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妄百八物語  作者: 天鏡慧
13/18

13 望月

 公園のベンチに座っていた。冷たい雨が頬を伝って、流れ落ちる。私は家に帰れない。お父さんにもう帰ってこなくていいと言われてしまった。私はベンチの下に、コートでくるんだ聖書を忍ばせて、このベンチの上で夜を越すことにした。空は、黒く冷たい。私を冷やすためだけに雨が降っているような気がする。黒い雲が白い雷を放って、ゴロゴロと雷鳴が響き、家の中にいる時よりも、何倍も強く私の体の中を揺らす。主よ私をお守りください。何度も祈る。何度も何度も。私の黒い空は何かに遮られた。黒い傘が私を覆った。私の隣に男が座った。男と言っても、私とそう変わらない背格好の男の子だ。その子は、私に傘をさしたまま、何も言わない。

「あの?」

 私が声を掛けるとその子は、ちらっとこちらを見た。黒く細く、天使の輪のように艶のある髪が濡れて、前髪は目にかかっている。しかし、目元は私の想像とは全く違い、優しさなど微塵も感じられず、怒りに満ちた目だった。目に白い光が写っているのではなく、目そのものが黒く輝いているように見えた。その子は、声を発さなかった。

「帰らなくてもいいの?」

 私が言うと、その子は、ギラリと輝くその目を伏せて、小さな声で言った。

「お前が帰らないなら、俺は帰らない」

 困った。私はもう二度とあの家には帰れないのに、この子も道連れになってしまう。

「私のことはいいから。もう帰りなよ」

「お前は誰を待ってる?」

「・・・お母さん」

 とっさに嘘を吐いてしまった。でも、迎えを待っているようには見えるだろう。

「嘘つくな。誰かが待ってるなら、座れなくても雨宿りできるところにいるはずだ。何か用事があったなら、鞄くらい持ってる。でも、お前はびしょ濡れの公園のベンチに座って、傘も鞄も持ってない。コートも着ずに、大事な物だけコートに包んで濡れないようにしてる。違うか?」

 何もかも看破された。黒い炎の眼で見つめられて、私は嘘もつけない。

「正解。じゃあ、神様のお迎えかな」

 彼は何も言わなくなってしまった。傘を持つ手だけは緩めず、私の隣に座った。

「一緒に行ってやる」

「え?」

「それなら、一緒に行こう。俺と」

 じっと私を見つめる彼の眼は本気で、冗談を言うような表情じゃなかった。彼は左手を持ち上げ、それをゆっくり私の頭上に運ぶ。私は反射的に、身を仰け反らせてしまう。

「拒むな」

 彼は私の頭を撫でる。優しく温かい手で、雨に濡れた私の髪を少しずつ梳かすように。

「大丈夫。もう大丈夫」

 私は彼の左手を捕まえた。暖かくて、私より少しだけ大きな手。その手が、今まで触った何よりも暖かい。

「あたたかい」

 彼は傘を持つ右手を下ろした。

「やんだ」

 彼がそう言って、傘を下ろすと雨がやんでいた。奇跡のようだと思いながら、この雨がやめば彼は帰ってしまう。空に浮いたツキを睨んだ。私を冷やすために、雨を降らせ、彼を奪いに月を出す。手を変え品を変え、私を苦しめる。

「そんな顔するな。俺はどこにも行かない」

 彼は初めて優しい顔を見せた。

 炎は消え、彼の眼に月が宿る。

「満月だ」 

 彼がそう言っても、月なんて見なかった。今の彼の瞳より美しいものなどないと言い切れる。彼も私の目を除き続けてくれた。

「今日はもう寝よう」

 彼が言うと、今まで蓄積した疲れが一気に現れ、私を眠りに誘った。

 私はその日、夢を見た。真っ白い部屋で、真っ白のドレスを着た美しい黒髪の女の人が、白い折り紙を折っている。折られた鶴がその部屋を埋め尽くすように並んでいる。女の人は泣いていた。時々、手を合わせて、何かを祈っては、また鶴を折る。そんな夢だった。

「おはよう」

 私が目を覚ますと、隣にはまだ彼がいた。心の底から安心した。昨日は最高の一日だったのに変な夢を見たせいで、彼がいなくなってしまったのではないかと不安だった。

「おはよう」

「おはよう。今日は何をする?」

 一日の始まりにこんなに素敵な問いをされたのは初めてだった。何をするかなんて、選べたことなどなかった。朝起きた瞬間、私は私であることが確定し、何も選べないと思っていた。生まれ変わった気持ちがした。私は今日何をしよう。何でもいい。何にでもなれる気がするし、何でもできる気がする。

「何でもいいなぁ」

 あなたがいれば。

 馬鹿なことを言った。せっかく選べたのに。これは彼と私の最初の物語。次の満月までの、短いお話。

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