三章 -4
三章 クライ夜道ニ④
こんな運命じゃなかったら、よかったのに……。
パパのいた頃が、一番幸せだった。
母は大学を出てすぐにパパと結婚して、私を産んだ。パパは、お仕事が忙しくて家に帰ってこないことが多く、パパが家にいる土日は必ずおでかけをして色んなところに連れていってもらった。
けれど、パパがいけないことをして、さよならすることになった。そのときの私は、小学二年で難しいことは分からなかったけど、パパとはもう会えないことだけは察して、でも、私はパパのことが大好きで、さよならなんてしたくなかったから、パパがいつもつけていた高級そうな腕時計をくすねてやった。これをつけていれば、パパが近くに居てくれる気がして。
苗字が、母の祖父母と同じになった。
それから半年後、母が、女の子を連れた男の人を紹介してきて、よく遊ぶようになった。どちらかのお家に行くことが多かった。母とその男の人は、よくふたりきりで部屋に籠るものだから、私は男の人の娘さんと一緒に遊んで時間を潰していた。二歳差の女の子同士ということもあり、良好な関係を築けた。週末限定の特別なお友達って感じがして、週末になるのが楽しみだった。
すると、ある日、その男の人と娘さんと、これから家族になって一緒に暮らそうか、と母にそんなことを言われた。
新しいお父さんができて、また苗字が変わり、天璃ちゃんが妹になった。
その翌年、双子の、妹の海実と弟の陸久が生まれ、私はなんだか違和感を抱くようになった。
母は毎日幸せそうだし、お父さんは私にも優しいし、天璃ちゃんもすっごく楽しそうだし、海実と陸久はかわいいし、私も仕合わせなはずなのに……、
……なのに、どこか、ぽっかりと穴が開いてしまったような、気味の悪さを覚えた。怖さと楽しさが混ざり合う複雑な心持ちだった。
きっとパパがいた頃とは異なり、長女としての責任感が生まれたんだ。
無我無意無心、無間無稽に、そう思い込むことにした。
そして今から二年前、お父さんが不慮の事故で亡くなった。母はしばらく体調不良が続いて仕事を休み、天璃ちゃんは部屋に籠るようになって顔を合わせる機会が極端に減り、まだ『死』をうまく理解できない妹たちは、「パパはいつ帰ってくるの?」と惨酷なことを訊く。
家庭に闇が覆って、過去に囚われ、家族が死んだ。
……でも、私が生きていた。
だから、私がどうにかしなくちゃって。
進んで家事をやって、妹と弟の世話を積極的にやるようになって――気づいたら、私が家の事をやるのが当たり前という雰囲気ができていた。母はやつれて愁いに呪われ、天璃ちゃんは憂い冷たくなって、それでも可愛い妹たちには、ふたりの抱えるヤミを知ってほしくなくて――。
私、けっこう頑張ったんだよ……。
朝早く起きて、朝ご飯と、お母さんと妹たちのお弁当を作って、妹たちの幼稚園のお見送りをして、放課後、急いで学校から帰ってきたら買い物に行って、うちへ着いたら洗濯物を取り込んで、学校にいるときに雨が降ったら乾燥機にかけて、幼稚園から帰ってきた妹たちがおばあちゃんに面倒を見てもらっているうちに夜ご飯をつくって、みんながお風呂に入ったら洗濯機をまわして、食器を洗って、洗濯物を干して、それでやっと自分だけの時間が取れるから、少し勉強して、テストが近いときは未明までやって――
すごく、すっごく、すっごーく頑張ったんだよ。
でも――、
頑張りすぎちゃってさ……。
――これって、誰のための人生なの?
――そもそも、誰かのための人生なの?
――じゃあ、私の人生は?
――というか、私って、なに?
――なんで、生まれてきたの?
