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三章 -5

 三章 クライ夜道ニ⑤




「さて、と。待たせてすまない、『死ニ神』さん。


 ――というか、()()と呼ぶべきかな」


 みつぎは、なんの種も根拠も無しに浮かび上がって、重力を無視して『死ニ神』と対等に立つ。


《イヤイヤ、あなたには、あなたのご友人がいるようデ。ドーセ、あの子を救う気なんザ、ネェのだからサ、あの女狐と帰ってくれてよかったんだぜ。アッハ、アッハ》


「ふむ。《俺》の心を研究する過程で、『愚者』のヤミと、もう一つのヤミを生み出してしまったか……。ヒトで例えるなら、人格を増やしたというところかな」


 税は、不快そうな顔で、ジトーと『死ニ神』を見やる。


「それにしても、不愉快だなあー。《俺》のクローンにしては言葉遣いが奇妙だし、なにより不細工すぎる!」


 ぷくう、と頬を膨らし――。


「《俺》は、こんなに痩せこけてないっての!


 ――と、おもの白けることを言ってみたりね、ふふっ」


《ハァ……?》


 しかし、すぐ無関心に希薄な冷笑で――。


「さしずめそうだねぇ……。キミは、あの子の人間関係の消滅を願う心――つまりは、未来への不信や絶望から生まれた存在で合っているかな?」


《アア、その通りだヨ。ヒトは愚かサ。陳腐な綺麗言きれいごとを吐くだけで、或いは張りぼての逆張りをするだけで、感嘆(簡単)に心を揺るがしてしまう。ありきたりな言語の組み合わせで綺麗な羅列を作れば、それを馬鹿みたいに信じて崇め、間違った方向へ行ってしまえば祟りだす。あんなの、幸せビトどもの『誤楽』だネ。

 ちなみに、あの界隈の最近の時流は、『辛くなったら逃げてもいい』。アッハ、アッハ、笑わせてくれるワ。簡単に逃げられぬヒトは、――あの子は、いったいどうしろと言うのサ》


「……実に、しゃべくりこうべなこった…………」


『死ニ神』といっても根本の部分は、宇宙こすもの心に追従しているのだろう。大方、「摩怜まあれさんに頼ったところで、この悩みが解決するわけじゃない」「彼女に頼るのは一時の救済でしかなく、辛い日々は続いたまんま」

『ならば、最初から希望に縋らず、絶望に堕ちてしまおう。』

 ――なんて想いを、この奇観の中で、心の隅に抱いてしまったのだろう。

 税は、中央に咲く巨大な白薔薇のもとへ目線を下ろす。そこには体育座りをして、顔を伏せ、税(和)が現れたことにすら気づいていない宇宙が――。

 税は、はぁ、と溜息をつく。その吐息と共鳴するように、白き時腔ジクウの一部が、墨汁でも垂らしたみたいに黒へと濁った。


「いいかい、『死ニ神』さん。

 いや、キミに言っても仕方のない話だけどさあ。

 幸せもんだろうと、不幸(もん)だろうと、ヒトである限りは極まった綺麗言を吐いて、不可思議な逆張りばかりして、一時の勇気を燃やし、それを繋ぎ合わせて生きていくしかないんだよ」


《ジャア、馬鹿と蚤に溢れた乱痴気らんちき騒ぎを受け止めろ、ト言うのかい。アッハ、アッハ。イイかい。綺麗言で成り立つ世界ならば、この世はトックに公平な愛と幸福を手にしているのだヨウ》


 アッハ、アッハ、と『死ニ神』が嘲るように笑った。

 それに対して、税は呆れて頭を抱える。


「あーあー。キミが語っているのはねぇ、それは神視点での空々漠々理論だぜ」


《ナニ?》


「そりゃあ、心のすべてを表面化させる――そんな直截的なコミュニケーションツールが在ればいいのだけれど……、――というか、それこそ陰陽司どもが長年追いかけている幻想なんだけどね……。

