87.林檎の樹の上で
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「ミオナ、ようー」
“金色のひまわり亭”、旧アリエ邸の裏庭は広々としている。
翠のぎょろ目でナイアルがあたりを見渡しても、少女の姿は見当たらない。
庭の西側、菜園の一画を通り過ぎる。
……にゅう。ずんぐり背高い花たまなの株の後ろから、むさ苦しく獣人が顔を出した。麦わら帽子が牧歌的だ。
「げっ、ビセンテ……?」
獣人が無言でしゃくったあご先の方向に、ナイアルは目をやる……。林檎の木の枝から、ぶら下がる足が二本みえた。ミオナだ。
早足で近づいて行く。
この庭の中で、一番旧くて大きな樹である。
――大人が一人ふたり乗ったって……折れやしねぇな。
確信してから、ナイアルは声をかけた。
「俺もそこ、行っていいか」
「……」
こちら側に背を向けて、ミオナの表情はわからない。
娘の腰かけた太くたくましい枝、その脇の木股部分に両手をかけてひょいと登ると、ナイアルはミオナの顔をのぞきこむ。
泣いてはいなかった……。いつも通り、分別くさく大人びたまじめな顔つきで、ミオナはナイアルをじっと見返してきた。
「アンリさんがね、味見させてくれたの」
その娘が、落ち着き払って言う。
「?」
「玉ねぎとにらねぎ。あんまり辛くて、涙が出ちゃったの」
かくん、ナイアルは脱力した。
「じゃ、何で逃げた」
「おねぎで泣いてるとこをナイアル君に見られたの、とっても恥ずかしかったから」
なーんだ、ナイアルは一挙に安堵する。
「俺ぁてっきり、アンリのやつが熱にまかせて、料理関連できっついことをお前に言ったのかと思ったんだぞ」
実は料理人には前科があった。むかし、岬のお婆ちゃん宅でイスタと下準備をしている時に、情熱のあまり延々と玉ねぎに関する独白を重ね続けて少年を閉口させたのである……。イスタはさらっと流せる才覚を持っていたが、ミオナはまじめに受け取りすぎて辛かったのではないかと、副店長は勘ぐっていた。
「あのな。俺の前なら、なみだ鼻水どんだけ流したって構やしねぇんだからよう。隠れたり、どっか行っちまうのはやめてくれ。でないと俺は、心配で腹を下してしまうぞ」
ぷっ、娘は口角を上げた。
「泣いちゃうの、みっともなくない?」
「良いんだ。泣きたい時ぁ、存分に泣け。他のうちではどうだか知らんが、俺っちは我慢してるやつをみる方がよっぽど切ねぇよ。そのためにテルポシエ男児は、手巾装備してんだからな」
「ふーん……」
どことなく、うつろな答えが返ってくる。
少女の目線は少し上の方、緑のりんごがたわわに実った枝々のさきに向けられていた。葉陰にかくれて小さくもり上がった、やどり木を見ている。
そこからすっと視線を落として、ミオナはやぶからぼうに問うた。
「ナイアル君て、お嫁さんもらわないの?」




