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妄百八物語  作者: 天鏡慧
14/18

14 蛍石

医者に言われた。僕の手術は、成功しても病状を遅らせるだけだと。段々目が見えなくなるそうだ。

「ねえ、君ここの人?」

 僕の隣のベッドに女の人が座る。病院義の似合わない若く綺麗なはつらつそうな人だった。大学生だろうか。

「もちろん」

「良かった。相部屋か」

 何が良いんだ?僕はこの女の人が来るまで、この病室を独り占めしていた。正直その方がよかった。読書が捗る。

「私、一人じゃ寝られないんだよね」

 いくつだよ。

「病院食ってまずいの?」

「別に。最初の内は味気ないけど一ヶ月くらい食べてれば慣れるよ」

「いやー。私食べるの大好きだからなぁ。おかず交換しようよ。私、納豆とピーマンと人参とナス好きじゃないの」

「バランス崩れるだろ。何のための病院食だと思ってんだ」

「あ、もうお昼だ」

 彼女はテレビをつける。

「聞けよ」

 彼女に抱いた大人びたとか、おとなしそうとか、そういうイメージは一瞬で崩れた。病院食の時間が来ると、カーテンから手が伸びてきて、カップの納豆が顔を出す。

「みかんと交換」

「するわけないだろ」

「半分。半分でいいから」

 彼女は掌を上に向けたまま催促する。仕方がないので、みかんの皮をむいて半分やった。掌が形を変え、親指を立てている。子供だ。彼女は病室にいる間、ずっと自然体で俺と話した。医者や看護師のように、大人ではない。実際、夜になると勝手にカーテンを開け、枕を俺の頭に投げてくる。病院に修学旅行でもしに来たのだろうか。

「おやすみ」

 彼女がニコッと笑っている。消灯した病室の中、大して見えなかったが、彼女が笑っていることだけはなぜかわかった。

「おやすみ」

「ブヘッ」

 枕を彼女に返し、カーテンを閉める。本当に仕方がない人だ。翌朝、俺が目覚めるとすぐに看護師がやって来た。

「君の退院の日が決まったよ。三日後。手術は終わったけど、今日から経過観察するからね。それじゃあ、また何かあったらナースコールを押してね」

「はい。それじゃ」

 看護師は俺に手を振り、病室を後にした。隣のカーテンが悪。

「君の退院日。私の手術の次の日だ」

 すっかり忘れていたが、彼女も病人だった。

「何の病気なんだ?」

「肺だったか、心臓だったかの、ガンだって。手術しないと死んじゃうらしいよ」

 他人事のように言う彼女を少し心配してしまった。いまだ自分のことだと受け止められていないのかもしれない。

「成功率は?」

「十パーセントくらい?」

 俺はかける言葉がなかった。

「大丈夫大丈夫。私、今年の運勢大吉だったし。待ち人来るらしいし」

「待ち人じゃなくて、病気のところ見ろよ」

「確かに。でも見て、治らずって書いてあったら、嫌じゃない?」

 流石におみくじに治らずとは書いていないだろうと思ったが、言っても無駄だ。言わないことにした。

「流石に緊張するよね。君は手術終わったんだよね?どこの?」

「目だけ。俺の刃手術で治る者じゃなくて、病状を遅らせるやつだけど」

「本読めるの?」

 俺は本をパタンと閉じる。

「まあ。画数が多いと、ん?ってなるけど」

「お姉さんに貸してみんしゃい」

 彼女に本を手渡した。

「こんな難しい本読んでんの?」

 確かに俺が読むには少し早いかもしれないが、大学生くらいなら普通に読める本だ。それなのに、彼女は少し読んでは漢字の読みが分からなくなり、調べてはまた読み始める。自分で呼んだ方が早いが、ゆっくり読まれるのも嫌いじゃない。彼女の通る声を聞くのも悪くない。

「これ何?蛍石?蛍石って何?」

「宝石。フローライト。天才の石って呼ばれて、受験祈願とかのお守りにもなってる」

「詳し。天才じゃん」

「あなたはもうちょっと勉強・・・」

「・・・ん?」

 そこまで言いかけてやめた。この人はあまり賢くない。成功率が十パーセントになるほど病状が進行している。日常生活にも、支障が出ているはずだ。学校に行けているのだろうか。

「大丈夫。絶対よくなるよ」

 俺は彼女の頭を撫でる。彼女はびっくりした猫のように固まった。

「頭良くなるってこと?」

「馬鹿」

 やっぱりただ馬鹿なだけかもしれない。

 

 彼女の手術の前夜。彼女が泣いていた。俺はカーテンに手を突っ込み、彼女の肩を叩く。

「ん?」

 俺は彼女に親指を立てる。確証のないこと言葉はもう言えない。俺はせめてものエールを送ったが、あまり眠れなかった。きっと、彼女も眠っていない。せめて彼女の苦しみに共鳴してやりたかった。彼女の泣き声が止んで、寝息が聞こえてきて、ようやく俺は眠れた。彼女の手術は一日かかった。彼女がいない病室は静かで、元に戻ったはずなのに、本の文字が滑って何も読めなかった。病院食も味がせず、静かすぎる夜は俺を眠りに誘った。彼女が帰ってくるかもしれないと思って、必死で待とうとした。でも、眠っていないと不安に押しつぶされそうだから眠った。翌朝目覚めて、カーテンを開けても彼女は帰って来ていなかった。母親が迎えに来て、俺は病院着を返し退院した。

「あの人は?」

 俺は看護師に聞く。俺と目を合わせない。

「あー、えっとね」

「いや、いいです。すみません。お世話になりました」

 看護師さんは俺を見送ってくれた。病室を出る前と同じように手を振って俺を病院から送り出してくれた。母親は車を回してくるからと言って駐車場のほうまで行った。本を開いて、続きのページを読もうとすると、栞に何か書き込みがあった。


私は君のおかげで幸せでした。

あなたは寂しくないですか?


「寂しいよ。馬鹿」

 俺がそう言うと、どこからか叫び声がする。その声はドンドン近づいてくる。全体的に黒いスクールブレザーに身を包んだ高校生が走ってくる。

「ちょっと待った!」

 聞き覚えのある声だ。黒い髪がボサボサに乱れ、息も絶え絶えだが、彼女だ。

「手術成功した!」

 彼女は俺に親指を立てた。今日はカーテン越しじゃない。青空の下、俺達はハイタッチをする。彼女がスカートのポケットから、何かを引っ張り出してくる。

「これ!私のお小遣い三か月分」

 彼女は俺にフローライトを手渡した。手術後病院を抜け出し、宝石店にでも行ってきたのだろう。そりゃ、看護師も気まずそうな顔をするに決まっている。

「だから、あの小っ恥ずかしい栞と交換!」

 俺は大笑いした。

「ばか。ほんとばか」

 俺は栞とフローライトを好感した。

「ふー。危ない危ない」

 彼女が落ち着いたのもつかの間、俺を送り出した看護師が、血相を変えて帰って来た。

「手術後は安静にってあんなに行ったのに!あなたは!帰りますよ!」

 彼女は看護師に捕まえられ、病院の中に入っていく。

「またね!」

「うん、またね」

 彼女は確かにここにいた。僕はポケットの中にあるフローライトを大事に握り締める。


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