76.ビセンテVS阿武熊、仁義なきがん飛ばし
すっ飛ばすようにして、いま先頭を走って行くのはビセンテだ。
猫のようなしなやかさ。なみの人間ではついて行くのも困難な、けものの行脚である。
しかし幸いなことに、後ろに続く四人もこれまた常軌を逸している級の“第十三遊撃隊”だ。はぐれたりはしない、どうか安心して欲しい。
――あの女と仲間たちとは、そんなに離れちゃいねぇはずだっ。
度重なるキヴァン高地への往復を通し、一般イリー人にあるまじき持久力を身につけた副長ナイアルは、呼吸を乱さず胸中で推測する。
残りの男二人を見つけ出し、一緒にいるであろうアランの末娘・リオナを救出しなければならない!
「あのーっ、うすぼんや~りな記憶なんですけれどもーッ!!」
頬をばら色にてからせつつ、走るアンリが声を上げた。
「この先に、そこそこ幅の広めな川が、流れていた気がするんですぅぅー! 小さい頃に、イームちゃんと蜜煮おじさんと、釣りをした思い出の小川でーすッ」
「そっかー、位置的にはロフェー河につながる支流じゃないのかな!?」
風景だけでなく、地図も脳内記憶にきちんと入っている秘蔵っ子イスタが言った。
「ナイアル! そいつら小舟を使って、ファダン領へ逃げ込む算段なのかもしれないよッ」
「うむ、なるほどッ」
「あー、しかしですねぇナイアルさーん! そこの小川に行きつくまでにはー、……」
びたッッ!
いきなり走り止まったビセンテの背中に、ナイアルは顔面からのめり込んだ。
「うおう、何じゃあッ…… あーッ!?」
彼らの前方、二十歩ほどのところの茂みに、何やらでっかい栗色のもじゃもじゃがうごめいている。
それがひょいと立ち上がって、こちらを見た。……まっすぐに、見てきている……。
「くま」
獣人ビセンテは呟きつつ、そいつから視線を離さない。
「「阿武熊ぁぁぁぁっっ」」
背後のナイアルとイスタは、同時にうめいた。泣く子も黙る、イリー生態系の最高峰!
――ほんとうの空の下に歩いているって言い伝えの、あれー。まぁ今日わりと陽気が良くなってきたし、くま日和なのかなー……。
しんがりにいる死神隊長は、どこか他人事である。いや危ないのだけど。
「そうなんですよ~、小川にたどり着く前のこの辺りは、あぶ熊ちゃんのえさ場になってましてー。大っきく迂回しないと、だめなんですぅ」
「早う言わんかいッ」
「いやー、俺としては現場見ないと、わかんないですしぃ」
ああ、地図の読めない料理人! 地元田舎の案内すらできないとは、なんて役に立たないのだろう! ありえない!
「ひどー、そこまで言わなくってもー。でも大丈夫ですよ、俺にお任せください。どれ……狩猟用の毒矢を、むふふ」
むしろ嬉し気に顔をてからせつつ、アンリは背中の中弓を下ろしかける。
「これこれ、悠長に狩ってる暇はないのだぞ!? ……ん、ビセンテ……??」
獣人が、するるっと右横方向へずれていく。
「……くそがき」
けものから視線を離さず、ビセンテはイスタを呼ぶ。
「何?」
獣人は左手ひと差し指で、宙にすらりと半円の弧を描いた。
「かわ、行け」
「わかった。……皆、こっち。そうっと行くんだ!」
イスタが左方面へ、そろりと動く。ナイアルとアンリ、ダンが倣う。ビセンテは同時に、右方向へ大きく踏み出してゆく。
ぎぃいいいん!!
獣人の双眸から飛ばされる、強烈すぎる蒼いがん。まだ若い阿武熊は、つられてビセンテの動きを追う。負けじとぎりぎりにらみを利かせ、近づいてくる好敵手を見つめ続けている……!
こうしてイスタ、ナイアル、アンリ、ダンの四人は、阿武熊の視界からはずれた。下草の深い森の中を、進んでゆく……。
どうぞ本年もよろしくお願いいたします。
みなさまにとり、よい年となりますように。
(門戸)




