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三章 -2

 三章 クライ夜道ニ②




 九尾ここのお一人美ひとみは、冷静沈着を装って激怒していた。

 猫探しの翌日、その昼休み。お悩み相談部の部室には、冷たい匂いが漂っている。

 彼が来るのを、摩怜まあれとともに待つ。

 昨晩、一人美は、アルバイトから帰ってきたなぐへ、ことの真相を訊ねることはしなかった。昨日、喫茶店へ寄った際に二色にしきから聞かされた件は、お悩み相談部の問題であると認識していたため、相談部の一人である摩怜も居なければならない、そう思った(ただし、幽霊部員は除く)。

 部室の扉がノックされた。扉の前には彼の影。

 一人美が、「どうぞ」と告げると、「失礼します……」と、なんとなく状況を察している様子の和が部室へ入ってきた。それにしても気を落としすぎた佇まい、まるで体調が悪いみたい。

 二週間前と同じ位置に、三人は座る。和が座ったところで、さっそく一人美は問うた。

「和くん、アルバイトの時間を偽ってまで、なにをしているの?」

「……ごめんなさい」

 和はただ謝るだけ――というより、一人美の言葉にまったく耳を傾けていないような、上の空のような、そんな感じで俯いている。いつもなら背筋を伸ばして座っている彼が、今日は腰を曲げて、今にも倒れてしまいそう。摩怜はそれに気づいたけれど、張り詰めた雰囲気の中、それを口には出せなかった。

 一人美は、ただ謝るだけで何も答えようとしない和へ、「じゃあ」と呆れたように告げる。

「――陸久りくくんと、海実うみちゃん、知っているよね?」

 唐突に、ふたりの名前を挙げた。摩怜は、()()()を思い浮かべる。

 和が、一人美の挙げた名前に反応し、ばっと顔を上げた――が、すぐに顔を背けて。

「そ、そんな双子さんは、知らない、です……」

「…………」

「…………」

 一人美は、彼の発言で確証を得て、はぁ、と深い溜息を吐いた。

「いや、知っていないと、おかしいんだよ……。あの公園に行ったとき、毎日のようにいる双子なんだから。――というか、とぼけ方が壊滅的すぎ」

「…………」和は、顔を背けたまま、だんまりを決め込む。

「それで、ボクらの目を欺いてまで、やらなきゃいけなかったことって、なに?」

「…………」

「キミが黙ってんのは、時間の無駄なだけだぜ」

「…………はい」

 和は、言い逃れできないことを悟って、隠していた事実を告げることに。


「こすもさんの……、こすもさんのお家に行って、家事を手伝ってました……」


「は――っ?」

 打ち明けられた事実に、一人美は思わず素っ頓狂な声を漏らし、

「……いや、ただの、あひびきじゃん……」

 と彼の行為の換言を、呆然と零した。

 最近の和の動向からして、出風いでかぜ宇宙こすもに関係のある隠し事だろう、とそこまでは予想できていたが、その斜め上を行き、その真実を器用に呑み込めなかった。

 一方の摩怜は、深刻そうに眉をひそめて、事の経緯を話しだした彼を、ただじっと見つめていた。

「二週間前、僕が夜のバイトをしたいって、ひとみ先輩に言った日の昼休み、食堂でこすもさんの相談に乗ったんです……。そのときに、こすもさんが『本当は部活に入ったり、休日に友達とお出かけしたりしてみたいけど、家事で手一杯でできない。学校生活も、家での生活も苦しい』って。だから、少しでも負担を軽減できれば、と思って……。その……」

