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妄百八物語  作者: 天鏡慧
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01 びゃくや

 裸でベッドに寝そべる女。窓から日の光がさして、金髪と見紛うほどの色素の抜けた茶髪がキラキラと光る。これで地毛と言い張るのだから、大した度胸だ。朝焼けに反射する女の体の頭からつま先まですべてが好きだった。俺は女の首を絞める。女は笑いながら、俺の手に手を添える。

「あったかい」

 やや潰れた声で、心底安心したように二度寝する。朝食なんてお互い食べるタイプじゃない。俺は、リビングに戻ってジンを一口飲んで煙草を吸う。酔っぱらってないで、どうしてあんな女と付き合えるものか。あの女と初めて出会ったのは薬物中毒者の会だ。ちなみに、俺は薬物を使用したことはない。あんなものやるべきではない。あの女が証明している。中毒者の会に参加したのも、褒められるような理由があるわけじゃない。ただ、薬物中毒者の人生がどんなものか。覗いてやりたかっただけなのだ。そこで、女と出会った。会はそれを支援する団体の持つ廃倉庫のような会館で深夜に行われた。切れかかった蛍光灯、ツタの生えた窓、全体的に陰湿な緑色の空間で女はひときわ目立っていた。禁煙の張り紙を無視して、煙草を吸いながら、周りを品定めするように、話を聴いたふりをするような目つき。俺と目が合った瞬間に、隣の小太りの男がしゃべっているのも無視し、煙草をポイと捨てて、こちらに近づいてくる。

「あなた、素敵。私に一目惚れしたでしょ!」

 思い出して、口に含んだジンを吹き出しそうになる。頭のネジが全部外れて、全部違うところに無理やりはめ込んだように狂っている。

「ああ」

 イカれてんのか。クソ女。と言うつもりだった。しかし、そんな言葉は引っ込んでいった。女は俺の腕をつかんで、そのまま薬物依存症の会を後にした。

002

 その日は、朝までやっている純喫茶に行った。今では信じられないことだが、二人ともコーヒーを飲んだ。しかし、女は席に着いた瞬間、さっきまで元気いっぱいの少女みたいに無邪気にはしゃいでいたのに、黙りこくった。そしてまた、会の時みたいに人を品定めする目に戻る。俺は何か、彼女を喜ばせる芸を披露しなければならないと、そう思った。

「その香水」

「ん?」

「その香水。俺の兄貴が使ってた」

 滅茶苦茶な嘘をついた。俺に兄弟はいない。いたとして、女がつけている香水をつけるはずもない。

「何その嘘」

 女は笑った。向日葵が一気に満開になったような、太陽そのもののような無邪気な笑顔。そのあとも何か話したような気もするが、あそこで完全に記憶が吹き飛んでいる。

 003

「おい。そろそろ起きろ。遅刻すんぞ」

 俺は現在、彼女の世話係のような仕事についている。朝っぱらからジンを飲んでいるような男が定職についているような口ぶりをするのも変な話だが、女から持ち掛けられた話だ。女は俺が着せるまで、服も着なければ、飯も食わない。世話を焼かれるのが、たまらなく好きな女らしい。しかしこれでも同棲する前よりは大分ましだ。前は、睡眠薬を大量に飲んだとか、キメすぎて血が止まらないとか散々だった。

「行ってらっしゃいは?」

「行け」

「ばか」

 女はすねながら仕事場に向かった。女が何の仕事をしているかは知らない。一応はキッチリとしたスーツを着ているから、なにかしらまともな職には就いているんだろう。俺は再びジンをかっこむ。

もう駆けつけてもらうのも悪いから住めと言われた。俺は、駆け付けるのはもうごめんだから、仕事が終わったら寄り道せずに帰ってこいと言った。女は、言いつけを守っていると思う。帰ってくる時間はまちまちだが、服が乱れていることも酒の匂いがすることもなかった。女は決して俺に怒らないが、ただの一度だけすさまじい剣幕で俺を怒鳴りつけたことがあった。

「どこにも行かないって言ったじゃない!迎えに行くのも面倒だから、必ず家に帰ってこいって言ったじゃない!」

 女は俺に高額の収入を渡す代わりに、絶対に帰って来た時におかえりと言ってくれと頼んでいた。その日は女の薬を買いに行って、少しトラブルに巻き込まれて遅くなった。そのわけを説明しようとした矢先に怒鳴られたせいで、俺は初めてベッドじゃない場所で女を押し倒した。その時のあの言いようもない高揚感を俺は忘れることができない。そのまま、女の首を絞めながら、唇を重ねた。

