02 とまれ
「あっちーな」
車のエアコンをガンガンにつけているが、壊れているのか大して涼しくはならない。ケチってボロ車を買ったのがいけなかった。それでもかなりしたのに、まともに走ることも叶わなかった。走行距離8,000kmと言われて買ったら、80,000kmだった。チラシに小さい0が書き足されているのを見逃した俺も俺だが。あー、マジで殺したい。
「どこ行く?」
「コンビニで、お酒買い足してくる」
「俺は飲まないのに?」
「私は飲むじゃん」
ムカつく女だ。普通助手席の奴は飲まないのがお約束だろ。女をコンビニまで送り、俺は雑なクリップに挟んだ札を3枚とり、女に渡す。女はわーいといって車から飛び出し、子供のようにコンビニの中に走って行った。コンビニに行くの初めてか。ガラス越しに、アイスを選んでいる彼女は目をキラキラと輝かせて、今にもよだれを垂らしそうだった。犬みたいな女だ。コンビニから袋を二つ持って帰って来た。俺にホットスナックを渡してくる。
「このクソ暑い日に、なんで揚げ物なんだよ」
今日は今月3度目の酷暑日を記録した。と、壊れた声のラジオが言っていた。3日連続だ。
「しょっぱくて熱いチキンと、甘くて冷たいアイスが打ち消し合って、カロリー0」
「・・・はは。天才かよ。大学行けばよかったのにな」
「中卒でーす」
女は両手に揚げ物とアイスを持って、斜めに広げて声を上ずらせた。何事もなかったように、助手席に座り直し、棒付きアイスが髪に憑かないように、触覚を耳にかける。その仕草がやけに艶めいていたが、前歯でガリガリと豪快に嚙み千切るのを見て、その気持ちは気のせいだと思い直した。美味しそうにアイスとチキンを頬張る。それだけじゃ、生きてはいけないらしい。
「で?どこ行くんだよ?」
「ん・・・うーん?海。海見たいな」
カーナビを叩いてみる。ナビAIはとっくに死んでいるが、かろうじて現在地と周囲の画像だけは読み込んだ。
「アリだな。アイス食い終わったら行くぞ」
俺は女がアイスを食い終わるのを、チキンを食いながら眺めていた。廃棄湯寸前みたいな味がしたが、見た目を見る限り普通だ。気分はずっと悪い。一口だけ食べて女に渡した。女は幸せそうに口に放りこんで食ってる。犬みたいなものなのだから当然か。俺はチョコと揚げ物油で汚れた彼女の口をティッシュで拭って、アクセルを踏み込んだ。海はここから30分ほどかかるが、構わなかった。時間は腐るほどある。街が動き始める。車の中から見るこの景色が好きだった。くだらない物も街も人も全部ぶっちぎれる。遠くに見えるクソ溜めみたいな山だけは離れずついてくるが、今日は天気が悪い。山なんて一つも見えなかった。少し進んだところで、女が車を止めてとせがんできた。
「なんだ?」
「見て見て!女子高生!かわいいぃ!」
今日一番の盛り上がりだった。俺はため息交じりに、女子高生たちの反対方向を指さした。
「見ろ。遊園地。城がライトアップされてるだろ。ああいうの見た時に、見て見て言うんだよ」
「遊園地、そんな好きじゃないんだよね。迷子がいっぱいいる気がして」
「ふっ。じゃあ、面白い話してやろうか。この辺で見かける女子高生のほとんどが、制服コスしてるオバさんだ。何を血迷ってんのか、安い制服お揃いで着てんだよ」
「そっかぁ。女子高生じゃないのか」
彼女はいきなり開けてやった窓から、身を乗り出して女子高生もどきに話しかける。
「お姉さん、可愛いねぇ!おじさんのお酒注いでよぉ」
女子高生もどきたちは、自分よりも背の低い同世代かそれ以下のガキが、チューハイ片手に話しかけてきた様子を見て、不審そうな顔をしていた。俺は窓をそっと閉めた。
「お前、そんな酔ってねえだろ」
「うん。もし本当に、女子高生だとしたらこんな大人になっちゃダメだぞぉって思って」
「次やったら殺す」
俺は煙草に火をつけた。イラついている。カプセルを割って、カチッとした音と煙を肺に入れると、ようやく落ち着いた。女はしゅんとしている。俺は一吸いだけすると、右手で持っていた煙草をを飲み終わった飲み物のカップに捨てて、ハンドルを右手に持ち替え、女の頭を撫でる。またしばらく走ると、車が唐突に動かなくなった。降りてボンネットを開けてみると、スロットワイヤーが死んでいた。女は絶対に分からないだろうに、俺と一緒に覗き込んでいた。しばらく車とにらめっこをしていたが、後ろから女に肩を叩かれた。
「ここでもいいよ?」
「・・・いや、ギリなんとかする。100均行って、一番長い結束バンド三本買ってこい。ダッシュダッシュ」
