやって来ている。結が美香の隣に座り作業を手伝う。


「昨日は楽しかったですね」


「ええ、それはもう素晴らしき体験でしたわ」


 他人と協力して作り上げた『図書祭り』。コスプレという未知の世界を経験できたし、一番の目的であった本の啓発も上手くいった。


「ハンバーガーもとても美味しかったですわ」


「そうだね~、西園寺さんって普段あまりあんなの食べないのでしょ?」


「え? ええ、まあ……」


 結は物珍しそうにハンバーガーやポテトを頬張る美香をずっと笑顔で見つめていた。まるで初めて食べたかのように喜ぶ美香。三人の打ち上げはいい思い出となって胸に刻まれた。結が尋ねる。



「あれ? 真央君はまだ来ていないの?」


 美香がやや寂しそうな表情で答える。


「ええ。何でも補習があるとかでまだいらしてませんの……」


 美香の手の動きがやや遅くなる。


「そっか」


 それに気付かない結。少しの。本を借りに来た生徒の相手をしながら美香が言う。



「藤原さん、ごめんなさいね……」


「え? な、なにが!?」


 突然の謝罪。意味の分からない結が慌てて尋ねる。人がいなくなったカウンター。美香が言う。



「わたくし、少し前まで藤原さんにとても失礼な態度をとっていましたわ……」


「あ、ああ……」


 野暮ったい女とか、平凡とか確かに色々言われた。美香が言う。


「わたくしね、なぜか分からないのですが、真央さんと藤原さんが仲良くする姿を見ると気分が悪くなってしまうんです……」


(え?)


 本の整理をしていた結の手が止まる。



「だからあんな酷いことを。本当にごめんなさい……」


「あ、いや。その……」


 美香が赤い髪をかき上げて言う。


「今でも藤原さんと仲よくする真央さんを見ると胸が苦しくなるのです。でも以前よりずっと楽になりました。何なんでしょうね。本当にわたくしの方こそ訳の分からぬ女でございますわ……」



(西園寺さん、気付いていないんだ……)


 美香をじっと見つめながら結が思う。



 ――自分が真央君のこと、好きだってこと。



 ガラガラ……


 そこへ図書室のドアを開け真央が現れる。



「あー、しんど。補習とかマジ訳分からん……」


「真央さん、お疲れ様ですわ!!」


 それまでやや湿った顔をしていた美香の顔が一気に明るくなる。真央が言う。



「お疲れ~、さあ、仕事頑張るか」


「ええ、頑張りましょう!! 真央さん!!」


 カウンターにやって来た真央を笑顔で見つめる美香。結は想像していなかった事態に、思わず無言となってしまった。

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