「愛してる。どこへも行かない。お前の薬を買いに行ってた」

 俺は女の首を絞めていた右手をそのまま首の後ろへ這わせ、女の後頭部をなでていた。髪はサラサラで、確かに地毛というのもうなずけるほどするすると指の隙間に入り込んだ。

「それでも、どこにも行かないで。薬なんて、いつでもいいから、一人にしないで」

 その日は今までで一番優しく女を抱いた。女は幼女のように泣きながら、産声のような嬌声を上げた。

004

「デートしよっか」

 女に酒と夕食を出して、開口一番そんなことを言われた。

「今更?」

「今更。今日職場の人と、今の彼氏との初デートはどこだったって話になって、私何も言えなかったの」

 初めて出会ったのは、薬物依存症の会。初デートは純喫茶とはさすがに言わなかったか。彼女は口いっぱいにオムライスをほ頬張りながら、俺に顔を向ける。拭けと合図している。女の口元を白いハンカチで拭ってやる。

「どこ行きたいんだよ」

「待ち合わせからやろうよ」

「ちゃ」

 茶番だと言い捨てる前に、喉に残ったジンがその言葉をドロドロに溶かしてくれた。危ない。

「わーったよ。やろう。駅前集合な」

 女はもぐもぐと口を動かし、オムライスを飲み込んで、俺にキスをする。甘ったるい味付け。俺はこの味が好きじゃない。最初は味覚が絶望的に合わないことを知り、別々に食っていたが、そのうち、同じものを食べたいと言い出し、結果大分女の好みに寄った味付けに落ち着いた。俺1こいつ9だ。そうして、女の提案に折れていく。

「お風呂まで運んで」

 腕を広げて、上目使い。腹立たしい。

005

 そういう経緯で、俺はしばらくぶりに、女の家を出た。引きこもっていたわけではないが、あいつが返ってくるまでに家にいなければいけなかったから、安心してどこかに出かけることはなかった。服を買って、美容院に行って、ホテルでジンを吐くほど飲んだ。本当に体を動かすのもだるい時に、携帯からコールが鳴る。だるい、だるいが自殺生配信を聴かされるよりましだ。

「なんだぁ?」

「ドキドキしてるでしょ」

「ああ。心臓がバクバクしてるよ」

 嘘じゃない。酒を飲みすぎた。

「明日はどこに行くとか決めてるの?」

「知るか。アドリブだ」

「そっちの方が楽しそう。ワクワクする」

 女はまともな恋愛に強い関心がある。

「人生で一度くらいは、まともな恋愛してみたい」

 薬中のくせに、死に駆ける女のくせに。うんざりするほど女と話して、明日のデートとやらに支障が出ると言って、通話を切った。

006

 駅前で女を待っていた。通り過ぎる人の群れを一つ一つ目で追いながら、女がどんな格好でいるのかどこから来るかも全部内緒と言われていた。女を待つ時間は正直に言えば、楽しかった。想像を膨らませた。もしかしたら、裸で来るんじゃないかという嫌な想像も含めるが。

「お待たせ」

 女は後ろから、俺の肩を二回叩いた。俺は振り返る。女は白いワンピースに明るい土色のジャケットを羽織り、薄ピンクの小さなバッグに3cmくらいの白いヒールを履いていた。愛らしくて、綺麗で、吐き気のするような嫌悪感を覚えた。こいつの服を今すぐビリビリに引き裂いてやりたい。女を四つん這いにさせて、髪を掴んで服従させてやりたい。何もかもが嘘っぱちだ。俺は気が付くと、女の腕をつかんで昼までやっているホテルに放り込んでいた。

「なにすんのよ」

 女は声は張り上げなかった。こうなることが分かっていたように。

 俺は何も言わずに、ただ乱暴に女を抱いた。途中で、ジンをお互いに煽り、一回が終わると煙草を吸った。煙草の火が、ベットと枕に落ちて、ベッドがきしむ度に中の白い羽が舞った。女の体には初めから白い翼が生えていたと錯覚するほど、その姿は様になっていて、その瞬間彼女は俺だけの天使になった。

