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妄百八物語  作者: 天鏡慧
12/18

12 死神

 革靴を鳴らしながら、夜の町を歩く。誰一人歩いたことがないのではないかと思える細道を、男を追いかけ、歩いていく。

「なあ、借りたもん返せって言ってるだけだろう?」

「勘弁してくれ。この通りだ」

 猿より中身のない頭を擦り付け、男は許しを乞う。

「妻も子供もいるんだ。俺がいなくなったら食っていけねえよ」

「それも俺がこしらえてやったもんだろ?」

「うぅ・・・。だけどよ、どんな奴でも、どんなに徳を積んだ奴もあんな力を持ったら誰でもこうなるだろ?」

「そう。誰でも最後は命乞いする。だから、見飽きてんだよ」


 男と出会ったのは、数年と半月前。俺がまずいなまずいなとつぶやきながら、歩いていた時のことだ。野良犬のように薄汚い男が歩いてきた。そして俺とすれ違う直前、くるりと体を捻らせて転んだ。俺を見て、小便を垂らしながら、くわばらくわばらと言った。街の奴らは男を見て笑った。

「なんだ、見えてんのか?」

 俺が男に話しかけると、男は首をブンブン横に振った。

「まあ、冷たいこと言うなよ旦那。良い話を持ってきたから、少し話そうぜ」

 男は俺から逃げていったが、俺は細い道に誘導し、袋小路に追い詰めた。男はもう逃げられないと諦め、ようやく俺と口をきいた。

「なんだよ物の怪」

「へへ。そう来なくちゃな。じゃ、本題から入るぞ。旦那の寿命を半分売ってくれ。お代はお願い事三つだ」

 男は意外な顔をした。俺にとって食われると思っていたらしい。

「半分?」

「ああ。きっかり半分こだ。なんと今なら、願い事三つ叶えます。お得だろ。一生かかっても稼げない巨万の富でも、一生に一度も拝めない美人を惚れさせるでも、なんでも旦那の思うがまま」

 男はうんうん唸りながら考え込んだ。

「物の怪よ。病は直せるか?」

「お安い御用さ。あと、俺の名前は爾見。好きに呼んでくれていいが、物の怪じゃねえ」

「爾見。かかあの病を治してくれ」

 男は自宅に俺を招き入れた。決して綺麗じゃなく、金があるようには見えない小さな家。薬も買えず寝たきりの母親。なかなかの孝行者だと男を見直した。もちろん治してやる。母親の心臓に手を突っ込み、病の種を食う。黒い鼻水みたいなそいつを丸めて男の前で食ってやる。食ってやるのは、孝行息子に対する思いやりだ。このままほおっておけば、この男の家族にうつるから食ってやる。何の栄養にもなりはしないが、俺が食ったところで死にはしない。

「終わったぞ旦那」

 俺がそう言った直後、母親は目を覚ます。

「どこも痛くない」

 母親がキョトンとしているのを尻目に男はわんわん泣いた。そして、母親は何事もなかったみたいに、炊事場に戻っていった。

「よかったな」

 俺がそう言うと、男は泣いたまま俺に何度も頭を下げた。それが、嘘泣きなのはすぐにわかった。こいつは、俺の利用価値に気づいた。人間の醜さを俺は何百年と見せられ続けてきたのだ。

「なあ、爾見さん。今日は宴だ。贅沢なものは出せないが・・・」

「俺は、何も食えん。ああでも、酒は良い。そこの御猪口に少しでいい。酒を注いでおいてくれ」

 その後、母親が蘇ったのを喜び、男兄弟たちはみんなで酒を飲んだ。姉妹たちは、男共の酒のつまみを作り、母親がその音頭を取っている。昨日まで寝たきりだった母親を炊事場に立たせて、自分たちは酒を飲むのだから、いいご身分だ。俺は、ちびりちびりと、誰にも気づかれないほど少しずつ酒をなめる。男共の醜い宴会が終わり、俺は男の寝室に呼ばれた。