 ごめんなさい――。

 と、和は力なく頭を下げて謝った。

「なんで内緒にしたんだよ。言ってくれたら、ボクらも協力できたのに」

「それは、ひとみ先輩と二色にしきさんが……」

「ボクと二色……?」

 なぜ、急に姉の名前が出てきたのか、一人美は首を傾げる。が、ある日のことを思い出す。

「もしかして、和くん。姉が泊まりにきた日の、ボクらの会話を聞いていたんじゃ……」

 一人美の問いかけに、和は力なく首肯した。

 一人美は、だらんとソファの背面に寄りかかり、頭を抱えた。

「あぁー。――ってぇーことは、まーたボクのせいじゃないかよ……」

 あの日の失態を口にした。しかし、すぐに切り替え、背筋を伸ばす。

「でもさ、わざわざ家に行って家事を手伝わなくても、他に方法はあったんじゃない?」

「それは……」

 和が口ごもる。言い淀んでいるのではなく、堅い口を結んでいるよう。

 摩怜は、その理由をなんとなく理解して、この場での、せめてもの自分の役割はここしかないだろう、と覚悟を決めて、言うのをためらう彼の代わりに口を開いた。

「ひ、ひとみん……」

「なんだい?」

「えっと……、その……」

 一人美から放たれる不機嫌な威圧感に圧倒されて、つい委縮してしまう。けれど意を決し、情けなさを蹴飛ばして――。


「えっとね……! 親川君が家事を手伝いに行ったのは、たぶんだけど……。こ、こすもちゃんのお家が母子家庭で、長女のこすもちゃんがお家のほとんどの事を任せられているから……、だ、だから、すっごく大変で……! ほ、ほら下の子ふたりは、まだ小学一年生だし……!

 だ、だよね、親川君……!」


 和が首肯する。「僕が手伝いに行けば、少しは悩みが解決できるかなって……」と。

 しかし、これに一人美は、むっと訝しげな表情になり、彼を批難し始めた。

「いや、和くんが手伝いに行って、なにが解決するってんだよ。出風さんの家事の時間が削減されるだけで、根っこの解決はできてないじゃん」

「それは……」

「これは、イフの話だけどね。『昼休みや放課後、小一時間ばかり話し相手になる』。これだけで友達や学校生活の悩みに関しては、ある程度クリアするんだよ。

 そしてこれが、お悩み相談部として活動できる最大限度」


 いいかい、和くん――。と、一人美が、和を諭すように見つめる。


「所詮は他人に過ぎないボクらがね、他所よその家庭の問題に無闇やたらと干渉しちゃいけないんだよ」


「…………」

 和は、ただただ黙り込む。

 彼の拳がぎゅっと握られるのを、摩怜は見つけた。


「…………、


 ――――。」


 和のために反論するのではない。自分が腑に落ちなかったから、反論するのだ。

 そう自分に言い聞かせ、摩怜は、膝上に置いた拳をぎゅっと握ると、ふたたび口を開いた。

「で、でもさ。内部からじゃ解決できないことも、あるんじゃないかな……」

「あぁ、もちろん。だけど、今回の場合は家族で話し合って、そういう団体や企業に任せるべきだよ。一高校生にすぎないボクらが、彼女の親に『宇宙さんが苦しんでいます。家事の負担を減らしてあげてください』とでも頼み込むのかい。母親はどう思う。まるで悪者にされた気分だぜ」

「だ、だからって……こすもちゃんから、それは言いにくいと思うよ……。ほ、本当は、こすもちゃんのおかあさんが、こすもちゃんの負担に気づいてあげれば、いいんだけど……」

「気づいているさ」

 一人美が、摩怜の言葉を断つ。

「和くんとまつ子の話を聞いただけでも、基本的に家事の一切を出風さんがやっているのだと想像がつく。なら、これを言い換えれば、彼女の母親は出風さんを頼りきっているってことだよ。それで気づかないなんてほざくなら、その人はただのひとでなしさ」

「じゃ、じゃあ、見て見ぬふりをしてるってこと……?」

「見て見ぬふりというか、『出風さんが家事をする。』それが彼女の家庭の尺度――当たり前ってだけだよ。家庭には家庭の事情があるように、家庭には家庭の当たり前がある。その全貌を知ろうとせずに、無闇やたらとこちらの視点や尺度だけで悪だと決めつけ、一方的な大義を抱いて非難する――そんなの、あまりにも身勝手で無責任だよ」

 一人美のさめた視線が、摩怜の正義を冷静に消沈させる。

 お悩み相談部の一員として、なにかしなくちゃ、と、そんな焦りから恣意的に物事を捉えていた。一人美の言うように、宇宙の家庭内の全貌なんて知りもしないのに、宇宙のためにと行動していた和を無闇に擁護して、なにが正解かも分かっていないくせにさかしらぶって一人美に反論。