 そんなの、現時点では存在しないだろう。

 だから《俺》たちは、ヒトとの距離に悩みながら、臆病になって、時に後悔を孕み、その場で羞恥を抱いて、それでも歩み続けなければならない。

 そんな無様なヒトの世に、キミの提示する過度な大義なんざ要らねぇんだよ――」


 ――結局さ……、と、税は時腔に開いた穴から差す、望みの光に左手を伸ばして告げる。


「《俺》たちは、あの満ちた月にこいねがい続けるしかないんだからね……」


 ふっと感傷的な笑みを浮かべる税。空の左手をそっと優しく握った。


《ウザイ……》


『死ニ神』が、ぼそっと呟く。


《ウザイ……、ウザイ……、ウザイ、ウザイ、ウザイ、ウザイ、ウザァアアアアアアアアイッ!》


 肩にかけた巨大鎌を持ち、軍旗をなびかせた。


《そんなの群がる戯ィ言でェッ! にわかだけの生温なまぬるい世ィ界がァ、そんなに欲しいカァアアッ!》


「ああ、なんとも――はや、かな……」


 と、税は肩をすくめ、失笑しながら、呆れたように首を横に振る。


「死に生の無様さを問われ、神にヒトの有様を問われる……。『死ニ神』にヒトのさがを問われるこの世は、たしかに贅沢で、惨酷で、幸不幸が混濁しすぎているのかもしれないね」


《そうやってェ……、世界の真理を知ったような口振る舞いがァッ! ヒトの意志を停滞させる安値アンチな綺麗言だと、ドーシテ理解わからぬッ!》


『死ニ神』が、税へ襲いかかるため、音も無く彼女(彼)の背後へ瞬間移動して、急接近――! 

 しかし、とうの税は、『死ニ神』に背を向けたまま、偽りの(優しい)微笑を見せて、「そうかもしれないね」と『彼』の言葉を肯定――。


「……だけどね、そんな綺麗言をうたえるような、うつくしくもせいぬくもりに溢れた世界を――、」


 ――刹那、税は高く飛び、『死ニ神』の攻撃を避けると、『彼』の上空を後方回バック転、そして瞳孔を醜くかっぴらき、口角を酷く歪ませ犬歯を剥き出して――、



「――この《俺》が慾しているのさア!

 あっはっはっはっはアッッ!」



 作為的な狂笑をふるう舞い。税は、『死ニ神』の後方に立った。


《愚か者めェ……! 愚か者がァッ……!》


 すかさず『死ニ神』は振り返り、ぎゅうと巨大鎌を握り締めると――、


《――ついえて仕舞しめェエエエエエ!》


 刃を向け、鎌を構え、前方の税へ、今度は正々堂々再び急接近。

 税は、すっと右手を伸ばし、迫り来る『死ニ神』へと向けた。



生憎あやにくし。絶望なんぞに関心がないもので……」



 ヤミに沈め――、


 と、税が唱えた瞬間だった。

 税の背中から、何十匹? 何十本? 濃紫こむらさきの蛇のような、あるいは蔦のような、ぐにゃりぐにゃりと蠢くヤミが現れ、伸びて、伸びて、『死ニ神』へと巻きついてゆく。