「爾見さん。この頭くるくるっと回して考えた!そして、おいら決めた!次のお願い」

 男は酒浸りの口で言った。

「お願い事を百個叶えてくれ」

「ああ。いいぜ」

 男はきょとんとした。まさか本当に通るとはという顔だった。

「爾見さん。いや、爾見。肩をもんでくれ」

「ええ。もちろんお揉みしましょう」

 男の肩を揉んでやるとかなり硬かった。おっかさんを助けたい気持ちだけは本当だったのだろう。昼も夜もなく働いて、その努力が今日報われた。これで終われば、この男は極楽にでもどこへでも行ける孝行息子。だが、人間は俺と関わるとどうしてか、その道を外れていく。二つ目。


「爾見。ついてこい」

「へい旦那」

 男に連れられて街を歩く。男は、そこらの戸を叩いて回る。どこの戸からも、爺さんか婆さんが出てくる。そりゃあそうか。若い奴らはみんな働きに出ている。

「野良男が、こんな爺の家に何の用だ?強盗か?」

 爺は男を見た瞬間に怪訝そうな顔をした。

「そんなこと言うなよ。なあ、どっか悪いとこねえか。なんでも治してやるよ」

「フン。商人くずれのお前に何を治せるってんだ?」

「どこでも、いいぜ。腰でも、膝でも、肩でも、痛いところを言ってくれ」

「全部だ」

 男は、くるりと振り返り、俺と目を合わせると、頷いて合図した。男のお願い通り、爺の体を触り、骨を握って正しい場所に戻してやる。爺は一瞬悪寒のようなものを感じ、体を仰け反らせるが、俺がつかんでいるので倒れはしない。

「どうだい。治ったろう」

 爺は、肩を回し、膝を何度か曲げ伸ばし、最後に何度か飛んで見せた。

「おうおう。飛び回ってる。飛び回ってる。」

「おい。お前さん。い、いくらだい。金はそんなにねえが、うちにあるものなんでも持ってってくれ」

「いやいや。タダでいいよ。世話になってるから」

 爺は元気になった腰と膝で男を持ち上げ、振り回した。

「なんて、いい男なんじゃ。日の本一の名医!孝行息子!村の誇りじゃ!」

 爺が立派な大人一人を振り回している姿を見て、街の奴らが何事かと駆けつける。そして、村の奴らを片っ端から直していった。俺が。

「万歳!万歳!万歳!」

 みんな、男を祭り上げた。健康そのものの老人どもに胴上げされ、男は嬉しそうに微笑んでいる。まさか、爺さんたちに恩返しするのが目的じゃない。男は家への帰りにこう言っていた。

「あの爺さんたちは、俺をしばらくの間、祭り上げてくれる。そしたら、噂は口から口で広がって、いつかはお奉行様やら、遊郭のべっぴんさん達も駆け込み寺みてえにおいらのもとへやってくる」

「そんな面倒なことしねえでも、金銀財宝ジャラジャラ出すこともできやすぜ」

「そんなもんいきなり手に入れちゃ、誰からも怪しまれるし、盗まれる。守り切れても恨まれる。信用が大事なのよ。信用が」

 信用か。確かに男の言うことには一理ある。ただ、信用は怖いもので、積み上げれば積み上げるほど脆くなる。男の言う通り、しばらくするとお役人の使者が来た。よしきたと、男は意気揚々と使者の話を聞く。百両で治してくれとのことらしい。もちろん男は引き受けた。ただし、使者は金だけ渡して、明日来てくれとのことらしい。恐らく、まだこの男を頼っていいか城の中で大揉めしているのだろう。警戒が強く、結構なことだ。男はウキウキと足をバタバタさせながらはしゃいでいる。