 自分の言動は、誰のための、何のためのものだったのだろう。

 己の誰何すいかを、誰も何も答えちゃくれない。

 なにも知らない自分が嫌になる。

「まぁでも、無理やり家事を押しつけられているとか、母親に相談しても無視されたとか、そんな証拠でもあれば、ボクらが介入する意味は大いにあると思うけど」

 そう言うと、一人美はさめた目線を和へと向ける。

「どーせ、未熟なキミは、そんなこと確認していないんだろ?」

「……はい。とにかく、今をどうにかしなくちゃって……思って……」

「ということだ。今を変えることだけにこだわればこだわるほど、こうやって強引にしか変えられないし、将来的な解決には至らないんだ」

 一人美が、もう反論はないだろ? と言うように、摩怜へ顔を向けた。

 当然、反論する余地は見つからず、とっくに意気消沈の摩怜は、「ごめん、なさい……」と謝り下を向く。

「まつ子は間違っちゃいない……。ただ、この世はアニメじゃないからさ、愛や幸せをぽんと気軽に出せるほど衝動的には進んじゃくれないんだよ……」

 一人美が、ソファの背もたれに寄りかかって、力なく天井を仰いだ。

「和くんに勇気をもらえたボクは、最っ高に運がよかっただけなんだよなぁ……」

 と懐古するように、儚げな笑みを浮かべた。

 そんな一人美の呟きに、摩怜は少しの苛立ちを覚え、なけなしの非合理案をほざいた。

「じゃ、じゃあ! あたしたちが、こすもちゃんに勇気をあげられれば――!」


「だからぁー、それが簡単じゃないんだってば」


 一人美は、無気力に天井を仰いだまま、摩怜の提案を少しムキになって却下した。

「まつ子だって知っている側の人間のはずだよ。ひとりで家事をこなすのって、想像以上に大変なことだって。しかも、あの子の場合、四人分(五人分)をやった上に学校にも行って、学校でも悩みを抱えて――そんなの、もはや『辛い』なんて感情の域を超えて、生を感じる余裕すらないと思うよ」

「……で、でも、ひとみんも、あたしも……勇気のおかげじゃん……」

「そう思うなら、大雑把な案ではなくて手段を言ってよ」

「え……そ、それは……。どうにか、おかあさんと話せるように……」

「『頑張って、お母さんに本心を伝えてみよう――!』そんなあてずっぽうで、ありきたりな鼓舞でもするのかい。そんなの、『生きていれば、きっと良いことあるから!』なんて、人生の絶対的正解を平気で押しつけてしまう綺麗()と同様の嫌悪感を抱くだけでしょ」

「それは……、…………っ」


『人は心でしか通じ合えない。ゆえに、贈る言葉に想いが宿っていなければ、それは送るだけのコミュニケーションでしかないのだ。』


 摩怜は、父親の書いた小説の一部分を思い出した。半ば自棄になって、一人美に苛立ちを覚えてムキになってしまった自分を情けなく思い、沈むように黙ってソファへ座り直す。

「ま、ともかく」

 一人美が姿勢を伸ばした。

「和くんは不本意だろうけど、この件はボクらも仲間に入れてもらうぜ」

「はい……」

「家事を手伝った後、バイト先にいる姉にどく抜きしてもらうことで、心のヤミを抑制する――なんて愚策には感心するけど、半端だったせいでヤミに侵食されかけてんじゃん」

「あはは……、すみません」

 和は口角を引き上げて、無理やりに笑顔を作った。

「この後の授業……というか、この後のホームルームは、クラスで文化祭の役割決めなんかをやるだろうから、キミは『体調が悪いから保健室に行く』とでも言って、保健室で大人しく休んでいることだね。ヤミを抑制するの、そろそろ限界なんだろ?」

「い、いえ……、大丈夫です……」

 和は、あからさまな作り笑顔を見せる。

「文化祭のリーダー決めと、企画の話し合いには、参加しておきたいですし……」

「冗談言ってんじゃないよ。和くんのヤミが顕現しちゃうと厄介だって知っているだろ。それに今日は水曜日だから、姉は自動車学校に行ってて、すぐには連絡つかないんだぞ」

「それでも……」

 和は、よろめきながらも立ち上がり――


「僕が居ないと、ダメだから……」


 と、柔和を被った苦し紛れの笑みを浮かべた。

「いやいや、和くんはクラスの中心にいるタイプじゃないでしょ。

 ……なあ、いったん座り直せよ」

 一人美の語気が荒くなっていく。苛立ちが滲みだしているのを、隣に座る摩怜は感じた。

 しかし、和は彼女の言うことを聞こうとせず、

「そんなことより……」

 と、部室から立ち去ろうと扉のほうへ向かう。

「こすもさんを、いま独りにさせちゃ、ダメだから……」

 その言葉に、一人美が和を鋭く睨んだ。


「おい。贅沢な勇気ばっか湧かせてんじゃねぇよ」


 一人美の怒りに満ち満ちた重低音の声が、州凶乃時腔ツキョウノジクウで出会った白狐の姿の、緋色の瞳をした彼女(?)を彷彿させ、なんとも言えぬ不気味さが摩怜の背筋をすっと伸ばす。

