03 カッコウ
養子。養ってもらう子。僕は早くに両親を事故で亡くし、母の姉の家族が僕を引き取った。叔母さんの家族は、二人兄弟で僕の二つ上の姉と、僕の三つ下の弟、叔父さん叔母さんの四人家族だ。叔母さんは、僕の母さんと仲が良くなかったらしい。僕の顔を見ると憎たらしそうに眉をひそめた。二人の子供も母親につき、母が嫌う僕を彼等も嫌った。おじさんは仕事が忙しく、なかなか家に帰らないないが、家に帰った時は僕を気遣い、僕とも遊んでくれる。僕は叔父さんに気に入られたくて、必死だった。それは生きていくための戦略でもあったが、何より僕は叔父さんのことを喜ばせたかった。僕のことを拾ってよかったって思ってほしかった。運動も勉強も両方できるように、家に帰る前に何時間も居残りして、グラウンドで走り回り、ヘトヘトで家に帰って全教科の予習復習を毎日欠かさずにやった。学校ではみんなが僕の周りに集まった。勉強を教えてあげたり、速く走るコツを伝授したり、お話を聞いたりした。しかし、家では誰も僕に近づかない。避けられている。当然だ。三人は僕が嫌いなのだから。一緒に食事をすることも、テレビを見ることも、ゲームをすることもない。でも平気だ。テレビもゲームも勉強の邪魔にしかならない。僕もまた彼等との対話を拒んだ。中学生に上がっても相変わらず、成績は下がらず、勉強もできた。しかし、僕は小学生の頃ほどの人気は保てなくなった。顔だ。担任はいつも心技体を磨きなさいと口癖のように言っていた。学校生活に置き換えれば、性格・勉強・運動。確かにそれさえあれば小学校では生きていけた。中学校に上がって、僕に求められたのは顔。心技体という言葉を作った人間に、もう一つ器を書き加え、四字熟語にしろと説教してやりたい。僕は初めて両親を憎んだ。彼等の顔は思い出せないが、よほど醜い顔だったらしい。それでいて、自分の子供を育てる能力もなく、自分の妹に押し付けたとあれば、よほどの弱虫だったらしい。地を這う醜い芋虫同士が唇を合わせ、体を重ねた。吐き気がする。吐き気がする。自分の顔を鏡で見る度に、そんな醜い虫の生殖を思い出す。何もかもに意味がないように感じられた。容姿さえ、容姿さえ整っていれば、心技体の名に人持たずとも、金も仕事も友人も女も手に入るんじゃないか。そんな風に思った。それでも、芋虫の子はなんとか中学校を乗り切った。高校に上がり、僕のクラスにはいじめがあった。いじめられているのは僕じゃない。いじめられている男は、勉強はそれなり、運動は問題外、性格は知らない。顔は僕より醜い。それを見て、自分があそこにいない理由が分かった。いじめているのは、勉強ができず、運動もそこそこ、性格はクズ。顔は醜い男。しかし、いじめられている彼、いじめているゴミ、僕。誰が一番醜いか番付をつけるのは難しい。人は美しいものに番付はつけられても、ある程度の閾値を下回ると急激にその区別が難しくなる。というより、興味を失うのだろう。僕はクラス全体の観察を続けている。クラスのカーストはほとんど顔で決まる。カースト上位は、顔顔顔。顔さえ良ければあそこにいる。運動・勉強に過度な凹みがあると、一段落ちていじられキャラとして準上位に入る。中位はぐしゃぐしゃだ。運動だけ飛びぬけてできて性格もそこそこ良いとか、勉強を教える代わりに自分を守ってもらうように周りを頭の不出来な馬鹿で囲っていたり、中位は見ていて飽きなかった。下位は見ていられないが、最近は少し面白い展開があった。あのいじめられている男といじめられている男の二人。いじめられている男は誰も助けない。噂では、彼は小学校の頃は誰からも嫌われる性悪だったらしい。今いじめている男も中学校から同じで、ついに堪忍袋の緒が切れたらしい。しかし、その彼も今や誰からも相手にされない。誰も止めない。傍観者は止めず、当事者は止められない。あのいじめが終わった瞬間、男はいじめっ子から、誰からも無視される路傍の石にレッテルを張り替えられる。彼は、自己実現のために殴っているのだ。なんて歪んだモラトリウムだろう。終わりのないいじめ。殴り続ける限り、彼は一生大人にはなれない。ほんの出来心だった。あのいじめを止めれば、僕はクラスメートから称賛されるのではないだろうか。おじさんから褒められるのではないだろうか。僕はすぐにその出来心に従って、いじめっ子の方を叩いた。
「ねえ」
「ああ!?なんだよ!」
「いじめ。やめなよ」
「・・・は、はん!説教か!?そんなに偉いご身分なのかおめえは!ああ!?」
声が大きい。顔から脂汗がだらだらと流れている。まさか今日、たった今唐突にいじめを止められるとは思ってもみなかったらしい。焦った彼は僕に思いっきり、大振りでパンチをお見舞いしようとした。やっぱり、喧嘩馴れしてないんだな。僕はあっさりそれを避ける。彼はまた焦って、僕にグルグルパンチをお見舞いした。もう避ける気にもならない。彼の拳は全く腰が入っていない。握力も僕の半分だった気がする。どうりで。僕は自分の拳を内側から壊すほど、四肢を握り込み、それを親指でさらに押しつぶすように、自分の拳を握る。そして、その拳を彼の鼻柱に見舞ってやった。彼は、そのまま後ろに吹き飛び、誰も使っていない机と椅子と一緒に飛んでいき、ロッカーに衝突するまで止まらなかった。ロッカーはベコっとへこみ、彼は動かなくなった。いじめられっこの方を見て、僕は微笑む。