 税の首元へ巨大鎌の刃先を当てる寸前、『死ニ神』が、ぴたりと動きを止めた。


《ア、アア、アガァアアアッ――!》


『死ニ神』が、呻く。


《――いたい、いたいっ――!》


《アアッ、アアアアアアアア――ッ!》

『死ニ神』が、節穴の《《目》》をかっぴらき、空虚な口を開けて、痙攣。


《――ごめんなさいっ、ごめんなさい……っ!》


 徐々に、徐々に、聴こえてくる――坊やの声。


《いたい、いだいよおッ!》


《あづい! ぐるじぃッ! だすげて!》


《おがーざん、おどーざん、無視じないで! おにいぢゃんがぁッ!》


《やめて、やめでよ、うおぇええ! ぐぶぶぶぶっ!》


《なんで、いだいよ、やめ――うぇええええ!》


《なんで、捨てるの、ぼくの――いだいっ、いだい! 投げないで!》


《ぼくじゃない! 『――』くんが!》


《やめでよ、なんで、いっづも……。》


《やめて……、やめて、やめてよ、

 ――やめでぇえええええええッ!》


《もぉ、無視してよ……》


《ううぇええええぶッ!》


《――にだぃ……》




《――ギヤァアアアアアアアアアアアアアア!》



 と金切り声の悲鳴をあげた。脳が裂かれるような、きーんと痛い絶叫。


《ゴ、ゴロジデ、ぐれェ……!》


 さっきまでの威勢はどこへやら。『死ニ神』が税へ懇願する。

 しかし、税は、冷めたような目線を送って。


「《俺》が手にかけることはないよ。

 というかさあ、おのが生死に他人ひとの手間をかけさせるんじゃあないぜ」


《愚ガ、ナ……。ドーセ、お前も、あのを、救えや、しネェのに……ッ!》


「ふん。情死くらいは覚悟しているさ。だから、安心して闇に沈みたまへよ」


《アッハ、アッハ。アッハッハッハッハッハァア!

 アァアアアッッハッハッハッハッハァアッッッ!


 ――――。


 愚意に、果てろ……。》


「ああ、そうするさ。それが人間だもの……」


 ついに、忍び耐えられなくなった『死ニ神』は、すぅっと精気を失い、自棄やけに無我無心となると、その手に持つ巨大鎌を己の腹に突き刺して、その姿を完全に消失させた。



「…………」



『彼』が消えた懐炉ジクウには、冷灰のような空しさだけが遺る。



「ヤミに沈みきった坊やがしくも人の手を借り、念じ唸りながら這い上がって灰になってまでも、仄かに昔を忘れて今を必死に生きているんだ……。

 無闇に正解を突きつけ、想いを削いでくれるな……」



 税は、苦しそうな表情を浮かべて、伸ばしていたからの右手を下げて憐れんだ。

 そして、辺りを見渡す。

 時腔を覆う半球は真っ黒くなり、中央の白薔薇や川は枯れ、残るは、濃紫の茎や葉っぱ、それと乾いた大地。三頭分の馬の骨。閉じ込められた人々の身体にも、濃紫の、蛇のような、あるいは蔦のようなヤミが絡みつき、「死にたい……楽になりたい……もういやだ」だとか、えんえんと呟いている。

 そこは、地獄というより深淵だった。


「はぁーあ、これはひとみに怒られちゃうな……」


 税はそう呟くと、種も根拠もなしに地上へ下りて、この空間の中央にて、座り込んで顔を伏せる彼女の前に立った。


「やあやあ。《俺》とヤミへ堕ちる準備はできたかな、お嬢さん」


「…………」

 宇宙は体育座りをして、顔を伏せたまま。まるで返事をする気がない。


「…………」


 つまらなそうに宇宙を見下ろす税。「――ああ」と、ふと彼女の右手についた高級そうな腕時計に目がいった。税は、にやりと口角を上げると、あのヤミを数尾、背中から出現させて――



 ガチャガチャ、ガチャリ。



「――いたいっ!」

 突如、右手首に痛みを覚え、宇宙は、ぱっと顔を上げた。

 宇宙の右手首には、彼女(彼)の蛇のような、あるいは蔦のようなヤミが絡みつき、次第にそれが右手首から離れていく。そしてお見えになった、『パパ』から盗んで以来、片時も手放さなかった腕時計。ごつごつとしたメタルブレスのベルトが、文字盤を守る風防のガラスが、全部ぜんぶヒビだらけ。時間なんて読めたものじゃない、無慚な姿に変貌していた。

「なんで、こんなこと……っ!」

 思いがけぬ事態に、宇宙は動揺するばかり。

 税は、冷ややかに笑って言った。


「当然だろう? キミと《俺》は、今から駆け落ちハネムーンへと向かおうとしているのに、他のヒトへの想いを連れていくなんざ、興が覚める醒める。

 ふたりの仲まで冷めちまうよ」


「ふざけないで……! この時計は……! 私の……!」



「過去だよ」



 税は、宇宙の言葉を遮り、はっきりと言い切った。

「そんなっ……、そんなこと……っ!」


「べつに過去を消せとは言わないさ。けれど、その時計は過去を示し、キミは現時点に立っている。そしてそこにはキミを想う人たちもいる。そんな人らの想いを無下にして、無上の過去に囚われるつもりかい?」