そうやって、『出風宇宙』として生きる必要性を探すようになって、探しすぎちゃったせいで、なんか……なんにも分かんなくなっちゃった。
パパのいた頃が、最っ高に幸せだった。
「くたばれは、良くなかったな……」
真っ黒な世界で、宇宙は寝転がり、秒針を抑えようと腕時計を手で押さえて、焦点の合わぬまま呟いた。
自分にも非があるって、ちゃんと理解していたはずなのに、つい感情のまにまに思ってないことを言ってしまった。
それならいっそ、どうせなら――――。
「死んでもよかった……」
目から頬へ伝うは、墨汁のごとく黒い涙。
聞こえてくるは、金属を切るが如くの黄色い叫喚。
春休みになる以前、ショッピングモールからの帰り道、占い師と名乗る女性からもらった『愚者』のタロットカードが、黒き光を放った。その瞬間、切る暇もなく伸びきった長い髪を根っことするように、巨大な黒薔薇が咲いて、宇宙の後ろに、まるで大樹のようにそびえ立つ。また、それを中心にして、半球を描くように真っ黒な世界が構築されて、周囲にいた人々を閉じ込めた。
ところどころ、ぼっこり凹んだ黒い大地で、人々がむじょうの重力に犯され横たわる。
黒薔薇の花弁が、雪のように宙を舞い、落ちて、地面や横たわる人々へ積もりゆく。
三頭の真っ黒な犬が、嬉々として地を駆けまわり、横たわる人々を引きずり回し、立っている人々を、中心にいる宇宙から遠ざけるように端の方へと追いやってゆく。
宇宙は、黒薔薇の花弁のようなドレスを着せられて。
現実の形はなく、悲しく、空しいヤミの淵がおもてを覆う。
「…………」
こんな『 』じゃなければ、よかったのに……。
「あーあ、堕ちちゃった……」
天を仰ぐ。天を仰いでも、真っ暗が広がるばかり。
宇宙は、無性に可笑しくなって薄らと口角を上げた。
「ねぇ、和……。私、ヤミに堕ちたよ……」
忍び、偲んで、忌まわしさを忘れた先にあったのは、ただの悲しさだけだった。
もうずっとここに居てもいいや。
心は蛻のからっぽ。
…………。
「――こすも、ちゃん……っ!」
「…………」
どこからか宇宙の名前を呼ぶ声がした。
真っ黒な世界で、漠然と捉えた小柄な人の影。
彼女が来た。
なぜか現れた――。
「――はぁ、はぁ、待ってて……、いま、行くから……!」
摩怜は叫び、彼女に伝える。
真っ暗な世界で、判然と感じる大事な人の陰。
彼女が居た。
ようやく見つけた。
この場所だと思いつくのに時間がかかり、いろんな場所を廻ってしまった。
ここの近辺に着いたとき、晴臆仁惚を持っていたからか、それとも心のヤミを感じ取れるからなのか、詳しいことは分からないけど、摩怜は半ドーム状の真っ黒な州凶乃時腔を見つけた。周囲の人は、その時空が見えないのだろう、何事もないように平然と通り過ぎてゆく。その異常さに、一瞬、恐怖を覚えたけれど、迷い惑う暇など一刻たりともなかった。
摩怜は、手を伸ばし、足を進ませ、州凶乃時腔へと入ってゆく。
真っ暗だった。しかし、どういう原理か光景は捉えられる。
中央に在るのは、とぐろを巻くように捻くれた棘の茎から花咲く、巨大な黒薔薇。
舞い落ちる黒薔薇の花弁に触れると、消極的な思考が増長し、焦燥による苛立ちが込み上げる。
三頭の黒犬は、無気力に倒れ込む人を引きずりまわし、恐怖を孕ませた人を追いかける。
地獄の如く空間で、中心にいる宇宙を見つけ、摩怜は恐る恐る一歩前へと踏みだしてゆく。
「はぁ、はぁ、はぁ……。
はぁ、 、 、はぁ、 、 、はぁ……。」
なんだか調子がおかしい。
舞い落ちる黒薔薇の花弁に触れているせいか、焦燥を感じているのに、同時に無気力、疲弊というか意気消沈、重力に引かれて身体が重くなっていく――みたいな。
横たわる宇宙の姿を、はっきりと目視できる距離まで来たときだった。
「あれ――? ――――。」
意図せず、身体がばたんっと前に倒れて、地面に伏してしまった。
起き上がろうと試みるも、一向に起き上がれない。異様に大きな重力が邪魔をする。
でも、彼女を、どうしても彼女のことを――。
「来ないで、ください……」
目先にいる虚ろ目の宇宙が、ぽつりと呟き、摩怜を拒絶した。
「なんで、あなたが……」
なぜ彼女が、どうして彼女がここまで自分を構うのか、宇宙には分からなかった。
たかだか趣味が同じで(その趣味だって、家の事で縛られるようになってから手をつけられていないのに)、それをSNSのプロフィールに入力していて、たまたま(向こうが)見つけて知り合っただけ。そもそも、連絡が来るまでSNSを開く時間なんて無かったわけだし。
それにあの日以前は、ダイレクトメッセージで連絡をする程度。連絡を取り合ううちに、たまたま年が近いってことが分かって、たまたま住んでいる地域が同じだと分かって、たまたま高校が同じだったって判明しただけで、親友なんて言葉は似つかわぬ、所詮はインターネット空間だけで体を成す、仮面被りで張りぼての友人。そう思っていた。