「大好きだ。愛してる」

「私も」

 結局そのあとも日が沈むまで無茶苦茶して、帰りに目が飛び出るような額を請求されたが、女はキャッシュで払ってしまった。帰り道は初めて手を握って帰った。

「デート」

「ん?」

「無茶苦茶にして悪かった」

「最高だったよ。初デートは朝から夕方までホテルで無理やり犯されたって言いふらしてやる」

 女の手を急に引いて抱き寄せた。女の頬はまだ紅潮していた。夕暮れのせいかもしれないが。

「人生で一度くらいなんて言うんじゃねえよ」

「まともな恋愛はまだ0だよ」

「まともな恋愛は諦めろ。代わりに俺がいてやるから」

「プロポーズ?」

「ヒモ男に婚約指輪は買えねえけどな」

 彼女は大笑いする。

「世界で一番かっこわるい。でも、最高。初デートにプロポーズか。そんな度胸が君にあったとはねぇ」

 ニヤニヤと女が笑いながら言う。俺が思い出せる最後の顔だ。

007

 次の日、女の薬を買い足して、家に帰ると首を吊っていた。朝、何事もなくスーツを着させ、仕事に行ったと思っていた女がとんぼ返りで家に帰っていた。

「汚い面で寝てんな」

 女は泡を吹いていた。女を縄から外し、ベッドに寝かせる。馬鹿な奴だ。でも、こうなることはなんとなく分かっていた。ああいう天使みたいな女は早く神様に呼ばれるらしい。



 かつて、「ほし」に憧憬した彼女は、最も冒涜的な方法で飛翔した。

「どれだけ高く舞い上がろうとも、私たちは決して天国には届かないだろう。」

("However high we soar, we shall never reach Heaven.")

 ジョン・ミルトン『失楽園』



 出会った時も、付き合った時も、一緒に住んだ時も、こいつが婆になる姿を想像できなかった。泡を吹いて倒れてることは何度かあったが。今にこいつが目を覚ますんじゃないかと夜になるまで待っていた。とうとう、女は目を覚まさなかった。すっかり、酒も煙も抜けてしまった。

「行ってきます」

 女は返事をしない。

008

 夜中、女に薬を流していた病院へ足を運んだ。煌々と光る。夜が本番と言わんばかりだった。闇医者の男は、少しだけ驚いたような顔をして、すぐに何かを納得した。

「あの子が、患っていた一番の病は何だと思う?」

「中毒」

 男は首を横に振った。

「その人がどんな病に罹っているか。薬を打てば一発でわかるんだ。よく言うだろ。酒は人の本性を暴き出すって。酒も一種の薬だ。薬を売る最初の時は、必ずここで使わせて経過を見る。金がないやつ、すぐここだとゲロりそうなやつに薬を売らないためにね。あの子は凄まじかった。薬を打って少ししたら、急激に子供のように甘えたり、泣いたり、痛みを訴えてのたうち回ったと思えば、父親に頭をなでてもらったとはしゃいだり、そりゃもう散々だった」

 闇医者は、煙草を吸う。

「彼女の病は愛着障害だ。幼いころに悪い父親に当たった。彼女の痣を見ただろ?」

「痣?そんなもんあったか?」

 今度は本当に口をあんぐり開けて驚いていた。

「彼女とするときに、見るだろ?」

「酔っぱらってたからかな。痣なんかいちいち覚えてねえよ」

「凄いな。医者の僕でも引くぐらいの全身の青あざだった。それが、見えなくなるくらい彼女に耄碌していた」

 闇医者に掴みかかる。

「真実の愛だって言ったんだ。そうかそうか。じゃあ、あの子は本当に幸せに逝けたんだろう。全身の傷跡が彼女のプライドをズタズタに傷つけてきた。君は、あの子を哀れまず、遠ざけず、治療してみせたんだ」

「じゃあ、なんで、…なんで、あいつは」

「彼女はいつも言っていたよ。人生が絶頂で終わればいいって。君は彼女を満足させた。嘘偽りなく、本当に彼女は最高の人生を送ったんだ。君がそれを否定するのかい?」

 掴んでいた手を離した。俺は、闇医者のもとを後にする。置手紙も、プレゼントもなかったが、旅行雑誌が置かれていた。あいつは、どこか南国にバカンスに行きたいとしきりに言っていた。大概は冗談半分の言葉だったが、一度だけ真剣なトーンで,北の果てで日が沈まない空を見てみたいと言っていた。「びゃくや」と言うらしい。そのページにだけ、上からマジックペンで何か書いてある。俺は酒と煙と女の匂いのする家から雑誌一冊持って、二度と戻らなかった。空を見上げる。それは、どす黒い曇天だった。これでいい。日が沈まないなんてぞっとしない。とりあえずは、雑誌に書かれていた住所まで行こう。そこがきっとあの子が最後に行きたかった場所だから。

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