「べつに、いいよ……。その人たちがどう思っていようが、私にはあの日々が、永遠に無い日常が……」


「あーあー、そうかそうか」


 税は厭らしく口角を上げ、テキトーに頷くと、なぜかバレエでも踊るかのようなステップを踏みだした。


「今を変えたい――そう願うだけで、キミは過去に焦がれて未来を捨てている。しかも、自分で変えてやろうという気概はなく、肝心なところはヒトの流れのせいにする」


 ぱっ、と動きを止めて、宇宙に冷たい視線を送った。


「どうやらキミは、完熟を越えて腐ったようだ。

 嗚呼、実に有漏々々《うろうろ》していて、みにくいねえ」


「そうだよ。私は醜いんだよ……」

 そんなの、とうに知っている。

 知り切っている。

 知り尽くしている。

 ――なのに!

「和や、あなたが、どれだけ綺麗を押しつけてくれても、私の心は醜いの! あなたの言うとおり、私は過去に思いを馳せて、未来なんてどうせ駄目だって諦めてる! ――そりゃあ諦めるよ! パパが居たときの生活が楽しかった! なのに、私の知らぬ間に裏切って、さよならすることになって! そしたら今度は新しい父親ができて! 妹ができて! しまいには、十歳下の妹と弟ができた――! はっきり言って、きつすぎるよ! 私の慣れないうちに新しい環境が完成して、みんなは打ち解けて楽しそうにやってる! だから、私も楽しむように心掛けたよ! でもさあ、私の幸せはこれじゃないの! それだけじゃない! 勝手にシアワセの場所へぶち込んだくせに、お父さんが死んだら、お母さんも、天璃あまりちゃんも、まるでこの環境が、この家族が嫌いですぅーみたいなオーラを出して、不幸(もん)みたいにふるまって! ――ふざけんな! 私だって、パパともっと居たかったって言いたかった! 私に何でもかんでも押しつけやがって! ――あのクラスメイトどもも、そうだよ! ピーチクパーチク啼いちゃってさあ! 一人じゃなんにもできないくせに、独りの奴をバカにするとか! 烏合の衆ってより、コッケーの群衆じゃん!

 んぐっ……! うぐんっ……!