だから、目の前の彼女が、目の前にいる理由が全く以って分からなかった。
「あたしで、ごめん、ね……」
摩怜は、なんとか上半身を起こして、宇宙に苦笑を見せる。
「親川君が、適任、だよね……。――でも、あたしも、こすもちゃんを、はぁ、はぁ……」
重力に押さえつけられ、辛そうにしながらも、無理にひきつった摩怜の笑みを見て、宇宙は居た堪れない気持ちになった。――が、「もう今更……」そんな最低な諦念を抱く。
「――私、」
横たわるまま、宇宙は口を開いた。
「あの日、駅に行ってないんです……」
「え……?」
「あの日、母の会社でトラブルが起きて、急遽お仕事に行かないといけなくなって……、それで私が妹たちのお守りをしないといけなくなったから……、……だから、約束破ってごめんなさい……」
「……そっか…………」
突然の告白に、驚いたのは間違いない。
しかし――、
「じゃあ、お互いさまだ……」
摩怜は、怒りや悲しみ、失望とか、そういうのは一切なしに優しく綻んだ。
「……なん、で……っ!」
予想外の摩怜の言動に、宇宙は苛立ちを覚えた。
上半身を起こし、諦め悪く立ち上がろうとする摩怜を見つめる。
「なんで、怒らないんですか……! 私、摩怜さんから連絡ないことを逆手に取って、約束破ったって思われたくないからって、あんなふざけた文面を送りつけて、最低じゃないですか……! なのに、なんで……。……嫌ってくれないと、苦しいじゃないですかぁ……っ!」
この空間に閉じ込められて、初めて声に感情が乗った。
怒って失望して、嫌ってくれたほうが、お互いにとって楽なのに。
嫌いだって言ってくれないと、さらに心が苦しくなる。
こんなに良い人を裏切ったんだ――絶交してくれないと私の罪と割に合わない。
そんな宇宙の気持ちを受け取ったうえで、それでも摩怜は宇宙を受け容れるため、受け容れてもらうために、なんとか立ち上がり近づいてゆく。
「……それを言うなら、あたしだって最低だよ……。駅前で待ってる人を、こすもちゃんだって勝手に人違いして、会うのが怖くなって、待ち合わせ時間を過ぎても隠れて、それでスマホを忘れたことに気づいて、逃げるように帰っちゃったんだよ。……えへへ、あたしが拗らせちゃったね……、――――っ」
ばたんっ。と摩怜が力を無くし、地面に伏せた。
「摩怜さん――!」そんな声が漏れるけど、「もう、立たないで……」と、宇宙は摩怜を拒絶する。
それでも――。
「あはは……。それは、あたしが決めること、だから……」
身を震わせながらも重力に抗い立ち上がり、無理やりに口角を上げて優しい声で彼女を撫でる。
「本当はね、辛いときに『辛い』って、苦しいときに『苦しい』って、それが言えたらいいんだけどさ……。こすもちゃん、たぶん、それを隠すのが上手いから、ここで立ち下がるわけにはいかないよ……」
「なんで……、なんでッ! たかがネットで知り合っただけの私を――っ!」
「こすもちゃんがそうだとしても、あたしにとって、こすもちゃんは大切な人だから……」
「――――っ! 理由になってない! そんなの、理由になりません!」
「……そう、かも……」
摩怜は、上半身を起こして、情けなく笑った。
「でも、そういうのってさ……、明確な理由のもとにあるんじゃなくって、衝動的な想いのもとにあっちゃ、だめかな……」
「意味、分からない……。――意味が分からないです! 感情だけで、想いだけで、人を救うなんて愚かな幻想を――!」
宇宙は、力強く右手につけた腕時計を締めつけた。
――するとそのとき、ふたりの前に影が差す。
「そのとおり、愚行、です」
疲弊した摩怜の横で、平然と起立した人在り。
摩怜は見上げ、其の人影を確認する。
太極図のような黒と白に分かつ装束を纏い、頭には緑の蔓と葉、薄紫の花の紋様が刻まれた烏帽子、左手には黒い短剣、右手には緑の短剣を持つ。また、頭部から髪先にかけて、黒から白へとグラデーションを彩る髪色。目元は前髪で完全に隠れており、その全容を捉えるのは難しいが、その人物が誰なのか――心の陰陽の世界へ踏み込んだ摩怜には、すぐに分かった。
「過視原、さん……」
「もう大丈夫、ですよ。この勇気代行屋、――ヤミを処す、です」
この空間に発生する異様な重力にも動じず、笑星の背中から、折り紙(折り紙手芸)の三角パーツが幾重にも組み合わせられ、重ねられてできた――真っ黒な右翼と真っ白な左翼を展開させた。
そして、今にも翔け上がろうと――。
「――ま、待って……! 過視原さん……!」
摩怜は、笑星を呼び止める。
「なに、ですか。小生が来たからには、ヤミを平穏に――平穏を勇気にできる、ですよ」
「それ、あたしに任せてくれない、かな……。無闇に勇気をあげるのは、よくないよ……」
「だけど、『愚者』の顕現に成功したから、ひとまず出風氏は用済みみたいだよ、――あ、です」
「だ、だから、そういう考えは――」
――よくない。と、自分が言える立場なのだろうか。この考えが頭を過り、言い淀む。