 それでも和は聞かず、ドアノブを握ると、一度、扉の前で立ち止まり振り返った。

 罪悪感とシニカルさ――それと、あざとさが混在したバカみたいに複雑な笑みをひけらかす。


「ごめんなさい――」


 と。

 謝罪の言葉に似つかぬ、そのふざけた表情が、「絶対に意志は変えません」と、強固な意思を示しているかのようにも見えて、一人美は、これ以上、足止めの言葉が出てこず舌を打つ。

 和が部室から出ようと、ドアノブを引いた――その直後。


 ばたんッ! きゅぅ~……。


 和が、盛大に後ろへ倒れ込み、ぐるぐる目を回すが如く気を失った。

「――なぐ君!」

 摩怜が咄嗟にソファから立ち上がり、和のもとへ駆け寄る。

「はぁ……」

 と、一人美が息を衝いた。

「眠っただけだから安心して、まつ子。ヤミの抑制を無理に行えば、それだけ疲弊もするさ。ヤミを表に出さなかっただけ、和くんは耐えたほうだよ」

 よいしょ、と一人美が、眠りについた和を軽々と持ち上げる。いわゆる、お姫様抱っこ、というやつだ。一人美は、和をソファまで運び、優しくゆっくりとソファに寝かせた。

 漫画で平然とやっていても、現実では困難らしい、お姫様抱っこから、ゆっくりと下ろす行為。スムーズに行われる、その一連の流れを摩怜は黙って見届ける。不思議な光景だった。

 すると一人美が屈んで、和の頬をつんと人差し指で刺す。そして、弾力を確かめるように動かしながら――。

「キミを大好きなボクの目の前で誰かの王子様になっちゃうなんてさ、嫉妬しちゃうでしょぉーが。

 ――って聞いてないか……」

 一人美は、ほっぺたを桃色に染めて、うつくしげに、はにかんだ。


「なあ、ボクだけものになっておくれよ……」


「…………」

 また、摩怜の知らない空間が展開されている。

「あの……」

 と、一声かけてみる。

 すると――、

「ほわぁ~っ!」と、ようやく我に返る一人美。一瞬で顔を真っ赤にさせて、おそるおそる、おろおろ、きょどきょど、ガクガクと摩怜のほうへ振り返った。

「こ、これは、あれだよ……!

 そ、そう、呪い! 呪いだ! 言うことを聞かない和くんへのお仕置きなんだよ!」

「そ、そうなんだ……」

「当たり前だろ! こうやっておまじないをかけておくことで、和くんをボクの隣に置いておくって寸法さ!」

「じゃあ、おまじないだけど、本心ってことだよね?」

「はぅ――っ!」

 苦し紛れを被ったように見せかけて、ただただ本心を曝け出しただけの一人美の甘っちょろい言い訳。

「やっぱり、ひとみんは親川君にだけ甘えん坊さんだね」

 摩怜は、寂しげに綻んだ。

「うぅ~~……っ!」

 一人美は、羞恥を抑え込むように唸るが、

 やがて大人しくなり、目線を落として火照った顔で――。


「だ、だって……。大切な人に大切にしてもらえるなんて……、甘美だもん……」


「…………!

 …………。

 そっか……、そうだよね……」

 摩怜は、結論付けた。

「もういい! 和くんは、ここで寝かせておいて大丈夫だから教室に戻るぞ、ほら!」

 一人美が、照れ隠しに部室から退散することを促すが、それだけでは照れを隠せず。

「もぉー! こうなったら、まつ子に文化祭のリーダー押しつけてやるから覚悟しろぉっ!」

 ちなみに一人美は、文化祭の実行委員長である(人の流れがそうさせたのだが)。

「えぇっ……!? で、でも、あたし、そういうタイプじゃないよ……!?」

「あぁそうだな! まつ子がリーダーになっても、ボクが喜び楽しくなるだけだもんな!」

「も、もぉ~、ひとみん~……。

 う、うん! あ、あたし、頑張ってみるかも――!」

 ふたりは、こうして部室の外へ出る。

「和くん、まだ遠くには行かないでおくれよ……。

 ……おやすみ」

 ぱたん――。と、部室の扉が閉められた。

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