85.ミオナの告白
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「えっ? ……北部の商人が……?」
「そうなの。何だかおかしいし、怖いよね……」
“ももの実賞”にせ審査員の一件から、しばらく経ったある日の朝。
今日も“金色のひまわり亭”にミオナが来ていた。むいた玉ねぎの皮を一枚一枚うすくはがしながら、厨房の大きな卓にて、娘はアンリにフォレン村の近況を話している。
「できてもいない果物を、売りに来たっていうのかい?」
紅色てがらでおさげにくくった暗色髪をゆらし、ミオナはうなづいた。
「来年の夏に、杏や桃やぶどうを北から十何箱も持って来るから、買い取らないかって。お値段もすっごく安くて、うちが表にしてる買い取り標準価格の三分の一でいい、って言うの。もちろん今はお金はいらないから、予約だけどうですか、って……」
「絶対おかしいよ、それ……。ヴィヒルさんは、もちろん断ったんでしょ?」
「うん。リオナの事件もあったし、お父ちゃん機嫌悪くして……。うちでは扱わないから、帰ってくれって、そう伝えたのね。でもその人たち、また来ますって。うす笑いしながら、何だかへろへろ言っていて……。気味が悪かった」
「フォレン村の、他の人たちは相手にしたのかな?」
「そこまでは、わからないの」
ミオナの傍らで玉ねぎ皮をはがしながら、料理人は首をひねる。
春にシエ半島の岬の集落で起きた、玉ねぎ騒動のことを思い出していた。
「……ミオナちゃんは、どう思った? そういう遠くから来たくだもの、おいしそうに見えたら食べたいって思うかい。蜜煮にしたい?」
ひらひらした茶色い薄皮が、二人の間でこんもりと山を作っていた。これを少し乾かしてから染物商に持ってゆくと、引き取ってもらえるのだ。
「うーん……。見たことないから、わからない」
素朴な娘の答えに、アンリはぺかっと頬をてからせた。
「そうかい。……あのね、果物や野菜もね……旅をすると、疲れちゃうんだ」
「?」
「ポンカンナからフォレンに引っ越してきた時、疲れたでしょ」
ヴィヒルとアラン夫妻、および三人の子ども達一家が、遠くフィングラスの辺境からテルポシエ領に引っ越してきたのは春の初めだ。
同様に遠いデリアドへ往復した今、アンリにもその距離が身に沁みて遠く大きく感じられる……。相変わらず地図は読めないが。
「うん、すごく疲れた。馬車にぐらぐら揺られて、お尻が痛くなっちゃって……!」
娘は鼻の頭にしわを寄せて答えた。苦行なみにしんどかった長旅のことを、思い出したらしい。
「うんうん。それと同じでね、食べものも運ばれる距離が長ければ長いほど、疲れておいしくなくなるんだよ」
ミオナは首をかしげた。
「傷むってこと?」
「うん、もちろんそれもあるんだけど、ちょっと違う。見かけはきれいで傷がついていなくても、疲れた作物はまずくなっちゃうんだ。だからできるだけ、作った場所に近いところで食べちゃうほうが、人も作物もしあわせなんだよ」
そしてできれば、育てた人のわかる野菜や果物がいい、とアンリは思っている。
「そうは言っても、テルポシエにないものは他から持ってくるしかないけれど……。例えば干しぶどうや赤宝実やティルムンいちじくは、どうしたってイリーでは作れないね。けれどそれらは、陽に干されて旅支度をしたものだから、ちゃんとおいしい。身体を元気にしてくれる栄養も、しっかりつまってるんだよ」
「ふうん、そうかぁ。旅じたく」
「ミオナちゃんもね、忘れないでおくれ。大きくなってどこか遠くへ行ったとしても……。その土地で良いとされるものをおいしく食べていれば、病気を避けて元気でいられるんだよ」
こくん、と素直にうなづいたミオナに、料理人は頬をてからせて微笑した。
――ああ、良い子だなー!! ほんと、お腹いっぱいしあわせになってもらいたい!
調子にのって、アンリは聞いてみることにする。
「ミオナちゃん、大人になったら何になるか、もう決めてるの?」
玉ねぎ皮を丁寧にはがしていたミオナの手が、ふと止まる。
「……。お父ちゃんの蜜煮屋を、ずっと継いでいけたらと思うけど……。あ、作るほうは弟のヴィヒルだよ? わたしはお店をやりたいの……。でも」
低い声で言いだしたミオナの声が、だんだんと小さくなってゆく。顔もうつむき加減になった。
「でも、……テルポシエにも、いたいの。こっちの市内のほうってことなんだけど……」
「ほほ~~!? なかなか現実的だね!?」
この年にしては、かなり具体的な将来像を頭に思い描いているらしき少女に、アンリはちょっと感心していた。
お嫁さんとかお姫さまとか、そういう花の咲いた答えは来ないだろうと思ってはいたが……。いや、お姫さまなら間に合っているし……。
ミオナは頭が良くて機転もきくから、花形職業“先生”あたりを目指しているのでは、と予想していたのだ。
それなのに、父のあとを継ぐとは……何と堅実な!
「地に足のついた、立派な考えだ……! 畑のにらねぎのように実にりっぱだよ、すばらしい! でもどうか同時に、素敵なだんなさんも見つけておくれ。仕事だけに専心して、うちの店長やナイアルさんのようになってしまったら、後々が面倒だからね~!」
自分もそういう面倒な一例のうちに入っていることは完全無視して、料理人はものしり顔をてからせつつ言った。
「うーんと……、……あのね」
するとなぜかミオナは顔をあかくして、悲愴とも言えるくらいの真剣な目つきで料理人を見すえている。
ずいぶん迷った様子で、しかし少女はとうとう言った。
「アンリさん、あのね。……わたしね、ナイアル君のお嫁になりたいの」