「……あの、あたしが必ずどうにかするから、お願い、します……」
「荒山氏には無理、ですよ」
笑星は『愚者』だけを見て、淡々と告げる。
「過去が今のあなたを作る、です。小生、目が合うと、その人のひと通る過去を見ることができる、ですけど、あなたが経験して得たモノでは、あの捻くれた『愚者』を平穏にはできない、ですよ。それが現実、です」
「そんな……、――そんなの……っ」
「心持ちの相違でも人は傷つけられるの、です。あの『愚者』は、荒山氏の優しさを無下にできる、です。だから、そんな奴のために、あなたの優しさをばら撒く必要はない、ですよ」
「で、でも……っ! せっかく抱いた悩みを、無碍にするのは――」
「ああもう、うるさいなあ」
「――――っ!」
突如、鋭利な黒い刃が摩怜を切りつけんばかりに目の前に現れ、脅しにかかる。
「誰の過去も見てないくせに観た気になって粋がるな、たかが読者視点のハリネズミ」
「そ、そんなこと……!」
「和ちゃんの大切な人でも、これ以上、小生を止めるのであらば――想い切る」
「…………ッ!」
ブレザーの内ポケットが黒色に輝き、摩怜の髪が、黒い棘の束に変化した。
自分は無力だ、その悔しさが涙となって溢れてくる。声が出なかった。
笑星が、黒い短剣を下げる。
「怖い思いをさせて、ごめんなさい、です。でも、これが――」
と、白と黒のぐしゃぐしゃな光を帯びて、やがて笑星の姿が、白と黒、それと少しの薄紫の羽毛が混ざる巨大な烏に変身。
《小生が、この世で生きるために与えられた役割だから……》
白と黒の烏が、大翼を広げた。
《ごめんね、和ちゃん……》
翼を羽ばたかせ、闇に高く飛ぶ。『闇に烏』なんて戯言で――、
「――いやっ、来ないで……!」
『愚者』の目には、己を喰らおうとする烏が映った。
三頭の黒犬が、闇に浮かぶ烏を見上げて吠える。
烏は、ある程度の高さをつけると、宇宙のヤミを削ぐために中央の巨大な黒薔薇へと急降下。
「…………っ!」
事の行く末を見ることしかできない、眺めることしかできない、傍観することしかできない自分に怒りを覚えた摩怜。現実を見たくなくて、ぎゅっと目を閉じた。涙が無駄に溢れてくる。
その刹那――。
《――させねぇぜ》
と、聞き覚えのある声が。
空耳か。
否――。
摩怜は、目を開けて闇を見上げた。
目先には、八つ尾の白狐が一匹。白黒烏めがけて飛び上がり、胴体に噛みついた。
「ひとみん……っ!」
白黒烏を喰らう白狐が、重力に支配され大地へと導かれるように抑揚もなく無機的に真下へと落下していき、着地とともに地鳴りを震わした。
同時に、黒薔薇の花弁が土煙の如く宙を舞う。
一瞬、白と黒の閃光が放たれ、周りの人々の視覚を妨げる。
「ひとみ、邪魔しないで。その行為、派閥間での規則違反」
「ふん……、知るかよ。ボクは、絶賛反抗期中なんだ。反抗期は最強なんだぜ」
そんな、ふたりの不穏な会話が聞こえ、摩怜は目を開く。狐と烏が落下した先では、八つの尾と狐の耳を生やし、全身に白を纏う一人美が、白黒の翼を生やした装束姿の笑星に乗りかかって、起き上がらせぬよう手首を掴み、地面に押さえ(抑え)つけていた。
「和ちゃんを愛してからの、ひとみは好きじゃない」
「はん……ッ。ボクだって、和くんに本心を明かして以降の、笑星は好きじゃねぇよ」
一人美が、辛そうに笑って言った。
押さえ(抑え)つけるだけで必死な様子。
「放して。和ちゃんと約束したの。人々が相し和う『灰色の世界』にするって」
「はんっ、だ……。もう一度話し合ったほうがいい、それはさ――きっと解釈違いだぜ」
「――うざい。ひとみ、うざいっ! 放してよ! ヤミなんて、無いほうがいいのに――っ!」
語気を強めて、一人美に抵抗して暴れだす笑星。溢れ出る鼻血など、お構いなしに。
「それは、他意なく同感っ……ん……! ――でも、さっ……、ボクらの期待の星がさぁッ……、宇宙という目標地点を見つけて、暗い港に光を灯したんだ……ッ! そんな風に、真面目に夢を追う人を、力で捻じ伏せてしまう奴がさあ……、――ボクは、大々的に大ッ嫌いだからさぁッ!」
ふっ――、と一人美が愚かしく微笑を見せた。
「きみは絶対、放してやらねぇよ……」
「…………っ」
一人美の裏のない意志に敗北し、笑星は抵抗をやめると、ぷいっと顔を逸らした。
「……この世界なんて、大嫌い……」
「いつも悪いね……、えぼし……」
笑星とのやり取りにひと段落ついた一人美が、疲弊を滲ませた微笑で摩怜のほうを向く。
「なぁ、摩怜……」
「…………?」
「きみの我慾に基づく、きみの恣を果たしてこいよ……」
ボクが、傍にいるからさ。ひひっ――。
一人美が、にこぉっと満面の笑みを見せて告げた。
「……う、うん――っ!」
勇気が湧き上がった。勇気が湧いたら、立ち上がることができた。立ち上がれたら、足を前に――踏みだすのは重いけど、今にも重力に負かされて伏せてしまいそうだけど、
だけど――、
けれども――、
それでも――!