「見たか爾見。奉行所の奴がおいらに頭を下げてお願いしに来たぞ」

「ええ。全て見ておりました。まこと、素晴らしいことでございませんか」

「くくく。これで何もかも安泰だ。爾見。寿命を百年、いや千年延ばしてくれ!」

「それはできません旦那様」

「何?」

「最初に言ったでしょう。寿命の半分をお願い事三つで私が買う。そういう約束です。寿命は伸ばせません」

「貴様。物の怪の分際で」

 男は、俺に殴りかかった。男の拳は、俺を通過し、男は壁を殴る。

「ははは。こういう時、お奉行所の連中は刀を抜くんでしょうな。所詮旦那は、商人くずれ。簡単な計算もできぬ商人くずれ」

 男は、何度も俺を殴ろうとして、銃身を崩して転ぶ。俺はけらけらと笑う。男は少し落ち着いて、俺に聞いた。

「簡単な計算とは何のことだ?」

「あんた、自分の寿命が残りいくらか分かるかい?」

「お前と出会った時、おいらは二十。六十まで生きるとして、残りの寿命は四十。それの半分だから、二十。今、俺は二十一だから。残り十九年か?」

「あと、四年だよ。旦那」

 男はまた、きょとんとした。

「どうして!どうして!」

「旦那の寿命は願い事三つで半分。願い事六つで、半分の半分。九つで、半分の半分の半分。旦那、馬鹿だね。何も叶えなきゃ、あんた百まで生きられたぜ」

 男はやってしまったことを悔いて、泣いて泣いてヤケ酒して、また泣いた。朝、男がおきてくると顔色が悪そうな顔で、奉行所に向かった。金をもらった手前、断ることもできず、役人とご対面した。

「治してやるかい?」

「まあ」

「奉行所の奴ら皆殺しにしようか?」

 男は驚いた顔でこちらを見る。天啓でも得た様な顔をしていた。しかし、すぐに溜息をついた。

「どちらにせよ。おいらの寿命が減るだけだ。なら、素直に治してやる。やれ」

「はいはい」

 役人が悪くしたのは肝臓だった。いつもより少し時間がかかったが、ぐちゃぐちゃと握ってやれば役人は目を覚ました。

「お主が医者か?」

「ええ。まあ」

「ありがとう。ありがとう。これで儂は明日も生きていける」

 男が妙な顔をしているのが面白かった。ひょっとしたらこのしわくちゃの役人より早く、この男が死ぬ。そう考えると笑えて仕方なかった。男はこの日を境に、毎日酒を飲み、遊郭に入り浸り、気に入った女を娶っては家でまた飲んだ。俺は、男にお願いされることはなくなった。男が娶った女の腹が大きくなってきた頃、男の母親がまた病気になった。俺は男に聞く。

「治してやるかい?」

「いや・・・いい」

「可哀そうに。孫の顔を見せてやれないぜ」

「いい・・・」

「俺と出会った頃の旦那は、毎日寝ずに働いて、母親を直すために文字通り命まで削ったのにな。あんたそのころ金が無くて、ぼろい布繋いで着てたな。今の旦那は働きもせず、ぐうたらのくせに、いっちょ前にいい服着て、たかが二年やそこらの寿命を削るのも嫌なんだな。なあ、旦那。ケチになったな」

「・・・うるさい」

 からかう価値もない。男は、ぼおっと母親が死ぬところを見ていた。植物みたいになった男に、兄弟姉妹皆縋りついた。母親を助けてくれと。しかし、男は動かない。ただ見ているだけ。母親は死んだ。男は涙ひとつ流さなかった。


 そして、今日だ。男も自分の死期を悟ったからか、夜中に家を出て、俺から逃げようと走っていた。だが、もう逃げられない。命乞いも一通り聞いてやった。

「じゃ、もういいな」

 俺は角帯に差した刀を抜き、男を殺すことにした。

「待ってくれ。最後に、最後に教えてくれ。お前の・・・本当の名前を」

 俺は笑った。

「もう時間切れだよ。旦那」

 俺は男の首をはねた。俺は男の死体から、心臓を抜き取り、口にする。ぐちゃぐちゃと噛めば噛むほど鉄の味がして、ムニムニする。心臓を全て吞み込んでお腹がいっぱいになった。こんなに満たされたのは、五十年ぶりだ。これでまた生きながらえた。しかし、人間の醜さを見るのは疲れる。見目の醜い男は性根まで醜いらしい。今度は綺麗な顔をした人間と契約しよう。


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