女を急かすと、女は走ってくるまで来た道を引き返した。俺は軍手をつけて、作業に取り掛かる。スロットルバルブのレバーに工具箱の中に入っていた結束バンドを巻き付ける。あとは女を待つだけだ。俺は車のそばを離れながら、さっきの分の煙草をふかした。ぼーっと。ただ、ぼーっとした。何も考えないで済むように。車の後部座席の方を見る。黒く曇ったガラスのせいで中は見えないが、何が乗っているかは分かっている。
「おまたせー!」
女がウキウキで帰ってくる。渡された結束バンドは二本。
「中に何が入ってんだよ?」
「ん?何も」
「何もじゃない。見せろ」
女から袋を取り上げて見ると、見た目だけ豪著な明らかに何かしらの法律違反であろう花火が入っていた。
「おばか!」
「ごめんなさい!」
さっきのコンビニのお釣りは、花火で溶けた。仕方なく、結束バンド2本で応急処置をしてみたが、運転席に戻って窓から手を伸ばしてみると、立ち上がればかろうじて届くか届かないかくらい。スロットルをあけるには足りない。俺は悩んでいる風の女を見て、思いついた。
「お前、ヘアゴム何本使ってる?」
「え?今はお団子作るのに、2本」
「よこせ」
俺は女のヘアゴムを取り、歯で噛み千切り、それを結んで結束バンドにつないだ。ゴム一本、車は繋がった。車は少しずつ進み始めた。女はパチパチとラッコのように拍手し、なぜか得意げに腕を組んでいた。女の髪はお団子をしていたくせがついて、強く黒く波打っていた。俺は彼女の頬を右手でムニっと掴みながら、キスをした。酒の味がした。
「なぜに今?」
「わりい」
「あとで、ジュース奢ってね」
俺達は再び海に向けて出発し始めた。随分と時間を食ってしまった。朝になるまでに海に着かなくてはならないのに。もうすでに空は白み始めていた。
「黄色の信号の点滅さ」
彼女がぽかんと口にする。
「初めて見た時、故障かなって思わなかった?」
「あー。確かにな」
「それでさ、次の信号もその次の信号も黄色の点滅で。黄色の信号なんて、昼間ほとんど見ないじゃん。なんか、これを見れる私は特別なんだなぁって思ってた」
俺はまた彼女の頭を撫でた。彼女はくすくすと笑っていた。
「分かりやすいなぁ」
「何が?」
「なんでもない」
それから、海に着いた。白い砂丘にはひとっこ一人いなくて、女が言った黄色の信号の話を思い出した。彼女は車を降りると、すぐに花火を取り出しコンビニで見たあの目の輝きを取り戻した。ろうそくなんてあるはずもないので、一本一本ライターで火をつけていった。風情がないと怒られたので、ポケットをまさぐると、マッチがあった。
「サイコーじゃん!」
「マッチ一本残しとけよ」
「わかってるよ」
一本一本、丁寧に花火を鑑賞し終わると、花火の袋にマッチと花火の燃えカスを入れる。彼女はそそくさと車に戻ろうとしたが、俺は折角来たのだから海に少し入りたかった。
「せっかく来たんだから、ちょっとだけ海入ろうぜ」
「朝になっちゃうよ」
「ほら、来いよ」
俺はスラックスの裾をまくり、海水にくるぶしまでつかった。女もしぶしぶついてきたが、今までのはしゃぎようとは一転して、海を見ようともしなかった。俺は手でお椀を作り、彼女に海水をかけた。すこし濡れた服の方に目をやったが、すぐに俺の方を見た。
「はやく」
ああ。この女はもうだめだ。太陽が俺の背後にあるのだろう。彼女の顔が順光でよく見えた。俺は、女について歩いて車に戻った。彼女は座席のリクライニングを限界まで降ろしていた。俺は最後の一本の線香花火をポケットから取り出した。彼女はリクライニングを勢いよく戻し、線香花火を凝視していた。
「最っ高のサプライズ!」
俺はマッチで線香花火に火をつけた。線香花火は赤い火花を巻き散らす。下に敷いた新聞紙に燃え移り、俺はそれを素早く、後部座席に投げた。練炭に火が付いた。マッチで火をつけたのは、おまじないだ。練炭は温度が命らしい。燃え移る温度が低ければ低いほど、途中で起きることがないらしい。線香花火の火が最後にパチリと光った後、熱したガラスが溶け落ちるように、落下した。二人でリクライニングを最大まで降ろして目を閉じた。
「ねえ」
「なんだよ」
「私、海、怖かったんだ」
「見りゃわかるよ。何で来たがったんだよ」
「最後なら、怖くないかと思って。綺麗に見えるかなと思って」
「・・・馬鹿だな。怖えもんは怖えよ」
「・・・うん」
「ねえ、まだ起きてる?」
「起きてるよ」
「手、繋いで」
彼女の手を握った。何の温度も感じない。手の感覚がない。彼女は俺が手を繋いだとわかるだろうか。
「もし、目が、覚めたら、覚めたら」
何を言いたかったんだっけ。・・・もう、どうでもいいか。
「キス・・・してね」
そうだ。そうしたかったんだ・・・俺は