一歩、一歩、また一歩、前に進んでゆく!
「待ってて……。あたし、が――!」
あたしは、なにも知らない。
ひとみんやなぐ君の今に至るまでの壮大な過去も――、
過視原さんの陰陽司としての辛そうな役割も――、
陰陽司連合の三つくらいある、こじれた対立関係も――、
心のヤミも――、この時腔も――、
ましてや、こすもちゃんの過去の詳細ですらも――、
あたしは、なにも知らない。
――でも、今だけは!
この瞬間だけは――!
遠巻きに慮る二の次な心なんて、どうでもいい!
あたしの恣の思惟を、あの子に伝えたいんだ――。
今のあたしが心から念じているんだ――。
こすもちゃんと、この場で分かり合いたいって――、
こすもちゃんと、この時間を分かち合いたいって――、
だから、こすもちゃんだけは!
あたしが、どうにかしたいって!
あたしが、どうにかしてやるって決めたから!
大切な人を大切に想うことに躊躇いなんか要らないって!
誰かの過去なんてどうでもいいって!
それぞれの過去がどうとか知らないって!
これからのあたしが後悔しないために――、
これからのあたしが過去に囚われないように――、
なにより――!
「こすもちゃんを、独りにさせたくないから!」
そんな独善的な愚かしい意志で進みゆく!
「なんで……! 摩怜さんには――!」
近づいてくる摩怜に、宇宙は怖れを抱いた。生きている場所が違うというのに、私の悲しみなんて理解しているはずもないのに、それなのに、分かったような雰囲気を醸して近づいてくる。
「あなたには、あなたの……ッ!
――だから、来ないでよ……!」
宇宙の叫び声に呼応するように、三頭の黒犬が摩怜を追いかけ、彼女に飛びつく。
「きゃぁあ!」
摩怜は立ち止まり、とっさに右腕を顔の前に上げた。案の定、一頭の黒犬が、摩怜の腕に噛みつく。
「――いっ!」
たしかに痛みを感じた。……でも、腕が千切れるほどの激痛ではなく、板に挟まれ、圧迫されたような痛み。
その直後、黒犬が、「――きゃぅん!」と可愛らしい声をあげて、逃げ去っていく。
摩怜は、噛みつかれた腕を確認する。
腕には、白色に発光する棘の蔓が巻きついていた。
(電飾、みたい……)
そんなふざけた言葉が、真っ先に浮かぶ。しかし、この輝きを纏ったおかげで、黒犬が近寄らなくなったことも事実。
摩怜は、前へ前へと歩みを続ける。
「なんで……、なんで……ッ!」
「大切だからって、言ったよね……?」
「でも、私たち、ちゃんと知り合って間もないじゃないですか……!」
「大切かどうかに……、一緒に居たいかどうかに……、過去というか、時間なんて関係なかったんだよ……」
「そんな言葉、嘘でも吐けるんです……!」
「嘘だったら、あたしはここまで来られてないと思う……」
「なんで……! ――あぁ……っ! なんでぇ……っ!」
「はぁ、はぁ、はぁ……。――ふふん……」
宇宙の前に立った摩怜は、不恰好にも決め顔で恰好つけてみた。
「……来て、やったよ……」
けれど、中央部に到着すると同時に、必死に耐えてくれた全身の力が抜けて、重力に負かされ、摩怜は顔から地面に倒れ込む。
「うわぁ……っと……」
「摩怜さん――っ、もう――!」
「だ、だいじょう、ぶ……」
近づいて、終わりじゃないから……。
鼻に途轍もない熱さを感じながらも、なんとか起き上がり、目の前にいる大切な人を、ぎゅぅっ――、と抱きしめた。
「あたしや、なぐ君といるときくらい……、……こすもちゃんは、『こすも』ちゃんで居ていいんだよ……。家族とか、責任とか、そういうのは忘れて……、我が侭で居ていいんだよ……。――頑張ったね……」
「……やめてっ、よぉっ……! そんな綺麗言なんかっ、要らないからぁっ……!」
宇宙は、拒絶を叫ぶ。だが、それとは裏腹に、彼女の顔は拒絶する自分を拒絶するように、捻くれ、ぐしゃぐしゃな醜い表情をしていた。
しかし、摩怜からその顔は見えず、想うが侭に抱きしめ続ける。
「なんで……、なんでっ、たかだかネットで知り合っただけのっ、私をぉっ……!」
宇宙は、摩怜が自分に対して献身的である、その『答え』を問う。
「もぉー……、こすもちゃん、しつこいよ……」