 ねえ……っ。こんな根腐れた世界で、どんな希望を持てばいいの……教えてよっ……!」

 涙を拭いぬぐい、声を震わしながら、宇宙は心の底から思いを告げた。

 すると、税は場違いにも、にこぉっと仮面(満面)の笑みを見せて頷く。


「うんうん。実に愚かで素直な子だね」


 そう言うと、税はすぐに柔らかな笑みを浮かべて、屈み込むと、宇宙の頭をよしよし撫でる。


「それでいい。辛酸しんさん甘苦(かんく)、人生なんてそんなもんさ。だから、甘いの余地を開けるため、時に愚かとなって辛酸辛苦を吐かなきゃいけない」


「でも、そんなの……、悪口を吐いて変わるもんじゃ、ないじゃん……」


「かもね。しかし人生、気合だけで生きていたら、いつか気忙きぜわしくなってしまう。時には気散きさん気晴きばらしも大切ではないだろうか」


「そうかもしれないけど、私はみんなみたいにバカできる暇なんてないよ……」


「最近は十分にしていたと思うが……。

 ――ま、それも事実か」


 税は立ち上がり、座り込む宇宙に手を差しだした。


「立って」


「……なんで」

 税の意図を読めず、宇宙は警戒して両手を握る。


「キミと対等で話したいからさ。座るとどうも、じめっぽくて怠惰になっちまう」


「…………」

 宇宙は、おそるおそる税の手を取った。和の手のような温もりがなく、か細く冷たい。その手が宇宙の手を引っ張り、立ち上がらせた。

 立ち上がった宇宙は、左ひじに右手を当てる。

 白き時腔は、すっかり黒に侵食されていた。薔薇の枯れ木が唯一残る。

 税は、宇宙に背を見せて、大きく手を広げてみせる。


「見てごらんよ。この中に閉じ込められたヒトビトを」


「…………」

 そう言われ、宇宙はやや目線を落として辺りを見渡す。

 人々が苦しみ、辛そうに倒れ込む。そんな地獄が広がっているだけ。だのに税は、晴れやかに臆することなく言葉を発する。


「彼らの一人ひとりが、彼らなりの悩みを抱え、不幸に縛られ、誰かの幸福に嫉妬する。

 或いは楽観さを持ち、幸せに踊り、誰かの不幸を憐れんでいる。

 一人ひとり相異なる環境があり、相違あいたがいの運命に立ち逢っている。キミの辛い人生も、誰かの幸福な人生も、キミのクラスメイトの誰かさんも、キミの想像できぬ誰かさんも、みんなみんな息苦しい苦悩に耐えながら生きているのかもしれない」


「なにそれ……。私にも原因があるとか、みんな違ってみんな良いとか、ここに来てあいつらの擁護をするの……?」

 税は宇宙のほうへ振り返り。


「さあね。ただ《俺》は、この世に全く同じ人生は存在しないよ――と、言いたいだけさ」


「…………」

 税の冷笑から真意は読めず、宇宙は怪訝な表情で見つめる。


「ただ――。」


 と、税は、無機的に、すっと右手でピースサインを作ってみせた。


「ヒトのさがなんざ、大きく分ければ、ふたつの『ヒソウ』で片付けられてしまう」


 中指を下げ、人差し指を残し、


「ひとつは、悲しみさえも強壮剤にする『悲壮』――。

 希望を見出し、現実の愚かさと闘うか」


 或いは――、と、再び中指を立て、ピースサイン。


「悲しみを倉へと溜める『悲愴』――。

 失望を見出しに、現実の愚かさを受け容れるか」


 くいくい、と立てた二本指を二度曲げて。


「ふたつにひとつ。どちらも正しい。



 キミは、どちらのさがに従いたいのかい――?」



 税が、ふたつのさがのどちらかを淘汰とうた

「……そんな、皮相うわっつらの教唆で訊かれても……」

 宇宙が言うと、税は面白くなさそうな表情で、つらを倒して右手を下げた。


「キミも大概面倒だなぁー。ぐだぐだ言わずに、ぱぱっと言えばいいのに」


 宇宙は、すっと税から視線を逸らして言う。

「そりゃあ、希望を持って生きていけたらいいけどさ、でも……、どうせ――」


「――おぅっと、待った」


 税は、自身の右手人差し指を宇宙の口元に当て、彼女が続きを言うのを妨げる。


「たぁーっく……、まーた未知なる来襲を理解わかりきったように語ろうとしやがって……」


 はぁ――、と一息。


「あのねえ、そこから先は未来を見つけ出したキミだけが語れるの。いま、どうしたいのか。《俺》は、今のキミが抱く我がままな慾望を訊いているんだ」


「そんなの……」

 宇宙は、ぐっとこぶしを握った。


「そんなの――っ!」

 ぎゅぅっと目を閉じ。



「そんなの、希望を持って生きたいよ!

 和や摩怜さんと歩いていきたい!

 夢だって叶えたい!

 戻れるならさあ!

 せめて、せめて――!

 お父さんが生きていた頃の!

 幸せだった家族に戻りたい――ッ!」



 はぁ、はぁ、はぁ……ッ!


