34.魔王の謝罪
「ねえ、美香様。ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか?」
月曜の朝。自転車置き場から姿を現した美香に、待っていた取り巻きの女達が尋ねる。朝から美しい赤髪を靡かせ圧倒的存在感を放つ美香。そんな彼女に取り巻きは心奪われるのだが、どうしても聞きたいことがある。
「何かしら?」
髪をかき上げる優雅な仕草。これが同じ高校生だとは思えない。取り巻きが尋ねる。
「あの、どうして美香様はサッカー部のマネージャーをお辞めになったんでしょうか?」
サッカー部のマネージャー。誰もが知る強豪校で、そのマネージャーは才色兼備が務める言わば『上級職』。美しい先輩に交ざり、見事に業務をこなす美香は取り巻き達の自慢でもあった。
それが最近なぜか目立たない図書委員の仕事ばかりしている。彼女達が不思議がるのも無理はなかった。美香が手を口に当て笑いながら答える。
「おーほほほほっ!! そんなことでしたか。簡単でございますわ。サッカー部のマネージャーは既にご立派な方々がいらっしゃって、改めてわたくしが行かなくても大丈夫と思っただけですわよ」
「で、でもどうして図書委員なんかを……」
「皆様の為でございますわ」
「皆様の為?」
取り巻き達が首を傾げる。美香が頷いて言う。
「ええ、そうですわ。学校とは学びの場。わたくし達生徒にとって学業は大変大切なもの。その学びの大きな手助けになるのが本ですわ。しかしその大切な本がある図書室は、お世辞にも良い環境とは言えません。華がないのです」
取り巻きの目が輝き、そして言う。
「分かりましたわ! それで美香様がご加入されて、華になると」
「おーほほほほっ!! そうですわ、その通りですわ!! わたくしが図書室にいることでより多くの生徒が学びの場に足をお運びになる。これこそ生徒の務め。わたくしの本望でございますわ!!」
取り巻き達が何度も頷いて言う。
「素晴らしきご考察。感銘しましたわ!! さすが美香様!!」
美香も頷き、そして言う。
「それではわたくしは少し用がございますので、この辺で……」
「一緒に参りますわ!!」
(え?)
美香の顔が一瞬引きつる。実は今日、真央に『魔王様の憂鬱』を貸して貰うようお願いしようと思っていたところであった。だが取り巻きの前で自分が頭を下げる姿を見せる訳にはいかない。一瞬考えた美香が取り巻きに言う。
「分かりましたわ。実はこれから来月に行う『図書祭り』の責任者の元へ行くつもりですの」
「責任者?」
「ええ、そうよ。本来、このわたくしがすべて仕切って祭りを成功させても良かったのですが、それでは他の方の成長を妨げてしまう。ですので今回はあえて、彼にすべてを任せたのですわ」
「さ、さすが、美香様。思慮深い!!」
何度も頷きながら美香が言う。
「とは言え相手の立場になって考えれば、あの西園寺美香に指示を出さなければならないと言う重圧。それを少しでも解消させてあげようと思いまして、これからあえてお願いをしに行くところなのでございますわ!!」
「おお、なんてお優しいのでしょう。美香様」
「相手にご配慮されての立ち回り、感服です!!」
美香は満足そうに髪をかき上げ、取り巻きと共に校舎のエントランスへと向かう。そしてその祭りの責任者を見つけ声を掛ける。
「少しご相談がございまして。お時間、ございますでしょうか?」
(美香様、なんて低姿勢!! さすがです!!)
取り巻き達が美香の変幻自在の振る舞いを見て驚嘆する。他者を立てる為にここまでできるのか。尊敬の眼差しが美香に向けられる。真央が答える。
「相談? どうしたん?」
「ええ、実はお願いがございまして。『図書祭り』成功の為、メイン題材になる『魔王様の憂鬱』をわたくしにお貸し願えませんでしょうか」
(ただ本を貸すだけの簡単なクエスト! 相手があの男で驚いたけど、これなら彼のプライドも保てるし見事なご配慮。素晴らしいです、美香様!!)