摩怜は、耳元で不満を囁きながらも、抱きしめるのをやめて、一度、袖で鼻を拭うと、彼女の両手をぎゅっと包んだ。
「あのね、あたしのおとうさん……、あたしが中三のときに、自分勝手に彼岸へ行っちゃったんだ……。
……だけどあたし、その事実を呑み込んでいるはずなのに、どこか現実味がなくて……、ふわふわして……、いつか帰ってくるよね、とか……、いっつも笑顔だったおとうさんが、勝手に居なくなるわけない、とか……。おとうさんが、もう居ないって事実を受け容れちゃうのが怖かったの……」
――でもね……。と、摩怜は続ける。
「一度さ、こすもちゃんと好きな小説を語り合ったこと、あったでしょ……? そのとき、こすもちゃんが、べた褒めしてくれた小説って、ね……」
宇宙は、この話の先を理解して、目を見開いて首を横に振った。
「いや……、いやぁ……っ! ごめん、なさいっ……!」
「こすもちゃん、言ってくれたよね……。『もっと読みたかった――読者を無視して死ぬとかふざけてる――でも、この小説がある限りその人は現存してる』って……。あたし、それを聴いてね……、やっとおとうさんの死を受け容れて、哀しくなれた……。
――だからありがとう、こすもちゃん……」
「そんな、感謝なんてっ……! 私は、ただっ、酷いことを……っ!」
「ううん、あたしは救われたんだよ……。それは、あたしの想いに基づくあたしのぜったいで……、こすもちゃんは、あたしにとって大々的に大切な人だから……。
……あぁ、そっか……」
ここで摩怜は、彼の不思議な言葉を思い出し、その意図を理解したように――、
「それと、ね……」
と、和やかに微笑んで告げてみる。
「こすもちゃんは大切な人だけど……、
この想いは、絶対に思い切らせないから覚悟してね」
「――――!」
「なんて、えへへ……。このめぐりあひに感謝だね」
照れ屋な摩怜は照れを隠せず、はにかんだ。
「…………んぐっ! ……んっ!」
宇宙の瞳から、澄んだ涙が溢れ出る。
摩怜に包まれた自らの手を、彼女の手へと絡めるように包み返した。
「摩怜、さん……っ! ごめん、なさい……ッ!」
「ううん。あたしこそ、ごめんね――」
やがて、呪縛が解かれたように、悲しかった世界は、アナタの色に変わる。
中央の巨大な黒薔薇は、白薔薇に成り、
三頭の黒犬は、青毛と白毛の混ざった馬に成る。
世界を囲う真っ黒な半球は白く成り、その天頂辺りでは、黒き輪の中に黄色の輝きを放つ。
黒き大地は白と成り、重力を元に帰す。
舞い落ちた黒薔薇の花弁は水と成り、凹んだ大地を繋ぎ合わせて川と成る。
薔薇の葉っぱが、小舟のように川をさらさら流れゆく。
横たわる人は、そのまんま。
座り込む人々は、救済されたように白薔薇へと祈りを捧げる。
愚かしかった世界は、宇宙の心裏を再構築した。
すると、巨大な白薔薇の中から、錆びきった王冠が、がらんと落ちた。
宇宙は、摩怜の手を離し、改めて彼女へ抱きつくため――、
『彼女の首を、握り絞めた。』
「ひ――ッ!」
唐突に喉元を潰さんばかりに圧迫され、摩怜は目をかっぴらく。
宇宙が、狂喜を孕んだ酷く醜い笑みを浮かべた。
「《人工的な浪漫を好くのは、時の流星に集る、俄と蛾だけサ。アッハ、アッハ――》」
宇宙の声に合わせ、二重で聞こえる、どこかで聞いたことのある艶しき声。
そもそも口調が宇宙のものではない。まるで何かに憑かれているよう。
「まつ子――!」そんな一人美の声も虚しく。
摩怜を持ち上げてゆく、宇宙の身体から浮かび上がる灰色の影。
灰で形成されたローブ、それを纏うは、ところどころ血肉と筋繊維の残る骸骨。
ローブの上から肩に掛かるは、白薔薇の紋様を象る軍旗の付いた、巨大鎌。
つまるところ、『死ニ神』だった。
『死ニ神』は空を翔けながら、摩怜の首を絞める力を抑えて、言う。
《幾千のヒトが、誰かを容易く傍に置いておける環境ならばねェ、人類はトウに公平な愛と幸福を手にしているヨ。キミの優しさは、所詮、運がいい奴らの特権なのサ。アッハ、アッハ》
喘ぐように、枯れた笑い声をあげた。
地上では、一人美が焦燥と苛立ちを滲ませ、笑星を地面に押さえつけて問う。