 喉を絞って、慾望を吐ききった。目を瞑ったまま、税の返答を待つ。





「うん。希望に満ち満ちた」





 空耳か。

 ()の声がした。

「――――」突然の驚きとともに目を開けてみる。

 そこには、やはり彼がいた。

 右目だけ蛇目じゃのめ模様に黄色の虹彩――でも、表情は優しくて温もりのある、和やかな微笑み。

 はだけた上半身には切り傷の跡や、やけどの跡がぽつぽつあって、下半身にはヤミを纏っていたときの、濃紫のパンツスタイルのドレス。

 と、見た目はずいぶんと混沌としている。

 だけど、たしかに目の前にいるのは――――、


「裸の和!? ごめんなさい――っ!」


 宇宙は、さっと両手で顔を隠した。

「あはは……、遅れてごめんね。――それとたぶん、僕の意識はまだ《あの人》の支配下だから、」

 こんな格好なんだよ……。と、和は気まずそうに苦笑して言う。

 それを聴いた宇宙は、指の隙間から彼を窺い、舐め回すように彼の姿を眺める。

 さらにそれを眺める和は、少々呆れたような苦笑で。

「……あのー、たぶんだけどね。そうしたら、こすもさんのほうが、危ない気がする」

「あ、あぁー! そう、だよね! で、でも! 和の素肌にドキドキしちゃったと言うか!」

「うん……?」

「――あー、いや! そういうことじゃなくて! その、大丈夫なの!? ――ってこと!」

 動揺が抑えられず、宇宙は半ば自棄になって訊ねた。

 彼の傷跡に対して訊ねたつもりだったが、和は傷跡に触れるわけでもなく、右手で右目を覆い、「あまり時間はないかな」と真剣な面持ちで答える。どうやら彼が言ったのは、意識のほうの話らしい。

「たしかに、わいわい談笑で《あの人》がくれた時間を無駄にはできないよね――」

 そう言うと、和は足を少し開いて、左手を、すっと枯れた薔薇のほうへ伸ばした。

 すると和の髪色が、《あの人》の象徴であった濃紫でなく、炭が燃えたぎるような、真っ黒のところどころが鮮紅に発光する特徴的な色へと変わり、頭にあった葉の冠が燃えて、ほむらに焚ける。

 彼の左目、真っ黒な瞳に鮮紅色の光が灯され――。


「この状態じゃ未完成だけどさ、

 これぐらいなら大大満足だよね!」


 和は、ニィッと八重歯を見せて笑い、前方に伸ばしている左手の親指以外の指をくっつけ、その手で半弧を描くように軽く握った。すると左腕が黒く、木炭のような質感となり、やがて火が点くように真っ赤な光を灯す。


「愚かな愚かなヤミさんよ、

 あの綺麗なヤミを呑み込んで――!」


 その掛け声と同時に、和の左腕が命を宿したように蛇へと変貌。枯れた薔薇めがけて宙を蠢き伸びてゆく。ある程度伸びたところで、彼の肩から分離したそれは、蔦が木々に絡みつくように薔薇へと巻きついて、蛇が獲物を捕食するように枯れた薔薇を締めつけると、裂けた口で呑み込んでゆく。そして全て呑み込み終えた頃には、それは間髪入れずに姿を消して――。


「――よし!」


 と、満足気な声を発した和が左手を開くと、そこには、炭が燃えるように赤き輝きを纏う、ビー玉くらいのサイズの半透明の珠があった。

 これが、和のもう一つのヤミ――()()()のもつヤミの力であった。

 時腔に開いた穴から差し込む、仄かな明かりに向かって、和がその珠をかざして覗き込む。

「うん。《あの人》が好きそうな美しさ。荒波に逆らって泳ぐ回遊魚って感じかな」

 と、わけのわからぬ評定をする。

「……ね、ねぇ、和……。なんか、それ恥ずかしい……」

 理由は分からない。でも、あのへびが呑み込んでできたたまを和に覗き込まれると、まるで心の内を暴かれているようで、自分の恥部を曝しているみたいで、ものすごく恥ずかしい気持ちに苛まれた。

 へびの珠から宇宙のほうへと視線を移した和が、ちょいちょいと左手を仰ぎ、宇宙を招いた。

「…………?」

 宇宙は、なにも分からぬまま和に近づいていく。

「えっと、なに……?」

「もっともっと、こっちこっちぃ~~」

「で、でも……、……う、うん……」

 ズレている彼だから、彼の次の行動がまったく読めない。「もっと近づけ」と言われて、これ以上近づいてしまったら、次の瞬間には無断で抱き着いてくるのではないか、と、そんな憶測が過り警戒する反面、それでも彼の行動に少し期待する自分がいるというか、なんだかよく分からない感情のまま、彼に近寄り、足ひとつ分、離れたところまで近づいた。

