73.謎の女の目的は
森間にほんの少しだけ、円くひらけた窪地。
踏み出す足が、地の下にじわりと沈み込む、微かな感覚をおぼえる……。
――小湿地かよ!? ……いや、違う……なんだ苔か! やたら分厚く茂っているな……?
思いつつ、ナイアルは前方の巨大な丸岩をにらんだ。やはり一面苔むした数多の岩が、折り重なるように集まったその前に、漆黒の外套を着た女が立っている。一人きりだった。
「ずいぶんと、ふざけた真似をしてくれたじゃないのよさ」
ビセンテの後ろから半身を出したアランが、どすの利いた低い声を放つ。
「……こっちは大まじめだよ。賞うんぬんでだましたのは、悪かったけど」
女は何気なく手をやり、頭全体をきれいに巻いていた黒いがら物の大判布を取った。ぽろぽろろ、と豊かな頭髪がこぼれる。アランが、続いてナイアルとアンリが息を飲んだ。
金髪とも赫毛ともつかない、その中間が段々になったような、不思議な色合いのちぢれ髪である!
「あああ、あなたはぁーっっっ!!」
料理人がぶっ飛んだ声を上げた、一番ぎくりとしたのは最後尾の隊長ダンである。
「あなたはイームちゃんの目の前から消えちゃった、スターファさんではないですかッッッ」
「げっ。そういうあんたは、イームさんと一緒にいた、そっくり君でないの」
「はぁっっ!?」
ナイアルは思わず口を四角く開けて、女の顔をまじまじと見た……。本当だ! イリー風の濃い化粧をしているから、ぱっと見ではわからなかったが、言われてみれば同じ女である。
――んじゃあ、前に会った時は、いかにも東部系風に髪を暗色に染めとったのか!? ああ、だからビセンテも…… ……って……。
「アンリ、どうやって見分けてるんだ……」
死神隊長が、後方からぽつりと問うてよこす。さすがのめんど臭がり屋も、純然たる好奇心には勝てなかったもようである。
「え~、そりゃわかりますよ? あの奥さま、想像を絶する級の“あまいもの好き”の相がだだもれじゃないですか~!!」
ぺかーッッ!
木漏れ日を通して落ちる陽光に、頬をてからせて料理人は自信満々に言い放った。
「お腹の中の欲望は正直です! どんなにお化粧あつくしようが、髪型かえようが! 腹ぺこちゃんの様相を、この俺が取り違える障害にはならないのでーすッ」
「いや、ぜんぜん分かんねえしッ。……つうかあんた一体、何者なんだ!? スターファさんよ!」
次元と言うか領域と言うか、色々なものを越えている料理人は放っておいて、ナイアルは女を見すえ質した。
「イームちゃんや“さしもぐさ”の集落の連中を散々ひっかき回した上で消えて、今回は子どもをさらって、って……。何が目的なんだよ!?」
スターファは、げっそりとした表情で頭を振った。虹のような髪がちらちらと光る。
「……だから、そいつをこれから話すんだってのに……」
「いやー、でも良かったですぅ! イームちゃんは本当に、あなたのことを心配してたんです! 無事って知ったら喜びますよ、一緒にいた男の子も! なんて言いましたっけ、ナイアルさ~ん?」
「タリナ君だ」
「そうそう、タリナ君も元気です!」
「……」
てかてか、ぺかぺか! いまやアンリの頬はもも色にてかり始めた。もう場の雰囲気なんてどうでもいい、地図も読まず空気も読まない料理人は、ずかずか自分調子でスターファに語りかけた。
「あなただって、イームちゃんの絶品蜜煮に惹かれたからこそ、ずっとあそこに潜入していたんでしょう? おいしかったでしょう~? どうか気を取り直して、ぜんぶ白状し悪の心を蜜煮に入れ替えて、イームちゃんのところに帰りませんか~? タリナ君はイームちゃんが養子にしましたけど、あなたのことが大好きなんだから、時々会いに行ってあげれば皆しあわせってもんです! それに~~……」
「もう、いいっての……。めんど臭いな……」
延々つづくアンリの饒舌に、スターファは溜息をついて割り込んだ。そしてその溜息に、≪歌≫をのせた。
ぴしッ!
ナイアルは、唐突に全身にまとわりついた拘束感にぎょっとする。
短槍を握る右手が、両脚が、……動かない!
――これはッ……。アランに以前かけられた、あの声音の魔術とおんなしではないかッ!?
視線はかろうじて動かせる。ナイアルはぎょろ目で見まわして、アンリとダンが同様にびしりと体を硬直させ、微動もできずにいるのを視界にとらえた。
「……同族ってわけかい。どうりで髪を隠したもんね」
すい、とアランがビセンテの前に進み出てゆく。
「この兄貴たちは、あたしの友人でね。あんたの怪しい言動についても、聞き知っている。いったい、何が目的なのよ?」
声音の魔女は、いまや“第十三”を背に守る形で、女の前に立っていた。
「アラン。あんたを、探していた。あんたの話を、ネメズの集落の女から聞いた」
小っさい魔女は、蒼い双眸でぎいんと女をにらみつける。大柄な女は怯んだ様子も見せず、まっすぐに言った。
「レグリ、という女を知ってるだろう?」