「おいなんだよ、あれは! 彼女に渡したのは、『愚者』のカードじゃなかったのかよ!」
「出風氏は、たしかに『愚者』を選んだ……」
「じゃあ、あれは何なんだよ! 一人に二枚渡すなんざ、ふざけた真似してくれやがって!」
「知らない。小生は、何も知らされていない。けれど、あそこにいるのは『死ニ神』……」
「…………ッ!」
若干ではあるが、笑星もまた異常事態に動揺しているように見えた。その証拠に、前髪の隙間から微かに見える彼女の瞳が見開かれている。
一人美は動揺を抑えて訊ねる。
「なら、この晴臆は誰の心をベースに作ったか言えよ……。そんくらい分かるだろ……」
「……秘匿名、『午』……」
「ちッ――!」
一人美は笑星を放して立ち上がると、彼女の装束の襟元を掴んで、無理やり立たせた。
「ボクを、あいつのもとへ運んでくれ! 空を舞えるのは笑星だけなんだ!」
笑星は鼻血も拭わず、そっぽを向いた。
「無理。上からの指示がない。小生は静観するだけ」
一人美はカッとなって、乱暴にも笑星を投げ捨てるように放つ。
「まったく悲しい機械人形めッ! だから、きみは好きじゃないんだよッ!」
そう吐き捨てると、白狐に変身。摩怜を連れ去った『死ニ神』のもとへ駆けてゆく。
「――あっ、ああッ、ぅあぁあああああッ――!」
絶望を叫ぶのは、『死ニ神』に憑かれていた宇宙。
ぐにっと気味の悪い感触が、両の親指の腹に残り、悲惨な摩怜の表情が記憶にこびりつく。
「もぉ……、やめて、よ……っ。
――ねぇえええええええええええええ!」
腕時計を潰さん勢いで握りしめ、叫んだ。
「…………ぅっ」
ただでさえ重力に犯されて、全身ボロボロの摩怜。呼吸ができる程度に首を絞められているとは言え、抵抗する力は残っておらず、意識半ば、『死ニ神』の話を聞くだけで精一杯。
『死ニ神』は、ある高さまで昇ると動きを止めて、瀕死の摩怜を覗き込む。
《一時の勇気を与え、あの子をドウ救済するつもりだッた。あの子の苦痛を分かッた気になッてサァ、キミは勝手に同病相憐れんでいたのかい。アッハ、アッハ。愚かだネェー》
「…………っ」
《ヒトは個性を重要視する癖に、大衆に溶け込まなければ生きてゆけぬ。デモ悪いことじゃアない。だッて、それを《《共存》》というのだからネ。
シカシ、ヒトがヒトと分かり合うためには、心で通じ合うしかないのサ。デモ心に依る繋がりばかりを得ようとすれば、それを《《共依存》》と呼ぶ》
「なにっ、を……、言って、る……の……」
『死ニ神』が、可笑しそうに、アッハアッハ、と喘ぐように笑う。
《アアつまりだヨ。キミは、狂信される覚悟を以つて、あの子へ勇気を与えたのかい》
「…………」
摩怜は、答えられなかった。
《イイかい。ヒトに勇気を与えるとは、それほどの責任が伴うのだヨ。アッハ、アッハ》
「それは、ちがっ……」
それを正解にしたくない。僅かな反骨精神を言葉にしようと――。
《――『死ニ神』なんざ、くたばってしまえぇえええええええええ!》
『死ニ神』の背後から白狐が飛び掛かり、大口を開けて噛みつこうと――。
――ぐるんっ、
と、『死ニ神』が髑髏を半回転させ、白狐に向けて、アッハアッハ、と笑う。
《マア、そう来るよネー。ホレ、使い道のない生芥はコウだ。アッハ、アッハ》
そう言って、『死ニ神』は時腔の端へ目掛けて、ぽいと摩怜を放り投げた。
《まつ子ッ――
――むぐぅッ!》
白狐が、飛ばされる摩怜に視線を向けた――その隙を突かれ、『死ニ神』に鼻を掴まれる。
《狐は温和しく、過去に置かれた葡萄でも欲し続けていればいいサ。アッハ、アッハ、アッハッハア!》
《――――ッ!》
白狐は、『死ニ神』に軽々と投げ飛ばされ、一瞬のうちに墜落。白き大地が震えた。
しかし、痛みに浸る暇はない。一人美はすぐに起き上がり、摩怜のほうを向く。
《まつ子――!》
と、半球の時腔上部に、ぽっかりと真闇な穴が開いているのを見つけた。
その穴の中央で、濃紫に煌めく人影。
それと其の人影が抱えるは、おんぼろぼろの摩怜。
《チィ――ッ!》一人美が、舌を打つ。