 彼が言う。

「では、僕からひとつアドバイス!」

「あ、アドバイス……?」

「うん、アドバイス! それはねー」

 と言うと、和が口を開けた。


「あーん――」


「あーん?」

 つられて宇宙も口を開ける。

 ――と。


「えい。」


「ぁむ、んん――っ!」

 和が、赤い光を纏う巳の珠を、宇宙の口へ入れ込んだ。

 思いがけぬ彼の行動に反射して、宇宙はとっさに口を閉ざす。

「――ぃっ、……あはは……」

 彼の眉毛が、ピクリと動く。

 口に入り込んだ、彼の親指と人差し指を噛んでしまった。

 しかし、彼は笑顔を貫き――。


「俯瞰的な忍耐を持ってみて」


 と、淡淡端的にアドバイスを提示する。

 宇宙は、彼の指を噛んでしまったことに動揺し、口に入った珠を思わず飲み込んでしまう。

 味と言えば、辛かった。あと、鉄みたいな味も……。

 鉄というか、生温かい液体というか……。

「――ああ、ごめん!」

 口を開いて謝る。

「ううん、気にしないで。僕が距離感、間違っちゃっただけだから」

 そう言った彼の人差し指には、少しばかり血が滲む。純粋な血紅色ではなく、水と混ざり合ったみたいに、傷口から外側に沿って血紅色が薄くなっている。

 彼の人差し指は湿りに湿り、濡れていて――。

「――――んんぅっ――!」

 宇宙は、その指の血を早く拭ってもらおうと、「な、和、血が出てる!」と慌てて教えるが。


「あ、ほんとだ」


 と、和はマイペースに一見。


「…………」


 しばし、見つめて……。



「――はむっ」



 と、和が人差し指を咥えた。


「――な、和……! な、な、ななななにを、しているのかなあ!?」

「へ――? ほりゃ、きじゅをにゃめるって、ゆうでひょ?」

「そ、それじゃあ汚いからダメだよ! それにたぶん、それは傷の舐め合いで!」

「え……? まぁ……、」

 和は不思議そうにしながらも、人差し指を咥えるのをやめる。

「こすもさんがそこまで言うなら、やめたほうがいいのかな……」

 そう言って右手を下ろした彼の、湿って濡れた人差し指に目がいってしまう宇宙。

「いぃ~や、いやっ! そ、それよりさー! 俯瞰的な忍耐って、どぅーゆう意味ぃみ~んだろぉー!?」

 顔を上げ、動揺を抑え隠そうと、三文芝居もお構いなしに訊ねる。

 さっきまでの絶望が嘘のように。

 クライ世界が虚像だったかのように。

 この世界は、すっかり『和』の雰囲気に呑まれてしまっていた。

「あぁ、それは――」

 と、和が言いかけた時。


 彼の後ろから虹色の輝きが放たれた。


 やがてその光の中から姿を見せるのは、真っ白な翼を広げ、白髪をなびかせた女性――まるで女神様が降り立つような神々しさ。

 その正体、それは――――。




「ごめん、なぐたん。路上教習でエンストしすぎて、教員にこっぴどく怒られてしまい、遅くなった」




「いえいえ。教習お疲れさまです、二色にしきさん」



「…………」



 本物の女神様なら絶対に言わぬ単語の連発に、宇宙はシラフになった。虹色の輝きに目をやられ、真っ白な翼に気を取られ、現れた人物の服装までは確認できていなかった。

 結論、ここへ舞い降りたのは、翼を生やした私服姿の二色であった。

 …………。

 情緒も、趣も、緊張感もない場面の展開に、宇宙は黙り込んで見やる。

「こんな中、なぐたんのために急いで来たぼくへの、あたまなでなで、を所望する」

「あとでいくらでもしますから、いまはこちらに集中でお願いします」

「やったぜ。

 ――あ、それにアルバイトの件で、ひとみに内緒にしていた日数分の、いっしょにおふろ、だけれど……」

「だからそれは、一日お出かけ、にまとめてくださいって……」

「まとめちゃうのは、ちょっと違う」

「あー、わかりました。なら、日数分ということでどうですか?」

「やっほい」

「今更ですけど、いろいろありがとうございました」

「もお待てない」


「…………」


 グダグダとんちんかんな茶番を見守る宇宙。

 さっきまで、摩怜さんがボロボロになってでも私のところへ来てくれて、勇気をくれようとしたのにそれを拒絶してしまったら、和のもう一人の人格(?)みたいな彼女が人生観を諭してきて、仕舞いに和の登場により、今までの過程を踏みつぶさんばかりのマイペースさを披露してきた。