もう何をしても共感しか呼ばない美香の言動。取り巻き達がその思慮深さに卒倒しそうになる。
「え? ああ、まだ読んでなかったのか。いいよ、明日でも良ければ持ってくるし、早く読みたければ今日うちに寄って行く?」
図書室にある本は残念ながら貸し出し中。祭りまでの期間を考えれば少しでも早く読んでもらいたい。そう思っての発言だが美香には十分すぎる程衝撃であった。
(わ、わたくしをご実家に招待ですって!? ど、どう言う意味なのかしら……!?)
深い意味などない。ただ単に早く読ませたかっただけ。美香が額に汗を流しながら答える。
「そ、そうですわね。早く読んでおきたいですし、真央さんがどうしてもと仰るなら、お、お宅にお邪魔させてもらっても構いませんですわ……」
段々声が小さくなる美香。取り巻き達はそこまでして祭りの責任者に華を持たせたいのかと感激する。
「おい、西京!!」
そこへ大きな声を上げて金色の髪のイケメンがやって来る。真央が答える。
「西の勇者か」
「勇者じゃない!! ユーシアだ!!」
西野が更に大きな声を上げる。周りにいた人がその声に気付き注目し始める。西野が言う。
「お前、許さないからな!!」
「何がだ?」
「何がじゃないだろ!! 卑怯な手を使って結ちゃんを奪い、そして美香さんまで……、あっ」
西野がようやく近くにいた美香に気付き驚く。美香が申し訳なさそうな顔で言う。
「ユーシアさん、大変ご迷惑をお掛けしました」
「美香さん……」
突然辞めてしまった美香。ユーシアが尋ねる前に美香が説明する。
「実はですね、我が校の学びの為にわたくしはこの身を捧げて図書活動に尽力することを決めましたの。サッカー部には素晴らしき先輩方がたくさんいらっしゃいますわ。わたくしがいなくても恐らく問題ないでしょう」
「だ、だけど……」
一年で既に学校一の美女と呼ばれる美香を失うのはやはり痛い。諦めきれない西野が未練がましく言う。
「何も言わずに辞めてしまうなんて、僕はとても心が痛いのです……」
女性に対しては徹底的に紳士。その豹変ぶりはもはや芸術レベルである。それを聞いていた真央が美香に尋ねる。
「どう言うことだ? 図書委員になりたいと言ったくせに、マネージャーをきちんと辞めていなかったのか?」
やや動揺する美香が下を向いて答える。
「え、ええ。わたくしから直接退部する旨はまだお伝えしては……」
図書委員になった際は勢い。バイトに、姉妹の世話と忙しい美香にとっては退部を伝えに行く時間すら惜しい。真央が西野に頭を下げて言う。
「それは失礼した。西の勇者よ」
(え!?)
驚いたのは西野。なぜいきなり関係のない男が頭を下げるのか。真央が言う。
「敵対する勇者とは言え、我が下部の犯した失態。主としてここに謝罪致そう」
頭を下げたままの真央に西野が顔を引きつらせて言う。
「な、なに言ってんだよ!! お前には関係……」
「ある!!」
顔を上げた真央が強い口調で言う。
「部下の失態は我が失態。礼節をもって貴様に謝罪致す。申し訳なかった」
「く、くそ。もういい!!!」
周りの視線。何が起きたのかと皆が興味津々で見つめる中、これ以上事を荒立てることができなくなった西野が悔しそうな顔で立ち去って行く。美香が言う。
「あ、あの、真央さん……」
「いいのだ。気にすることはない。今日中にきちんとそなたが部に伝えに行けばよい」
「は、はい。分かりましたわ……」
何度も頷く美香。そして尋ねる。
「あ、あの、それで今日、本は……」
「無論、貸してやろう。我が家に来るが良い」
「わ、分かりましたわ!!」
美香が嬉しそうな顔をする。それは学校では決して見せたことのない、屈託のない美香の笑顔であった。