「大丈夫だった?」
頭の中で練習した通りに言えた。
「ああ。・・・ありがとう」
ああとありがとうの間に、小さい声で何か言った気がしたが分からなかった。僕は、物音を聞きつけ走って来た先生に連れられ、生徒指導室に半日拘束された。いじめっ子はロッカーに当たっていて、何の後遺症も残らなかったらしい。そのおかげでこの事件は、学校内でもみ消された。いじめも黙認していたもんな。階段で転んだことにしたのだろう。仲直りの握手もしたじゃないか。一件落着だ。家に帰って、自分の部屋に戻ってすぐにベッドに横たわったが、興奮でほとんど眠れなかった。深夜になってようやく浅く眠れた。
泥でできた醜い巨人が、街を襲い、人の顔を一つずつ親指で潰す夢を見た。
夢から覚めた時、どうしてあれが夢でこちらが現実なのかと憤るほど楽しい気分だった。夢の中でも空など飛んでいない自分を嘲るような気分と共に笑みが漏れた。学校から出るとき、叔母の二人の娘と息子が俺を化け物呼ばわりした。俺はそれに笑顔で応えた。二人は靴を踵に踏んだまま玄関から飛び出していった。醜い笑顔とはこうも暴力的なのだ。それは笑顔が獣が牙を剥く所作に由来するという一説を思い出させた。学校について、教室に入るとクラスメートの一部が俺を拍手して迎えた。そいつらはクラスの上位たちだ。
「いやーかっこよかった」
「ほんと、ほんと。すごかったよ」
彼等は笑顔で僕の肩を叩き、称賛した。そしてスマホを取り出し、とある動画を見せた。僕がいじめっ子を殴った動画だった。その動画はインターネットに共有されており、すごい数の高評価があった。見世物は僕に代わったということか。コメントも僕を称賛する者だ。動画のタイトルは【いじめっ子成敗】だった。たったこれだけ。たった一文で、暴力は正当化されるのだ。コメントの一つに、これで顔が良ければねと書いてあるのを見つけた。僕はそれを見て、大笑いした。そうかそうか。結局は顔なのだ。
「人生終了おめでとう」
スクールカースト最上位の男が言った。周りの取り巻きも笑っている。
「いくら相手がいじめっ子でも暴力はダメだよね。制服から学校は特定できるし、君の大学進学も無理だね」
人生終了。地球が終わる最後の一日に何がしたいかという質問がある。僕は迷わず答えるだろう。むかつく奴らの皆殺しだ。あの泥の人形のように。俺は拳を握り込む。昨日やったみたいに。そしてスマホを見て笑っている俺の一番近くにいた男を殴った。男は顎を殴られたため、すぐに伸びた。彼等は、スマホを構えた。それが俺の暴力に対する応戦というわけだ。
「話聞いてなかった?暴力はダメだよねって言ったんだけど」
伸びている男の持っていたスマホを今喋った奴に投げる。避けられもせずに目に当たり、椅子から滑り落ちて尻もちをついた。目を押さえながら、恨めしそうに呻いている。俺は彼の頭を踏みつける。何度か踏んで静かになったと思ったら、俺の内履きが汚い体液で汚れている。キャアキャア猿のような悲鳴がうるさかったので、机の足一本を片手で持ち、女に投げつける。机の足を口に突っ込んで、前歯が折れている。
「机をしゃぶってるぞ。撮れ。面白いだろ?」
俺は近くにいた男にスマホを構えるように脅す。スマホのシャッター音が切られる。その音を聞いて、満足したので男の頭を蹴飛ばし、ついでに鼻の穴にペンを二本ずつ突っ込んで、ついでに上から踏んだ。そのうち、先生が走ってくる足音が聞こえたので、俺は机を投げて教室から出ようとするニ三人の男女生徒の後頭部に投げ込んで終わりにした。急ごしらえの人間バリケードを敷いて、俺は教室の窓を叩き割り、1階から学校を早退した。家に帰るまでに真っ赤になった制服の袖を指さす何人かとすれ違ったが、どうせ人生最後の日だ。手を振ってあげた。家の中では、叔父さんと叔母さんがギャンギャンと責め立て合っていた。僕の監督責任がどちらにあるか押し付け合っていた。僕は彼等に気づかれないように裏口から家に入り、台所から包丁を取った。そして包丁をもって、彼等に近づいた。彼等は血だらけの僕に腰を抜かし、二人で抱き合っていた。僕は笑顔に努めた。叔母さんはともかく、叔父さんの顔はとても整っていた。今まであまり気にしてこなかった、長いまつげ、綺麗な二重、通った鼻、薄い唇。何をとっても美しかった。僕が叔父さんが好きな理由が今にしてやっとわかった。何のことはない。僕も容姿至上主義に呑まれていたのだ。叔母さんが急に抱き着いていたおじさんを突き飛ばした。体勢を崩した叔父さんを僕が先に狙うと思ったのか。叔母さんの脳天を包丁でかち割り、突き刺さったままのそれを引き抜いた。僕は包丁で自分の首を切り裂いた。僕は笑顔に努めた。僕の視界は少しずつゆっくり落ちていく。首が落ちてもまだ、絶命していない。そうか。僕には心があるから、たとえ首がなくなってもまだ死なないんだ。でも、だんだん意識が遠のいてきた。この頭が地面にコンと落ちる時、絶命するのだろう。何か最後に、叔父さんに。笑顔。
「おじさんの子に生まれたかった」
叔父さんのあの顔。皆にも見せてあげたかった。