 どれだけヤミを隠しても、

 どれだけ壁を作っても、

 気づけば彼がすぐ傍にいる。

 彼の前では、ヤミを隠すなんて無意味で、

 壁を作るなんて無駄作業。

 気づけば、和が懐に入り込み……。

 私の前で――、隣で――、

 恒々《つねづね》、ズレたことばかりやっていた気がする。

 あのときだって、見せかけのナンパで少しだけ前を向く勇気をくれた。



「――あぁ、そっか……」



 ぼそっと零れる。

 どうやら私は、常世とこよ憂悲ゆうひに追い込まれ、日常の他愛ない情愛を見落としていたらしい。

 ベタな感動演出や、

 硬派な啓蒙もいいけれど。

 でも、やっぱり。

 このぬるい感じの、でも温もりがあって、

 だけどやっぱり生温なまぬるい。

 あぁ――。

 人肌が恋しい。とは、このことなんだと思った。

 異論は認めない。

 私の経験に基づく、私の絶対なんだもん。


「ふふん……」


 優しい和の居る世界なら――、


 私を想ってくれる摩怜さんの居る世界なら――、


 あと少し、

 もう少しだけ、

 愚かしくも希望的観測に――、

 ――ううん。

 ()()()()に明け暮れてみようか。


 独りで怖がっていないで、強張っていないで、たまには誰かを頼って、ときには愚痴を吐いて、この運命のめぐりあひにある、辛酸甘苦の人生にある、私の希望を見つけ出してみよう。

 だってこれは、私の視点でしか見ることのできない、

 私だけの人生ドラマなんだもん――



「――あの、あと少しだけ伝えたいことがあって……」

 困り眉の和が、喫茶店の彼女に言う。

「わかった。では、ぼくはぼくの役割を果たすから、早急にあの子へ伝えて、いちゃいちゃ、でもしよう」

 そう言うと、喫茶店の彼女はかかとを上げて和の肩を持つと、大きく口を開け、和の右肩にかぶりつく。まるで血でも吸うように。

 ――すると、喫茶店の彼女の白が和に侵食し、和の黒(濃紫)が喫茶店の彼女へと侵食していく。それはまるで陰陽が混ざり合うように分かち合う。

 同時に、この時腔は黒にも白にも綾目あやめのない混濁の灰色に染められて、やがて灰と化すように、サァー、と無くなってゆく。

 和は、噛まれているというのに、マイペースに和やかな笑みを見せて言う。


「ひとりじゃない。見渡せば誰かが居るから、その誰かを見つけようとするために――、誰かに頼ろうとするために――、

 ちょっとだけ踏ん張ってみること。

 それが、俯瞰的な忍耐――」


「え――?」

 呆然とする。私が、今さっき気づいたことにそっくりだったから。

 あぁ、まだ彼は知らないんだ。私が、愚かしくも私の心を、この運命を受け容れたって。

 和の想いを先取りできた気がして、ちょっとばかり誇らしかった。

 だから、とびっきりの笑顔を見せて――。



「これからも、この物語に付き合ってくれませんか?」



「――――!」

 和は、思い通りの素っ頓狂顔を見せてくれた。

 しかし、やがて、にこやかな笑みを見せ――。



「それじゃあ、世界の続きを始めるね!」



「うん――!」

 もう少しだけ続けてみよう、いつか終わりが来る、その日まで――。


「……また後でね、こすもさん――」


「またね――」


 和は喫茶店の彼女とともに灰と化し、やがてその姿を消した。



「…………」



 もう、私を表すこの時腔には私以外の誰も居ない。

 みんなうつつへ戻ってしまった。



「…………」



 きっと大丈夫……。

 世界は意外と狭いから……、だから大丈夫……。



 胸の前で両手を握ると、

 あの望月に、明るい未知をこいねがう。



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