本当は、《あいつ》が来る前に何もかもを終わらせるつもりだったが、どうやら遅かったらしい。
白狐姿の一人美は、《奴》のほうへと駆けていく。
そんな濃紫の人影の、蛇目模様の黄色の瞳が輝いた。
「ヤミは、もえているかい――?」
その声は、遠くの『死ニ神』に向かって問いかける。
「はぁ、 、 、はぁ、 、 、だれ、 、 、?」
誰かに抱えられる摩怜は、失いかけの意識で、その正体を見破ろうと顔を窺う。
濃紫の髪に、濃緑で掌状の葉の冠を頭に乗せる。
顔は優しそう……でも、どこか冷淡で艶美。
「なぐ、君……?」
摩怜は、乾いた唇を目一杯に動かして、正体を問うた。
すると、その人は摩怜に笑いかける。
その笑みは、冷笑的で、艶笑的で、遥かに美しくて。
「《俺》はそのつもりだけどね。坊やは、《俺》を否定しているので、こう呼ぶよ」
喋り口調も、どこか気品があって、和とは異なる。
声質も、落ち着いているけど大人っぽい。
「名を『税』と書き、読みを巳の次――税と読む」
けれど――。と、逆接を言って続ける。
「《俺》は、坊やの《理想》であり、彼の《姉》――。
つまりは……、もう安心しなよ」
それを聴いた摩怜は、力を振り絞り、微笑んだ。
「ありがとう、なぐ君……」
「いや、だから《俺》は――、
……まぁいいや。お疲れ、マーレ」
そう言って、税は白き大地に着地する。
同時に、一匹の白狐が税のもとへ駆け寄ってきた。
《まつ子を助けてくれたことには感謝する。だが、はやくその汚い手を退けろ》
冷たくあしらう一人美。そんな彼女の態度に、税は軽く笑った。
「ふふっ、相変わらずだね、ひとみ。でも《俺》は、そんなツンデレなキミが大好きだよ」
《う、うるさァい! 和の心を乗っ取ったうえに、ぽんぽん戯言を吐くんじゃねェ!》
「はいはい。ホントに、ひとみは可愛いなあ」
と税は、一人美の発言を軽くあしらい、摩怜を白狐の背に乗せる。
「これ以上、彼女を傷つけたら彼が怒るから、安全に帰ってくれよ」
《当たり前だっ! というか、お前が可愛いとか、ゆーな!》
「……ツンデレさんに、なるんだね……」と、摩怜は小さく呟いた。
白狐に乗せられた摩怜は、改めて税の姿を確認。
濃紫の髪に、濃緑で掌状の冠を乗せ、顔は大人っぽく女性っぽい顔立ちの和――みたいな。
服飾は、濃紫を基調とした、パンツスタイル、ロングスリーブタイプのドレス。腰から脚にかけ、スカートのような、あるいは長い燕尾の裾がテールのような、長い濃紫の布切れがなびく。またネックラインには、蔦を彷彿させる濃紫の蔓に、数弁の小さな白い花弁を象る。
なんと言っても、蛇目模様に黄色の虹彩が、とっても綺麗で、摩怜は見惚れてしまった。
「――税くん……」
と税を、くん付けで呼ぶのは、頬を赤く染める笑星。
「やぁ、笑星ちゃん。混沌派には悪いけど、あとのことは《俺》に任せてもらうよ」
「うん……。和ちゃんに、約束破ってごめんなさい、って言っておいて……」
笑星は、何の迷いも躊躇いもなく白の狐の背に乗って、折り紙の翼を広げると、白狐の背に座るのもままならぬ摩怜をそっと包んだ。一人美が、《ふんっ……》となけなしの抵抗をひとつ。
《それじゃあ、さっさと解決させて、和くんに戻れよな。お前のヤミは――》
「――あぁ、もちろん。分かっているよ。《俺》だって無闇に人を傷つけるのは好きじゃない」
《そんじゃ――》
一人美は、摩怜と笑星を乗せて、税の開けた真闇な穴のほうへ駆けてゆく。
「ね、ねぇ、ひとみん……」
摩怜が、弱弱しい声で一人美を呼んだ。
「あたしの、勇気は……、
……けっきょく、弱かった……みたい……。
――こすも、ちゃんをっ……!」
《みなまで言うんじゃない》
一人美が食い気味に云う。
《キミの輝きは、勇気は、そして想いの強さは、ボクが最後まで見届けた。
十々《じゅうじゅう》分にすごかったよ、摩怜……》
「でもっ! ――んぐっ! あッ、あたしは……っ!」
《キミは、己惚れちゃうほど我が自慢の友人さ……》
「ぅぐっ……! …………っ、
うんッ……!」
涙で視界が滲んでも、摩怜は真っ直ぐ前を見続ける。
あの輝きを追いかけて。
八つ尾の白狐が、時腔の穴を飛び越えた。